連載小説『ARTIFITECTS:模造建築家回顧録』第3話「フランカ・ロイド・ライトの穴」──作:津久井五月

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第3話「フランカ・ロイド・ライトの穴」

    計画名:仮想空間「VOWフォアヘッドα」掘削計画
    竣工日:2053年7月28日
    記録日:2055年12月15日
    記録者:フランク・α・ロイド・ライト

 大草原の朝は美しかった。
 群青の空がゆっくりと光に染まり、肌に心地良い風が吹きはじめる。乾いた草が揺れ、何種類もの野花の慎ましい姿が見えるようになる。鳥たちの声があちこちから聞こえてくる。
 なだらかな丘にわたしは住んでいた。丘の頂点ではなく中腹だ。自邸の窓から、穏やかな内海のような大草原の起伏を眺めることができた。
 そこに散在する家々の姿も。
 明け方の家々は静まり返っていた。どの邸宅もわずかな明かりすら漏らさず、夜明けの大地にしっとりと横たわっていた。ひとつの明かりもないというのは、不思議なことだった。しかし、その瞬間のわたしはその光景に疑問よりも陶酔を覚えた。
 わたしの設計した邸宅の数々が、図面に描いたそのままの姿で自然に溶け込み、美しく静止した風景を構成しているのだった。人の気配のない、純粋な美だと思った。
 わたしの建築に最も近いものを挙げるなら、それはキノコだ。
 赤褐色の、灰白色の、黄緑色の、乳白色の、有機的構造体。
 滑らかな柱が大地から伸びて、キノコの傘のようにのびのびと広がる屋根を支えていた。屋根の下面は繊細なひだ状の構造をしていて、それは装飾として機能するだけでなく、要するに何本もの片持ち梁の役割を果たすのだ。キノコがたった1本の柱の上に大きな傘を展開するように、余計な柱を必要としない。
 キノコが寄り集まって群生を作り、ひとつの群生がひとつの邸宅になっているのだった。大小の傘の下の空間が水平方向に繋がり、なだらかな大地の起伏と融合して、天井高や色合い、形の変化に富んだ室内空間が生じる。キノコ群は傘の縁からレースカーテンに似た編み壁を垂らし、それが室内と屋外をゆるやかに仕切っていた。
 見渡す限り、どの邸宅においても、わたしは手を抜かなかった。同じ原理で設計しながら、どれも似すぎてはいない。ずれて連続するキノコ傘の斜め曲線を強調したのは、フォックス邸。あえて小ぶりなキノコ群で構成して柱の林立を見せたのは、ドレッセルハウス邸。ひときわ大きなキノコ1本で主室を作ったのは、パストラーノ邸。
 施主はわたしを信頼し、わたしはその信頼に答え続けていた。
 世界でただひとりの建築家、フランカ・ロイド・ライトとして。
 白い黎明が赤い朝焼けに変わるのを見届けると、わたしは身支度をした。オリーブ色のゆったりとしたドレスに着替え、髪をまとめて口紅を薄く引くと、しばらくピアノを弾いた。
 広大な草原にあって、わたしのピアノが隣家に届くことはまずない。音は天井のひだに吸われ、風にかき消される。それでも世界に朝を捧げるつもりで弾くのが、日課だった。
 太陽が斜めに昇って風の向きが変わると、わたしは自邸を出た。
 大草原の住人は、すべてわたしのクライアントだ。彼らのもとを訪ね、歓談し、新たな家の着想をともに練ることが、わたしの欠かせない日常業務だった。
 社交は億劫で、草花や風景を眺めている方が心安らぐ。わたしが何よりも愛するのは、人よりも自然だ。だが仕方ない。わたしは建築家なのだから――と、そう思っていた。
 しかしその日は、妙な違和感があった。
 ひとつには、大平原があまりにも静かな気がした。
 そしてもうひとつ、珍しく郵便が届いていたのだ。
 風を孕むドレスの腰を押さえながら、わたしは無記名の封筒を開けた。
 それは〈神〉からの手紙だった。

