山梨知彦連載「建築の誕生」01:単純/複雑──建物が建築へと昇華する瞬間、その分岐点

Pocket

磯崎新氏が20世紀後半の日本建築界を代表する書き手だとしたら、21世紀の今を象徴する書き手は山梨知彦氏(日建設計チーフデザインオフィサー、常務執行役員)ではないか──。そう考えて連載を打診したところ(山梨氏にはそうは言っていない)、山梨氏から提案のあった連載タイトルは「建築の誕生」。かつて磯崎氏が唱えた「建築の解体」の先に、山梨氏はどんな「誕生」の瞬間を見るのか。(ここまでBUNGA NET編集部)

(ビジュアル制作:山梨知彦)

建築の誕生

 何故、「建築の誕生」なのか?                

 建築デザインに関わっている人々は、「建築」という言葉に特別な意味を感じて使っている。たとえば、様々な与件を整理して一つにまとめただけでは「建物」にしかすぎず、そこにルールや、意味や、思想、あるいは美観など、全体を貫き律する何ものかが立ち現われて初めて「建築」になる、といった感じだ。英語にしてみると、少しわかり易くなるかもしれない。ただの建物は「building」で、さらにそこに何かが加わり、あるいは削ぎ落とされて、建築すなわち「architecture」になるという感覚だ。Architectureという言葉を、「建築物を指し示すもの」であると同時に、「あるものが人間によってつくられるにあたり全体に行き渡った構成原理とでもいったもの」をも指し示す特別な言葉だと捉えているのだと思う。

 だがいざ、どうすれば建物を建築へと変異することが出来るのかと問われても、簡単には答えられない。いやむしろ、多くの建築家はこの問いへの答えを求めて、建築の生みの苦しみに身を投じているのかもしれない。サラリーマン・アーキテクトという気楽な立場からではあるが、僕自身も「建築」について実務を通して考えてきた。だが残念ながら、未だ答えには到達できていない。だがその答えに近づく一つの手掛かりとなるのは、設計をしているときや名建築に接したときに感じる、建物が建築へと昇華する瞬間や手掛かり、すなわち「建築の誕生」ではなかろうかと考えている。(図1)

図1:桐朋学園大学音楽学部調布キャンパス1号館の3つのレイヤと柱の関係を示すBIM(提供・日建設計)

本能としての建築

 多くの建築家は、建物としての成功と建築の誕生の両立を目指す。だがその実現は難しい。ある試みは、建物としては資本主義の世の中において商業的成功を納めるかもしれないが、建築としては意味をなさない場合もあろう。またあるものは、建築として時代を画する意味を生み出すかもしれないが、建物としては失敗するものもあるだろう。そして多くのものはそのどちらになることもなく、つくられては消えていく。            

 建築を生み出すことには、かくも膨大な徒労を必要とする。それにも関わらず、僕らは強いモチベーションを持って建築に挑む。何故であろうか。僕自身は、建築を生み出そうとするモチベーションこそが、人類が今日まで淘汰を経て進化を遂げることを支えてきた重要な本能の一つだからではなかろうかと捉えている。随分、建築に肩入れをした考え方ではあるのだが。(笑) 

 だが今、人新世と呼ばれる時代感が提示された。これは、建築づくりをはじめとした人類の行動が、超然とした存在と思われてきた地球に非常に大きな影響を与え、人類の危機をもたらしつつある、という時代認識であると僕は捉えている。そして、この時代認識からダイレクトにつながる社会課題の一つが例えば「脱炭素化」であり、今や建物や集落や都市づくりにおける大きな課題と位置付けられるに至った。

 話はいささか大げさになってしまったが「何故この『建築の誕生』という連載を始めるのか」という冒頭の問いに戻ると、つまり以上に述べたような思いから、「建築」とは何かという問いに対する答えに近づくため、この連載の機会を借りて「建築の誕生」について考えてみたいと思ったからである。

単純/複雑

 連載初回は、「単純/複雑」だ。建築がこの世の中に据えられるものである以上、世の中は建築の大前提であり、最初の与件でもあり、「建築の誕生」への最大の手掛かりであることは疑うまでもない。世の中をどう捉えるかについては、千差万別のアプローチがあるだろう。僕は、いかなる建築が誕生するかの最初の大きな分岐点は、世の中を単純なものと捉えるか、それとも複雑なものと捉えるかにあるのではないかと考えている。

