中銀カプセルタワービル解体へ、メディアが取り上げない「3つのこと」

Pocket

 このところ、「中銀カプセルタワービル」(設計:黒川紀章、1972年竣工)が相次いでメディアに取り上げられている。去る土曜日(8月21日)には、22時からテレビ東京で放送された「新・美の巨人たち」で取り上げられた。最近の状況についてはこの記事が詳しい(「中銀カプセルタワービル」2022年に取り壊しへ。カプセルユニット保存へ向けて挑戦はじまる/suumoジャーナル)。

7月に撮影した中銀カプセルタワービル。南側の角からの見上げ(写真:宮沢洋)

 なぜ、報道が増えているかというと、解体がほぼ確定したからだ。以下は中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクトのサイトより。

 1972年に竣工した中銀カプセルタワービルはメタボリズム思想の建物として国内外問わず人気が高く、見学者が絶えません。数十年間にわたり建て替えかカプセルの交換かの議論が繰り返されてきましたが、2021年3月に管理組合で敷地売却が決議され、現在住人の退去と区分所有のカプセル売却が進んでいます。

 プロジェクトでは数年前から国内外のファンドやデベロッパーと打ち合わせをおこない、建物を一棟丸ごと購入いただき、カプセルを交換し保存するよう交渉を続けてきました。しかし2020年からのコロナの影響により話し合いはすべて中断してしまいました。約35年間大規模修繕がおこなわれず、安全性の問題が無視できない状況を管理組合やオーナーと話し合いをおこない敷地売却決議に合意しました。

 中銀カプセルタワービルがこのまま解体されてしまうと、メタボリズム思想の代表的建物が失われてしまいます。少しでも後世にこの思想を継承できるように、買受企業と協議をおこない、複数カプセル(最大139カプセル)の取得に合意をいただきました。カプセルタワー解体時にはそのカプセルを取り外し、株式会社黒川紀章建築都市設計事務所の協力により再生します。

 私も中銀カプセルタワーの活用議論にはかなり前から興味があって、前職の日経アーキテクチュア時代に企画した1998年10月19日号の特集『長生き建築、元気の素』では、特集の冒頭でこれを取り上げた。このときはマンション問題に詳しい先輩記者がこのビルを取材した。私がカプセルの中を実際に見たのは、相棒の磯達雄と2019年に「建築巡礼」で取材したときが初めてだった(カプセルよ、転生せよ/中銀カプセルタワービル)。

いつからあった? コルビュジエ風の窓

 今回の記事では、これまでメディアがほとんど報じてこなかった3つのことについて書きたい。これは誰かを責めるものではない。自分もそうだったから分かる。この建物は「伝えなければいけない情報」が多すぎるのである。

 メタボリズムとは何か、なぜカプセルなのか、区分所有法とは何か、改修工事の大変さ、管理組合と保存派の綱引き……。そういうことを書いていると、これから書くようなことは枝葉末節で、一生懸命書いたとしてもまず読まれない。そして、それぞれの話に「結論」はない。でも、これから、解体調査を進める中では誰かの参考になるかもしれないので書いておく。

■報じられない3つのこと(1):丸窓ではないコルビュジエ風の窓

 これはひと月ほど前に気づいた。中銀のカプセル住戸といえば、短辺方向の壁に取り付けられた丸窓だ。それ1つしか開口部はないというのが共通認識のはず。7月上旬に汐留の美術館を見に行った帰り、いつものように歩行者橋の上からこの建物を眺めていたら、中段部分のカプセルの長辺側の壁に、丸窓ではない窓が複数付いていることに気付いた。

もう少し寄ってみると……

 この大小の矩形をランダムな並べた窓は、コルビュジエ! (なんとことだか分からない人は「ロンシャンの礼拝堂」で検索を)

 今まで何十年もこの窓に気付かなかったのか、不覚……と思って、竣工時の写真を見てみたら、この窓はなかった。先に触れた2019年の建築巡礼の写真を見たら、この窓はあった。

 一体いつ、誰が、どうやって付けたのか。区分所有法では、全体の決議がないと外壁に勝手に窓を付けたりはできない。ここ10年ほどの保存解体の議論の中で、そんな呑気な決議が通るとは思えない。これは、外からは窓に見えるが、もしかしたら、外から貼っただけの「ツケ窓」なのか? だとすると、コルビュジエ風は何のメッセージ? 結論はないのだが、すごく気になるのである。

■報じられない3つのこと(2):隣のビルはなぜくっつけて建てた?

これは昔から気になっていたことだ。メディアの全景写真ではよく分からないが、現地に行ってみると、カプセルタワービルの北東側に、「中銀」の看板を掲げたもう1つの白いビルがある。地図上では2棟の建物だが、現地で見ると低層部がくっついているように見える。

 グーグルマップで調べると、この建物の名前は「中銀城山ビル」。この中銀城山ビルは「賃貸事務所ドットコム」によると、1982年9月竣工の賃貸オフィスビルのようである。鉄骨鉄筋コンクリート造・地上11階建てだ。

北側の通りに引きがなくて写真が撮りづらいのだが、左奥が中銀城山ビル。2階部分までくっついているように見える

 構造的に縁は切れているのだと思うが、なぜこんな一体感を持たせて建てたのだろうか。カプセルタワービルを取り壊すとすると、このビルはどうなるんだろうか。もしかすると、このビルとくっついているから余計にカプセルタワーの土地の価値が高まってしまうのではないか。これも結論はない話なのだが、なんだか気になるのである。

■報じられない3つのこと(3):歩行者橋の設計者に拍手!

 最後の3つ目は、褒めたい話である。海岸通りと高速道路を挟んだ西側(汐留側)に架かる歩行者橋の「階段踊り場」である。

 最近の報道で使われている全景の写真は、ほぼここから撮られている。この踊り場は、明らかにカプセルタワーを向けてつくられている。地図を見ると分かるが、拍手を送りたいほどにびっちりと軸線がこのビルに合っているのだ。この向きにしなければならない合理的な理由があるとは思えず、設計者がカプセルタワーを意識したとしか私には思えない。

 うろ覚えだが、この踊り場ができる前は、もっと全景写真が撮りにくかった気がする。そうでなかったとしても、この踊り場が出来たことによって、歩行者の目線がカプセルタワーに向きやすくなったことは明らかだ。コロナ禍の前には、ここから写真を撮る外国人観光客の姿が日常的に見られた。

 この部分の歩行者橋はおそらく、汐留操車場跡地に電通ビルや日本テレビタワー、汐留シティセンターなど主要ビルが竣工した2003年に整備されたものと思われるが、設計者などの詳細は調べてもよく分からなかった。これを設計した人には、心の中でお礼を言いたい。

メディアが報じないこと──おまけ

 最後におまけ。晩年の黒川紀章氏(特に都知事選)の印象で、「奇人」というイメージを持っている人は、以下の記事を読んでみてほしい。

7人の名言05:黒川紀章「安藤忠雄は時代を見抜いたのではなく、彼の個性がたまたま…」

(イラスト:宮沢洋)

 もちろん奇人というイメージも、ある一面では間違っていないが、メディアは極端な部分だけを取り上げたがるもの。一般メディアの建築報道が増えるのはうれしいことだが、そうした中で建築や建築家の「多様性」を発信することもBUNGA NETの役割だと考えたりするわけである。(宮沢洋)