【独占インタビュー】内藤廣展@グラントワを振り返る─「完成から18年たってようやく『これでいい』と思えた」

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2023年9月16日から12月4日まで、島根県芸術文化センター「グラントワ」の島根県立石見(いわみ)美術館で開催された「建築家・内藤廣/Built とUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」。会場案内図の執筆で協力した宮沢洋が、内藤廣氏に展覧会の舞台裏や手ごたえを聞いた。

内藤廣氏(写真:特記以外は宮沢洋)

──展覧会が年末にかけて大きな話題になりました。あれだけ話題になったので、内藤さんによる総括的な話がどこかに載るかなと思っていたのですが、なかなか載らないのでインタビューにやってまいりました。

 誰もしてくれないんですよ。嫌われているのかなあ(笑)。

会期中の様子(写真提供:島根県立石見美術館)

──BUNGA NETにとっては願ってもないチャンスです。内藤建築のファンが多いですから。BUNGA NETでこれまで一番読まれた記事は、紀尾井清堂の記事なんですよ。今でも読まれています。

速報:内藤廣氏設計「紀尾井清堂」を見た! 都心の一等地に「機能のない」光の箱

 それはうれしいですね。でも、みんな大きな声では褒めない(笑)。今回の展覧会もそうだけど、僕の存在って、そうなんでしょう。もうかなり歳だし、時代遅れなんだけど、無視はできない。できるだけ頭の隅っこに置いておいて、たまにこういう展覧会をやったりすると、面倒くさいなと思いつつ、少し気にする。何ともリアクションがとりづらい建築家だと思われているんじゃないですか。

──いえいえ、来場者1万人を超える大盛況だったと聞きましたよ(館によると最終入館者数は1万2815人)。それと、見た人があんなにSNSで感想を発信する建築展は珍しかったと思います。

 会場に3時間いましたとか、4時間いましたとか、長さを競うみたいなつぶやきが多かった。俺は2日間いたぞとかね。

会期中の様子。展示室前室には、「海の博物館」を架構をモチーフにしたインスタレーションを展示(写真提供:島根県立石見美術館)

自分のことも少し喋らなきゃ、という気持ちに

──国内での内藤さんの展覧会は、約10年前、2014年にTOTOギャラリー間で開催された「内藤廣展 アタマの現場」以来ですね。

 あれは「3.11」(2011年)の後で、本当は展覧会もやりたくはなかったんですよ。東北では大勢の人が亡くなって、復興も大変なときに、「作品でございます」っていうのは嫌だった。だから、あの展覧会では、事務所を丸ごと展示室に移して進行中のプロジェクトを見せるようなやり方にしました。

 3.11以降、7、8年は、僕は講演会を頼まれても自分の作品を映したことがなかったんです。そういう気持ちにならなかった。

──今回の展覧会は、グラントワができた頃から決まっていたのですか。

 いえ、違います。展覧会をやりませんかと声をかけられたのは割と最近です。

──引き受けた理由は?

 今の話とつながりますが、ここ2、3年、自分の建物の話を少しはできるようになってきた。震災の復興にも10年以上関わりましたから。三陸のトラウマみたいものが少し遠のいてきて、自分のことも少し喋らなきゃ、という気持ちにこの2、3年なってきたんです。

 もうひとつは、美術館の人たちの思いですよね。今回の企画は、完成のときから美術館にいる川西(由里)さんや南目(美輝)さんが中心になっていますが、彼女たちの問題意識は、「自分たちは建物へのラブが強すぎるので、それをどう次の世代に伝えるか」っていうことなんです。新しい学芸員さんが入ってきて、どうやってこの思いを引き継いでいったらいいか。そのために、僕と展覧会をやりたいと。そう言われたら断れない(笑)。

発表会見の様子。左は島根県立石見美術館の川西由里専門学芸員

──赤鬼と青鬼の会話で解説すると最初に聞いたときには、正直、「大丈夫なの?」と思いました。今の展覧会の潮流は、いかに解説文を読ませないか、という方向なので。でも、皆さんじっくり読んでいましたよね。