 世の中のトレンドは、「かつてシンプルだった社会は、今や複雑な方向に進みつつある」との捉え方ではなかろうか。その一例としては、最近よく見かけるVUCAという言葉が上げられるかもしれない。この言葉はもともと、米軍が冷戦下の緊張の高まりの中での軍事作戦立案にあたり、不確実(Volatility)、不安定(Uncertainty)、複雑(Complexity)、曖昧(Ambiguity)が高まっている状況を捉えるためにつくった用語であったが、やがて社会状況が複雑になっているとの認識を表す言葉として一般社会に広がったという。世の中は複雑になり、それへの対応が社会課題とされる時代になって来たと認識されるようになった。

 このような認識の影響を受けてか、このところ、大学に建築設計課題や建築雑誌においても、「揺らぎ」や「ランダム」といった不均質さをモチーフとしたデザインを沢山見かけるようになってきた。(実は、僕は複雑とランダムは似て非なるものだと考えている。複雑/ランダムの話もまた、建築の誕生に関わる重要なキーワードだ。この連載の中で、別途取り上げたいと思っている)。              

複雑な世の中を、単純に捉える

 ところで、そもそも世の中は、単純だったものが最近になって複雑になって来たのであろうか。僕自身は「世の中は、もともと複雑なものであった」と考えている。近代から現代にかけて発明されてきた電信、電話そしてコンピューターなどにより、取り扱い得る情報量が桁違いに増えたために、人間はそもそも複雑である世の中を複雑に捉えることが出来るようになったのではなかろうか。以前から世の中は複雑であったが、それを複雑なままに捉え、取り扱う術を持ち合わせなかったため、単純化して捉える手法が重んじられてきたのだろう。そう考えるにはやや根拠が弱いが、この問題に賢人たちがいかなる考えを持っていたかと古今東西の格言を参照してみると、賢人たちも古来より自らが生きる世の中を複雑なものとみなしてきたように見える。いくつかを拾い上げてみよう。

・賢者は複雑なことをシンプルに考える。 ソクラテス 

・現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。 湯川秀樹

・複雑なものというのは、大抵うまくいかない。 ピータードラッカー    

・複雑な事象を単純化できる人を天才という。カール・フォン・クラウゼヴィッツ

 …等々、大半の賢人たちはかねてから、社会や世の中は複雑なものであるが、一方でそれを複雑に捉えるのではなく如何に単純に捉えるかが重要だと言っている。そもそも、格言は「我々が取り扱う対象は複雑なので、如何にそれらを単純に捉え、単純な解決策に結び付けるか」を目指して書かれているものだ。格言が存在するというそのことが、我々がこの世の中は複雑であると考えていて、その複雑さを直接ハンドリングする術がない時には単純化して取り扱うべきであるということを示しているのかもしれない。

 ここでの本題である「建築」の領域でも、ローマ時代のウィトルウィウスの時代から現代に至るまで、世の中やデザインの与件は複雑であり、それゆえに複雑な与件をそぎ落として、シンプルに解決を図ることこそがデザインの王道だと位置付けられてきた。その至言ともいえるのが、誰もが知るミースの「Less is more」だろう。この「複雑な世の中を、単純に捉える」中に「建築の誕生」を求める方法は、今後も重要な位置を占めていくに違いない。                       

 それに対して、新しい「建築の誕生」を模索したくなるのも人間の性である。たとえば、レイトモダンの建築家やポストモダンの建築家たちは、現実社会が抱える問題や、そこから派生する建築が取り組まなければならない諸条件などは本来「複雑」なのだから、その複雑さを単純化することなく捉え、建築はデザインされるべきであると考え始めた。複雑に対する思想的裏付けは既にあったものの、残念ながら、それをハンドリングする適切なツールが無かったためか、時代を変える大きなうねりとはならなかったようだ。

複雑な世の中を、複雑なままに捉える

 その長年続いてきた「複雑な世の中を単純に捉える」状況が、「複雑系」の科学の登場と、そこでの複雑さをハンドリングし同時に複雑系の科学を成立させるための原動力ともなったコンピューターの普及により、社会は「複雑な世の中を、複雑なままに捉える」方向へと今大きく動き出していると僕は考えている。

