日曜コラム洋々亭25:現代建築に「保存」という言葉はふさわしいか──葛西臨海水族園問題に思う

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 既報のとおり、現・葛西臨海水族園の「活用」を要望した陳情が東京都議会で「採択」され、それを受けて日本建築家協会(JIA)が「新設水族園の入り口としての活用」を求める提案を公表した。(詳細はこちらの記事を→葛西臨海水族園「陳情採択」受けJIAが現実路線へ、水槽にこだわらず「ゲート」に

(写真:宮沢洋、以下も)

 JIAの陳情や提案書は、水族館機能の継続にあえて言及していない。これは、水族館機能の継続要求は現実的でないとあきらめたともとれるし、そうではなく、まずは「残す」ことを都に約束させて、その後で水族館機能の一部存続(あるいは全部?)を求める“戦術”と見ることもできる。

 おそらく実際は後者なのではないかと思う。ただ、私はこの件をかなり前から取材していて、これまでの経緯を考えると、前者(水族館機能はあきらめる)に絞ってもいいのではないかと思っている。

 冷たい、あの建築の良さが分からないのか、と言われそうだが、そんなことはない。私はこの建築が大好きで、人生で何回行ったかというと、おそらく両手両足では数えきれない。

 新館をつくらないならば、濾過機を交換して今の機能を継続すべきだと私も思う。一方で、こういう議論では運営側が悪者になってしまいがちだが、現場のスタッフが日々いかに大変かも聞いている。例えば、古巣の記事(かつ有料)で恐縮だが、この記事はすごく参考になる。

「葛西臨海水族園の“舞台裏”を取材、現場はメンテナンスに疲弊」(日経クロステック2020年2月21日公開)

“新館のおまけ”になる懸念

 新館を建てるという規定路線がもはや変えられないとすると、現施設の水槽が残ったとしても、結果的に“新館のおまけ”のようになってしまうことが不憫でならない。

 駅に近い大きな新館を見終わったあと、余力のある人だけがあの名建築を足早に見て家路につく…。多くの人は、あのガラスドームを下から見上げることなく、あるいは水盤の向こうに重なる海を見ずに帰るかもしれない。

 そんなことをぼんやり考えていたので、JIAの提案書に「新水族園の入り口として」「ゲートに」というフレーズを見たとき、「おお、それはいい!」と思った。シンプルに「ゲート」に特化した形で改修した現・葛西臨海水族園、見てみたいではないか。

「保存再生」という言葉は変では?

 JIAの提案書の内容を改めて引用する。

「新水族園の入口として東京から世界につながる水と環境のゲートに」
・30余年、6000万人超に愛されてきた水族園は社会的資産と考えてください
・東京が世界に誇る環境再生の象徴として既存水族園を保存再生してください
・東京から世界の海と環境につながる入口として既存ガラスドームと空の広場をとらえ、新水族園の入口としてつないでください
・この考え方(上記)をPFI事業の与条件に加えてください
・ポストコロナ時代の、密を避けた施設とするために、既存水族園の建築躯体と新水族園の機能的な連携をはかり、余裕のある空間として永く使ってください
・2050年ゼロエミッション東京戦略の政策に併せ「海洋環境学習」拠点の機能を持たせてください

 
 提案書の内容にはほとんど賛成だが、個人的に引っかかるのは「保存再生」という言葉だ。私も前職でよく使っていたので責められそうだが、よく考えるとおかしな言葉だ。「活用再生」あるいは「改修再生」ならば分かる。でも、「保存」と「再生」は矛盾していないか。今在(あ)る状態を保ったまま再生できるならば、とっくに手を打って再生しているはずだ。文化財として税金を投入し続けて保存するのでない限り、状況を変えるには何らか手を入れることが必要。そして、その手の入れ方がドラスチックである方が再生の可能性は増す。医療だって、瀕死の患者に白湯は飲ませない。「保存治療」されたら困る。

水盤越しに光を!

 コロナ禍の今年見た建築で、印象に残った建築ベスト3のうち2つは戦後建築のリノベーションだった。いずれも改修前の建物は、どうという特徴のないビルだ。それでもこんなに変わる。

「UNIQLO TOKYO」。デザインはヘルツォーク&ド・ムーロン
「白井屋ホテル」。改修設計:藤本壮介。本筋から離れるが、写真を並べてみたら、似てるな…

 さすがに現・葛西臨海水族園にここまで手を入れることがいいのかどうかは分からない。でも、こういう写真を見ると、リノベーションによって今よりもさらに魅力的になるかも、という期待感が高まる。

 現状ではPFIの事業コンペとなる可能性が高いわけだが、谷口吉生氏の代表作ということに加え、「保存再生」という条件がついたら、誰もがびびって中途半端にしか手を入れられなくなってしまう気がする。例えば、もし大水槽をやめて(特に大水槽のろ過機の交換が困難とされている)、そのスペースを学習展示や映像ホールに変えたとしても、今の空間の魅力に勝るとはなかなか思えない。素人考えではあるが、もし大水槽を使わないならば、内部にはぜひ、自然光を入れてほしいと思っている。場所によっては水盤を通して建物内に光を入れることもできるのではないか。

 ということで、「東京が世界に誇る環境再生の象徴として既存水族園を保存再生してください」という一文から、「保存」を抜きませんか、というのが私の勝手な提案である。手を入れてよい、という方針にすることで、もしかしたら「使える水槽は今のまま生かして新館へのプロローグ的に使おう」という事業計画につながるかもしれない。もちろん、私も使える水槽は残してほしいと思っています、内心は。(宮沢洋)