建築の愛し方14:美術館の改修中に『課長の工事通信』を発信、天井改修だってこんなに面白い!─山本大輔氏(後編)

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 発信型(エンジョイ型?)のニュータイプの行政マン、山本大輔氏(島根県東部県民センター建築課長)の後編である。

 「展覧会(島根県立美術館での菊竹清訓展)が終わった後、今の職場へ異動が決まり、引き続き美術館の天井改修を担当することになって…。なにやら誰かに呼ばれているような不思議なご縁を感じましたね(笑)」というところまでが、インタビュー前編であった。「天井改修」というのは、2021年5月から2022年6月まで実施された島根県立美術館の天井改修だ。

改修工事を終えて再開した島根県立美術館の天井。どう変わったか分かりますか?(写真:特記以外は宮沢洋)

 ここでの山本大輔氏の関わり方がまた面白くて、本来の「総括監督員」という役割以外に、山本氏らしい情報発信の役割も担っていた。それが「島根県立美術館ニュース」(美術館の広報誌)に掲載された「山本建築課長の美術館改修工事通信」。改修工事で美術館が約1年間休館している間、3回にわたって掲載された。単なる「工事通信」なら「ふーん」だが、「山本建築課長の~」とつくことで、俄然読みたくなる。

「山本建築課長の美術館改修工事通信」は各号の巻末、一番目立つところに掲載された

 私(宮沢)は東京でこれを楽しみに読んでいた。山本氏の了解を得て、一挙3話分を全文掲載する。以下、文責は山本大輔氏。

■山本建築課長の美術館改修工事通信(前編)
島根県立美術館の大規模改修がスタートしました。

 島根県立美術館では5月から約1年間休館し、大規模改修工事を行います。平成11年3月の開館から22年間、稼働し続けてきた空調や照明などの建築設備を一新するとともに、エントランスロビーの天井をさらなる耐震安全性を目指して「ヴァージョンアップ」することとなりました。

東日本大震災で相次いだ天井落下事故

 平成23年3月に発生した東日本大震災では甚大な津波被害がクローズアップされましたが、一方で体育館や商業施設など大規模空間での天井落下事故が2,000件以上発生し、多くの死傷者が出たことも大きな特徴の一つでした。

 このような事故を受けて国は平成25年に建築基準法を改正し、それまで法令に明確な定めのなかった天井の耐震安全基準を新たに設けました。今回の耐震改修は、この安全基準に適合させるためのものなのです。

ロビーの天井のデザインと合理性

 当館は日本を代表する建築家の菊竹清訓(1928-2011)が設計を手がけ、やわらかな曲面を描く大きな屋根が特徴です。菊竹はこれを“宍道湖の渚”をイメージしたものと説明しています。

 ロビーの波打つ天井は、屋根の曲面がそのまま内部にあらわされたものです。白い帯状の天井面が少しずつ高さを変えながら浮かぶ様子は、湖面のさざ波のようでもあり、湖上にたなびく雲のようにも見えます。

改修前の天井(写真:山本大輔)

 菊竹は天井の素材にアルミスパンドレルと呼ばれる小幅の金属板を採用しました。一枚毎に角度を変えられる金属板の吊り天井は曲面をつくる技術としてとても理にかなっています。菊竹はこの天井のデザインを大変気に入っていたそうです。

膜天井の新しい「かた」を探して

 菊竹の有名なデザイン理論に「か、かた、かたち」があります。「か」はデザインのイメージ(構想)、「かた」はイメージを実現するためのテクノロジー(技術)、「かたち」はテクノロジーにより生みだされるプロダクト(形態)を指し、あらゆるデザインはこの3段階を経て構築されるという理論です。

 この3段階論をロビー天井のデザインに当てはめると、まず“宍道湖の渚”のイメージ(か)があり、金属板の吊り天井(かた)を用いて、さざ波や雲のような天井(かたち)がつくられているのだと説明できるでしょう。

 今回の耐震改修において、私たちに課せられたミッションは、天井の「か」と「かたち」を守りながら、より安全で合理的な「かた」を探し出し、実現することです。そして私たちが見つけた新しい「かた」は、グラスファイバー製の「膜天井」でした。

 膜材は他の材料と比べて軽くしなやかで安全性が高く、曲面形状も自在につくることができます。また、金属板にはない吸音性を持ち、美術館に求められる静寂性の向上も期待できます。

 一方で、膜天井には膜天井ならではの難しさもあり、元の天井のキリッとしたシャープなイメージを再現するには高い技術力と施工精度が求められます。技術的なハードルをひとつひとつ解決し、新しい天井の「かた」をつくり出すことが、この工事の最大の目標です。

 次回は、膜天井の工事の様子をご紹介します。

■山本建築課長の美術館改修工事通信 (中編)
天井の耐震化、こんな工事をしています

 今回の天井耐震化工事では、金属板の吊り天井から軽量でより安全性の高いグラスファイバー製の膜天井に張り替えます。現在閉館中の館内では、一体どのような工事が行われているのでしょうか。今回は工事現場の様子をご紹介します。

(1) ロビー全体に足場組み立て

ロビー全面の天井を張り替えるためには、作業用の足場も全面に必要です。現在、ロビー空間いっぱいにジャングルジムのような足場が組み立てられ、工事関係者の作業を支えています。

(2)金属板天井と吊り材の解体撤去

 足場が組み上がったら、白い金属板の天井材と吊りボルトを撤去していきます。ただし、ダウンライトや空調の吹出し口などが納められた黒いスリット部分は十分補強して残します。なぜならオリジナルの優美な曲線を忠実に復元するために、元の曲線の基準となるものが必要だからです。

(写真:島根県立美術館)