 複雑系の科学とは、複雑な世の中とそこで起こる現象を捉えるにあたり、複雑な事象を複雑なまま受け止めることに真正面から向き合う科学体系だ。かつての科学は「完全に規則的か、完全にランダムであるか」を大前提としていたことに対して、複雑系の科学とは、「完全に規則的でもなく完全にランダムでもない、その中間を扱うもの」と言えそうだ。この複雑系の科学の登場と、それを受け入れつつある社会状況の変化が後ろ盾となってか、近年は建築デザインを含む世の中の多くの領域でも「複雑な世の中を複雑なままに捉える」モチベーションや試みが目立っている。

 日本建築学会の会報誌である「建築雑誌」でも、2009年の5月に「非線形・複雑系の科学とこれからの建築・都市」と題された特集が組まれ、建築家の中にも「複雑な世の中を複雑なままに捉える」ことを前提に「建築の誕生」を模索する流れが現れて来たことを伝えている。昨今の複雑な三次曲面を使った外装デザインも、複数のシミュレーションを相互に連動させ最適化を図る多目的最適化による建築デザインも、そこから建築のかたちを直接ひねり出そうとするジェネラティブデザインやフォームファインディングと呼ばれるものも、大きくは「複雑な世の中を、複雑なままに捉える」トレンドの中に位置づけられるだろう。ここに新しい「建築の誕生」の手掛かりが潜んでいるのではないだろうか。

僕らの試み

 こんなことを考えつつ、僕自身も細々とではあるが、実プロジェクトの中で、「複雑な世の中を複雑なままに捉える」ことから建築を生み出すことを、日建設計の仲間たちと共に試みて来た。         

 たとえば、2000年代に設計した「神保町シアタービル」(図2)や「ホキ美術館」(図3)や「NBF大崎ビル」などは、建物の形態を制限する複数の与件と容積や環境性能を同時に満たすかたちを、人力とコンピューター(主に複数のシミュレーションとBIM)を使って追求することで「複雑な与件を複雑なままに捉える」ことから建築を生み出そうとしたものだった。

図2:神保町シアタービル (撮影:雁光舎/野田東徳)
図3:ホキ美術館(撮影:雁光舎/野田東徳)

レイヤとパターン

 「複雑な与件を複雑なままに捉える」ために、与件を複数のシミュレーションに分解し、その複数のシミュレーションを串刺しするかのように同時に満たす「かたち」や「ルール」や「パターン」を見つけていくというここで取った方法は、これまでの「複雑な社会を単純に捉える」方法で生み出されたものとは異なった「建築」をひねり出そうと試みたものであった。

 実はこの方法は、僕ら建築デザインに従事するものが日々使っているデジタルツールであるCADやBIMやPhotoshopなどのシステムと極めて類似している。共通点は「レイヤ」、そのon/off、重ね合わせにより、雑多な設計与件を整理しつつ、設計者が求めるかたちや画像を、複数のレイヤの中に多次元的にまたがり存在する「パターン」として浮かび上がらせることで、複雑な設計与件を複雑なままにコントロールしながら作業をする環境という点である。

桐朋学園大学音楽学部調布キャンバス1号館

 この複数レイヤの中に多次元的に浮かび上がる「パターン」を意識して設計したのが「桐朋学園大学音楽学部調布キャンパス1号館」という音楽大学の校舎であった。                  

 音楽大学の設計では、個人やパートが使うレッスン室、合奏をするアンサンブル室、練習を待つ学生が集う学生ホールが主要機能だが、そこに教育カリキュラムが重ね合わされ「複雑」な設計与件となるのが一般的だ。これまで音楽大学の設計では、複雑な与件を数パターンの「平均値」的な部屋に収束させ「単純」に捉え、解決を図る設計が主流であった。その結果、薄暗い中廊下を挟んで同一形状の部屋が繰り返し並ぶ味気ない建物、あえて言えば監獄のような内部空間を生んでしまうことが度々あった。

