大江匡流リノベの傑作、30周年「山口蓬春記念館」に見る“攻め“の姿勢──大江匡氏を偲ぶ01

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 プランテックアソシエイツ代表取締役会長兼社長(当時)で建築家の大江匡(ただす)氏が急逝してもうすぐ1年がたつ。亡くなったのは2020年1月31日。享年65歳。訃報を聞いたときには、あまりに突然のことに本当にびっくりした。亡くなってから1年の間に、大江氏が設計した建築(特に初期のもの)を訪ねて回った。1周忌を前にそのいくつかをリポートしたい。最初に取り上げるのは、私(宮沢)が大江建築の中で最も好きな「山口蓬春記念館」(1991年、神奈川県葉山町)だ。

(写真:宮沢洋、以下も)
書籍「NA建築家シリーズ08 プランテック」。2015年、日経BP刊、3500円+税

 大江氏はビジネスマインドの強い人で、経済人とのネットワークは広かったが、いわゆる建築業界内での付き合いにさほど重きを置いていなかった。私(宮沢)は日経アーキテクチュアの副編集長だった時代に、書籍「NA建築家シリーズ08 プランテック」 を担当したことがあり、建築業界の中ではかなり大江氏と親しい方だったと思う。実は、亡くなった日の1週間ほど後に、大江氏と食事の約束をしていた。私が独立したと聞いて、大江氏が声をかけてくれていたのだ。きっと大江氏に会ったら、こんなことを言っていたと思う。「そろそろ事業は他の人に任せて、大江さん渾身の建築を設計してくださいよ」。

 大江氏は1954年大阪府生まれ。1977年に東京大学建築学科を卒業。大学院には進まず、菊竹清訓建築設計事務所に入所。菊竹氏に重用されるも30歳で辞め、85年にプランテック総合計画事務所を設立した。事務所を立ち上げてから10年ほどは、「和」をテーマにした建築が多い。世に知られるきっかけとなったのは、85年に完成した茶室「恵庵」(神奈川県逗子市)。鉄筋コンクリート造ではあるが、緩やかな寄棟屋根に覆われた本格茶室だ。31歳の若さで東京建築賞を受賞し、話題になった。

大江匡氏(写真提供:プランテックアソシエイツ)

戦略ではなく、自然に身に着いた「和」

 大江氏が「和」をテーマにしたのは、大江氏らしい「戦略」ではなく、ごく自然な流れだった。というのは、大江氏は実家が大阪の寺院。祖母はお茶の指導者で、少年時代から茶道の作法や、その哲学に親しむ環境だった。大江氏は、「著名建築家が設計する前衛的な茶室は疑問だ」と語っていた。大江氏には和のルールが当たり前のこととして身に着いていた。

 恵庵以降は、直接的な和のボキャブラリーを使わず、空間のつながり方や素材の対比などで「新しい和」を表現していった。この時代の有名なものには「木村美術館」(1989年、大分県中津市)、「村上開新堂」(1990年、東京都千代田区)がある。

 個人的な意見だが、それらは確かに「新しい和」であるとは思うものの、遠回しに和をアピールする主張の強さが少し鼻につく。そんな中で、この「山口蓬春記念館」は、「大江流・和の表現」の代表作であり、木造リノベーションの傑作であると思う。

 何より素晴らしいのは、敷地への入り口。住宅街の坂道に面した入場ゲートは、スチールの正方形の連なりだ。嵌め込まれたガラス越しに見えるのは日本庭園と、斜面の上に向かう階段。スチールのゲートと、新たに加えた石の踏み板が「現代の建築である」というメッセージを放つ。

 この施設は、昭和の日本画の大家、山口蓬春(ほうしゅん、1893〜1971年)の自邸兼アトリエを美術館に転用したものだ。開館は1991年10月。今年でちょうど30周年となる。山口蓬春が亡くなったのは1971年なので、没後50年の節目でもある。以下は、公式サイトにある美術館の説明だ。

 平成2年(1990年)、山口家より土地、建物及び所蔵作品の寄贈を受けた財団法人JR東海生涯学習財団(現・公益財団法人JR東海生涯学習財団)では、その偉業を永く後世に伝えていくことを目的として、平成3年10月15日、山口蓬春記念館を開館致しました。(中略)葉山に転居して以来、数々の名作を生みだした画室は、蓬春とは東京美術学校(現・東京藝術大学)で同窓であった建築家・吉田五十八氏による設計です。当時のままの状態で保存し、四季折々の草木が楽しめる庭とともに公開しております。

