連載「よくみる、小さな風景」04:「屋根」が生み出す、ものの流動──乾久美子+Inui Architects

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建築家の乾久美子氏と事務所スタッフが輪番で執筆する本連載。今回はスタッフの安東慧氏が「屋根」を観察する。当たり前にあり過ぎて考えることの少ない「屋根」の潜在力とは? 乾画伯のイラストにナビゲートされつつ、一緒に観察してください。(ここまでBUNGA NET編集部)

屋根研究の可能性を探る

 今回取り上げるテーマは「屋根研究」である。「屋根」の「研究」という制限の少ないテーマに、所員共々難しさを感じている。なぜ今屋根に注目するのか。屋根だからこそ生まれる効果とは一体何なのか。その答えは後の「小さな風景」に期待するとして、ここでは屋根研究を進めていく可能性について考察を行いたい。

(イラスト:乾久美子)

滞留空間を生み出しながらも流動を内包

 そもそも屋根の特質とは何なのか。
 
 まず思いつくのは降り注ぐ雨や日光を凌ぐシェルターとしての側面だ。例えば原始的な空間である竪穴住居は、最小限の構造部材以外は基本的に草木で葺かれた屋根でできており、空間の環境制御を屋根のみによって行っている。建築の原型として示されたロージェ(18世紀フランスの修道士で建築理論家)の「初源の小屋」の絵にも、四本の掘っ立て柱と切妻屋根が描かれている。屋根を空間づくりの最も基本的なものとする考え方は広く共有されているものと言っていいだろう。ものがその場に留まるためにまず作られるのが屋根なのではないか。

 一方で、屋根はものの動きを妨げない。アーケードといった通行空間に屋根がかけられる例を見てもその性格は明らかだ。壁などの垂直要素と比較したときの決定的な違いである。

 このように、屋根は滞留空間を生み出しながらも流動を内包することができ、それこそが他の建築要素にはない屋根の特質だと考えられる。今回は屋根の事例の中でもその流動性を最大限に発揮すると考えられる、壁などのない屋根だけがある空間に注目した。さっそく「小さな風景」の分析に入ろう。

なぜか常に流動状態にあるようにみえる

(写真:乾久美子建築設計事務所)

 こちらは代々木上原にある銭湯「大黒湯」の写真。銭湯入り口へのアプローチに屋根がかかっている。屋根下空間の主たる機能はコインランドリーであり、いくつもの洗濯機が並んでいる。しかしこの写真で目を引くのは洗濯機の存在を相対化してしまう種々雑多なものたちの存在だ。銭湯やコインランドリーという主要な機能をきっかけとして、自動販売機、植栽、ベンチ、自転車、バッグ、ポスターなど、通常は同じ空間にいることが珍しい様々なものたちが集まってきたような印象を受ける。

(写真:乾久美子建築設計事務所)

 次に紹介するのは、通りに高い屋根がかかっているこちらの風景。屋根下の空間が、店先や周りの自然を巻き込み、開放感を感じさせる。解像度を上げて見てみると、通常室内に置かれていそうな椅子や棚などが、屋外へと滲み出していることがわかるだろう。その他にも大黒湯と同じように植栽や自動販売機、看板などが屋根の下へと誘い込まれ、それぞれの場所に居座っている。

 しかしこの風景で重要なのは、ものの集合が感じられるというだけでなく屋根の下に集まっているものたちが常に流動状態にあるようにみえるということである。例えばベンチを見てみるとそのサイズや形はバラバラであり、それぞれのものが個別の理由によって個別のタイミングで動いているような印象を受ける。
 
 他にも、自動販売機は屋根の中心部まで入り込んでいるのに対して植栽や看板などは屋根に対して半身の状態であり、それぞれのものがその時々の距離感で自らの場所を決定しているようだ。小さな屋根の風景を見ていると、まるでものたちが屋根の下で絶えず動き回っているように感じてしまう。

メディウムとしての「人」

 現実的に考えれば、ひとりでにものが動くことはありえない。動くことのできるものはまさに「動物」のみである。しかし私たちは小さな屋根の風景から、屋根の下でものが勝手に動き回っているかのような印象を受ける。この矛盾に我々はどう答えればいいのだろうか。


 実際は人がものを動かしているからものが動いていることは言うまでもない。しかしそこで「ものが勝手に動く」という現象を説明するには、私たちはものの動く原因である人の存在を極限まで漂白するしかないだろう。人をあくまで空気のような、ものにとってのメディウム(媒介)のようなものと理解するしかないのではないか。

「する‐される」の二択ではない人の状態

 このような人の状態を、少しばかりの飛躍は承知の上で「中動態」の議論から説明することはできないだろうか。

 國分功一郎著『中動態の世界─意志と責任の考古学』(2017年)にある國分の説明によれば、今では当たり前のものとして認識されている能動態‐受動態の対立は、言語の歴史の中で言えば新しいもので、かつては能動態‐中動態という対立が存在していたという。能動態‐受動態の枠組みの中では、全ての動作は「する‐される」のどちらかに属する。つまり主体間における動作の「方向性」によって態は定義される。一方で能動態‐中動態の枠組みの中では、動作の過程が主語の外で完遂されるか内で完遂されるかという、いわば行為が発生する場所が問題になる。
 
 考えてみれば能動‐受動の枠組みの中で説明できる行為は少ない。自分が主体的に行ったとも、かといって強制されたとも言い難い「結果的に自分を場所としてその行為が起こった」としか説明できないような場面が多々あるはずだ。

 屋根の下のものの動きには始まりも終わりもない。そこにあるのは無限に続くものの連鎖反応のみである。そこに巻き込まれその一瞬を切り取りながらものの間を取り持っていく行為について考えるのに中動態は役に立つ。

 現代において私たちは能動態‐受動態の世界に生きている。ややもすれば、「私は意志を持って何かを行っている」あるいは「誰かに強いられて何かを行っている」という二択の世界に迷い込んでしまう。そうして徐々に息苦しくなっていく現代人を、屋根は絶えず流動するものの集合に巻き込むことによって中動態の世界へと解放する。

そっと屋根をかけてみると

 屋根をかけると、ものが集まってくる。集まったものは屋根の下で絶えず動き続ける。強い行動意志を持った人間でも、無限に続くものの連鎖反応の中では、結果的にそのメディウムでしか無くなってしまう。屋根が行うのはあくまで既存のものの動きの改変だ。そこには直接的に人に働きかけるのとは違う建築の態度がある。現代建築が未だに箱物を作り続けあらゆるものを閉じ込めてしまう中で「屋根研究」はオルタナティブな建築のデザイン手法を示すかもしれない。(安東慧)

安東慧(あんどうけい):1999年熊本県生まれ。2021年東京大学工学部建築学科卒業。2023年東京大学大学院工学系研究科建築学科修了。現・乾久美子建築設計事務所勤務

乾久美子(いぬいくみこ):1969年大阪府生まれ。1992年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1996イエール大学大学院建築学部修了。1996~2000年青木淳建築計画事務所勤務。2000乾久美子建築設計事務所設立。現・横浜国立大学都市イノベーション学府・研究室 建築都市デザインコース(Y-GSA)教授。乾建築設計事務所のウェブサイトでは「小さな風景からの学び2」や漫画も掲載中。https://www.inuiuni.com/

※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら↓。

(イラスト:乾久美子)