解説文はすべて内藤氏本人の執筆。赤字が赤鬼、青字が青鬼のつぶやき

 すごかったよね、みんな読む読む(笑)。最初のAの部屋から真剣に読むので、途中でヘトヘトになってきて、最後に一番大きいDの部屋に入った瞬間に絶望的な感じになる。あっ、今、絶望してる!みたいな状態が見ていて面白かった。

「Build」(実現した建物)を展示する導入部の展示室A。序盤なので気合を入れて解説を読む(写真提供:島根県立石見美術館)
入った瞬間に絶望する人多数の展示室D(写真提供:島根県立石見美術館)

──そもそもあの量の解説文を全部ご自身で書いているというのが驚愕です。

あれは、ほぼ3日間で書いたんですよ。

──そう聞きましたが、本業の物書きはそんなことを聞かされたら、心が折れます。赤鬼・青鬼は何がヒントに?

 講演会をやると、あの鬼のポンチ絵はみんな気になるみたいだった。心の中の鬼がカミングアウトする感じが伝わりやすいんだんなと。

Dの部屋に入って絶望しても、結局みんなついつい読んじゃうようだったので、あのやり方は成功だったと思います。

「これでいいんだ」と思えた

──今回の展覧会のもう1つの特徴は、会場のグラントワ(2005年完成)に対する反響が大きかったことです。私の知人でも、あの建物を初めて見て、すごく良かったという感想を何人かから聞きました。

 「ようやく見つけてくれた」という感じです。最新作のように感想を語っている人もいた。18年くたびれずにそこにあり続けたのが良かった。がっかり建築ではなかった。でも、できたときは、反応が薄かったですよ。

──あれだけ大きなものがあの街にできて、10年後はどうなるんだろうと当時はみんな思ったんじゃないでしょうか。

 「海の博物館」は、バブルという時代的な背景もあるし、賞もいくつも取ったので“キワモノだけど外せない位置”は確立したと思うんです。「牧野富太郎記念館」のときは「こいつは何か狂ったのか」みたいに思われたようだけれど、話題にはなった。でも、益田(グラントワ)はほとんど誰も反応しなかった。反応したのは林昌二さん(1928~2011年)くらいだった。林さんは「前川(國男)さんがやろうとしたのはこういうことだったんじゃないか」と言ってくれました。

──今回の展覧会でご自身の今後に影響を与えるようなことはありましたか。

 あんまりない、って言ったら話が終わっちゃうかな(笑)。展覧会自体については、あれだけ力を入れてやったから「もうこれでいいか」みたいな感じです。

 それよりも、今後の糧になるとすると、今話したような美術館の建物の話ですね。グローバリズムとか、高度情報化社会とか、いろいろ言われる中で、最後はやっぱり地域とともにある建築しか生き残らないのかなと思った。展覧会を通して来館者の感想を聞いたり、町の人と話したりして、「これでいいんだ」って思えたことは大きい。たぶん僕がくたばって、何十年たっても、今と同じようにこの場所を好きな人がたくさんいて、続いていくんだろう。益田みたいなやり方が、公共建物の一つの理想形としてあってもいいのかなと。

──なるほど。自分の中で少し揺らぎがあった部分がピシッと据えられたと。

 腰が据わった感じはあるかもしれない。展覧会が始まる前の9月ごろは、建築系の人たちがどう見るか全くわからなかった。

 でも、僕自身は、これまでも何度行っても飽きなかったから。今回もツアーをやったり、夜の景色とか、朝の景色とか、いろいろ見た。でも飽きない。飽きないってことはいいことですよ。

会期中の展示室C。瓦の壁が色を変えていく映像を大画面で投影(写真提供:島根県立石見美術館)
大ホールを案内する内藤氏

──展覧会が終わっても、建物はいつでも見られるので、見に行ってほしいですね。本日はありがとうございました!