 そう、既存の木造建築は和風建築の巨匠、吉田五十八(いそや、1894~1974年)の設計によるものなのである。もう少し詳しく言うと、もともとの建物(母屋)は、昭和初期に建てられた名もなき木造住宅だった。蓬春は1948年、友人である吉田五十八の助言もあり、売りに出されていたこの建物を購入。その後、五十八によって画室や母屋の増改築が行われた。

単純な新旧対比にはできない

 既存の木造建築が、単なる「古い木造」でなく、木造のリノベーションであり、吉田五十八の設計によるモダン和風なのである。大江氏はこの建築と同時期に、木造建築のリノベーションを他にも手がけている(「大樋ギャラリー」や「亀屋」)。しかし、それらで採ったような分かりやすい「新旧の対比」がここでは使えない。何しろ、元が「新しい和」なのだから…。加えて山口蓬春は、日本画の伝統を打破した「新日本画」の画家。いわゆる日本画をイメージさせる作品の一方で、ポップアートのような作品(例えば「望郷)も描いている。

 そして、おそらくこれは文化施設としてはかなり低予算の改修だった。公共建築ではなく、民営化されたばかりのJR東海の財団による文化事業である。あれこれ条件だらけの中で、何をどう加えるか。大江氏は困ったに違いない。

写真右手が館内への入り口

 外部で大きく手を加えているのは、前述のゲート部分と、前庭のテラス(上の写真の左側)だけだ。このテラスも、床石を敷き、スチールフレームにガラス板を嵌めただけのシンプルなもの。屋根すらない。しかし、これは「既存建物になじませる」という「守り」の設計ではない。ポイントとなる部分に明らかな現代性を加えることで、そこに来館者の視点を持っていく。このスチールのフレームを介して、当初部分や吉田五十八の増築部を見よ、という「攻め」の視線誘導だ。

写真奥が吉田五十八の設計で1954年に増築されたアトリエ

 このフレームのデザイン意図について大江氏に詳しく聞いたことはないのだが、おそらく、伝統建築の格子に注目した吉田五十八から、さらに格子のエッセンスを抽出したということなのではないか。あるいは、山口蓬春の絵画の「フレーミング」の素晴らしさを讃える意味もあるかもしれない。

展示室が金庫!

 建物内に入ると、展示室の扉が金庫のようであることに驚く。これは実際に金庫なのだ。限られた予算の中で、展示室の耐火性や防犯性をクリアするために、組み立て式の金庫を既存の木造の中に挿入したものだ。ハンドル付きの扉に最初は驚くが、「ここから先は大事な作品なのだ」と見る側の身が引き締まる。後年の大江氏流に言えば、「見事なソリューション」だ。

 展示室を見た後は、吉田五十八が設計したアトリエへ。なんてモダン。こちらも確かに「新しい和」。ディテールはぎりぎりまで繊細でありながら、実にゆったりしている。

ガラスの建具は戸袋に引き込んで全開放することができる
左側のグラフィックな壁は収納
館内に展示されていたアトリエでの山口蓬春のスナップ

最小限の追加で魅力を増す

 展示室からアトリエに向かう廊下の床は、大江氏が改修の際に、屋外のテラスと高さが合うように床を下げた。左手に見える腰かけ台のような部分は、元の建物のコンクリート基礎だという。金庫を挿入した展示室の外側は、青いスタッコ塗りとして、後からの付加であることを明示している。

 改修後の平面図はこちらを見てほしい。

 建物を見た後は庭を散策。3つの時代の建築が一望できる。

左が吉田五十八が増築したアトリエ

 最近、私が書いた記事(「日曜コラム洋々亭26:「リノベ圧勝、新築頑張れ」“推しケン2020”ベスト5はこれだ!」など)を読んで、私が「大胆リノベ論者」なのだと思っている方もいるかもしれないが、そうではない。私が日本のリノベーションに欠けていると思うのは「攻め」の姿勢であって、たくさん手を入れることではない。この建築は、最小限の追加で攻めの姿勢を示した木造リノベーションの傑作であると思う。30年たった今も、いや、30年たった今こそ見る価値大。山口蓬春の絵もまた今見ても新鮮だ。コロナが終息したらぜひ見に行ってみてほしい。そして願わくば、館の方には世の建築好きのために、館内の説明文にもう少し大江匡氏の説明を加えていただきたいと思うのである。(宮沢洋)

JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅」より京浜急行バス、京浜急行線「逗子・葉山駅」より同バス「海岸回り葉山行(逗12)」「海岸回り福祉文化会館行(逗11)」にて約20分「三ヶ丘(さんがおか)・神奈川県立近代美術館前」下車徒歩2分。
公式サイト http://www.hoshun.jp/

第2回はこちら→大江匡氏を偲ぶ02:京都・岡崎の「細見美術館」は大江匡“和の時代”の卒業設計?