説明なしにこの建物を見て、「誰が改修設計を担当したか」を当てられる人はまずいないだろう。

見出しで答えがわかってしまったとは思うが、隈研吾氏である。「白子藝術祭」の会場となる「シラコノイエ」だ。4月27日から4月29日の3日間、事前予約制で公開されている。

千葉県では今年(2024年)、千葉県誕生150周年記念事業の一環として、自然、文化、資源豊かな千葉を舞台に、百年後を考える「百年後芸術祭」 を各地で開催している。長生郡白子町では暮らし、生き方そのものをアートと捉え、建築や展示、ワークショップなどを通して思考の種を植える、暮らしの藝術活動をテーマとした「白子藝術祭」を開催。共に百年後を創っていく共創の場としての芸術祭を目指す。





具体的には、「シラコノイエ」を会場として、時間制による少人数での体験型展示となる。1)隈研吾氏により修繕設計された「シラコノイエ」建築ツアー。2)高橋悠介氏によるCFCLカプセルコレクション「Shadows」の発表とともに、写真家蓮井幹生氏とのポートレイトプロジェク“SILHOUETTE” をスピンアウトした「SILHOUETTE in Shirako」を展示。3)シラコノイエの主である大田由香梨氏による白子町の旬の食をいただくワークショップからなる衣食住の体験型展示─の3本柱。所要時間は2時30分だ。

高橋悠介(右)。ファッションデザイナー。1985年生、東京都出身。文化ファッション大学院大学修了後、2010年株式会社三宅デザイン事務所入社。2013年にISSEY MIYAKE MENのデザイナーに就任し、6年にわたりチームを率いる。2020年同社を退社後、株式会社CFCLを設立。2021年第39回毎日ファッション大賞新人賞資生堂奨励賞及びFASHION PRIZE OF TOKYO 2022を受賞。2022年よりパリ・ファッションウィークに参加
■白子藝術祭
会期:2024年4月27日(土)~4月29日(月・祝)
場所:千葉県長生郡白子町
参加クリエイター:
・白子藝術祭クリエイティブディレクター:大田由香梨
・建築家:隈研吾
・デザイナー:高橋悠介 / CFCL
図録ブックデザイン:長嶋りかこ
PRディレクション:HiRAO INC
協賛:SLEEPINGTOKYO , 株式会社合同資源
協力:LAID BUG , Butterfly Studio
運営:白子藝術祭実行委員会
オフィシャルサイト:https://shirako.art
プレス内覧会が去る4月21日にあり、それに参加してきた。なぜすぐに書かなかったかというと、その時点でチケットが売り切れていたからだ(ちなみに「衣食住の展示ツアー・食事付き」の一般チケットが8000円だった)。なので、今後、何か機会を待たなければ実物を見ることができない。写真で雰囲気だけ知ってほしい(「シラコノイエ」は個人所有の住宅のため、住所も非公開)。



どこを見ても、隈氏とわかるアイコン的なデザインがない。隈氏に聞くと、「とにかくお金がなくて、現地を見て、自分たちでできることを考えた」と言う。「事務所のスタッフが町の人に交じって施工に参加した」とも。
なぜ、日本を代表する建築家の1人である隈氏がそんな文化祭のような低予算の仕事を引き受けるのか。会見で隈氏は、こんなことを語っていた。
「かつての民藝は男たちが押し付けたマッチョなものだった。ここではそうではない民藝の形に挑戦できるのではないかと思った」(隈氏)

それを聞いて、隈氏の近著である『日本の建築』(岩波新書、2023年11月刊)にも、「民藝」について書かれていたことを思い出した。隈氏は、柳宗悦( 1889~1961年)らの民藝運動が物質的なものに注目したことを評価しながらも、こう分析する。
「しかし民藝運動は、日本の建築文化とほとんど接点を持つことがなかった。民藝が建築デザインの流れに影響を与えることはなかったし、民藝が発見した黒い丸太が建築の世界の中で注目されることもなかった。それは、民藝は民家には注目したけれども民衆には目を向けなかったからだと僕は感じる。民藝は当時の権力に批判的な文化的エリートたちの趣味の世界での出来事にとどまった。趣味の世界にとどまるものは、趣味を掘り下げていくだけで外側の世界とはつながらない。建築とも経済とも社会とも、民藝は接点を持たなかった」(『日本の建築』(岩波新書、161ページより)
この文章を改めて読むと、隈氏が「シラコノイエ」の改修でやろうとしたことのすべてがここに書かれているように思える。ファッションや食とのコラボレーションとして発表した(そういうメディアに来てもらいたかった)ことにも納得がいく。

ある取り組みを「1回だけの挑戦」で終わらせないのが隈氏の特徴である(と、隈研吾ウオッチャーを自称する私はよく知っている)。シン・民藝(宮沢が勝手に命名)は今後どう展開していくのか。もしかするとこれが、“木ルーバーの時代”の起点となった那珂川町馬頭広重美術館(2000年)のように、隈氏のブレークスルーとなるのかもしれない。(宮沢洋)
