最強の道後建築案内03:道後温泉本館の“魅せる保存修理”を可能にした「3つの奇跡」_BUNGA NET

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 さて今回は、道後滞在の主目的である「道後温泉本館」である。

営業しながら保存修理工事が進む道後温泉本館。2021年8月撮影(写真:宮沢洋、特記以外は同じ)

 ここには出張ついでに何度か来たことがあって、2014年には「建築巡礼」でも取り上げている(書籍『プレモダン建築巡礼』に収録。WEB版の記事はこちら)。実は今年(2021年)の夏にも出張で来た。そのとき、上の写真のようなダイナミックな光景(この状態でも営業している!)に心を打たれたことが、今回の道後クリエイティブステイに応募したきっかけだった。

 そして今回訪れると、こんなことになっていた。

 なんて前衛……。12月17日に後期工事の素屋根(工事中の建物をすっぽり覆う仮設屋根)がお披露目になったばかりだという。デザインは愛媛県の宇和島を拠点に活動するアーチストの大竹伸朗氏だ。素屋根も面白いが、それは他のメディアも報じていると思うので、ここでは中で行われている工事の面白さについて書きたい。

これは2021年8月撮影

 今年の夏に来たとき、建物の周りに展示されているいろいろな説明を読んだ(上の写真)。情報発信の姿勢が素晴らしいなとは思ったものの、正直、工事の全貌についてはよく分からなかった。展示のほとんどが仕上げや装飾の説明で、肝心の構造補強の方法が読み取れないのだ。一般の人にそんな専門情報を展示しても、ちんぷんかんぷんだろうから、まあ仕方がない。しかし、この連載は「最強の建築案内」を謳っている。なので、施設の所有者である松山市にアポを入れて、ガチの説明を聞いてきた。

RC造浴室を耐震コアに

 話を聞かせてくれたのは、松山市産業経済部道後温泉事務所の寺井修二主査。一級建築士でもある寺井さんの的を射た説明で、頭の中の霧が晴れるように、工事のポイントが分かった。

 まずはこの色分けを見て、各建物の築年がばらばらだということを知ってほしい。

本館を構成する各建物の竣工時期(資料:松山市)
工事前の状況。道後温泉駅から来る人は左方向から、車で来る人は右方向の市営駐車場から来る人が多い(資料:松山市)

 それさえ理解してもらえれば、あとは変に盛り上げなくても、とても面白い話だと思うので箇条書きでいく。

・耐震補強工事の基本的な考え方としては、各建物の中の鉄筋コンクリート(RC)造の浴室を耐震上のコアとすることで水平耐力を高める。
・各建物は木造だが、「又新殿(ゆうしんでん)」の浴室以外はRC造で建て替えられていたので、これを耐震コアとし、耐力が足りないものはRC部も補強する。
・木造部分は新たに基礎をつくり、軸組み部と緊結。軸組み部の弱い部分は、見えない部分で構造用合板などにより補強。
・営業を止めないため、前期・後期に分けて工事を行う。

 ざっくり言うと、この4点が基本となる考え方だ(宮沢要約)。既に終わった前期工事のポイントは下記だ。

前期の工事範囲 (資料:松山市)

・前期工事では、南棟(大正13年完成)の女性浴室(昭和29年にRC造で建て替え)を、既存コンクリートに増し打ちするなどして耐震補強。木造軸組みと緊結して耐震コアとする。「霊の湯(たまのゆ)棟」(明治32年完成)の男性浴室は新耐震以降のRC造建て替えなので、構造的には元のまま耐震コアとして使用。

南棟の軸組みをRC造部と接続した状況(1階西脱衣室)(写真:松山市)
霊の湯棟の2階床下の軸組みを下階のRC部に接続した状況。以前は、軸組みがRC部に載っているだけだった(写真:松山市)


・「又新殿(ゆうしんでん)」(明治32年完成)は皇室用につくられた特別の施設で、浴室(御湯殿)が木造のままなので、耐震コアに使えない。そのため、西側の見えない部分にRC造の壁を新たに建てて、耐震壁とする。

又新殿の鉄骨門型補強の状況(2階展示室)(写真:松山市)


・それぞれ木造部分の補強は、前述の基本方針通り。

南棟の柱脚を、新たに打設したコンクリート基礎に接続した様子(1階東脱衣室)(写真:松山市)
南棟3階外部の構造用合板による補強(写真:松山市)
前期工事で修理を終えた又新殿の屋根。アバンギャルド!

後期は2階休憩室の補強がカギ

 私が今年の夏に見た素屋根の状態は、前期工事が終わり、素屋根を骨組みだけにして「ずらす」作業の最中だったようだ。

 前期は東側(上の写真の手前)に架かっていた素屋根を約20mスライドさせて、西側に架けた。ちなみに前期の素屋根は、手塚治虫の「火の鳥」だった。

 これから本格化する後期工事は、築年が最も古い「神の湯本館棟」(明治27年完成)が対象となる。

後期工事の範囲(資料:松山市)

・「神の湯本館棟」の2つの浴室(昭和10年にRC造で建て替え)は、構造補強して耐震コアに。
・2階の「休憩室」は外周に耐力壁をつくれないので、南側の一部に建て具を模した耐震壁をつくって耐震性を高める。

 ……と、そんなプロセスで補強は進む。保存修理工事の設計は文研協(公益財団法人文化財建造物保存技術協会)。施工は門屋組・成武建設・富士造型JV。工事は2024年12月まで(前期は2019年1月~、後期は2021年7月~)。総事業費は約26億円。装飾や仕上げの修復作業については、市の特設サイトで分かるのでそちらを見てほしい。

見えざる手が招いた「3つの奇跡」

 そんなふうに営業しながら保存修理を進められるのは、やり方を考えた松山市の人たちも偉いとは思うが、どこでも同じようにできるわけではない。ここでは、「営業を続けられる条件」がたまたま揃っていたのである。

(1)浴室が男女複数あり、入り口も2カ所あった。
(2)全体が一体ではなく、各建物が構造的に独立していた。
(3) 浴室を早い時期にRC造で建て替えていた。

 この3つ、“奇跡”といってもいいだろう。 (1)は説明するまでもないが、浴室が1つだったらその時点でアウトだ。 (2)は構造が独立していたことで、構造的に解きやすく、工事も分けて進めやすい。工事後も構造的には縁を切っている。 (3)は、「なんだ夏目漱石の時代の浴室と違うのか」とちょっとがっかりしたものの、寺井さんは「もし当初の木造浴室のままだったら、建物自体がこんなに長く持たなかっただろう」と言う。言われてみればその通り。あるとき大胆に変えたことで、長く使い続けることができているのだ。

 私はかつて「建築巡礼」のイラストルポでこう書いた。

 「(発案者の)伊佐庭町長が指揮したのは又新殿(1899年)まで。その後の各時代の建物も、変化に富みつつ、それでいて統一感もあり、実にいい感じ。無名のつくり手たちの“奇跡のコラボ”」。

 今回の保存修理もしかりだ。各時代のつくり手たちは、100年後に「営業しながら大規模な修理を行う」ことを想定していただろうか。おそらくそんなことは考えていないだろう。道後温泉本館には“建築の神さま”がいて、“見えざる手”を働かせているとしか私には思えない。

 写真は撮れなかったが、今まで入ったことのなかった「霊の湯」男性浴室に浸かりながら、そんなことを考えたのであった。(宮沢洋)

次回の記事:木子七郎巡り(2021年10月25日ごろ公開予定)