(3)新たな天井を支えるための鉄骨の取り付け

 吊り天井を撤去したら、膜天井を取り付けるための新たな鉄骨を屋根の梁に溶接していきます。

 屋根の梁は屋根の曲面形状に沿った起伏を持ち、クモの巣のように複雑に張り巡らされています。屋根裏には建物に必要不可欠な防火シャッターや電気ケーブル、空調ダクトなども多数あり、鉄骨の取付工事は、綿密な調査と施工計画を必要とする大変な作業となりました。

(写真:島根県立美術館)

(4)膜天井の下地フレームの取り付け

 屋根の梁へ取り付けた鉄骨に、膜天井を張るための下地フレームを取り付けます。フレームの先端には直径13mmの鋼棒を緩やかに曲げながら溶接していきます。この鋼棒が一つ一つの膜天井のエッジをかたちづくり、菊竹が思い描いた優美なカーブを再現していきます。膜材を張ってしまえば隠れて見えなくなる下地フレームですが、天井のかたちを決める最重要工程の一つです。

(写真:島根県立美術館)


(5)膜を張る

 天井の膜材は世界的なシェアを誇る大阪の工場で製作され、現場へ運び込まれます。今回の膜天井は大きさと形状が一つ一つ異なっており、3D-CADと連動した自動裁断機で正確に切り出されたパーツを、工場の熟練職人が手作業で一枚一枚溶着して作られています。

 現場に運び込まれ、足場の上で丁寧に広げられた膜材は人力作業で下地フレームに張られていきます。職人の手と小さな手工具でシワひとつない膜面が張り上げられていく様子はまさしく職人技であり、巨大な美術工芸品と言えるでしょう。

(写真:島根県立美術館)
(写真:島根県立美術館)
(写真:島根県立美術館)

■山本建築課長の美術館改修工事通信(後編)
新しいロビー天井が完成しました

 昨年5月から約1年間かけて進めてきた県立美術館のエントランスロビー天井の耐震化工事が無事に完了しました。

(写真:島根県立美術館)

 今回の工事では、設計者の菊竹清訓氏が思い描いた“宍道湖の渚”のイメージを受け継ぎ、渚に打ち寄せる波のような曲面天井のかたちはそのままに、軽くてしなやかな膜構造に置き換えることで新しい耐震安全基準をクリアしました。

 熟練の職人さんたちの手で張り上げられた巨大な膜天井には緊張感がみなぎり、優美な曲面を描く姿には“白磁”を想わせる工芸的な美しさが感じられます。

以下の写真は宮沢が2022年8月に撮影

 宍道湖に面したロビーのガラス面から差し込む自然光は、大理石の床に反射して白い膜天井を照らし、膜天井が“巨大なレフ板”となって自然光を2階へと拡散させていきます。また、吸音性の高い膜材を採用したことにより、以前よりもロビー内での会話や足音の反響が抑えられ、美術館に求められる静寂性が向上しています。
 
 そんな新しい天井がつくり出す“安心感”と“空気感”によって、皆さんが美術館で過ごされる時間が少しでも豊かなものになればと密かに期待しているところです。

工事に関わった皆さんの技術と熱意

 今回の工事では大変多くの工事関係者の方々にご尽力いただきました。

 工事現場は一人一人の人間が動かしています。地域の建築に対して熱意を持って取り組む姿勢が、実際にどのようなメンバーを集めて体制をつくるかということにつながっていきます。大規模かつ複雑な曲面天井を膜構造で造るという前例のない工事を成し遂げることができた背景には、県内外から集まった専門技術者、職人の皆さんの高度な技術力に加えて、元請会社として彼らの技術力をまとめ上げ、気持ち良く働ける現場環境づくりに尽力された地元ゼネコンの皆さんの熱意と気配りがあったからこそと強く感じています。

 多くの皆さんが熱意を持って協力してくださるこの地域で今回の大規模改修が成し遂げられた喜びと、工事に関係された全ての皆さんへの感謝をこの場を借りて申し上げたいと思います。(ここまで、山本大輔|島根県東部県民センター建築課長、美術館改修工事総括監督員)

宮沢が見に行った日はあいにくの曇り空だったが、それでも湖畔の広場に子どもたちがたくさん。子どもが遊びに来たくなる美術館って素晴らしい! 宮沢は『菊竹清訓巡礼』(2012年刊)の中でも、この建築を「後期・菊竹清訓の傑作」と位置付けている

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 いかがだっただろうか。当初は自分で改修プロセスを書こうと思ったのだが、改めて山本氏に原稿を送ってもらったら、「これ以上の愛を持って書けない」と思い、そのまま載せることにした。

 こんな後日談を山本氏から聞いたので、まとめ代わりに。

 「連載の締めくくりに、工事に関わった皆さんへの謝辞を書かせてもらいました。実はこれ、美術館が新築されたときに菊竹さんが『近代建築』(1999年6月号)に書かれた謝辞とほぼ同じなんですよ。今回の工事に合わせて少し手を加えていますが、言葉遣いや文章の骨格はそのままです」

 なるほど、それは深い。深すぎて、誰も気づかないのでは……。

 「誰も気づかないだろうと思っていたら、気づいた人がいたんです。松江市内に在住の鴻池組のOBの方で、菊竹さんとは60年以上前の県立博物館の頃から付き合いがある方です。リニュ-アルオープンの日に駆けつけてくださって、『あの謝辞を読んで、菊竹さんが生き返ったかと思ってびっくりしましたわ!』とうれしそうにおっしゃいました。その笑顔が忘れられません」

 広く楽しくという発信の裏で、ピンポイントで深く刺さる発信も仕込んでいるとは。恐るべし、山本さん。これからも何をされるのか楽しみにしています!(宮沢洋)

右の似顔絵(宮沢画)をすでにハンコにして使っていただいているとのこと。そういうのも動きが速い!