日本初のクラシック専用ホールの奇跡、「ザ・シンフォニーホール」(大阪・1982年)─TAISEI DESIGN【レジェンド編】

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一般の人が“名建築”として思い浮かべる建物は、いわゆるアトリエ系建築家が設計したものとは限らない。大組織に属する設計者がチームで実現した名建築にも、広く知ってほしい物語がある。本連載では、大成建設設計本部の協力を得て、個人名が世に出ることの少ない建設会社設計部の名作・近作をリポートしていく。初回は名作【レジェンド編】として、大阪の「ザ・シンフォニーホール」(1982年竣工)を取り上げる。

【協力:大成建設設計本部】

大阪駅から徒歩15分、静かな環境にまず驚く

 「日本初のクラシック専用ホール」と聞いて、ピンと来る人は相当の音楽好きだろう。そんな人は、もしかするとここに書くような話は既にご存じかもしれない。この話は、「音楽には疎いけれど、建築は好き」という筆者(宮沢)のような人に読んでほしい話だ。

(イラスト:宮沢洋、以下も)

 「ザ・シンフォニーホール」があるのは大阪市北区大淀南2丁目。JR大阪環状線の福島駅から北へ徒歩約7分。JR大阪駅からも徒歩約15分ほどの立地だ。超高層ビル群に囲まれながらも、南側に上福島北公園があるため、鳥のさえずりが聞こえる穏やかな場所だ。

(写真:特記以外は宮沢洋)

 ホールの名前は知っていたが、実物を見るのは初めてだ。想像と異なるシンプルな外観に驚いた。白い四角形の箱に、黒い帽子をかぶせたよう。

 ホールというと、片側にフライタワーが飛び出した形を反射的に思い浮かべるが、なるほど「クラシック専用」につくられたので、バトンや緞帳を収納するフライタワーはいらないということか。木々の間から見えるシンプルな白い外観は、ホールにありがちな威圧感とはほど遠い。

 白い建物にまっすぐ伸びる公園の並木道は、この施設のために整備したものに見える。が、これは公園に合わせて計画したものだという。環境を味方につけた設計だ。

カラヤンの賛辞を得た美濃吉昭氏とは…

 このホールは朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)の創立30周年記念事業の一環として1982年9月に完成し、同年10月に開館した。2014年、大阪を拠点に専門学校を全国展開する滋慶学園グループの子会社「株式会社ザ・シンフォニーホール」に移管され、同社が運営している。

ロビーに飾られていたヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989年)の写真

 ホールの公式サイトを見ると、「ヘルベルト・フォン・カラヤンをして『世界一の響き』と言わしめた」と書かれている。あのカラヤンが絶賛…。音楽にさほど詳しくない筆者はちょっとひるむ。もちろん、優れた音響についても触れるが、まずは筆者の主戦場である建築デザインについて書きたい。

案内してくれた平井浩之氏

 この連載は、過去の名作に関しては、現在の大成建設に所属する一線の設計者に案内してもらうことにした。今回の案内役は、大成建設設計本部副本部長で関西支店を拠点とする平井浩之氏。2014年にこのホールの経営が替わった際、平井氏が中心になって改修を進めた。また、本サイトで2022年にリポートした「藤田美術館」(大阪市都島区網島町、こちらの記事)の設計担当者も平井氏である。

 平井氏は、「入社して最初の仕事場がこのホールのすぐそばにあり、この建物を毎日見ていた」と、この建築との不思議な縁を語る。

 建設時に設計の中心になったのは、当時、設計部長だった美濃吉昭氏(1936年生まれ)だ。平井氏は、「私が入社した時(1988年)、美濃さんは雲の上の人だった。このホールや日清食品研究所など数多くの作品を残された方で、寡黙な人だったけれど、私は不思議とよく声をかけてもらった」と振り返る。

「人が動くことで建築も動き出す」

 平井氏は、この建築の特質を「全体に漂う気品」と語る。「日本初という冠がつく力の入ったホールなのに、これみよがしなところが全くない」(同氏)。

 確かに平井氏の言うとおりで、驚きを感じるほどすっきりした外観に始まり、入り口前に林立するギリシャ的な柱(コロネード)も、1階のホワイエも、細部まで手が込んでいるのに、「どうだ」という感じで主張してこない。流れるようにホール内へと導く。一番目を引く天の川のようなシャンデリアが、ホワイエの中心ではなく、3階の客席へと導く二股の階段(グラン・エスカリエ)の上部に設置されていることにも美濃氏の設計思想を感じる。

グラン・エスカリエのシャンデリア

 ホール内は、一般的なシューボックス型ではなくアリーナ形式だ。舞台の後方にパイプオルガンと客席がある。座席数は1704。最近は2000席以上のホールを見慣れているので、舞台との近さが印象的だ。

