そろそろ答えを分かっていただける頃かなと思い、このネタを取り上げることにした。まずは、実物の写真を。
自分で勝手につくったサンプルではない。正真正銘、イタリア『ドムス』の背表紙である。
今年2月、2冊目が発行になった段階でこんな記事を書いた(安藤忠雄イヤーのイタリア『ドムス』誌でコラボしている日本人クリエイターは誰?)。その中で、「夏ごろになったら何か分かると思うので、答えをお知らせしたい」と予告していた。
先日、7冊目が届いたので、並べて写真を撮ってみた。7冊目の7-8月号は、修復工事が進むパリ・ノートルダム寺院が表紙。SANAAのサマリテーヌ百貨店(パリ)の記事も載っている。
で、背表紙の答えは何だか分かるだろうか。見出しに出ているから分かるとは思うが、安藤忠雄氏である。描いたのは私(宮沢)だ。
ドムス100周年企画のゲスト編集長が安藤氏
はじめから説明しよう。『ドムス』は1928年に創刊され、2028年に100周年を迎える伝統ある建築雑誌。創刊したのは建築家のジオ・ポンティ(1891~1979年、代表作に「ピレリ・ビル」など)だ。
同誌は100周年を祝う企画として「10x10x10」と題し、10人の建築家が1年に10号ずつ10年間、ゲスト編集長を務めることを決め、すでに2018年からこれをスタートしている。
トップバッターとなる2018年はミケーレ・デ・ルッキ(イタリア)、2人目の2019年はヴィニー・マース(MVRDV、オランダ)、3人目の2020年はデビッド・チッパーフィールド(英国)だった。安藤氏は4人目で、アジアの建築家では初。
全10冊並べると、ゲスト編集長である安藤氏の似顔絵になる。背表紙を並べると1枚の絵になるというのは、私世代には「ドラゴンボール」の単行本を思い出させ、日本っぽい。だが、これは安藤氏のアイデアではなく、ヴィニー・マースも、 デビッド・チッパーフィールドも 「分割似顔絵」が使われていた。安藤氏は今回の話があったとき、“使い慣れた”この似顔絵を推薦してくれたようだ(昨年までのイラストのテイストとはだいぶ異なるのだが)。
「安藤さん、それ私が描いたものですよ」
“使い慣れた”となぜ私に言えるのか。いや、自信を持って繰り返し言える。安藤氏(以下はプライベートな話なので「さん」にする)はすでにこの似顔絵のハンコ↓を25年以上、「公認印」のように使っている。それも、安藤さんの依頼で描いたわけではないものを……。
こんな経緯だ。私がトークイベントで鉄板ネタにしているこのエピソードをイラスト化してみた。
あるとき、似顔ハンコが押された手紙が私のところにも送られてきた。そこで、安藤さんに取材で会ったときに、こう指摘してみた。
安藤さんは素人の私が描いたものと知って安心したのか、以後もバンバン押し続けている。海外に出す手紙にも押されているようだ。このハンコが使われ始めた1993年は安藤さんもまだ海外のプロジェクトが少なかった頃。その後は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで海外で活躍し始める。それにはこの似顔絵が一役買っているのではないかと勝手に推察している。作者自称「開運ハンコ」。
日本では、似顔絵が知らぬ間にメディアに載っていることも多い。ときには、安藤氏が設計した文化施設に、安藤氏のメッセージとともに展示されていることもある。
そして、今回の『ドムス』で、この似顔絵は大げさでなく「世界のANDOハンコ」となった。日本では作者である私の名前はうやむやのことが多いが(なんと日経新聞の「私の履歴書」でもノークレジットだった!)、『ドムス』はさすがデザインの国、イタリア。目次ページを見たらちゃんとクレジットが載っていた。
『ドムス』の100周年記念企画は、あと6年続く。日本からもう1人くらい選ばれてもおかしくはない。そのときには、選ばれた建築家の方、ぜひ宮沢の似顔絵をご推薦ください! 開運ですよ!!(宮沢洋)