建築界の大重鎮・内田祥哉(よしちか)氏が5月3日に96歳で亡くなったことが話題になっている。そちらは多くのメディアが書くと思うので他に任せ、BUNGA NETでは、日本とも関係のあったブラジル建築界の大重鎮・パウロ・メンデス・ダ・ホッシャ氏(ロシャと表記することも)の訃報を取り上げたい。
以下は産経新聞からの引用だ。
パウロ・メンデス・ダ・ホッシャ氏が(5月)23日、サンパウロで死去した。92歳。死因は不明。地元メディアが伝えた。港湾や運河などの建設に従事していた父の影響で、幼少時から建築家を目指す。サンパウロのマッケンジー・プレスビテリアン大学卒業。1957年、29歳でコンペに勝利、「パウリスターノ・アスレチック・クラブ」を手掛けた。以後も「ブラジル彫刻美術館」(88年)、「サンパウロ州立美術館」の改修(93年)、「パトリアルカ広場」の再開発(2002年)など、サンパウロを代表する数々の建築に携わった。
最近までコロナ禍についてコメントしたりしていたようなので、生涯現役を貫いての大往生だったのではないか。
「パンデミックが来たこと自体はごく自然の当たり前のことで、新しいものでも何物でもない。むしろ我々人間が自然界において一体何者であるのか、と言うことを考えるきっかけを与えてくれている」──ホッシャ氏。(引用元の記事はこちら→世界のウィズ・コロナ@ブラジル04:“人間力”という世界一のインフラを持つ国ブラジル)
日本とどう関係があるのかというと、ホッシャ氏は1970年大阪万博の「ブラジル館」の設計者なのだ。1928年生まれなので、42歳で国のパビリオンを手掛ける存在となっていたわけだ。2006年にプリツカー賞を受賞。2016年には、日本の高松宮殿下記念世界文化賞も受賞している。
…と、ホッシャ氏のことを前から知っているかのように書いているが、筆者も2年前までは知らなかった。昨年2月にブラジルの建築を見て回った際に、同国の現代建築を調べていて、サンパウロを拠点とするホッシャ氏のことを知った。行ってみると、このブラジル彫刻美術館(88年)がすごかった。ホッシャ氏60歳のときの建築だ。
建築でつくる新たな地形
建築で新たな地形をつくるような考え方は、大阪万博のブラジル館にも通じる(ブラジル館のコンセプトはこちら)。
万博ブラジル館は工業的な印象だが、この彫刻館はコンクリートの洞窟のよう。樹木がほとんどないのに自然を感じる。
内部空間も展示作品とマッチしている。
これを見ると、建築家のクリエイティビティーというものは、50歳や60歳では全く衰えないのだなと思う(もちろん人によるとは思うが)。2002年に完成した「パトリアルカ広場」(再開発)も見た。ブラジル彫刻美術館のように「心を打つ」という類のものではないが、74歳でこの造形か!とうなってしまう。
先輩格のニーマイヤーは98歳でこの造形
何しろサンパウロでは、20年歳上のオスカー・ニーマイヤー(1907~2012年)が2005年に98歳でこんな建築を実現している。
こんなものをつくられたら、ホッシャ氏も重鎮っぽく守りに入ることなどできなかっただろう。ホッシャ氏にとってニーマイヤーは生涯をかけて越えるべき壁であり、ライバルであったに違いない。
「切磋琢磨」は一般には青年期に使われることの多い言葉だが、建築においては生涯自分に課したい言葉だ。いつかブラジルに行くことがあれば、ニーマイヤー建築だけでなく、ブラジル彫刻美術館をお見逃しなく。(宮沢洋)