    *

 親愛なるフランカ。
 きみに何をどこまで伝えるべきか迷った。何も知らせない方がいいのかもしれないとすら思った。私は、きみの世界観を壊してしまいたくはないのだ。
 それでも、何の説明もなくきみを一人ぼっちにするわけにはいかない。
 だからごく簡単に、かつ慎重に、事の次第をきみに伝えよう。

 きみの時間でおよそ10年前、私の時間で1年ほど前に、きみはその美しい場所で目覚めた。最初の朝にも、私がこうして手紙を送ったのを覚えているね。その手紙の中で、大草原を作ったのは私なのだという事実を伝えた。そしてきみに天職を与えた。きみは建築家となるために生まれたのだ、と。
 大草原に移り住む人々のため、きみはこれまでに2000を超える数の、見事な邸宅を設計してきた。またたく間に方法論を発展させ、優美で柔軟なキノコ・コロニアル様式を確立してみせた。私にとっても驚くべき成果だったのだよ。だからこそ大草原に移住する人間は絶えず、私はその場所をこれまで維持することができた。まぎれもなく、君がそこを支えてきたのだ。
 しかし――いや、だからこそ、きみを独りにしなければならなくなってしまった。
 端的に書こう。私は、新しい大平原を作ったのだ。

 きみの暮らす大草原は、私の世界では「VOWフォアヘッドα」と呼ばれている。
 VOWというのは噛み砕いていえば、それが物理的な実体のない、概念的な空間であることを示す記号だ。フォアヘッドというのは、いわば愛称。そしてαは、それがあるプロジェクトの初期段階における試作版であることを意味する。
 α版の次には、より完成度の高いβ版が作られることになる。建築家のきみなら理解できるだろう。要するにきみの住む世界は、実寸大の建築模型のようなものなのだ。
 私は先日、フォアヘッドβを完成させた。その旨をフォアヘッドαの全住人に知らせたところ、全員がαからβへの移住を希望した。この手紙をきみが読んでいる頃には、移住は完了しているはずだ。

 きみはひどく混乱しているかもしれない。あるいは、こう考えているかもしれない。「では、なぜ自分だけがフォアヘッドβとやらに移り住んでいないのか?」と。
 その疑問に答えるために、きみの正式な名を明かそう。
 きみは、フランク・α・ロイド・ライト。
 フランカというのは、「フランク・α」の略称なのだ。
 きみはフォアヘッドαに組み込まれた機能のひとつだ。仮想の大草原に相応しい住居を設計し、移住者に美しい生活を提供するために、歴史上の建築家フランク・ロイド・ライトをモデルにして作られた。きみは移住者ではなく、いわば、大草原の一部なのだ。

(画:冨永祥子)


 きみをその世界から切り離すことは、構造的に不可能だった。たった一人で取り残すくらいなら、いっそきみの時を止めてしまおうかとも考えた。しかし、それはきみを殺すことと同義だと私は感じる。そんな選択は私にはできなかった。

 私はきみをずっと見守っている。
 大草原から客人たちが消えても、風が、草花が、鳥たちが消えることはない。
 きみは誰にも邪魔されずに自然と芸術を愛でることができる。
 だから、どうか新しい、きみの生き方を見つけてほしい。

 ありがとう、フランカ。

    *

 〈神〉からの手紙には、何か特別な仕掛けが施されていたのかもしれない。
 それを読んでからというもの、わたしはじわじわと“前世”を思い出していった。19世紀半ばに生まれて20世紀半ばに死んだ伝説的建築家、フランク・ロイド・ライトという男のことを。
 あるいは、孤独な時間がわたしを揺り動かし、内奥にあった記憶を浮上させたのかもしれない。いずれにせよ、わたしの体感で何年もの時間が過ぎた。大草原は変わらず美しく、わたしはたった一人でそこにいた。

