連載「よくみる、小さな風景」07:狭い道にあふれる小さな風景の発見──乾久美子+Inui Architects

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建築家の乾久美子氏と事務所スタッフが輪番で執筆する本連載。第7回のテーマは「道」。具体的に言うと東京・雑司が谷の狭い道。なるほど、道が主役になると、いつものベッヒャー的な写真とは、撮り方が違う…。そんなことも含め、スタッフの沼田優花氏が観察する。(ここまでBUNGA NET編集部)

 今回取り上げるテーマは「雑司が谷」である。雑司が谷は東京都豊島区に位置し、池袋や目白と接するエリアを指す。このエリアの特徴は、鬼子母神などの神社仏閣や雑司が谷霊園といった、まとまった大きな土地が点在し、その隙間を埋めるように狭い道が張り巡らされ、住宅や小商いなどが連なっているという構造を持つことである。

 小さな風景を探して都内を歩いていると、雑司が谷のエリアにおいて多くの小さな風景が発見できたことから、事務所のウェブサイトの中で「雑司が谷」を小さな風景のテーマの一つとして写真を集めている。

(イラスト:乾久美子)

 今回の連載にあたり、はじめは雑司が谷というまちと小さな風景の関係を読み解こうと考えたが、これまで集めてきた小さな風景の写真と雑司が谷のもつ歴史的な背景を直接結びつけることや、雑司が谷の固有性を小さな風景を通して語ることは案外難しいものだった。

 そこで、改めて雑司が谷を歩きながら小さな風景を探してみたところ、雑司が谷特有の狭い道に溢れ出す生活の様子が面白く、道が小さな風景を生み出す重要な存在であると感じた。

 また、小さな風景の撮影方法にも変化があり、これまで小さな風景は対象物に対して正対して撮影してきたものが多いのに対して、今回は道を中心として道と関係性をつくるものを撮影するという新しい写真の撮り方に変わっていった。

 ここからは今回新たに見つけた狭い道にあふれる小さな風景について取り上げ、考察していきたい。

生活があふれる道

 はじめに取り上げるのは、雑司が谷霊園の近くの道で記録した写真。狭い道に対して両側の建物から開放的な様子があふれていることから、目にとまり撮影した。

(写真:乾久美子建築設計事務所、以下も)

 道の左手側には住宅の前に洗濯物、植木鉢、自転車、バケツの上で干されている靴といった生活の要素が道にはみ出ている。道の右手側には1階が水道関係の設備業者の作業所であることから、ホース、バケツ、配管類がオープンな棚に収納されている様子や、運搬に使う台車が道に置いてあることがわかる。また、上階は住居になっており、布団が干されている。

 さらに、道の奥に目を向けると、同じように住宅の前に植木鉢や自転車が並んでいたり、既存の樹木と思われる立派な樹木と住宅に植えられた樹木が道に木陰を作っていたりと、道の周りにある建物や植物が道を盛り上げているように感じられる。また、洗濯物や日よけのための簾など、同じ要素が道の両側に散りばめられていることは、道を介して一体的な空間として認識できる面白さがある。
 
 どれも個人の生活や仕事が建物の延長として道に溢れ出しているだけなのだが、結果として道が道を囲む建物にとって共有の場所として機能しているように感じられる。

行き止まりの道

 次に紹介するのは、3方を住宅に囲まれた道の写真。この道は行き止まりの道となっており、8軒の住宅に囲まれた道である。

 先ほどの事例と同様に植木鉢や自転車などが住宅の前に置かれていることに加えて、道に大きく枝葉がはみ出している既存樹木の存在によって、道が共通の玄関口のような場所になっている。塀を設けている住宅もあるが、植木鉢が塀の上や手前に置かれていたり、植物が塀から顔を出していることで、それぞれの家が閉鎖的でない構えとなっていることがわかる。 

商店街の道、狭い路地

 今度は住宅と道の関係だけでなく、商いと道の関係も観察してみる。雑司が谷の鬼子母神の裏参道には、小商いの店が道を挟んで両側に並んでいる。歩行者にとっては、道幅が狭いことにより、両側の活動が近く、歩きながらどちらの店にも関心を寄せられる距離感となっているようだ。アーケードなどの物理的な共有物はないものの、商店街としての一体感を感じられる。

