「あらわし」によって大型建物ならではのアウラを生み出す──山梨知彦連載「建築の誕生」04:あらわし/化粧

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嫌われる大型建物

 建築や都市の大型化に対して、疑問符が投げかけられる時代になった。

 高度経済成長期の日本では、重厚長大と大量生産が社会の正義であった。建築も都市も「その社会」の要請に応え、大型化した。「大きいことは良いことだ」というキャッチーなフレーズのテレビCMが流れていたのは、1967年から68年にかけてだった。

 ところが今ではこの潮目は変わり、大きな建物や大規模開発の必要性を疑う声が大きくなってきた。だがその一方で、現代は、高度経済成長期はもちろんのこと、バブル期以上に多くの大型の建物が建設されている時代でもある。多くの人々が、大型の建物への疑問を感じつつも、日々の生活でそれらを使わざるを得ないという自己矛盾の中で生活を強いられている。

工事現場には、見る者を惹きつける何かがある。「嫌われない大型建物」について考えるヒントとしたい(写真:山梨知彦)

 こうした混沌とした状況の中で、僕は大型の建物のデザインに直接関わる側の立場に身を置いてきた。どうすれば大型の建物を嫌われモノにすることなく、そこから建築を誕生させることができるだろうかと、40年近く考えて来た。しかしながら、未だ妙案にたどりつけず、プロジェクトごとに生みの苦しみを味わっているのだが、いつからか、大型の建物を建築へと昇華させるヒントが、「現場」にあるのではないか、と感じるようになってきた。

 そこで、第4回の「建築の誕生」では、この現場が与えてくれる大型の建物ならではの魅力を生み出すためのヒントについて、しばし思いを巡らせてみたい。

飛び抜けて巨大な建物

 大型の建物ならではの魅力を考えるとき、その手掛かりとして真っ先に思い及ぶのは、「大きさ」つまり「スケール」だろう。大型の建物は、突出して大きいことによって、意味を持ってきた。ちょっと過去を振り返るだけでも、エジプトのギザの三大ピラミッドや、中国の万里の長城、日本では箸墓古墳などが、近代に入ってからではエッフェル塔やエンパイアステートビルなどが、世界一大きい、世界一長い、日本一広い、といったものの代表例として思い浮かぶ。

 だが冒頭にも書いたように、今や潮目は大きく変わり、世界一や日本一であることへの疑義が唱えられるようになってきた。レムクールハースが、世界の国々で起こっているこうした状況をひとひねりして、「飛びぬけて大きなXLの建築は、国家や経済に大きなインパクトを持つ」と怪著「S,M,L,XL」の中で言ったのは1990年代後半。槇原敬之が「世界に一つだけの花」の歌詞の中に「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」というフレーズを盛り込んだのが2002年。蓮舫議員がいわゆる事業仕分けの中で、当時世界一のスパコンを目指していた「富岳」の予算請求に対して「2位じゃ駄目なんですか?」という有名なセリフを発したのが2009年のことだ。

昔から嫌われていた大型建物

 もっとも、もう少し丁寧に見てみれば、飛び抜けて大きい建築が常に称賛されていたわけではないことにも気づく。むしろ大きなものは、歴史の中で繰り返し好かれたり嫌われたりしてきた。たとえば、バベルの塔の話は、最初期に嫌われた大型建物の事例として挙げられる。あらすじは、以下のようなものだ。

16世紀の画家、ブリューゲルが描いた「バベルの塔」

・人間はもともと一つの言語を話し、互いにコミュニケーションすることが出来たので、交流し栄えていた。
・ところが人間は、その繁栄を力に、極限を超えて天まで届かんとする高さのタワーの建設を進めてしまう。
・それを見た神は怒った。人々を混乱させ、仕事が続けられなくなるように、人々がしゃべる言葉をそれぞれ変えてしまった。そのため、人々はコミュニケーションが取れなくなってしまった。
・このことにより、人々は建設途中で放棄し、現場を離れたため、都市は輝きを失い、バベルの塔は完成されずに残された。

 物語ではあるが、物語の元となった建造物の痕跡が遺跡として残っていることから、ここに記述されている大型の建物への批判的視点は、歴史の中に確固として存在していたと考えるべきだろう。