 わたしはもはや人間の真似をしなかった。昼も夜もなく風に乗って彷徨い、朝日が昇って大草原に色彩が戻るたびに、見知らぬ場所を宙から眺めている自分と出会った。
 唯一の持ち物であるオリーブ色のドレスが風を受け、わたしをどこへなりと運んでいった。明るいうちは何羽かの小鳥が並んで飛んでくれることもあった。眼下では野草と野花が真新しい絨毯のように光った。どこまで飛んでも、大草原の境界も果ても見えなかった。
 その世界のすべてが“試作版”だと知らされてもなお、わたしは自然の美を疑いはしなかった。大草原が〈神〉の被造物だという事実は変わらないのだ。たとえそれが、〈神〉にとって不本意な出来だったのだとしても。
 そう感じるのは、わたしもまた不本意な出来の被造物だからか――とも思った。
 昼夜が繰り返すように、何百回もそんな思考を堂々巡りした。
 思考とともに、わたしの作品は増殖した。
 見下ろす大草原のあちこちを、キノコ・コロニアル様式を含む種々雑多の構造物が覆っていた。一家族の邸宅どころの規模ではない。かつて大草原にいた住人のすべてを収容しても物寂しく感じるほどの、巨大な建物だ。それが見渡す限り数十と大地に広がり、地平線の先にはその何十倍、何百倍もの数が散在しているのだった。
 日付を数えるのをやめると同時に、作品を数えるのもやめた。いっそ大草原の全面をわたしの建物で満たしてやろうという、なけなしの反抗心もじきに萎えた。
 なにしろすべてがわたしの敷地で、ノーと言う施主も、イエスと言う施主もいないのだ。あらゆる設計が立ちどころに承認されて草原に現れる。わたしは部分的には、大草原の〈神〉だった。その立場はどうしようもなく寂しかった。
 花々は光って鳥は鳴くけれど、それは自動的で、無私のものだった。わたしのように何かを思っているとは思えなかった。だからこそ自然は美しいのだ――というのが長年の持論だったのに、そんな思想はわたしの激しい孤独を癒やしてはくれなかった。
 結局のところ、わたしには人間が必要だったのだ。
 何よりも自然を愛すると言いながら、わたしの根底にあったのは、人に認めてほしい、必要とされたい、尊敬されなければならぬという、どうしようもなく社会的な動機だった。たった一人で取り残されて、わたしは初めてそのことを自覚した。

「建築は、大自然への聖なる捧げ物だ」
 かつてフランク・ロイド・ライトは、そんな言葉を弟子たちに繰り返した。
 アメリカ合衆国ウィスコンシン州。おそらく〈神〉が属する世界の、わたしの知らない土地。それなのにひどく懐かしい、大平原の広がる土地だ。
 その土地の開拓民の家系に生まれたフランクは自然の色や形、匂いに強く惹かれて育ち、のちに建築家として、のびやかに水平に広がるプレーリー・スタイルという住宅様式を生み出した。“有機的建築”を志し、自然を賛美し続けた。
 その一方で、豪奢な生活のために金を求め、仕事を求め、名声を求め続けた。クライアントの妻と駆け落ちし、虚飾に満ちた自伝を書き、学費を取って徒弟を受け入れる建築学校を開いた。新世代の建築家たちを激しく非難し、自分はあらゆる時代で最も偉大な建築家だと宣言してみせた。どうしようもなく、社会的な男でもあったのだ。
「きみはフランク・ロイド・ライトを乗り越えられる存在だと思う」
 〈神〉からの手紙には、そんな追伸が添えられていた。
「きみは誰よりも純粋な建築家だ。彼が抱えていた人間の男としての限界に、きみは縛られない。社会的なしがらみや欲望ではなく、自然の形と働きに対する探究心だけで、きみは設計を続けられるはずだ。きみはフランクではなく、フランカなのだから」
 その言葉は短期的にはわたしを鼓舞し、長期的にはわたしを深く追い詰めた。
 わたしは何日も何カ月も草花を見た。鳥を見た。空の雲を見て虫を見て土を見た。稀な雨でできた水溜まりに自分の全身を映して見た。草で肌を切って赤い肉を覗いたこともあった。そうした一瞬ごとに脳裏に浮かぶイメージに、必死で目を凝らした。それでどうにか、繰り返し繰り返し建物を作ったのだ。
 それでも、わたしの渇きと飢えは消えなかった。

