池袋建築巡礼08:今夏で閉館の「池袋マルイ」、毎日見ても飽きない「白メシ建築」の謎を追う

Pocket

 池袋西口のシンボルともいうべき「池袋マルイ」が今年8月で閉館する。池袋在住20年の筆者は、心の中でこの建築を「池袋の中央電信局」と呼び、「白メシのごとき名建築」と高く評価している。

(写真:宮沢洋、以下も)

 なぜ「池袋の中央電信局」かというと、池袋駅側から見た外観が、山田守(1894~1966年)の設計した「東京中央電信局」(1925年、逓信省在籍時)に似ているからだ。現存しない建物なので、以前に描いたイラストでどうぞ。

(イラスト:宮沢洋)

 東京中央電信局は真っ白の外壁にパラボラ(放物線)アーチを連続させ、どこかゴシック風。池袋マルイも、パラボラではないものの、白い外壁に繰り返される縦長アーチ。そして屋上の塔。丸井の店舗には、他にも連続アーチのものがあるが(新宿店など)、池袋店はこの角度(↓)から見ると実に東京中央電信局と似ている。

 そして、なぜ「白メシ」なのか。名建築を「たまに食べるとすごくおいしいオカズタイプ」と「毎日食べても飽きない白メシタイプ」に二分するならば、池袋マルイは明らかに後者である。

 筆者は、山手通り方面(西)から池袋マルイに向かって徒歩通勤しており、毎朝、この角度↓で建物を見ている。

 駅から見たときほどのインパクトはないが、こっち側の見え方も手を抜いていない。外壁面に対する塔の角度は、むしろこっちから見た方がかっこいい。清潔感もあり、毎日見ても飽きない。特に晴れた日には、青空に映える白い塔が1日働く元気をくれる感じがする。

設計者が分かるまでに半年かかりました…

 池袋マルイの閉館が報じられたのは2020年10月。そのときすぐに取り上げようと思った。ところが詳細が分からない。「ほとんど分かりませんでした」と書くことも考えたのだが、半ば意地になって調べていて半年近くたった。これ以上調べていると見る機会が少なくなってしまうので、分かったところまでを共有したい。

 以下は、昨年10月の朝日新聞の報道だ。

 「池袋マルイは1952年に開業。丸井グループの中では3番目に歴史のある店だ。しかし、今年(2020年)3月期の商品取扱高は54億円余り。ピークをつけた1990年1月期の5分の1に縮んでおり、赤字だったという。建物は賃借物件で、来年(2021年)8月に家主に返す」(朝日新聞2020年10月2日付の記事から引用)

 大手の新聞は大体同じ内容で、建物には興味がない。この記事から分かることは、「建物は丸井グループの所有物ではない」ということだけ。「1952年に開業」とあるが、とても築70年近いものとは思えない。建設時期はネットで調べると簡単に分かった。

 「池袋マルイは池袋西口共同ビルに1977年2月に開店。日本土地建物が所有する。すでに西口・東口に丸井の既存店があったため(東館は代替閉店)当初は『丸井ニュー池袋西口店』の名称であったという。このほか、かつては家具店『丸井インザルーム池袋』など複数の別館があったがいずれも閉店している」(都商研ニュース2020年10月2日付け記事から引用)

 そうか、開業は1952年だけれど、あのビルは1977年竣工なのか。でも、この連載で一番知りたい設計者が書いていない。どんなにネットを検索しても設計者名が出てこない。

 丸井の店舗の設計を数多く手掛けているのは、石本建築事務所だ。しかし、同事務所のウェブサイトを見ても、この建物の記載がない。

 そこでまず、前述のニュース記事で現在の所有者とされている日本土地建物(現在は中央日本土地建物グループ)の広報に、「設計者など竣工時の情報を教えてほしい」と聞いてみた。

 しかし、この建物は確かに以前は同社が所有していたが、今は売却しており、詳細は答えられないとのこと。

 ならば正面突破だと、丸井グループの広報に同じことを聞いてみた。しかし、予想どおり、「オーナー様から建物をお借りして営業をしている立場のため、お答えできない」とのこと。

以前の職場で設計した担当者を発見!

