最終回!山梨知彦連載「建築の誕生」12:自然光と生成~5段階のモノづくりの共存

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「建築の誕生」を振り返ってみて

 このコラム「建築の誕生」は、「どうしたら建築が生み出せるか?」という答えが出せるはずもない大それた問いに対して、「とにかく回答への手がかりを探してみよう」という軽はずみなチャレンジで始まった。単なる「建物」が「建築」となる、何か手がかりや瞬間といったものが在りそうな気がして、それを見つけようとしての悪あがきだった。

 その大前提となっているのは、僕ら建築デザインに関わる者なら誰もが持っている、または感じている「建築」という言葉に対する特別な思いである。その特別な思いについて、連載第1回の冒頭で次のように書いた。

 たとえば、様々な与件を整理して一つにまとめただけでは「建物」にしかすぎず、そこにルールや、意味や、思想、あるいは美観など、全体を貫き律する何ものかが立ち現われて初めて「建築」になる、といった感じだ。英語にしてみると、少しわかり易くなるかもしれない。ただの建物は「building」で、さらにそこに何かが加わり、あるいは削ぎ落とされて、建築すなわち「architecture」になるという感覚だ。Architectureという言葉を、「建築物を指し示すもの」であると同時に、「あるものが人間によってつくられるにあたり全体に行き渡った構成原理とでもいったもの」をも指し示す特別な言葉だと捉えているのだと思う。

 ここでは建築をデザインする立場から建築の誕生を考えてきた。もちろん建物や建築は建築家だけではなく、その建設に携わる施工者や、所有者、さらには利用者も含めた社会的なものである。だからこそ、この思いは建築家だけに閉じるのではなく、もっと広い社会で共有されるべきものである。とはいえ、建築を直接デザインする立場の僕らは、この「建築」という言葉に、ことさら特別な思いを込めて使う。僕がこのコラムで、「建築」の誕生について考えてみたいという暴挙に踏み込んだのも、そういった特別な思いのあらわれだと思う。

 加えて、現代社会が以前のそれに比べてより「複雑」な方向に向かっているとの思いと、建築家はそれにふさわしい建築デザインの手法を備えているのであろうか、との疑念もそこに重なっている。

 以上を取りまとめると、このコラムは「複雑化する社会の中で、単なる建物から意味ある建築を生み出すために建築家が行うべき手立て」を探る無謀で軽はずみな試みということになるだろうか。

 実際に連載を始めてみたものの、あまりの難問ゆえに思い通りには進まなかった。そこでこの連載は、生成AIに原稿をひねり出してもらってなんとかとりまとめてきた。タイトルの図版も画像生成AIにひねり出してもらったものだ。今回は最終回として、生成AIがひねり出してきた文章を取りまとめるという意味も込めて、生成AI抜きで原稿をまとめてみた。

図1:建築の誕生のタイトル画。画像生成AIで生み出した図を合成して作成した。作画しているときには意識していなかったが、このタイトル画は、僕自身が好きな建築の一つである厳島神社の建ち姿が原型となっていたのかもしれない
図2:海から見た厳島神社(写真:山梨知彦、以下の特記なき写真も同じ)

 ちなみに過去11回のタイトルを並べてみると、次のようになる。

・第1回:単純/複雑-建物が建築へと昇華する瞬間、その分岐点
・第2回:内/外-隔てる「ファサード」から、つなげる「スキン」へ
・第3回:デジタル/アナログ-ChatGPTや画像生成系AIを使ってみてこう思う

・第4回:あらわし/化粧-「あらわし」によって大型建築ならではのアウラを生み出す
・第5回:化粧/装飾-化粧は出来るけれど、装飾は・・・
・第6回:化粧/装飾【番外編】-「天神町place」、最後の一筆の「装飾」が生み出した建築
・第7回:かたちに、かたちで、かたちを問う-建築の「かたち」とその本質を追及する