特別なXL建築ではなく、普通の大型建物

 こういう視点が古くから存在してきたことを踏まえると、高度経済成長期より比較的長期にわたり、大型の建物が広く賛同を得て社会に受け入れられてきたことが、むしろ歴史の中では異例だったのかもしれない。大型の建物に対する批評的な視点を併せ持つ今の方が、歴史の中では一般的な状況といえるだろう。もはや、XLサイズの建築といえども、大きさに対して批評的な視点を持たずに設計することは不可能な時代となった。

 今回ここで取り上げたいのは、そのスケールだけで特別な意味を持ちえるXLの建物ではなく、もはや大きさでは特徴を引き出せないLサイズ、つまり普通の大型建物だ。この普通の大型建物は、日本の主要都市の中心部を構成する主たるエレメントとなっているにもかかわらず、その多くが魅力的な建築になっていないことが問題である。それら大型の建物のデザインを主に担っているのは、僕ら組織設計事務所やゼネコン設計に所属する建築家であり、その普通の大型建物を、いかにして建築とするかという難問に日々頭を悩ませている。

工事現場の「アウラ」= 「ここにのみ存在するもの」

 この難問に対する解決のヒントを与えてくれるものの一つが、大型の建物の「工事現場」が発しているアウラではないかと、僕は考えている。(写真1)
 

写真1:竣工直前の長崎県庁舎の工事現場(写真:雁光舎・野田東徳)

 端的に言って、大型の建物の工事現場は、見るものを惹きつける何かがある。仕事柄、これまで数多くの大型の建造物の工事現場を見てきたが、そこで見る光景は、現場ごとの事情により、それぞれ個性を持った魅力を放っている。実は普通の大型建築でも、モノづくりとしては極めて大きなイベントであるのだと思う。近代以降、経済の力が強くなり、本来極めて大きなものづくりのイベントである普通の大型建物をつくる現場が林立する状況になっているのであろう。

 この大きなイベントが生み出す、見るものを惹きつける何かを、ここでは「工事現場のアウラ」と呼ぶことにする。アウラとは、建築学科の学生の必読書として今も挙げられるヴァルタ―・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」の中で論じられている「ここにのみ存在する」ことで存在意義を発するものを指す言葉だ。

 たとえば、鉄骨の柱と梁が組み上げられつつある高層ビルの未完成の加工や、仕上げを施される前の型枠から脱型されたコンクリートの躯体などが放つアウラは、それに遭遇した人を残らず魅了してしまう。ブルータルであったり、激しい騒音であったり、舞い上がる粉塵に差し込む光束が魅力的であったり、普段は見かけない大ぶりな工具の存在によりスケール感が狂ったり、といった現場ではよくあるものの非日常的な状況が、工事現場をドラマチックに見せている側面もあろうが、それだけではなく、アウラとしか呼びようがない独特の存在感を発している。

 ただ不思議なことに、多くの大型の建物の工事現場では、工事が進むにつれてそのアウラは消えてしまう。きわめて素朴な発想だが、このアウラを竣工後まで残すことが、大型の建物における「建築の誕生」に近づくための一つの道筋になるのでは、との考えにたどり着いた。

あらわし/化粧

 おそらくは、仕上げが無く露出された柱や梁、床や壁、さらに踏み込めば、下地材や設備機器やダクト・配管類、そして時には仕上げ材自体の大きさ、長さ、量感、素材感、力強さ荒々しさといったものが生み出すアウラが、仕上げで隠ぺいすることなく見える状態になっていることで生み出される、物質のリアルな存在感が生み出すものが、工事現場が放つアウラなのではなかろうか。そして、この物質感から建築を誕生させる具体的な手法の一つが、日本建築の構成手法である「あらわし」ではなかろうか。あらわしの手法により、大型建築は、その建物固有のアウラを生み出せるのではないかと考えている。

 「あらわし」とする最初の対象は、構造躯体だろう。その中でも、天井を剥がし、梁や床スラブ、さらには天井に隠されていた空間である「天井懐」を見えるようにする手法は、多くの建築家やインテリアデザイナーが実践してきた。

 日本は地震が多いため、大型の建物でもフラットスラブではなく柱梁の構造をとるのが主流である。しかし、多くの建物において、施工の天井間仕切りを設置しやすくするため、天井が張られていて、梁や床スラブ、天井懐は隠蔽されている。普通の大型建物の代表的な事例であるオフィスビルの場合、天井高は2.5m~3.0m程度であるのに対して、1m程度の高さの天井懐が隠されている。

