化粧/装飾【番外編】:伊藤博之氏設計「天神町place」、最後の一筆の「装飾」が生み出した建築──山梨知彦連載「建築の誕生」06

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 前回は、建築デザインの世界ではあまり議論されてこなかった「化粧と装飾」に焦点を当て、その「化粧や装飾」こそが、実は新しい建築デザインを生み出す上で今後大きなテーマになるのではないか、との思いを書かせていただいた。そして、その反動もあるのか、今回は建築デザインの古典的なテーマの一つである「素材とかたち」について書こうと考えていた。

 しかし8月上旬、たまたまSNS上で建築家の伊藤博之さんの最新作「天神町place」の中庭の写真を見て、強く魅かれるものがあり考えが変わった。今回は「天神町placeを装飾の視点から取り上げてみたい」と思い、方針転換することにした。(写真01)

写真01 天神町place 中庭の見上げ (撮影:山梨知彦)

■好意的なコメントが続く天神町place

 竣工したプロジェクトの写真を建築家自身がSNSに投稿することは、今では当たり前のことになった。その一方で、有名建築家の作品であっても、事前にそのプロジェクトが社会的に大きな話題になっていない限り、本人以外からの投稿が続くことはあまり無い。SNSは意外に辛口のところがある。

 ところが「天神町place」では、個性的な中庭をとらえた写真に、人々の感動の声が添えられた投稿が次々と繰り返されている。さらに言えば、「人々」と書いたものの、投稿者は建築家や建築メディア系の、いうなれば建築デザインの世界では「うるさ型」(失礼)に分類される方々であり、こうした方々が積極的に好意的なコメントを投稿するという前代未聞の状況が、今、起きているのだ。 

■中庭に魅せられる

 このような状況から察するに、僕を含め多くの人々がこの作品に魅かれたことは間違いない。では、なぜ魅かれたのだろうか?

 建築を見てその写真をSNSにアップする人は多いが、「この点に感動したから写真をアップした」といったような、その建築を良いと判断した点が書き添えてあることは稀だ。ところが「天神町place」の場合は、この観点においても普通の投稿とは違いがある。SNSに投稿されたものを見ると、写真もコメントもほとんどが中庭に集中し、かつ印象や感想が明記されている。これらの中から拾い出してみると、「子宮のような中庭」、「一筆書きの馬蹄形をした平面」、「中庭を外部へ開くプロトタイプ」、「何処にレンズを向けても絵になる」、「9階分の深さ」、「隙間を抜けると別世界」、「曲面壁を利用した心地よいプランニング」、そして「今年最大の話題作」など、この建築の魅力を生み出しているものを解き明かすような多くのコメントに溢れているが、ほとんどが中庭へと通じるものである。

 SNSを見ているうちに、どうしても実物を拝見したくなり、伊藤さんに無理を言い天神町placeの見学をさせていただいた。実際に拝見し、大変感銘を受けた僕自身の感想は、以下の通りである。

 古典的でありながら日本ではあまり追及されてこなかった「中庭」という都市居住の形式と、それを囲む「曲面」の住棟に様々な手法で「ポーラス」感を与えることにより「集住における都市とのつなぎ方/閉じ方の関係」、「周辺との関係」、「都市のコンテクストから住居に至る距離感の在り方」について、大胆ながらも地に足のついた共感できる方法で追及したされた建築であると感じた。

 若干補足しておくと、
・「集住における都市とのつなぎ方/閉じ方の関係」とは、多くの人が指摘されているように、この住宅が中庭を取りつつも完全に閉じることなく都市とのつながりを残すことで、子宮を連想させるような独特な安心感や心地よさを生み出すと同時に、ファサードを奥に創り出すという「控えめでありながらも、同時に強い存在感をもつ」現代にふさわしいアイデンティティーの獲得に成功しているということである。(図01)

図01 1階平面図 (伊藤博之建築設計事務所・見学会資料より転載)

・「周辺との関係」とは、中庭を囲む住棟の奥行きが薄く(4.5m)、かつバルコニーなどにより多くの穴が穿たれているために、中庭や各住宅へのアクセス通路からは、主体であるこの建物がフレームや背景となり、そのフレーミングされた先に見える風景は客体である周辺となるという、通常我々が目にする都市景観とは主客が逆転するユニークな現象が起こり、これがまた「控えめでありながらも、同時に強い存在感をもつ」というこの建築の特徴を際立たせているということである。これと類似した関係は、街路に面する「素っ気ない」ファサードと、中庭が生み出す空間の間にも発生している。中庭まで踏み込んだ来訪者には主客の転倒が起こり、中庭で受けた驚きがこの建物のイマジナリーなファサードとして記憶に刻まれる。

・「都市のコンテクストから住宅に至る距離感の在り方」とは、各住宅への動線が中庭アクセスとなっていることから、街路から住戸に至るまでの身近なトリップの中に特徴的な中庭のシークエンスを取り入れることに成功して、都市住宅ながら街路から住宅に至るまでの間に心理的な距離感を生み出し、各住戸に独特な「奥感」とでいったものを生み出すことに成功していることを意味している。(写真02、03)

