7人の名言02:村野藤吾「最後の1%が時として全体を支配する」

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 「7日間ブックカバー・チャレンジ」にあやかって、建築家の言葉を1日1人、計7人取り上げていく。言葉を拾い出すポイントは、「社会が大きく変わっても揺るがない真理」「ものづくりに勇気を与える姿勢」の2点。私(宮沢洋)が日経アーキテクチュア在籍時に関わった書籍や特集記事などから言葉を拾い出していく。

 2人目は、村野藤吾だ。村野の創作姿勢には、「建築」に限らず、クリエイターの心に響く部分が多いと思う。なかでも有名な言葉はこれではないか。

 「村野の1%」

(イラスト:宮沢洋)

 与条件を離れて建築家に与えられる余地はいつも1%しかない。村野はその1%を「聖域」と語ったという逸話だ。私もこの逸話が大好きで、人から「座右の銘は?」と聞かれると、「1%の聖域」と答えている。

 この言葉を実際に村野が語った貴重なインタビュー記事が、古い日経アーキテクチュアにある。1978年、87歳のときの発言だ。

 「いよいよ最後になって1%が残るわけだ。これが村野藤吾なんです。村野藤吾に頼んだ以上は、そこまで取るわけにはいかないでしょう」

 「村野藤吾がやらない以上はできないというところが出て、その1%が時として全体を支配する影響力を持つこともあるんです。その意味の村野藤吾の作品であるわけです」(いずれも「建築家という生き方」2001年/日経BP社刊より引用)

 この言葉は村野のプロフィルを振り返ると、さらに重みを増す。1891年佐賀県唐津市生まれ。小倉工業高校機械科卒業後、八幡製鉄所に入所。2年間兵役に就く。その後、早稲田大学電気学科に入学するも2年後に建築学科に転学。1918年に、大阪の渡辺節建築事務所に入所し、「綿業会館」などを担当。洋風建築の腕を磨く。1929年に38歳で独立し、戦前には「森五商店東京支店」「そごう百貨店(現存せず)」「宇部市渡辺翁記念会館」などを設計する。46歳のときに完成した宇部市渡辺翁記念会館は、国の重要文化財となっている傑作だ。

 戦前から頭角を現していた村野だが、1941年、ちょうど50歳の年に太平洋戦争が勃発。脂の乗った50代の10年間、村野が力を注げるような建築の依頼はなかった。

 だが、60歳を過ぎてからのリカバリーがすごかった。現存する名作の多くは60代以降に設計したものだ。そして、1984年11月26日。その日も、いつものように事務所で打ち合わせをした後、自宅の床で永眠した。享年93歳。上着のポケットには、翌日の東京に向かう飛行機の切符が入っていた。

 最も活躍できたであろう50代を戦争で失った村野が語る「1%」。そこには、「人生の99%は思い通りにならない」という意味も重なって見える。

 村野はよくこう言っていたという。

 「建築家は50歳から」「建築家が独立するのは50歳ぐらいになってからでいい」(「巨匠の残像」2007年/日経BP社刊より引用)

自分の価値観に閉じない

 「村野の1%」には、「99%は思い通りにならない」という意味とはまた別の意味を見いだすこともできる。

 建築史家の長谷川堯氏がこんなエピソードを語っている(長谷川氏は村野に関する著作が多かったが、残念ながら昨年4月に亡くなった。合掌)。以下は、村野が、ライバルであり日本のモダニズムをけん引した前川國男に、祝辞を求められて語った言葉だ。

 「前川先生はゴルフをなさるそうですが、私もやります。今度は先生に1人でゴルフをする楽しさを味わっていただきたい」(「巨匠の残像」2007年/日経BP社刊より引用)

 すぐには意味が分からないが、長谷川氏はこう解説している。「グループで目標に向かうモダニズム建築とは違う楽しさが建築にはあると、村野が前川に示唆したのではないか」。価値観の合う人だけでつるんでいると、その殻を破れなくなる──。そんなメッセージだったのだろうか。

 ちなみに、村野のゴルフ好きはかなりのものだったらしく、87歳のインタビューでは、こんなことも語っている。

 「私は年寄りとゴルフはしない。たいてい自分より若い人とやることになりますがね。つまり、若い気分の人が好きなんです。年寄りじみたのは困るんですな、どうも(笑)」(「建築家という生き方」2001年/日経BP社刊より引用)

 「村野の1%」は、「1%ですべてを村野色に変えられる」という自信の表れであるとともに、「99%の他人の意見」が創造の刺激になる、という意味もあったのではないか。

 「(1%の)あとはクライアントと話し合いができる。また話し合いすべきじゃないかと思います。おれに任せた以上、おれの自由にするということは、大それたことだと思いますね」(「建築家という生き方」2001年/日経BP社刊より引用)

 コロナ自粛をきっかけに、オンライン会議やチャットなど遠隔でつながるハードルが低くなった。それ自体は良いことだと思うが、自分と価値観の合う人ばかりとつながってしまう面も否めない。いかに意識的に「99%」の意見を取り込んでいくか。村野の言葉はそう問うているようにも思える。

◆参考文献
「建築家という生き方」2001年/日経BP社刊/発行時定価1800円+税/出版社在庫なし、中古本はアマゾンなど
「巨匠の残像」2007年/日経BP社刊より引用/発行時定価2200円+税/出版社在庫なし、中古本はアマゾンなど

日本生命日比谷ビル(日生劇場)/1963年竣工(写真:宮沢洋)

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宮脇檀(2020年5月11日公開)
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