日曜コラム洋々亭01:勝ったのはザハ?──三題噺「建築の東京」「日経アーキ5月14日号」「コロナ休業要請協力金」

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 この記事はニュースではない。休日のコーヒーブレイク的なコラムなので、内容がどうであれ「貴重な時間を返せ」と文句を言わない方だけお読みいただきたい。自分でサイトを立ち上げ、全責任を自分で負えるようになったので、実務の役に立たない日々の感想みたいなことも書いてみたくなったのだ。会社員時代の反動である。

 初回となる今回は、「三題噺(ばなし)」で展開してみたい。本来の三題噺は、落語家が客席から3つの言葉をもらい、それを織り込んでその場で話をつくるというものだ。さすがにそこまで高い技芸は持っていないので、最近気になった話題を3つ、自分で選んでつなげてみる。

保守化を加速させた「白紙撤回」

 まずは、建築史家の五十嵐太郎氏の近著『建築の東京』(みすず書房、2020年4月20日発行)から。

 五十嵐さんからは連休前に送っていただいたのだが、ようやく読み終わった。時間がかかったのは、面白くないからではなく、単に私の読書スピードと集中力の問題。これまで何度か書いているように、私は相棒の磯達雄のような読書家ではないので、私が読み切ったということは、たぶん、この本は誰もがグイグイ引き込まれて読み切ることができる。

 難しいデザイン論ではない。ざっくり言うと、「最近の東京の建築って、守りに入り過ぎていて、やばくね?」という話である。読んでいると、ああ、そうだよねと洗脳される。

 洗脳されるのは、五十嵐さんが見まくっている海外の建築や都市が引き合いに出されるからだ。それなりに建築を見まくっているとはいえ、ほぼ日本国内の自分は、すっかり「東京、やばいかも」と思ってしまった。

 それにしても五十嵐さんは特異な建築史家だ。私が建築の世界に放り込まれた1990年ごろは、建築史家というのは、現実とは隔絶した過去を語る人というイメージだった。あくまでイメージなのでそうでない人もたくさんいたのかもしれないが、この本の五十嵐氏のように、ここ10年ほどの東京の建築のことだけで、200ページ以上書くなんていう人はいなかっただろう。当たり前だが、今について書くのは勇気がいる。

 東京の建築デザイン保守化シンドローム(これはこの本を読んだ宮沢が勝手につけた)を加速させたのは、新国立競技場のザハ・ハディド案「白紙撤回」事件だったと五十嵐さんは見る。「世界各地で受け入れられたハディドのデザインを日本は拒絶した」「いまの東京はまるで『東京』を模倣する地方都市の拡大版のような状態に陥っているのではないか」などなど、そこまで言い切るかという勇気ある文言が並ぶ。

白紙撤回されたころのザハ案模写(イラスト:宮沢洋)

 槇文彦氏の呼び掛けがきっかけとなった「新国立競技場に関する要望書」(2013年11月17日)に名前を連ねたことの“後悔”をつづっているのも潔い。

 「正直、案がひっくりかえることはないと思っていたが、東京に新しく誕生する建築に対する一般の議論を広めることに意義を感じていたからである。(中略)叩かれながらも、ハディドの競技場はデザインの修正を経て完成し、やがて広く受け入れられるべきだった。したがって『インポッシブル・アーキテクチャー』展(埼玉県立美術館ほか、2019~20年)でこのプロジェクトが本来建設可能だったことを紹介したのは、せめてもの罪滅(ほろ)ぼしだと思っている」

 そして、五十嵐さんが新国立競技場白紙撤回事件とともに、痛烈に批判しているのが「首都高地下化構想」。これについては、次のお題の後で改めて触れたい。

第一特集になれなかった「リアル国立」

 2番目のお題は、日経アーキテクチュア2020年5月14日号特別リポート「国立競技場 白紙撤回から復活、設計・施工4年の軌跡」だ。

 ザハ案の白紙撤回後に、大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計者事務所共同企業体の設計・施工で昨年末に完成した国立競技場。ザハ案と区別がつきにくいので、この原稿では「リアル国立」と呼ぶことにする。この号は、施工技術や見え方・見せ方の工夫を中心に、18ページを割いてリアル国立をリポートしている。

 日経アーキテクチュアにおける「特別リポート」というのは、「第二特集」とほぼ同義である。つまり、この号は、リアル国立に18ページというボリュームを割きながらも、それを第一特集の位置付けにはしなかったのだ。

 理由は明白で、コロナで五輪が来年に伸びてしまったからだろう。とはいえ、五輪開幕前まで1年寝かしていたら、ネタが腐る。苦渋の選択に違いない。

 昨年11月までこの雑誌の編集長を務めていた私は、在任中の4年間に一度も「建築単体」の特集を組むことができなかった。1990年代には、「東京都庁舎」「関西国際空港」などが1つの建築だけで特集扱いになっており、いつかはやりたいと思っていた。リアル国立は久しぶりの一般社会を巻き込む超話題作として、昨年までは「特集間違いなしだろう」と踏んでいた。なので、この号の表紙を見た時はちょっと切なかった。

 「仮定の仮定」ではあるが、もしザハ国立が実現していたら、コロナで五輪が1年延期となった今の時期であっても、特集扱いだったのではないか。そのくらいのインパクトがザハ案にはあった。

 私はリアル国立を自分の目で見ている。昨年12月15日の竣工式の日に、撮影に同行して隅々まで見た。「安っぽい」とかいろいろ言われているが、悪くないと思う。隈さんらしい「コスパの高いデザイン」と、大成建設らしい(?)「細部まで手ぬかりのない納まり」がいい感じで融合している。

 ただ、私がリアル国立の観客席に入ったとき最初に頭に浮かんだのは、「うわっ、この空に架かるキールアーチってどんだけ!」という図像だった。

(イラスト:宮沢洋)

 ザハ国立のキールアーチのパースが頭にこびりついていて、それが瞬時に実際のスタジアム内と重なったのだ。「380mスパンのキールアーチといわれてもそれまでは想像がつかなかったのだが、リアル国立のスタンドに入ると、その迫力が生々しく想像できる。

 私だったら「リアル国立18ページ+ザハ国立再検証18ページ」で第一特集にしたかもなあ。クビを覚悟で…。タラレバを言うと、現役陣に嫌われそうではあるが。

 そんなふうに思うのは私だけかもしれず、第二特集であってもリアル国立ルポ18ページはなかなかの力作である。最後の「一般市民(206人)へのアンケート調査」も、新機軸で面白い。日経アーキテクチュアの記事はすべてデジタルで読めるので、有料ではあるがぜひこちらへ。

日本橋の「首都高地下化」の値段

 ここでいったん、五十嵐さんの『建築の東京』に戻る。

 先に触れたように、『建築の東京』では、首都高地下化構想を批判している。だいぶ前からその話はあったが、2018年7月に、日本橋の上を通る約1.2kmの首都高の地下化が本決まりになったというニュースが報じられた。高架橋の撤去や地下トンネルの掘削を含む事業費は約3200億円。五十嵐さんはこう書く。

 「あれだけ批判されたザハ・ハディドの新国立競技場案の建設費を遥かに上回るプロジェクトがあまり議論しないまま、なんとなく決定した」

 実は私も、この報道を聞いたときに全く同じことを思った。3200億円、もったいない! ザハ国立をつくればよかったじゃん、と。

 ザハ国立は、設計JV(日建設計・梓設計・日本設計・アラップ設計共同体)が当初目標にしていた建設費「1300億円」を設計途中で大きく超え、目標工事額が「2520億円」に決定した2015年7月に、白紙撤回された。リアル国立の整備費は1569億円。ザハ国立で突き進んだ場合よりも、951億円安くできたわけだ。ざっと「1000億円ダウン」である。

 私はこれまでずっと、1000億円を下げるためにザハ案を捨てるくらいなら、無駄な競技場をつくるのを2つ3つ辞めるとか、無駄な道路をつくるのを辞めた方がよかったと内心、思っていた。日本橋首都高地下化に約3200億円という報道を聞いたときも、「そんなお金があったら…」と思った。

 そして、ここで最後のお題、「コロナ休業要請協力金」に入る。

「1000億円」の重み

 そんなふうに、「1000億円ダウンのためにザハ国立を辞めたのは失敗だった」と思っている人は、建築の世界にはたくさんいるのではないか。でも、私は今回のコロナで考えを変えた。というか、「1000億円くらい」という考え方が、建設分野に染まった人間の傲慢さであったと反省した。

 それは、4月半ばに、東京都が発表したコロナ休業要請協力金の総額が「1000億円」と報道されたからである。国立競技場は国がつくったもので東京都とは関係ない。しかし、自治体のなかでも破格に予算規模の大きい東京都が、戦後最大ともいえるこの難局に、中小企業に対して絞り出せる協力金の限界が「1000億円」なのだ。

 もし今、ザハ案の設計終盤であったら、私もさすがに「1000億円オーバーくらいなら突き進め」とは思わないだろう。その懺悔(ざんげ)として、もろもろのコロナ対策にそれぞれいくらかかったのかを整理しておき、今後の自分の価値判断の参考にしようと思っている(ただし、アベノマスクはばかばかしいので除く)。

 そして、白紙撤回から5年近くたっても、こんなに語りたくなってしまうザハ国立のすごさ…。私と同じように、リアル国立の観客席で、ザハ国立のキールアーチを重ねて見てしまう人は多いと思う。来年の五輪で、海外からやって来る報道陣もしかりだろう。著書『負ける建築』で「負けて勝つ」スタイルを世にアピールした隈さんだが、本当の意味でこの勝負に勝ったのはザハかもしれない。

 そろそろ、おあとがよろしいようで…。

 仕事じゃないと、長い原稿って書けるもんだなあ(ここまで約4000字=原稿用紙10枚)。自分でも驚きました。

 あ、それと、最後になりますが、コラム名の「洋々亭」は、町の洋食屋、あるいは寄席のような気楽な雰囲気で建築や都市を語るという意味で付けました。こんな感じで時折、休日にお付き合いくださいませ。(宮沢洋)