 そこで僕らがとった方法は、

・各室は平均値ではなく、それぞれの部屋の用途に即した個別の大きさ/プロポーション/天井高さ/響きを持たせることを徹底する

・各階をレイヤに見立て、それぞれに各室をカリキュラムに即して合理的に配置する

・各室の間には廊下や吹き抜けを挟み込み、牢獄感を強める元凶となっている厚いコンクリート壁無しで遮音が取れる形式とする

・レイヤを重ねただけでは構造的整合は取れないが、異なるレイヤの壁が立体的に交差した点に柱を通せば、柱はまっすぐに通るというパターンを発見した

・各室の大きさやプロポーションは固定したまま、間に挟まれた廊下や吹き抜けの幅を変化させ、柱のスパンが適切になるよう調整を繰り返す。

 この、必要な複雑さは複雑なまま各レイヤで捉え、レイヤの積み重ねの中に立体的に構造パターンを見出す方法を思いついたとき、僕は「建築の誕生」に近づけたように感じた。実際に出来上がった空間は、一見ルールが感じられずナチュラルに見えるが、実際には構造合理性などのルールがあり「複雑な与件を複雑なまま捉え」つつも、デザインとして収束した状況を生み出せたのではないかと考えている。(図01、図04、05)

図1(再掲):桐朋学園大学音楽学部調布キャンパス1号館の3つのレイヤと柱の関係を示すBIM(提供・日建設計)
図4:桐朋学園大学音楽学部調布キャンパス1号館。2階レッスン室(撮影:雁光舎/野田東徳)
図5:桐朋学園大学音楽学部調布キャンパス1号館。1階学生ホール(撮影:雁光舎/野田東徳)

「予測」から「操作」へ

 時代は今、更なる加速度を伴い「複雑な世の中を、複雑なままに捉える」方向に進んでいるようだ。

 状況を加速しているものの筆頭は何かといえば、人工知能である。これまた複雑系の科学が非常に大きな役割を果たして、革新的に進化を遂げている。2022年の後半には、ChatGPTやStable Diffusionなどの登場や公開が相次ぎ、人工知能はついに実用の域に到達したと大きな話題となっている。僕は、2023年は、AIとその他のデジタルツールが統合し、建築そのものが変革する「AI-建築統合元年」になるだろうと予想している。     

 建築の世界で言えば、BIM上の情報と建築などに実装された各種センサーが、人工知能をハブに統合、連携される「スマート」な建築を目指す動きが始まるだろう。このAIと統合された「スマート」な建築とこれまでの建築との大きな違いは、現実世界で起きている複雑な現象をリアルタイムにセンシングし、デジタルツインやミラーワールドなどを介してリアルタイムにシミュレーションを行い、建築をリアルタイムで「制御」しえるという点であろう。そしてこれが他のエレメントとも統合され、「スマートシティ」へと繋がる。

 かくして、複雑で予想が難しいことを無理して予想して「設計」しなければならない呪縛から解き放たれ、複雑な世の中の状況をリアルタイムにセンシングしフィードバックすることにより、無理なく「操作」出来る新しい「建築の誕生」が近づいているのかもしれない。

山梨知彦(やまなしともひこ):1960年生まれ。1984年東京藝術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院都市工学専攻課程修了、日建設計に入社。現在、チーフデザインオフィサー、常務執行役員。建築設計の実務を通して、環境建築やBIMやデジタルデザインの実践を行っているほか、木材会館などの設計を通じて、「都市建築における木材の復権」を提唱している。日本建築学会賞、グッドデザイン賞、東京建築賞などの審査員も務めている。代表作に「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「NBF大崎ビル(ソニーシティ大崎)」「三井住友銀行本店ビル」「ラゾーナ川崎東芝ビル」「桐朋学園大学調布キャンパス1号館」「On the water」「長崎県庁舎」ほか。受賞 「RIBA Award for International Excellence(桐朋学園大学調布キャンパス1号館)「Mipim Asia(木材会館)」、「日本建築大賞(ホキ美術館)」、「日本建築学会作品賞(NBF大崎ビル、桐朋学園大学調布キャンパス1号館)」、「BCS賞(飯田橋ファーストビル、ホキ美術館、木材会館、NBF大崎ビルにて受賞)」ほか。

※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら