池袋建築巡礼11:直径45mの見えない球体? バブル期USBへの熱き挑戦を「フラグメント・ビル」に読む

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 「USB」という略語をご存じだろうか。いや、パソコンの横に差し込むあれ(Universal Serial Bus)ではない。私(宮沢)が建築雑誌「日経アーキテクチュア」に配属された1990年ごろ、編集部では、「USB」=「アーバンスモールビル」を意味していた。都市部に立つ小規模なオフィスビルや商業ビルである。今回は、池袋西口にあるこの建築↓を通して、バブル期の若手建築家たちが、いかにUSBにエネルギーを注いでいたかについて書きたい。

(写真:宮沢洋)

 所在地は豊島区池袋2-53-10。池袋駅西口を出て、マルイが見えたら劇場通りを右(北)に曲がり、ロサ会館を右手に見ながら数分歩いた交差点(池袋二丁目)の左手角(南西側)に立つ。

 エッジがキンキンにとがったコンクリート打ち放し。限られた敷地の中で1階に設けた柱廊(コロネード)。そしてなんといっても立面(りつめん)が印象的。北・東の前面道路ではなく「交差点」に正対する形で立面がデザインされている(建築の記事では「ファサード」と書くべきところだと思うが、個人的にファサードという内輪っぽい言葉が嫌いなので「立面」でいく)。年月を経たことによる打ち放しの黒ずみもあって、その立面は古代ローマの遺跡を見るような、ただならぬオーラを漂わせる。

 このビルの存在は20年以上前から知っていた。だが、詳しいことは知らなかった。この連載の「取り上げたいリスト」でも想定していなかった。それが「掲載当確」に急浮上したのは、割りと最近になって立面の“メッセージ”に気づいたからだ。

 よく見てほしい。2階以上は一部が曲面になっている。そしてその曲面の範囲は3階、4階、5階と大きくなり、最上階(8階)では逆に、壺の上部のように狭まっていく。

 これは大きな球面の一部なのではないか、と気づいたのだ。つまり、こういうイメージだ。

 交差点に浮かぶ巨大な球体。交差点の大きさを考えると、直径45m程度の球体と考えられる。

 もう一度、上部を見てみよう。2階から7階までは2次元曲面をセットバックさせることで球面に見せているが、8階の上部は実際に3次元曲面のようだ。これは型枠製作が相当大変だったろう。

 見えない巨大球体──そう分かると調べずにいられない。そもそもこの建物は何という名前なのか。柱廊の上には「FLAGMENT MIB」とある。

 本サイトの建築調査でよくお世話になっている賃貸事務所ドットコムを調べてみると……あった!

大晃第16ビル/フラグメントミッブビル。鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC) 、地上8階建て、竣工1988年4月(新耐震基準準拠)

『新建築』で判明、設計者は板屋リョク氏

 賃貸事務所ドットコムは優れたサイトだが、建築設計者は書かれていない。このデザインのこだわりならば、当時の建築雑誌に載っているに違いない。あった。『新建築』1989年10月号だ。私は1990年4月に日経アーキテクチュアに配属されたので、89年の新建築はリアルタイムで読んでいない。

フラグメント・ビルディング
設計:R.D.アーキテクツ、板屋リョク 伊原秀美(建築) 佐々木睦郎構造計画研究所(構造) フジゴウ技術事務所(設備)
施工:古久根建設
敷地面積:81.0㎡
建築面積:70.0㎡
延床面積:467.8㎡
階数:地下1階・地上8階・塔屋1階
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
工期:1987年4月~1988年4月

 構造設計者の佐々木睦郎氏は何度が取材したことがあるが、板屋リョク氏は面識がない。巻末の設計者プロフィルを見ると、「板屋リョク/1951年福岡生まれ、76年早稲田大学大学院修士課程修了後、鈴木恂(まこと)建築研究所、1985年R.D.アーキテクツ」とある。この打ち放しは、鈴木恂氏(1935年生まれ、早稲田大学名誉教授)仕込みか……と、ちょっと納得。

 板屋氏は1999年に武蔵野美術大学映像学科教授となっている。そんな方を知らず大変失礼しました。でも、1951年生まれということは、このビルが竣工した1988年にはまだ37歳の駆け出し。当時の若手らしい「アーバンスモールビルへの挑戦」だったのだ。

「交差点に浮かぶ球体」は正解か?