写真02 街路から中庭へのアプローチは、幅がぐっと絞られている。写真は2階レベルより撮影したもの (撮影:山梨知彦)
写真03 中庭へのアプローチ側から、中庭の奥を見る。写真は3階レベルより撮影したもの (撮影:山梨知彦)

 ちなみに、中庭に沿った曲面壁には極力間仕切り壁を設けず、同時に柱型を隠す作り付け家具を組み込むことで曲面の連続感の保持に努めようとしている平面計画などの細かな配慮も、この建築の誕生を支える上で不可欠な要素となっている。

■装飾が建築を生み出す

 しかし結局のところ、この作品をまとめ上げ、問題作へと押し上げたのは、中庭に用いられている「非流通木材」を使ったラフな打ち放し仕上げに尽きるのではなかろうか。中庭に面する化粧打ち放しコンクリートの壁であるから「化粧」と位置付けるべきかもしれないが、誤解を恐れずに言えば、前回このコラムで書いた「化粧はできるけれど、装飾は…の先へ」の中で言っている、前向きな意味での「装飾」であると確信した。伊藤さんには叱られるかもしれないが、この作品では「装飾」が重要な役割を果たしていると僕は考えている。

 中庭の仕上げは、コンパネによるベースの型枠の上にさらに非流通木材を型枠に取り付け、コンクリートを打設し脱型した、テクスチャー感が強いものになっている。非流通木材の厚みは15mmとのことであったが、材料から出た灰汁や脱型時に生じたであろう細かな欠けのようなものがうまく働き、間近で見ても存在感は十分である。(写真04)

写真04 中庭の壁の詳細。 型枠に取り付けられた非流通木材によってつくられた幅広の目地 (撮影 山梨知彦)

 しかしながら、最も支配的な印象は、中庭全体を見回した時に感じる、少々暴れた縦筋が群をなして織りなす独特の質感であろう。中庭を囲む住棟は、中庭に向けて曲面をなしている。曲面は癖が強く周辺から縁が切れて孤立しがちであるが、この中庭では、わずか15㎜のくぼみと、コンクリート打設時に木材から転写されたであろうラフな歪みや灰汁による黄ばみで、曲面壁は土のような温かみを見せ、敷地に馴染んでいる。見ようによっては樹皮のようにも見え、中庭にある多くの植物とのマッチングも良い。目地は影で可視化されるので、中庭に入る日光の変容と共に刻々とその在り様を変えていく。そして更に、曲面の表面に独特なポーラス感を生み出し、中庭を囲む壁から曲面固有の閉塞感を弱め、中庭とのインターラクションを生み出している。(写真05、06)

写真05、写真06(下) 太陽の変化により、刻々と表情を変えていく中庭 (撮影:山梨知彦)

 緻密な検討の果てに生み出された建築であることは間違いないが、この独特の「装飾」が無かったら、この建築はかなり印象が異なるものになっていたのではなかろうか。ここでは装飾が建築を生み出すことに深く関わっていることは間違いがない。

 見学時にうかがった伊藤さんの説明によれば、この中庭の仕上げは「現場段階で決めた」とのこと。おそらく設計時点から様々な方向に思いを巡らせ、土壇場まで粘った上で最後に加えた一筆だったのだろう。そうか、装飾には建築を誕生させる上での最後の重要な一手という意味もあるのかもしれない。大きな気づきであった。(写真07)

写真07 中庭の全景。 中庭の奥の地下1階レベルより、アプローチ側を見る (撮影 山梨知彦)

山梨知彦(やまなしともひこ):1960年生まれ。1984年東京藝術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院都市工学専攻課程修了、日建設計に入社。現在、チーフデザインオフィサー、常務執行役員。建築設計の実務を通して、環境建築やBIMやデジタルデザインの実践を行っているほか、木材会館などの設計を通じて、「都市建築における木材の復権」を提唱している。日本建築学会賞、グッドデザイン賞、東京建築賞などの審査員も務めている。代表作に「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「NBF大崎ビル(ソニーシティ大崎)」「三井住友銀行本店ビル」「ラゾーナ川崎東芝ビル」「桐朋学園大学調布キャンパス1号館」「On the water」「長崎県庁舎」ほか。受賞 「RIBA Award for International Excellence(桐朋学園大学調布キャンパス1号館)「Mipim Asia(木材会館)」、「日本建築大賞(ホキ美術館)」、「日本建築学会作品賞(NBF大崎ビル、桐朋学園大学調布キャンパス1号館)」、「BCS賞(飯田橋ファーストビル、ホキ美術館、木材会館、NBF大崎ビルにて受賞)」ほか。

※本連載は月に1度、掲載の予定です。これまでの記事はこちら↓。

ビジュアル制作:山梨知彦