日曜コラム洋々亭58:世田谷美術館の「倉俣史朗」展、家具ビギナーがくらった3つのパンチ

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 遅ればせながら、世田谷美術館で開催中の「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」を見てきた。会期は2023年11月18日(土)~2024年1月28日(日)なので、あと1週間しかない。そんな段階になってなんだが、これは必見の展覧会だ。実は筆者も複数の知人から「必見」といわれ、ようやく重い腰を上げて見に行った。もっと早く行って、このサイトで煽るべきだったと反省している。

(写真:宮沢洋)

 建築系の展覧会には、真っ先に行ってリポート書くことが自分の社会的使命だと考えている。それなのになぜすぐ行かなかったかというと、家具が得意ではないのである。「嫌い」なのではなく、良しあしがよく分からないのだ。それは以前に、この記事↓で書いた。

 
 倉俣史朗は筆者が『日経アーキテクチュア』に配属された1990年にはインテリア・家具業界でトップに君臨していた。もちろん名前は知っていた。ハウ・ハイ・ザ・ムーンやミス・ブランチも知っていた。だが当時は、ポストモダンの流れに乗ったキッチュなデザインにしか見えず、よく分からなかった。いや、そもそも「建築」も当時はよく分からなかった。その後、建築は数を見るにつれて面白さがわかるようになったが、倉俣は翌年の初めに亡くなってしまったため、自分の中で「分からない人」のまま凍結されていた。

今回、撮影可だったのは最初のこの部屋だけ。なので他の部屋はテキストから想像してください
名作「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」

 今回、見に行こうと思ったのは、知人からこの情報を聞いたから。年表の29歳のところをよく見てほしい。

 29歳 1963(昭和38)年 林昌二設計による三愛ドリームセンターが竣工。倉俣はインテリアを担当。後にインテリアの施工やアクリルの制作を手掛ける株式会社イシマルを設立する石丸隆夫に出会う。

 会場には倉俣が三愛ドリームセンターのためにデザインした什器の写真が展示されていた。そうと知っていたら、建物が解体される前に、当時の痕跡が残っていないかをもっとよく観察したのに…。不覚。

解体される前の三愛ドリームセンターのエレベーターホール

 そして、年表の少し上に目をやると、それ以上に衝撃の事実(ダウンその1)。

 23歳 1957(昭和32)年 東京の銀座4丁目の交差点の角地に株式会社三愛ビルが建設されることを知り、そのインテリアを手掛けたいと願い、三愛へ入社し宣伝課に配属される。

 そもそも三愛ドリームセンターの計画自体が、倉俣史朗という不世出な才能を生んだのだ。壊される前にそのことをガンガン書くべきだった…。

図と地を逆転させる形の強さ

 展覧会を見に行く前は、自分には分からないのでは?と思っていたのだが、そんなことは全くなかった。ハウ・ハイ・ザ・ムーンやミス・ブランチをポツポツと単体で見ていたら分からないままだったかもしれない。

ミス・ブランチは写真が撮れなかったので、ポスターで

 だが、本展は“倉俣家具のシャワー”だ。これだけの数を浴びるように見ると、おそらく大抵の人が倉俣ファンになると思う。筆者もそうで、90年当時には「ポストモダンの流れに乗ったキッチュなデザイン」と思っていたものが、倉俣の頭の中からにじみ出るようにして生まれたものだということが分かった。内側から生まれたものだから、形が強い。

 本展を見た建築史家の五十嵐太郎氏が「あんな人が同じ時代にいたらたまらない」と話していた。なるほど、そうなのか。その話を聞いたとき、主語は「インテリアデザイナー」あるいは「家具作家」なのだと思っていた。だが、会場を見て、「ああ、建築家も含まれるんだな」と思った。

 何しろ、倉俣の家具がいくつかあると、空間の主役が家具になってしまう。図と地が逆転する。それに負けない空間をどう設計すればいいのか。当時の建築家は「たまらない」と思っただろう。

 自分はデザイナーでも建築家でもなくてよかった。そう思いながら展示を見ていたのだが、倉俣のスケッチを見て2度目のダウン。

 信じられないスケッチのうまさ! おそらく、プロのイラストレーターとしても活躍できただろう(見せたいが撮影不可)。こんな絵を見てしまったら、今後、倉俣の家具の絵が描けなくなる…。

パンチその3でノックアウト

 2回目のダウンからよろよろと立ち上がったところで、再び年表をじっくり見てまた強力なパンチをくらう。これで完全KO。

 何がクリーンヒットしたかというと、倉俣の享年だ。前述のように筆者の入社した年の冬、1991年2月に倉俣は急逝した。当時、帝王みたいな風格だったので、てっきり70歳代なのだと思っていた。ところが年表を見たら56歳だった。今の自分と同じ年齢だ…。

 その歳であれだけのものを残したのか…。分野が違う人でも、強烈な刺激を得られる展覧会である。世田谷美術館では1月28日(日)までだが、その後、富山県美術館に巡回する(2月17日~4月7日)。東京で見られなかった人は、富山まで行く価値がある。(宮沢洋)