 そして、私が想像した「交差点に浮かぶ見えない球体」は正解なのか。新建築の文章(板屋氏執筆)から、それに関係していそうな部分を引用する。

 「80㎡という極端に小さな台形の敷地からの圧力は、理想的な類型を拒む方向に働くが、それらを局部的に変形させることで敷地に対応させるのではなく、かつての広間の理想形が切断面となる。

 その切断面には、事物の持続、あるいは事物の緩やかな消耗が想像されるように、建築資材がそれ自身にために現れることを期待する。」

 「かつての広間の理想形が切断面となる」という部分が巨大球体を意味しているようにも思えるが、よく分からない。まるで謎解きのよう。こういう“あえて伝わりづらくしている文章”が当時はすごく嫌いだったのだが(文系出身なので)、今となっては当時の建築界の雰囲気を象徴しているようで懐かしい。

雑誌によって「文体」を書き分け

 この建物が今はなき『建築文化』にも載っていることを発見。そちらはもっと謎解きのよう。

 「この交差点の場所は、80㎡という極端な台形の角地に残っている建物の断片から判断すると、上部がドーム屋根で覆われた広場であったのだろう。

 現在の、地階から2階までの基部と、その上の8階までのドラムとドームの部分は、それらの接続箇所のあり方から判断すると、異なる時代に築かれたものだろう。そして、かつての地盤面レベルはもっと高かったのだろう。」

 さすがは建築「文化」。自分が設計したものを「だろう」と考古学者の視点で考察してしまうところはもはや文学。今の若手が読んでどう思うかはさておき、この感じも実に懐かしい。

 とはいえ文章の意味はやはりよく分からないのだが、この記事にはヒントとなるスケッチが掲載されていた。交差点上に、大きなドーム屋根を持つ広場を重ねて描いたものだ。どうやら巨大球体の一部を切り取った形状をイメージしたものであることは間違いないようだ。

 これらのことを図書館で調べていたら、たまたまこんな本を発見。→

 タイトルがまさに『アーバンスモールビル』 (建築設計資料29巻、1990年刊) 。そして、表紙がフラグメント・ビルディング!

 『建築設計資料』はノウハウ書なので、板屋氏の説明文も分かりやすい。

 「全体を、事務所部分のSRCの基本的な骨組と、前面道路側のRCのカーテン・ウオール状の壁によって構成している。設備は、将来にわたって可変であるようにと、そのルートはできるだけ露出し、部屋に面する末端は、しっくいで塗られたブースに丁寧に納めている。」

 「このビルが建つ交差点のエリアを、かつては空間化されていた「広間」であったと設定し、その切断面が立面図になるような、環境的な外観を想像した。このような全体に対して細部が特定の雰囲気や印象を現さないようにと、ディテールは一見、無造作である。」

 今の若手建築家が書くような、分かりやすい文章である。こういうふうにも書けるのか……。文系目線で言うと、媒体の性格によってこんなに書き分けられる技術はすごい。そして、当時の若手建築家が、1つの小規模ビルを通してあらゆる層に自分を発信しようとしていたエネルギーが、この書き分けからうかがえる(念のため言っておくと、当時は誰でも発信できるWEBやSNSはなかった)。

 このビル、上部は賃貸オフィスだが、地下1階に、柱廊からも見える「TIPTOP」というバーがある。どうやら竣工時からあるらしい。

 一度、このバーで一杯やってからリポートしようと思っていたのだが、ちっとも自粛期間が明けないので、やむなく外観だけでのリポートとした。

池袋マルイは8月29日(日)に閉店

 そう踏ん切りを付けたのは、同じ通り沿いにある池袋マルイが8月29日(日)に閉店となるからだ。フラグメント・ビルディングと同じく、交差点を魅力的にする名建築だ。池袋マルイの詳細については下記の記事をご覧いただきたい。

池袋建築巡礼08:今夏で閉館の「池袋マルイ」、毎日見ても飽きない「白メシ建築」の謎を追う

 そして、マルイの最後を見に来る方は、北に5分歩いて、ぜひフラグメント・ビルディングも見ていただきたいのである。(宮沢洋)