 意外に大きな空間であるため、天井が剥がされ、天井懐が露出されると、天井が高くなり空間の見え方が一変する。一般には、建築家やインテリアデザイナーは、この高さの効果を狙って、天井を剥がす。特に既存ビルのインテリアを改修するには手っ取り早いので、定番化した手法になっている。空間の変容が具体的な数値で説明できるので、クライアントの合意も得やすい。

 一方で、僕が今ここで「工事現場のアウラ」と呼んできたものは、高さ以上に重要な建築を誕生させるためのポイントであると思っているのだが、クライアントとの共有は難しい。類似したアウラを放っている傑作や、うまく狙ったアウラが出ている自作を観てもらうか、または、実際の工事現場で説明をするのだが、完成前に理解を得ることは難しい。最後はクライアントの恩情で提案を受けいれてもらってきた。木材会館1階の天井(写真02)や桐朋学園調布キャンパス1号館(写真03)や長崎県庁舎の天井が、僕自身のRC系天井懐あらわしの事例になる。

写真02:木材会館1階の天井(写真:雁光舎・野田東徳)
写真03:桐朋学園調布キャンパス1号館(写真:雁光舎・野田東徳)

 木造でも、構造材のあらわしを試みて来た。木材会館の最上階7階のホールでは、120mm角のヒノキの角材を木栓と追っ掛け大栓継ぎを使って組み合わせ、耐火検証を行うことで無垢の木材を使い、20mを超える大スパンをヒノキの大梁をあらわしにして架けている。(写真04) 長崎県庁舎最上階の8階の展望室でも、1時間耐火木構造の梁をあらわしで用いている。(写真05)
 

写真04: 木材会館の最上階7階のホール(写真:雁光舎・野田東徳)
写真05: 長崎県庁舎最上階の展望室 (写真:雁光舎・野田東徳)

 次なる「あらわし」のターゲットは、柱である。RC造であれば悩むまでもなく柱はあらわしにできるのだが、大型の建築の場合は柱が鉄鋼造の場合がほとんどであり、簡単にはあらわしにできない。大型の建物の場合、火災に耐えるため、柱や梁といった構造体には耐火性能が求められるのだが、一般的には吹き付け材によって耐火処理を施すために表面がもろく、人間の手が届く位置にある鉄骨造の柱は、簡単にあらわしにすることはできない。一工夫が必要である。

 僕自身は、次のような方法で鋼構造の柱のあらわしにしてきた。 一つ目は、耐火塗装を用いる手法である。ルネ青山ビル(写真06)やNBF大崎ビル(写真07)で採用したあらわしの手法だ。これらのビルができる前は、耐火塗装は屋外では使えなかったが、塗装の仕様が改善され屋外でも使えるようになったため、鋼構造の柱のあらわしにチャレンジしてきた。

写真06:ルネ青山ビル(写真:山梨知彦)
写真07:NBF大崎ビル(写真:雁光舎・野田東徳)

 二つ目の方法は、CFTという鋼管の中に無筋のコンクリートを詰める柱を使う方法で、賃貸オフィスで多用してきた手法だ。コンクリートと鋼管が一体として働くため、内部に詰めるコンクリートには鉄筋が不要だ。火災時には詰めたコンクリートが含んでいる結晶水が蒸発することにより鋼管の温度を下げるので、鋼管には耐火被覆が不要となり、あらわしにすることができる。ちなみにコンクリートの打設時には型枠の役割を果たすので合理的でもある。賃貸オフィスでも用いてきた。とあるプロジェクトではCFT柱に塗るペイントすらやめて鋼管の素地をあらわしにしたいと思い、ステンレスの鋼管を用いたCFTに挑んだが、完成した柱は見事なアウラを放っている。


 ちょっと変わったあらわしとしては、桐朋学園調布キャンパス一号館で採用した、250mm角の鋼管を捨て型枠としたRC柱が挙げられる。250mm角の角丸鋼管は捨て型枠だが、地震時には250mm角のRC細柱の全断面をフルに活かすためのコンファインド効果も期待している。鋼管の内側には、特別に製作を依頼した配筋が施され、コンクリートの充填には、アンボンドブレース製作のノウハウを応用した。(写真08)

桐朋学園調布キャンパス一号館で採用した、250mm角の鋼管を捨て型枠としたRC柱(写真:雁光舎・野田東徳)

遺跡やその改修が放つアウラ

 こうした構造材のあらわしの手法には、「工事現場のアウラ」が参考になっていると書いたが、実はもう一つ参考になると感じているものがある。それは古い建築物の遺跡やその改修が放つアウラである。

