日曜コラム洋々亭37:伊東忠太「祇園閣」をついに見た! 大倉父子を見習うべき現代の発注者たち

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 今回は「祇園閣」の話からスタートするが、本当に書きたいのは、建築よりも「銘板」の話である。

(写真:宮沢洋)

 伊東忠太が設計した「祇園閣」を初めて見た。うっすら名前を知っていた程度だったこの建築が「実在する」と知ってから、もう5年くらいになるだろうか。年に1回程度、不定期に公開されるのだが、いつも気付いたときには公開期間が終わっていた。今回は、「モダン建築の京都」(@京都市京セラ美術館)の内覧会を取材したときに、会期後半に公開されることを知った。それで、出張ついでに見ることができた。

 祇園閣は「大雲院」という京都・東山の寺院の境内にある。大雲院は、天正15年(1587年)、織田信長・信忠父子の菩提を弔うために創建された由緒ある寺院。その境内にそびえる祇園閣は、伊東忠太(1867~1954年)の設計で昭和2年(1927年)に完成した。国登録有形文化財。

 クライアントは大倉財閥の創始者・大倉喜八郎(1837~1928年)だ。大倉別邸の一部として建てられたもので、鉄筋コンクリート造・鉄骨鉄筋コンクリート造・高さ36m。外観は祇園祭の鉾をモチーフにしたという。和風なのか何風なのか形容しがたいデザインが伊東忠太らしい。

 内部は、階段の鬼(魑魅魍魎)の照明がいかにも伊東忠太。そして、上部の展望フロアからは京都の絶景を360度楽しむことができる──のだが、残念ながら内部や展望フロアは撮影禁止で写真をお見せできない。

 今回の特別公開の期間は、2021年11月19日(金)~12月6日(月)。どうしても見たい人は今すぐ予約して、明日、京都へ!

【秋の特別公開】大雲院・祇園閣
2021年11月19日(金)~12月6日(月)
10:00~16:30(受付終了16:00)
料金:1000円
場所:大雲院(京都市東山区祇園町南側 594-1)
予約優先制(空きがあれば当日受付も可)。予約は「京都観光Navi

石碑に掘り込まれた関係者リストに思う

 階段室も展望フロアも良かったのだが、何より心を打たれたのが、塔の脇に立っていたこの石碑。

 表側には大倉喜八郎の長男、大倉喜七郎のメッセージが掘り込まれている。裏側には設計者の伊東忠太のほか、施工の大倉土木(現・大成建設)のスタッフなど、プロジェクトに関わった人たちの名前がずらりと並ぶ。さすがホテルオークラなど数々の名建築を実現した大倉喜七郎、つくり手へのリスペクトにあふれている。父・大倉喜八郎は伊東忠太よりも30歳上で、祇園閣の完成時90歳。翌年に亡くなった。この石碑はその翌年に建てられたようだ。父の人生の集大成となる建築に関わったメンバーを、未来に伝えるメッセージボードだ。

 後世の私のような人間も、これを見て得るものは多い。例えば、伊東忠太の左側に並ぶ「構造計算」の「阿部美樹志」という名前。私は知らなかったのだが、調べてみたら日本最初の鉄筋コンクリート高架鉄道(東京-万世橋間の高架)を設計したエンジニアだった。「日本の鉄筋コンクリート工学の開祖」とも呼ばれているという。伊東忠太よりも16歳若い1883年生まれ。祇園閣の完成時は44歳で、この後、阪急の小林一三に見込まれて、阪急の鉄道施設やスタジアム、商業ビルなどを続々と実現する。1965年没。

 …といったことを、この石碑をきっかけに知ることができるのである。

「なはーと」のただならぬ外観、設計者は誰?

 こんなものを見てしまうと、現代の建築家たちが気の毒に思えてくる。例えば、この建築。

 祇園閣の数日前に、沖縄・那覇で見た「那覇文化芸術劇場なはーと」(沖縄県那覇市久茂地3-26)だ。10月31日に完成したばかりで、地元では話題だが、東京ではほとんど報道されていない。

 実は私も、那覇に行く前は知らなかった。たまたま機内誌に小さな記事が載っていて、外観写真に惹かれた。短い記事なので、設計者名は載っていない。宿泊したホテルと近かったので実際に見に行ってみたが、外にも中にも設計者を記したものは見当たらない。しかし、この外観、ひと目見てただ者の設計ではない。誰の設計か分かるだろうか。

 沖縄でよく見かける「花ブロック」をモチーフにしたと思われる、穴あきスクリーンが外周をぐるっと覆っている。スクリーンは薄肉のプレキャストコンクリートで出来ているようだ。装飾部はパネル同士の継ぎ目が分からないように巧妙に考えられている。そして全体がオーロラのような流線形を描く。一部には花ブロックも使われている。かっこいい。

 フライタワーの壁面も意外な表現。この部分はスクリーンで覆わずに、コンクリート打ち放しをどーんと見せている。しかし、フラットな面ではなく、微妙な曲面。威圧感があるといえばあるのだが、巨大なオブジェのようにも見える。

 今回はふらりと行ったので、劇場内は見られなかったが、ホワイエで流れていた紹介映像を見ると、劇場内もすごそうだった。

 ネットで調べると、一般メディアに開館の報道はたくさん載っていた。でも、どの記事にも設計者名は載っていない。かなり調べて、那覇市のサイトにあった設計概要の資料の中で設計者が分かった。

設計:香山・久米・根路銘設計共同体

 そうか、香山壽夫氏なのか。やっぱりただ者ではなかった。知らない人のために補足すると、香山氏(1937年生まれ)は日本の劇場建築の大御所。リノベーションも得意で、京都会館(現・ロームシアター京都)や東京芸術劇場を改修したのも香山氏だ。大御所ではあるが、デザインのセンスは若い。

 うーん、これだけ魅力的な施設で、しかも香山氏の設計なのになぜ那覇市は設計者名をもっとアピールしないのか。報じる方も、つくり手のことは全く気にならないのだろうか。

 「つくり手」と言いながら、設計者のことばかり書いている自分もどうかと思うので、施工者にも触れておこう。これはさらに調べてやっと分かった。

施工:国場組・大米建設・金城キク・ニシダ工業JV

 さすが、コンクリート建築の本場、沖縄県の施工者たち。そういう土地柄でなければ、設計者もこんなにコンクリート推しのデザインは提案しないだろう。…などといったことが、設計者や施工者を知ると頭に浮かび、建築への理解が深まるのである。

 これまでも何度か書いてきたことが、今回もしつこく同じフレーズで締めたい。

 私は建築界に放り込まれた30年前からずっと、新築した建築には「施主/設計者/施工者/竣工年」を記した銘板を付けることを義務化すべきと思ってきた。銘板なんて、高くても数万円でできる。それによって、一般の人の建築に対する関心が増し、建築への愛情が育まれ、建物の寿命が延びるならば安いものだ。そういう公約を掲げて選挙に出る人がいたら、絶対に票を投じる。(宮沢洋)