・第8回:「素材」が建築をつくり、建築が「素材」をつくる
・第9回:敷地と時代を架橋する 生成系AIとの対話の中で考えてみた
・第10回:新たな年に、建築と「空間」の関係を見直し、新たな「建築の誕生」を目指す
・第11回:アクティビティとアフォーダンスから建築を生み出す

 こうして改めて振り返ってみても、「現代の複雑な社会において建築を誕生させる」という難しい命題の解に直接つながる具体的な手法は、残念ながら掘り起こせなかったことは明らかだ。せめて、若干であっても「建築の誕生」に関わる「問題提起」となればと思い、この最終回を書いている。

建物という実体と、建築という現象

 そういった問題提起のひとつとして、「建物は実体であり、一方で建築とはその建物を通して設計者のみならず、所有者や利用者が、そしてその総体としての社会が感じる『現象』ではなかろうか?」という仮説を立ててみた。建築を創ることは、建物という実体を通して、他者や社会に建築という現象を引き起こすことを画策する行為といえるのではなかろうか。建築の誕生とは、実体としての建物を通して、現象として立ち現れるものを構築することではないかと、この連載を通して僕は考えるようになった。

図3、4、5:何気ない建物が、建築として立ち現れたように感じた瞬間。ヨーロッパの街並みから

 加えて、「複雑な問題に対しては、多くのパラメータを用いた複雑な解法と、直感のような極度にパラメータを絞り込んだ単純な解法の両極から同時並行的にアプローチすることが有効ではなかろうか?」との想いも強くなった。多くのアクティブな建築家は「究極の正しい建築」を求めると口にしながらも実際には優柔不断とも思える方法で、現実の複雑な問題から「概ね正しそうな建築」を生み出しているようにも見える。建築の誕生とは、そもそも複雑で矛盾に満ちているのかもしれない。

 連載を続けているうちに、自分自身の考えもかなりブレていることに改めて気が付いた。僕自身の建築デザインのアプローチは「デジタル技術を積極的に使うことで、その複雑さをなるべく複雑なまま設計に取り入れる」という位置に軸足を据えることだと、自分では考えていた。だがこのコラムを気の向くままに書いていると、素材やかたちへの回帰による「複雑な社会に対しては、課題を極力単純化して設計する」という対極的なスタイルにも同時に関心を持つようになり、自分がかなりの幅で「揺れ動いている」ことがわかった。優柔不断と言われればそれまでだが、このような複雑な課題に関しては、こうした両極からのフレキシブルなアプローチこそが有効かもしれないとも考えるようになった。
 
 建築に通じる道は一本きりではないはずだ。歴史を振り返っても、複雑と単純は、代わるがわる、どちらかが表となりつつ、実は常に共存してきたようにも思われる。近代に限り振り返ってみても、アールヌーボー⇒モダニズム⇒ポストモダニズムといった変遷が思い当たる。

 こういった視点から、このコラムの最終回となる今回は、この複雑な時代における建築の誕生につながるミニマルな考え方と複雑な考え方について、思いをめぐらせてみたい。

自然光

 建築を生み出す最もミニマルな要素は、自然光ではなかろうか?

 建築を感じることが、建築家に閉じたものではなく所有者や利用者を含めた社会の中で共有している現象だとしたら、「知覚」こそが建築のはじまりといえる。本来、建築は3次元に広がる構築物の中に現れる現象であるから、内外を移動しつつ五感、多くの場合は視覚を使って感じ取ることになる。こうした前提に立つならば、建築家の役割とは、建物という実体をコントロールし「建築」として、視覚などの感覚で捉えられる現象を生み出せるよう画策すること、になる。

 この時、建物の実体と同じく、いや、むしろより重要となるのは建物を可視化する光である。地球上では、太陽光が生み出す自然光がアプリオリに存在しているので、自然光は建築の誕生にとって根源的な要素と捉えられてきた。たった1つの太陽が生み出す自然光は、建物の形状、質感、色彩を可視化し、空間に生命を吹き込み、建築という現象を生み出す上で重要な役割を果たす。事実、多くの建築家が光について語っている。現代の複雑な状況において建築を生み出さざるを得ない建築家にとって、自然光は原初的でシンプルな要素に見えるのだろう。