 わかりやすいのは、古代ローマ時代の遺跡、有名なコロッセオ(写真09)かもしれない。

写真09: コロッセオ (写真:山梨知彦)

 コロッセオを眺めていると、石の組積造ではなく、石は表面の仕上げであることがわかる。これは、後の時代に仕上げの石材が剥がされ流用されたために、その下にある構造体であるローマンコンクリートや、その捨て型枠であったレンガが見える状態になっているからだ。同時に、仕上げが完結してしまった完成状態では感じ得ない、大型の建物の構成部材ならではの大きさ、長さ、量感、素材感、力強さ、荒々しさといったものが生み出すアウラを感じる。大型の建物においては、仕上げを支える下地や仕上げ材すらmもが存在感を持つので、それらを可視化できれば、工事現場と同様に、構造材、下地材、仕上げ材の物質感が強いアウラを発する状態が生み出せるのではないだろうか。

 たとえば、リノベーションがうまい建築家の作品にもそのヒントがある。古くは、カルロ・スカルパのカステルヴェッキオ美術館改修があり、最近ではネリ&フーが数多く手掛ける改修作品(写真10)に見られる、古い保存躯体と新たに加えられた仕上げとのコンポジションが醸し出すアウラは参考になる。

写真10:ネリ&フーによる改修作品(写真:山梨知彦)

 僕自身が関係したプロジェクトで、仕上げ材の下地を露出して、それらが放つアウラの表現に成功した事例としては、東京芸術大学の第六ホールの改修(写真11 雁光舎・野田東徳)が挙げられる。

写真11:東京芸術大学の第六ホールの改修(写真:雁光舎・野田東徳)

 このプロジェクトは、既存建物内にある音楽ホールの内装仕上げのリニューアルであったが、既存建物の構造体に余力がなく、重い仕上げ材や下地材が使えなかったため、下地仕上げとも軽い木材を使わざるを得ない状況であった。ただし、一般のセオリー通りに、仕上げ材を内部に見せて、それを支持する下地材を隠ぺいした納まりでは、ホール内部の気積が少なくなり、残響時間が短くなってしまうことがわかった。このため下地と仕上げを内外反転させて、下地材をホール内部にあらわしとして、かつ音響上の拡散装置として使うことになった。これにより大型の木造の下地があらわしとなり、ホールに大型建物ならではのアウラを持たせることに成功した。

 このように、大型建物の現場が放つアウラに感銘を受け、チャレンジを重ねる中で、そのアウラを建物に残す手法の一つが、「あらわし」であるとの考えに至った。丁度そんな考えが固まりだしたころ、母校の東京芸術大学で非常勤講師をすることになり、後輩たちに大型現場が放つアウラを見せたく思い、現場を見て回るレクチャーを行なった。

 大型建物の現場にはアウラがあり、そこに「建築の誕生」に向かってのヒントがあり、それを具現化する手法が、日本に古来から伝わる「あらわし」ではないだろうか。ぜひ、チャンスを見つけ、大型の建物の工事現場を見学し、アウラを感じて欲しい。

山梨知彦(やまなしともひこ):1960年生まれ。1984年東京藝術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院都市工学専攻課程修了、日建設計に入社。現在、チーフデザインオフィサー、常務執行役員。建築設計の実務を通して、環境建築やBIMやデジタルデザインの実践を行っているほか、木材会館などの設計を通じて、「都市建築における木材の復権」を提唱している。日本建築学会賞、グッドデザイン賞、東京建築賞などの審査員も務めている。代表作に「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「NBF大崎ビル(ソニーシティ大崎)」「三井住友銀行本店ビル」「ラゾーナ川崎東芝ビル」「桐朋学園大学調布キャンパス1号館」「On the water」「長崎県庁舎」ほか。受賞 「RIBA Award for International Excellence(桐朋学園大学調布キャンパス1号館)「Mipim Asia(木材会館)」、「日本建築大賞(ホキ美術館)」、「日本建築学会作品賞(NBF大崎ビル、桐朋学園大学調布キャンパス1号館)」、「BCS賞(飯田橋ファーストビル、ホキ美術館、木材会館、NBF大崎ビルにて受賞)」ほか。

※本連載は月に1度、掲載の予定です。これまでの記事はこちら↓

ビジュアル制作:山梨知彦