 そして、ホールに入ると、自然と目が行くのが天井のデザイン。音響のために設置された40枚の拡散体(反響板)は、とても「設備」には見えない軽やかさ。開演までの時間、天井をゆったりと見ていたくなる。

手前(写真上)は舞台上部の音響反射板、奥が客席上部の音響拡散体

 平井氏は、「建築は動かないけれど、人が動くことで建築も動き出す。そんなことを教えてくれるホールだ」と語る。

アリーナ型は、アムステルダムの名ホール「コンセルトヘボウ」などを手本とした

人間が入れる10分の1巨大模型を制作

 音響の話に移ろう。この施設は1979年、朝日放送の原清社長(当時)の強い要望で、「満席時残響2秒」を目標に設計がスタートした。設計・施工は、旧朝日放送本社(1966年竣工)の設計・施工を担当した大成建設に委ねられた。音響のアドバイザーには東京大学生産技術研究所教授(当時)の石井聖光氏が就いた。

 残響2秒実現までの過程は、当時プロジェクトリーダーだった朝日放送の三上泰生氏が『残響2秒』(1983年、大阪書籍)という本を書いているほどなので、音響設計に興味がある人はそういったものを読んでほしい。(音楽に疎い人のために念のため説明しておくと、演劇用の劇場は残響時間が1.3~1.1秒と短い)

 音響関連で建築好きに知っておいてほしいエピソードは、設計チームが世界の20か所以上のホールを視察し、そのうえで「10分の1模型」をつくって残響時間などを検証したという話だ。

 このホール以前には、机上で考えた音響計画がそのとおりにいかず、現場で仕上げを変更するなどして調整するのが当たり前だったという。ここでは人間が入れる大きさの10分の1模型を大成建設技術研究所内につくり、事前に残響時間やエコーの有無を確かめながら細部の形状を検討した。

10分の1模型での検証の様子。1980年(写真提供:大成建設)

 この話を聞いて、「すごい」とは思ったものの、10分の1サイズで残響が分かるのか?と不思議に思った。前述の『残響2秒』(三上泰生著)を読むと、こう説明されていた。

 「この模型は10分の1の大きさに作ってあるので、この中の音源はすべて普通の音の10倍のピッチにするのです。つまり超音波を使うので、空気では水蒸気のために音が減衰してしまいます。それで水を含まない窒素を使うのです」(『残響2秒』から美濃氏の言葉を引用)。

 なんと、そんなアナログな方法で確かめたのか……。

自分の信じるものを全身全霊で

 このホールは、残響の長さに加えて、どの席でも音の差が少ないことが音楽好きの間で知られている。つまり、値段の高い席でなくても、いい音が聞けるということで、ファンの幅が広い。

ステージ側から客席を見る

 これについて、ザ・シンフォニーホール取締役ゼネラルマネージャー・音楽監督の喜多弘悦氏が面白い見方を語ってくれた。喜多氏は自身が打楽器奏者であり、指揮も振る。

喜多弘悦氏

 「演奏側の立場で言うと、舞台から客席に座る方の顔がよく見える。普通のホールでは遠くて見えない。そして、聞く側からすると、どの席も舞台に近く、音の差もほとんどない。この一体感はその後つくられたホールでは実現できていない」

ステージ裏の壁には、出演者たちが貼っていったステッカーがびっしり

 それが10分の1巨大模型の成果か。と思ったのだが、喜多氏はこう続けた。「大きな模型をつくったといっても、当時の計測機器ではそれほど正確なものではなかったはず。それでも二度とつくれないホールが出来上がった。つくり手が、自分の信じるものを実現するために全身全霊で臨んだ結果、奇跡が生まれたのだと思う」。

 音楽家らしい分析に納得した。そして喜多氏は、「若い設計者にも、自分が信じるものを全身全霊でつくってほしい」とエールを送る。とても元気をもらえる取材で、すっかりこの建築が好きになった。(宮沢洋)

■建築概要
所在地:ザ・シンフォニーホール
発注者:大阪市北区大淀南2丁目3番3号

設計者:大成建設
音響設計:石井聖光、大成建設技術研究所
施工者:大成建設
構造:鉄筋コンクリート造(地下)・鉄骨鉄筋コンクリート造(地上)、鉄骨造(屋根)
階数:地下3階、地上6階、塔屋1階
敷地面積:3221m2
建築面積:2226m2
延べ面積:1万4898m2
工期:1980年7月~1982年9月
開館:1982年10月14日

■参考文献
「ザ・シンフォニーホール誕生秘話」(2014年、『シンフォニア』VOl.1、VOl.2)、『残響2秒』(三上泰生著、1983年、大阪書籍)

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