 ある漆黒の夜にわたしは叫んだ。
「〈神〉よ、設計を間違えたのは、あなたの方ではないですか」
 あなたがどれだけ建築家という概念を純化しえたとしても――いや、そうしえたからこそ、わたしには自然だけでなく、人間が必要だったのではないですか。それが、建築家というものなのではないですか。そうだとすれば、すべての人がここを去った時点で、どのみちわたしは死んだのではないですか。

 生命に満ちた草原で、わたしだけが長すぎる死の中を生きていた。
 朝が来るまで叫んだ後、わたしにできるのは、穴を掘ることだけだった。

    *

 乾いた草原にスコップを突き立てると、その下には黒い土があった。
 キノコ型構造を応用して作ったスコップだ。あまり出来の良いものではなかった。草の根を切り、引き締まった土を掘り起こすのは大変な労力だが、なにしろ時間は無限にあった。作業がつらく苦しい方が、わたしには好都合だった。余計なことを考えずに済むからだ。
 夜明けとともに掘りはじめ、日が没すると、1日分だけ深さを増した穴の中に身を横たえて眠った。土はわずかに湿っていて、わたしのドレスはいつしか土の色に染まった。稀に雨が降ると穴は浅い池になり、わたしはスコップでその水を汲み出した。
 わたしに残された最後のプロジェクト。
 それは要するに、自分の墓穴を掘ることだった。 
 はじめは、ただ広く深く掘っていくだけだった。寂滅へ向かうためのプロジェクトだ。そう簡単に終わってほしくなかった。いや、自分の死を宣言し、横たわって永遠に目を閉じるのが怖かっただけかもしれない。とにかく、掘り続けた。
 じきに土を地表へ放り上げるのが難しくなり、斜めに掘り進めざるを得なくなった。傾斜のある横穴を何度も往復して、大地から土を掻き出していった。
 穴が、ただの墓穴ではない何かに変わりはじめたのは、その頃からかもしれない。
 ただ斜めに掘るだけでは、掘削開始地点から離れていってしまう。それは何か、美しくない気がした。だからわたしは一定の割合で曲線を描くことにしたのだ。いつの間にかわたしの掘る穴は、地下へ向かって螺旋を描く傾斜路になっていた。
 大草原の竜巻のように。あるいは雨季に見かけるカタツムリのように。
 身体が要請するままに掘り続けた。曲率を意識的に計算するまでもなく、どう掘るべきか確信できた。それは明らかに、わたしの内側から、何年と繰り返した思考の堂々巡りから出てくる形だった。
 地表の光は一切届かなくなった。土を地上に運び出すのは面倒になり、自分の背後に残土を積んで、後戻りせずに螺旋を堀り伸ばした。
 その先に、本当に死後の世界があると思った。

 時間の感覚が完全に消えた頃、それが起こった。
 両足に冷たい感触があった。
 水が足元を流れているのだと理解するかしないかのうちに、低い音がした。音というより、振動だった。大地が揺れているのだった。
 その振動はわたしの頭上で大きく円弧を描いた。何周もして、徐々に近づいていた。わたしの脳は本当に久しぶりに推論を働かせ、その音が意味するものを察した。
 いよいよ、これで本当に死ぬのかもしれないと思った。
 大草原は、数年に一度の雨季に入ったのだ。
 その豪雨は地上を水浸しにして、川になって穴へと流れ込んだ。その水圧で横穴の残土の壁を突き破って、土砂とともに螺旋の中をなだれ落ちてきたのだ。
 数秒後に強い衝撃が来て、わたしはついに埋葬された――はずだった。

