分離派に注目05:小説家・津久井五月さん──都市の未来像を提示した博覧会パビリオンにSF的想像力が表れる

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【取材協力:朝日新聞社】

京都国立近代美術館で2021年3月7日まで開催中の「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」に合わせて、BUNGA NETでは3人の方にインタビューを行った。今回は小説家・津久井五月さんの後編をお届けする(前編は「分離派建築会はアート・コレクティブ的、だからエモい!」)。

津久井五月(つくい・いつき):1992年生まれ。栃木県出身。2015年東京大学工学部建築学科卒業。2018年同大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。2017年に中編小説『コルヌトピア』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞し、作家デビュー(特記以外の写真:宮沢洋)

分離派メンバーの「もがき」に共感

──展覧会や図録をご覧になって、分離派建築会のメンバーに共感したところはありますか?

 最初の頃の「もがき」みたいなものにはとても共感しました。卒業設計での、石本喜久治の「納骨堂」や森田慶一の「屠場」に見られる生命への関心、また、その後の農村と都市の対比などは日本の近代建築の歴史のなかではマイナーな問題ですよね。さらに彼らはそれを大上段にふりかざさず、パーソナルな形態や文言で、特に最初の頃はアウトプットしています。自分の考えていることが建築の大きな議論に結びつくかどうかはわからないけれど、このへんが大事なんだ、と思って取り組んでいた姿が見え、そこに共感したんです。

 学生時代の僕は設計が得意とは言えませんでした。個人的な関心を設計のテーマに据えることが良くも悪くも多く、建築にあり得るべき公共性や社会的な議論をふまえて設計課題に取り組めたことはほんの少ししかありません。卒業設計も結局、やるべきことをうまくつかめず、もがきだな、とわかるくらいのものしか提出できなかった。ひとえに実力不足だったんですけど、そんな学生時代を思い出しました。

津久井さんが建築を学んだ東京大学工学部1号館にて

──現在、小説という形で創作・表現活動を行うなかで、建築を学んだことが生きていると感じることはありますか?

 建築と小説は大元で似ている部分がかなりあります。特にSF(サイエンス・フィクション)というジャンルは、ある仮定に基づき構築した世界のなかを登場人物が動き回ります。そういう意味で建築設計とすごく似ているところがあると、SF小説を書き始めたときから思っています。

 ただ、建築の平面図やパースで表現される人物は、設計者にとって理想的な動きをする。この建築はこう使ってほしいという設計者の願望を宿した、一種のモデルとして登場します。対して僕は、その場所にいるその人が何者かということに関心があり、その人の世界の見方によって、建築がそこに存在する意味も大きく変わると思っていました。

 そのあたりは小説のほうがバランスよく表現できるのではないか、というのが今の実感です。かつての古典的なSFでは人間よりも世界の設定に重きが置かれていたと思いますが、「ニューウェーブSF」を経て、人間の内面世界がより豊かに描かれるようになり、現代のSFでは、架空の外的世界と人間の内面世界の響き合いや葛藤を書いた傑作が生まれています。僕も、人間の内と外の世界の大きさ、重さが釣り合うような作品を目指しています。

博覧会のパビリオンは建築とSFの結び目

──日本でのSFの始まりはいつ頃だったのでしょうか?

 日本のSFの始祖ともいわれる海野十三(1897-1949年)という作家は、分離派建築会のメンバーとほぼ同世代です。日本のSFの歴史は、星新一や筒井康隆、小松左京などを出発点に語られることが多いですが、戦前にもSFらしきものはありました。

 日本のSFの種はこの頃にあったと考えられるわけですが、この古典SFの時期に、分離派はすでにこのような集団や議論を形成している。建築の歴史はだいぶ先行しているな、と思いました。1920年代の日本で、SFという問題提起はなかったでしょうから。

 SF詩と呼ばれるものを残した中山忠直(1895-1957年)という人も、分離派と同世代です。現代に通じるSF的想像力と100年前なりの世界認識が結びついた詩作を行っていました。そういう日本のSFの萌芽期に、一方で日本の建築はどうあったのかを比較できたことは面白かったです。

 建築とSFの結び目になると思うのは、博覧会のパビリオンです。特に万博などの国際博覧会は、これを開催することによって、その国や地域の未来像を形にして打ち出そうということがかなり意識的に行われるので、そこで建築とSF的想像力がぶつかります。ル・コルビュジエがパリの都市改造案「ヴォワザン計画」を発表したのも1925年の現代産業装飾芸術国際博覧会(通称・アールデコ博)でしたし、日本のSF史で見れば、1970年の大阪万博はSFと建築が最も強く交わっています。