 最後に、自動車が全く入らない路地で両側から使われている道の様子を紹介する。写真の路地は、両側がせんべいやの工場や事務所、住宅といった同じ所有者の建物に囲まれている。

 道にはせんべい屋が清掃に使う掃除道具や植木鉢が、直売所の看板やのぼりとともに置かれていることがわかる。せんべい屋に関わる人が行き来している道であることに加えて、せんべいを買いに来る客や、散歩する人が通り抜けるなど、多様な人が使う道である。両側に同じ所有者がいることにより、間の道がメンテナンスされ、地域の道が活動とともに持続性のあるものとなっている事例である。

道と道を挟むものの連帯感

 ここまで、道に関する4つの事例を紹介してきたが、魅力的に感じられる道は道と道を挟むものたちに連帯感があるように感じられる。

 その要因の一つ目は、4つの事例の道をよくみると、T字路がずれてつながっている道、袋小路の道、枝分かれしている道、狭い路地といったように道自体が資源として捉えやすい空間的な特徴をもっていることだ。

 二つ目は、道の両側からあふれ出た洗濯物や自転車、植物などの要素が敷地を超えて類似性をも持っていることだ。そこからは、住民の中になんとなく共有されているコモンセンスの存在を感じとることができる。

 道の空間的特徴をよりどころにした、どこか連帯感のある生活のあふれ出しは、道を中心としたコモンズの存在を感じさせる。

コモンズとしての道

 本連載の第6回で紹介されている、間宮陽介・廣川祐司編『コモンズと公共空間』(2013年)の中で、「公・共・私」という三区分の内の共的領域こそがコモンズであるということが述べられている。その視点で4つの事例の道をみると、公(道路としての役割)でもなく、私(道を占有して活動場所として使う)ということでもない、共(両側の活動のあふれ出しを受け入れる役割)、すなわちコモンズとしての道であるということが共通している。

 日本では、古くから道がコモンズとして使われてきたが、1960年代から自動車交通が急成長期に入り道路の整備が進んだことにより、道のコモンズ性が失われていった。そうした背景に対して今回取り上げた雑司が谷は戦災を逃れ、さらに現在においても再開発の手が入っていないことから、神社仏閣・細い路地・蛇行した道によって構成される都市構造が残っている。そのため、雑司が谷の道の多くは交通機能(自動車交通)が主体となりづらく、歩きや自転車での移動、家の延長として居住機能の一部を担っているものが多いと考えられる。

 また間宮陽介は『社会的共通資本ーコモンズと都市』(1994年)の中で、都市の形成とは何か、について次のように言及している。土地の効率的利用を目的とした都市計画がつくる都市は、土地と建物と通過路としての道路とイベントからなる都市、すなわち擬似都市になりつつあると指摘し、それは「場所」なき都市のことであると主張する。さらに、場所は時間の経過とともに徐々に形成されていくものであり、都市を造型するということは多種多様な建築物によって生活空間としての都市空間ーすなわち場所を形成することであると述べている。

 事例で見てきた通り、雑司が谷の道は通過路としての道路ではなく、生活空間としての役割を果たす道であり、間宮の主張を借りると、道を囲む建物からあふれ出す活動によって場所が形成され続けている状態といえる。

 雑司が谷には、道幅の大小や道に面するものの違いはあれど、上記のようなコモンズとしての道がアメーバ状に広がっており、そのことが魅力的なエリアとして感じられる一つの理由である。

 雑司が谷を歩き回る中で見つけた、道と小さな風景という新たなテーマについてはまだまだ可能性を感じているため、今後も引き続き研究していきたいと思う。

沼田優花(ぬまたゆか、右の写真):1992年神奈川県生まれ。2015年横浜国立大学理工学部建築都市文化専攻建築EP卒業。2017年横浜国立大学大学院Y-GSA修了。現・乾久美子建築設計事務所勤務。


 
乾久美子(いぬいくみこ):1969年大阪府生まれ。1992年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1996イエール大学大学院建築学部修了。1996~2000年青木淳建築計画事務所勤務。2000乾久美子建築設計事務所設立。現・横浜国立大学都市イノベーション学府・研究室 建築都市デザインコース(Y-GSA)教授。乾建築設計事務所のウェブサイトでは「小さな風景からの学び2」や漫画も掲載中。https://www.inuiuni.com/

※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら↓。

(イラスト:乾久美子)