『菊竹清訓巡礼』に掲載できなかった久留米市の“五色の寺院”、住職から聞いた当初の設計意図

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 Office Bunga研修旅行シリーズの続きである。今回は宮沢の久留米リポート。久留米といえば、建築家・菊竹清訓(1928~2011年)の生誕地である。まずはこの建築から。

 たぶん、ほとんどの人は知らないと思う。菊竹ファンである私も、つい最近まで知らなかった。久留米市寺町にある「千栄寺( 千栄禅寺 )」だ。

(写真:宮沢洋)

 ちなみに、研修旅行シリーズ第一弾、第二弾は下記の記事だ。

圧巻の「唐津の3巨匠」展@佐賀県立博物館、辰野金吾と村野藤吾の“見えないつながり”を解く(文:宮沢洋)

福岡・天神のシェアオフィスでNKS2アーキテクツと若手がコラボ、注目の建築家・佐々木慧氏も巣立つ(文:森清)

 さて、「千栄寺」である。ここの本堂は、菊竹清訓の設計で1959年に竣工した。自邸「スカイハウス」(1958年)と、出世作である「出雲大社庁の舎」(1963年)の間にできた建築だ。

 私は菊竹の没後1年となる2012年12月に書籍『菊竹清訓巡礼』を発刊した(磯達雄との共著、日経BP)。そのときに、菊竹事務所から作品リストをもらい、現在する菊竹の建築をほぼすべて訪ねて回った。もちろん、出身地である久留米の「久留米市民会館」(1969年、現存せず)や「徳雲寺納骨堂」(1965年)なども巡った。

 だが、この千栄寺は私がもらったリストになかった。最近、SNSで千栄寺が菊竹の設計であることを知り、菊竹事務所のOBに確認すると、菊竹の設計で間違いないとのこと。

 この寺は、ブリヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)の創業者である石橋正二郎(1889~1976年)の墓があることで知られる。菊竹ファンはピンと来るだろう。石橋正二郎は菊竹の才能に目をつけ、若き日の菊竹に数多くの設計のチャンスを与えた。ローコストな施設やリノべーションがほとんどで、菊竹はそのことにより設計の腕が鍛えられたと語っていた(私も菊竹から直接聞いた)。

 千栄寺に入り口には、久留米市によるこんな説明プレートが掲げられている。本堂が石橋正二郎の寄贈であることは書かれているが、菊竹のことは書かれていない。書いてほしいなあ…。

 外観はまるで教会。普通の寺ではないが、建築的にすごく尖っているかというと何ともいえない。私のもらったリストに載っていなかった理由もなんとなく想像がつく。

 それにしてもこの色のついた開口部。中はどうなっているのか。どうしても見たかったので、事前に住職に連絡し、中を見せてもらった。

中はさらに教会っぽい!

 おお、明るい。原色に包まれる白い空間。しかも、椅子席! 正面の仏壇との関係性がなんとも不思議な感覚だ。

 建設時の住職からこの寺を引き継いだ現住職が、いくつか重要なことを教えてくれた。

・外壁のレンガは、寄贈者である石橋正二郎がレンガ好きであったため。(←久留米市内の石橋正二郎が関わった建築にはレンガを使ったものが多い)

・窓が大きいのは、石橋正二郎が明るい空間を設計者に要望したから。

・椅子席を採用したのも、石橋正二郎が「長い時間いても疲れない」ことを求めたため。

 なるほど、先進的。そして、私の想像をはるかに超えていたのが、開口部の色の理由。

・開口部の色は、仏教にとって大切な五色。これは設計者の提案と聞いている。

 そうか、五色の窓! そこが菊竹のこだわりだったか! 住職が見せてくれたものと順番は異なるが、開口部は上から紫・赤・黄:緑・白(透明ガラス)であったらようだ。上4段はガラスではなく樹脂製で、黄と緑はかなり色あせており、もしかしたら逆かもしれない。

 上の4色がそろっていた当初は、どんな光のグラデーションが室内に生まれたのだろうか。

 五色の意味について、後でネットで調べてみると、これは古代中国で成立した陰陽五行説に基づくもので、正式には、緑色は青で、紫は黒なのだという。 五行の「木・火・土・金・水」を色で表すと「青・赤・黄・白・黒」となる。

 うーん、深い。いつか『菊竹清訓巡礼 増補改訂版』を出すときには、イラストルポを加えなければ…。そう思わずにいられない千栄寺探訪だった。(宮沢洋)

千栄寺:
福岡県久留米市寺町21