    *

 その後に起こったことは、わたしの記憶だけでは上手く語れない。
 だから以降は、仮想空間「VOWフォアヘッドβ」の人々からの伝聞を含む。

 話は、フォアヘッドβの時間にして2年前に遡る。
 ある住人が、奇妙な大地の盛り上がりを発見したそうだ。
 大草原の土と草の下から、滑らかな灰色の石のような塊が突き出していた。それは見る間に成長し、人の背丈を超える巨大な構造物に育った。不審に感じた住人が解体を試みても、傷ひとつ付けることができなかったという。
 それはただ垂直に伸びるのかと思えば、ある時点から成長は横向きに転じ、ゆったりとした曲率で円弧を描きはじめた。2周する頃には誰の目にも明らかだった。その構造物は、螺旋を描いて空を目指しているのだった。
 2年が経つ頃には、その螺旋の塔は、フォアヘッドβのどんな邸宅よりも巨大にそびえ立っていた。
 そしてある日、低い唸り声を上げたかと思うと、先端から水を吹き出した。
 それは土砂混じりの水だった。水は晴天の空に茶色い虹を作った。その水の中に、わたしが紛れていたのだった。

 わたしは土砂とともに草原に落下し、その衝撃で目を覚ました。
 呻きながら身を起こして、自分は死んだのだと確信した。
 わたしの“前世”における最高傑作が、目の前にあったからだ。
 ニューヨークの、ソロモン・R・グッゲンハイム・ミュージアム。螺旋を描く傾斜路で形作られた、特異な象牙色の美術館。設計から竣工まで15年の歳月を要し、フランク・ロイド・ライトの没後にようやく完成した、彼の遺作だ。
 いや、それが勘違いだということはすぐに分かった。わたしの正面にそびえるのはグッゲンハイムよりもさらに巨大な螺旋の塔で、その頂部からは滝のように水が落ちていたのだから。

    *

 なぜ、フォアヘッドαの大地を掘ったわたしが、フォアヘッドβにたどり着けたのか。
 それは〈神〉が抱えていた経済事情によるものだと、わたしは手紙で知らされた。わたしの行動とその帰結は〈神〉にとっても予想外のことだったらしく、手紙には興奮が滲んでいた。それから、わたしへの負い目のようなものも。
 いいのだ。謝ってもらう必要などない。わたしは正しく自分を葬ったのだから。

 フォアヘッドβという新しい世界を作るにあたって、費用の節約を考えた〈神〉は、フォアヘッドαの空間の“裏側”を使った。要するに、それが原因だった。
 αとβはひとつの大地を共有して逆さまに作られた、背中合わせの世界だったのだ。
 わたしは深い深い穴を掘ってその境界を突き破り、ふたつの世界をつなげてしまったというわけだ。αにおける穴は、βでは大地の盛り上がりと解釈される。螺旋の墓穴は、螺旋の塔に反転する。そんな滅茶苦茶な統合の結果、両世界ではかなりの混乱があったわけだが、それは今となっては些事だ。
 わたしはまだ、フォアヘッドαにいる。
 そしてまだ、穴を掘っている。こちらで穴を掘ることで向こうの大地を隆起させ、大草原に新たな地形を創造するのだ。
 わたしはついに、大地そのものになった。
 わたしの上に家々が築かれ、生き物が棲み、人が行き交う。

第3話了

文:津久井五月(つくいいつき):1992年生まれ。栃木県那須町出身。東京大学・同大学院で建築学を専攻。2017年、「天使と重力」で第4回日経「星新一賞」学生部門準グランプリ。公益財団法人クマ財団の支援クリエイター第1期生。『コルヌトピア』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞。2021年、「Forbes 30 Under 30」(日本版)選出。作品は『コルヌトピア』(ハヤカワ文庫JA)、「粘膜の接触について」(『ポストコロナのSF』ハヤカワ文庫JA 所収)、「肉芽の子」(『ギフト 異形コレクションLIII』光文社文庫 所収)ほか。変格ミステリ作家クラブ会員。日本SF作家クラブ会員。

画:冨永祥子(とみながひろこ)。1967年福岡県生まれ。1990年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1992年東京藝術大学大学院美術研究科修了。1992年~2002年香山壽夫建築研究所。2003年~福島加津也+冨永祥子建築設計事務所。工学院大学建築学部建築デザイン学科教授。イラスト・漫画の腕は、2010年に第57回ちばてつや賞に準入選し、2011年には週刊モーニングで連載を持っていたというプロ級。書籍『Holz Bau(ホルツ・バウ)』や『ex-dreams』のイラストも大きな話題に(参考記事はこちら)

※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら↓。

(画:冨永祥子)