図6:奥にたたずむ円形の開口を持った白壁に自然光が当たり、建築が生まれる。京都の街並みから

 ところが自然光一つに着目してみても、それが生み出す現象は実はかなり複雑である。太陽の軌道は精度の高い数学モデルによって正確に予測可能であり、自然光のシミュレーションを通じて、建築や都市のデザインや計画に取り込むことが比較的容易に思われがちだ。例えば日影による建築物の形態規制などが思い浮かぶだろう。しかし実際の自然光は太陽からの直射光に加え、空気中の水蒸気などによる拡散、周囲の建物の土木構造物や周辺建物と一体となって生み出される複合日影、反射などと一体になり、非常に複雑な光環境を生み出している。さらにそこに晴天、曇天、雨天といった天候の変化も加わり、様々な表情に建築を浮かび上がらせる、無限のバリエーションを持った複雑な光環境が形成されている。

図7:たった一つの太陽を源とする自然光が生み出す、複雑な光環境。香港の街並みから

 このような自然光の極めて複雑な仕組みや性質を理解し設計に取り入れることは、建築家にとって根源的なチャレンジであり、一般には以下の2つのルートがある。

 ひとつめの方法は、コンピューターなどを用いたシミュレーションである。一般的にコンピューターシミュレーションといえば、人間が直観では把握や予測が難しい複数の事象が生み出す現象を可視化してくれるものだと捉えられている。ところが、実際の太陽が生み出す自然光の状況という一見シンプルな課題であっても、実際にはシミュレーションを行う目的に合わせて、いくつかのパラメータを限定して抜き出し、単純化して計算を行っている。例えば日影規制の場合であれば、光は太陽からの直接光だけに絞り込み、影を生み出すものは敷地内の建物に限定してシミュレーションがなされる。

 自然光が織りなす複雑な光環境を比較的正確にシミュレーションしてリアルに見えるCGですら、(実用的なスピードで画像を描きだすために)実は一つの太陽が自然光を生み出す複雑なプロセスをシミュレートすることをあきらめ、直射光や天空光といったいくつかの光源に置き換えたかなり簡易化したシミュレーションをしている。複雑に見える各種のシミュレーションであるが、それでも現実の複雑さに比べると、かなり単純化されている。複雑な問題解決の切り札であるシミュレーションであるが、現在のコンピューターの計算力では、現実に比べ極端にパラメータを減らさないと実用的な速度で計算しきれないといった点が弱みであろう。一方、この手法はシミュレーションを客観的にビジュアライズできるので、目指す現象の予測を建築家の頭の中に留めることなく、クライアントなどと共有できるという強みがある。

 単純に見える自然光であっても、その現象の発生は実は極めて複雑で、それゆえにかなり単純化したシミュレーションが行われているという、二重否定のような状況が現実にはある。これが、複雑な世の中をなるべく複雑なまま捉えて建築をデザインしようという方向の現状といえるだろう。複雑な解決策にも単純化が必要というシニカルな現状がここにはある。

 ふたつめは、「直観」による方法である。一例を挙げると、類似例の観察を通して「直観」を養い、その直感で現象を類推するといった方法である。こう書くと神秘的な手法にも聞こえるが、今日でも多くの建築家が最もスタンダードな手法として実践している方法だ。類似した手法としては、模型を敷地と類似した自然光の中に置いたスタディも挙げられるだろう。特に、CGでも再現が難しい内部での拡散光の広がりを直観的に把握するには、自然光と模型の組み合わせは極めて有効な手段である。経験を積んだ建築家であれば、そこに過去の経験を重ね合わせて、建物の完成後に自然光が生み出す現象をより高い確度で予知できるだろう。

図8、9:上海のリノベーション建築「1933老場坊」で体験した光環境
図10:「1933老場坊」で体験した光環境を元に、長崎県庁舎の吹き抜け部の光環境を類推した(写真:雁光舎/野田東徳)