 分離派展にも「平和記念東京博覧会」のパビリオンに関する展示があり、興味深く見ました。両翼状に広がる形態などは、その頃なりの先進性や未来像を表現したものだったのでしょう。

 また、分離派展の冒頭に「辰野博士作物集図」という絵が展示されています。これもすごくSFっぽいと思いました。辰野金吾の設計による建物で都市が覆い尽くされたら、こんな未来になるという絵で、SF映画やSF小説で未来都市を描くときの手法に近しいところがあるなと。

「平和記念東京博覧会」に関する展示。京都国立近代美術館「分離派建築会100年」展にて
後藤慶二画「辰野博士作物集図」1916年、辰野家蔵。日本銀行本店や東京駅など、辰野金吾の作品が並ぶ架空の街並みが描かれている。後藤は辰野の弟子で、辰野の還暦祝いにこの絵を贈った(写真:長井美暁)

分離派は「ニューウェーブ」だった

──現代のSFでは、例えばコンピュータやバイオテクノロジーが発達して、ぐにゃぐにゃの複雑な形になるというような建築や都市のイメージが再び増えているように思います。SFの世界で分離派リバイバルのような面があるのでしょうか?

 今は単にぐにゃぐにゃした建築が出てくる未来都市を書いても、誰も驚きません。そのような建築は現実にどんどんつくられているし、そのような都市も昔から想像されていたので。

 ただ、分離派の卒業設計に出ていた「生命」というキーワードは、今のSFに通じると思いました。僕のデビュー作『コルヌトピア』でも、生きた植物を計算資源として用いる植生型コンピュータ「フロラ」に覆われた2084年の東京を舞台に、3人の若者の関わり合いを描いています。

津久井さんのデビュー作『コルヌトピア』は、2020年に文庫版が発刊された(写真手前左)

 分離派は「ニューウェーブ」だったということは言えるかもしれませんね。SFは科学的なアイデアを主眼として20世紀前半にアメリカで大きく発展しました。そのSFの在り方に異を唱え、これからのSFは「外宇宙」よりも人間の意識の「内宇宙」が重要だと、新しいSFを探究した動きがニューウェーブSFです。

 ニューウェーブSFは1960年代に始まり、70年代に入ると沈静化しました。分離派も結局、ニューウェーブだった期間はそれほど長くはなく、「外宇宙」とのバランスをとって社会的な方向に視野を広げ、古典的なものへの回帰もあったというところに、SFの歴史の先例を見るような思いがします。

 分離派リバイバルというなら、1970年の大阪万博で起こったようなSFと建築のぶつかり合いが2025年に再び見られるのか、ということに僕は興味があります。1970年の大阪万博は、一方では丹下健三の設計による「お祭り広場」に、その大屋根を突き抜ける形で岡本太郎の「太陽の塔」というテーマ展示が行われ、もう一方では小松左京がテーマ展示のサブプロデューサーとして、「太陽の塔」の地下展示をつくりました。

 そして2025年に再び大阪で開催される万博のテーマが「いのち輝く未来社会のデザイン」。先ほどお話ししたように、「生命」は昨今のSFでも重要なキーワードですから、何が起こるのか、すごく気になります。もちろん、そもそも万博に意味があるのか、どうあるべきなのかという議論はもっと必要でしょう。

 2025年の万博の会場デザインプロデューサーは藤本壮介さんですね。建築家が未来的なイメージを提示するということは、この10年から20年の間はそこまであからさまに行われていなかったと思います。あまり求められていなかったからでしょうけど、万博ならそれをやらなければいけないというのがあるはず。分離派建築会のメンバーが博覧会のパビリオンでデビューしたのと同じように、大阪・関西万博でも若手の建築家やクリエイターの活躍が見られるかもしれないと期待しています。
(聞き手:磯達雄、宮沢洋、長井美暁 構成:長井美暁)

〈展覧会情報〉
分離派建築会100年 建築は芸術か?
会場:京都国立近代美術館
会期:2021年1月6日(水)~3月7日(日)
開館時間:9:30〜17:00(入館は閉館の30分前まで)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開館時間は変更となる場合があります。来館前に最新情報をご確認ください。
休館日:月曜日
観覧料:一般1,500円、大学生1,100円、高校生600円、中学生以下は無料
Webサイト:京都国立近代美術館