 ここでくじけそうになったのだが、建物の名称「池袋西口共同ビル」でひたすら検索してみた。すると、この建物名が「設計実績」の欄に載っている設計事務所を発見。しかし、その事務所の開設は1979年。ビル完成の2年後だ。どういうこと? 恐る恐るその事務所に電話をしてみると……。

 「ああ、それは私が石本建築事務所にいた時代に設計したものですよ。間違いありません」(事務所主宰者)。

 やった、ビンゴ!! ということで、巡り巡って、設計者は石本建築事務所にほぼ確定。同事務所に連絡を取ると、「当時の担当者が在籍していないため、詳しいことは分かりませんでしたが」という前置きで、下記のデータを教えてくれた。

■建築概要
・正式名称:池袋西口共同ビル
・所在地:東京都豊島区西池袋3-28-5
・建設主(初めに建てた事業者):勧業不動産、陽光、日新
・竣工年:1977年
・設計者:石本建築事務所
・施工者:大林・間・大成共同企業体
・構造:SRC造
・階 数:地下3階・地上8階 
・延べ面積:3万459m2(竣工時)

 石本建築事務所の方、ありがとうございました。そして、石本建築事務所といえば、創設者は石本喜久治(1894~1963年)。石本喜久治といえば、分離派建築会のメンバー。分離派建築会といえば、山田守……。

 改めてこの連続アーチ。完成は石本喜久治の没後だが、この造形は石本建築事務所に受け継がれる分離派DNAの発露なのではないか……。

(分離派建築会について詳しく知りたい方はこちらの記事を)

塔の形は今と違っていた

 竣工時情報の調査を進めるなかで、こんな資料も入手した。開業日(1977年2月25日)の新聞広告である。これを見ると当初の状況が分かる。

 当初は屋上が子ども向けの公園だったのか…(現在は入れない)。80年代以降は「若者」のイメージが強かった池袋丸井だが、当初はファミリー層を意識していたようだ。

 8階はレストラン街だ(現在はビックカメラなどがオフィスとして使用)。あのアーチの最上部の窓は、レストランから外を見る窓だったのだ。
 

 
 そして、驚いたのは塔。改めて開業広告の写真を見てみよう。

 塔が四角い! 私の好きなあの丸っこい形は、後から改修されたものだった。絶対、今の方がいい。

 この点について、石本建築事務所に聞いてみると……。

 「当時の図面によると、広告塔が別途工事、かつその後の改修にも関与していないため形状変更の経緯・時期は不明です」

 なんと、塔は最初も今も石本建築事務所の設計ではなかった。改修時の設計者(不明)は、連続アーチの形や「〇I〇I」のロゴと合わせるために、今の形にしたのであろう。グッジョブである。

設計者情報は公開義務にすべし!

 結局、現在の所有者は分からないままなので、8月に閉館した後、建物がどうなるのかについては聞くことができていない。ぜひリニューアルして使ってほしいものだ。

 ということで、時間はかかったが、閉館になる前にこれだけの情報を残せたことは、ひとまず自分を褒めたい。春の青空に映えるこの建物を見て一句。

 ……と、風雅に終わろうかと思ったのだが、最後にもうひと言。ここで書いたようなデータは、そもそも公開情報として開示されるべきものであると筆者は思う。以下は、以前に書いた記事からのコピペだ。同じことを思ったのでこの記事の締めとしたい。

 私は建築界に放り込まれた30年前からずっと、新築した建築には「施主/設計者/施工者/竣工年」を記した銘板を付けることを義務化すべきと思ってきた。銘板なんて、高くても数万円でできる。それによって、一般の人の建築に対する関心が増し、建築への愛情が育まれ、建物の寿命が延びるならば安いものだ。そういう公約を掲げて選挙に出る人がいたら絶対に票を投じる。(宮沢洋)

<これまでの掲載記事>
池袋建築巡礼01:30年たっても古びないデザイン交番、「池袋二又交番」
池袋建築巡礼02:丹下健三が“負ける建築”を模索した? 「立教大学旧図書館」
池袋建築巡礼03:学会賞建築家によるこだわりホテル、「hotel Siro」が面白い
池袋建築巡礼04:西口娯楽のシンボル「ロサ会館」、巨大なピンク外壁の理由が分かった!
池袋建築巡礼05:「落水荘」思わす婦人之友社ビル、F.L.ライト直伝・遠藤楽が設計
池袋建築巡礼06:傑作「I.W.G.P.」を生んだ(かもしれない)双塔の都税事務所
池袋建築巡礼07〈未来編〉:にぎわいはサンシャインの先へ、造幣局跡地開発の総仕上げ─東京国際大学新キャンパス