 この方法の最大の強みは、単純さだ。建築家が一人いればことが足りる点であろう。ところが、そのために全ての決定プロセスは建築家の頭の中で閉じてしまい、共有することができない。これがこの方法の最大の弱みとなっている。またコンピューターによる情報革命とシミュレーションの隆盛により、直感による問題の解決は「ファクト」による裏付けが乏しいとみなされ、排除される傾向も出てきた。そこで最近では、膨大な解の方向を持つ複雑な問題を直感で枝刈りし、シミュレーションにより「確からしさ」を後付けすることも行われている。単純な方法であっても複雑さを取り入れなければならない現実がここには見えている。

 この時代の建築デザインが目指すべきは、自然光に限らず多くの領域において、二つの方法のうちのどちらか一択ではなく、両者を適宜組み合わせて使うことだと思っているが、多くの建築家は各々の得手不得手や信念があり、片方のみを重んじた使い方をしているのが大半ではなかろうか。

生成

 複雑な考え方の現時点でのチャンピオンは「生成」であろう。

 このコラムの連載時期が、ちょうどChatGPTなどの生成AIの登場と、その猛烈な勢いでの全世界への広がりに重なったこと、僕自身のコンピュテーショナルなものへの興味、コラムのテーマである「誕生」との意味の近さからか、結果的にこのコラムでは「生成」という言葉を繰り返し使うことになった。

 生成AIが「生成」という言葉を冠しているのは、その根幹となる機械学習が「生成モデル」というデータ群からパターン(つながり)を読み取り学習して、その模倣により新しいデータをつくる技術を使っているからとのことだ。しかし生成がgenerativeの訳語でありgenesisの類語であることなどを知ると、このシステムは、自然の(神の)「創造」のプロセスをコンピューターの中に再現しようと試みているようにも見えてくる。背景にあるのは、この連載におけるそれと類似した「複雑な社会において、もの(建築)を創るには、これまでの計画や設計手法とは異なる手法が必要なのではないか」との思い、言い換えれば「計画の限界」といったものを生成AIの設計者も感じているからではなかろうか。
 
 そうした思いからの一つのアプローチが生成、つまりこれまでの「人間が計画・設計したモノづくり」ではなく「自然のモノづくり」を手本とするものづくりの試みなのではなかろうか。こうした考えが生成AI開発者の意気込みのベースにあり、社会がそれに同調している状況が生成AIの驚異的な流布となって表れているのではなかろうか。(ここでの「モノ」という表記は、実体的な建造物という「もの」のみならず建築という現象までを含むことを示したいと考えて使っている)

5段階のモノづくり

 このコラムの筋に沿った考え方で、自然のモノ作りから、人間の計画によるモノづくり、そして今提示されつつある生成的なモノづくりまでを簡潔に(乱暴に)5つに整理してみたのが次の表だ。

・自然のモノづくり
 原初的なモノづくりで、まずつくってみることから始まる。偶然が重要。
 時間をかけた素朴な総当たり戦によって、進化もしくは衰退を遂げる。
 この単純なルールが、実はこの複雑で多様な世界を生成してきた。

・人間による素朴(無計画)なモノづくり
 直感的で即物的なモノづくり、時間がかかるので少量しかつくれない。
 時間をかけて、経験的に進化もしくは衰退を遂げる。 

・人間による計画的なモノづくり1:機械論的な因果関係を踏まえたモノづくり
 作る前に①理屈を立て設計・計画し、②比較的短時間で少品種を進化させた後、実際に、少品種を大量に比較的短期間で作る。
 マーケティングやリサーチにより比較的短時間に、経験的に進化させる。
 (マスプロダクション的ものづくり)
   
・人間による計画的なモノづくり2:構造論的な関係性を踏まえたモノづくり
 作る前に理論を立て計画し、比較的短時間で少品種の計画・設計を進化させた後、多品種を必要量、比較的短時間で作る。
 SNSやWebからのフィードバックにより比較的短時間に経験的に進化させる。
 (マスカスタマイゼーション的ものづくり)
   
・生成AIによるモノづくり:意味論的なモノづくり
 作る前にデータ群から導いたパターンを読み取り学習して、それを元に、バーチャル上で多品種試作し、シミュレーションを行い、ごく短時間で進化させ「生成」したものを、必要な多品種それぞれを、必要量だけごく短時間に作り、リアルタイムセンシングなどにより、ごく短時間で進化させる。

 この5つのモノづくりから読み取ってほしいのは、「自然のモノづくり」の中で、実際の世の中を舞台に気の遠くなるような時間をかけて行われてきた「偶然」のものづくりと淘汰によるプロセスを、生成AIによるモノづくりでは、バーチャルな世界を利用しあらかじめ淘汰をさせることで、実際のモノづくりのクオリティとスピードを上げようとしていること、言い換えれば「自然のモノづくり」をものすごい速さでシミュレーションしているということだ。

 その一方で、「自然なモノづくりでは」あらかじめパターンを想定せず生成が行われ、淘汰される過程でパターン自体を創るというプロセスに見えるが、生成AIにおいては、肝心なパターンは社会の中に既にできたものの模倣にしかすぎないようにも見える。似てはいるが、実は両者は根本的に異なっていると僕は考えている。ゆえに、現時点の生成AIは創造の領域には未だ遠く、それゆえにAIまだ伸びしろがあるとの素人考えを僕は持っている。この点については、専門家の意見を尋ねてみたいところだ。

 さて、話を5段階のモノづくり全体に戻そう。一見すると、モノづくりの進化のプロセスのようにも見えるが、実はそうではない。最初は「自然のモノづくり」だけだった世界に人間が登場し、現在までに「人間による素朴なものづくり」から「生成AIによるものづくり」の4つのモノづくりを加えることになったわけで、現状はこれら5つのモノづくりが共存した状態にあるということが言いたいのだ。加えて言えば、5つのモノ作りは、この表のように明確に区分されているわけではなく、境界はあいまいで混沌としている。僕は現状をこのように捉えている。

 ここに記してきた視点から、現代の建築家が担うべき「建築の誕生」に関わる僕からの問題提起は次のようにまとめられそうだ。

・建築とは、建物という実体を通して生み出される「現象」ではなかろうか?
・建築家の役割の一つは、複雑な社会状況を「確からしく」捉えるべく、複数の方法、たとえば5つのものづくりの適所適材を考え、実践し、建物という実体を通して、建築という現象を人々や社会の中に誕生させることにあるのではなかろうか?
・とりわけ現時点の短期的な目標は、未だ地に足がついていない「生成AIによるモノづくり」を実践し、そこから建築を生成させることを試みることではなかろうか?

 そして長期的には、現状の生成に代わる第六世代のより創造的なモノづくりの可能性を探ることではなかろうか?

山梨知彦(やまなしともひこ):1960年生まれ。1984年東京藝術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院都市工学専攻課程修了、日建設計に入社。現在、チーフデザインオフィサー、常務執行役員。建築設計の実務を通して、環境建築やBIMやデジタルデザインの実践を行っているほか、木材会館などの設計を通じて、「都市建築における木材の復権」を提唱している。日本建築学会賞、グッドデザイン賞、東京建築賞などの審査員も務めている。代表作に「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「NBF大崎ビル(ソニーシティ大崎)」「三井住友銀行本店ビル」「ラゾーナ川崎東芝ビル」「桐朋学園大学調布キャンパス1号館」「On the water」「長崎県庁舎」ほか。受賞 「RIBA Award for International Excellence(桐朋学園大学調布キャンパス1号館)「Mipim Asia(木材会館)」、「日本建築大賞(ホキ美術館)」、「日本建築学会作品賞(NBF大崎ビル、桐朋学園大学調布キャンパス1号館)」、「BCS賞(飯田橋ファーストビル、ホキ美術館、木材会館、NBF大崎ビルにて受賞)」ほか。

※本連載はひとまずこれにて最終回です。これまでの記事はこちらでまとめて読めます↓。

(ビジュアル制作:山梨知彦)