納涼・サンティアゴ・カラトラバ特集④:”世界一美しい駅“といわれるNYのオキュラス、でも日本には欲しくない理由

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 今回リポートするのは、3年前の2020年2月、ブラジルからの帰路にニューヨークに数日寄ったときに見た「オキュラス」である。2016年、ワールドトレードセンター跡地の再開発エリアにできた「ワールドトレードセンター駅」を核とする複合施設だ。

(写真:宮沢洋)

 オキュラスは「目」の意味。平面形が楕円形なので、まぶたを閉じてまつ毛が重なった状態というイメージだろうか。筆者は、内部も含めて「Flytrap(ハエトリ草)」の方がピッタリのネーミングだと思うのだが…。

 こんな感じでカラトラバワールド全開だ。前の記事で挙げた「カラトラバ五原則」(①外からも分かる構造体、②曲線、③細い線材の繰り返し、④キャンチレバー(片持ち構造)、⑤真っ白)も、見事に当てはまる。“世界一美しい駅“と報じたメディアもあった。

カラトラバ建築の「写真と同じ感」について考えてみる

 今回は、全4回の特集の最後なので、筆者がカラトラバの建築をどう見ているかを書く。まず、初回の記事の冒頭にこう書いたのを覚えていらっしゃるだろうか。

 気づいてみると、筆者(宮沢)はカラトラバの代表的な建築をけっこう見ている。この人の大ファンというわけでもないのだが、カラトラバの建築は、写真を見ると「見てみたい!」と思わせるのだ。

 BUNGA NETのいつもの記事に比べると、テンションが低い。どの建築も、見ると「すごいなあ」とは思う。だが、「ここがこんなにすごかった!」と深掘りする気が起きないのである。

 夏休みの自由研究として、その理由を考えてみた。

 最大の理由は、写真で見た印象を上回る感動がないこと。多くの建築は、写真を見てから行っても、何かしら現地で発見があるものだ。だが、カラトラバの建築は、あんなに大きいのに、現地で見ても「写真の印象のまんまだ」と感じるのである。

 なぜそう感じるのか。自由研究としては、ここが重要だと思うので、さらに踏み込んで考えてみる。これにはいくつかの要因があると思う。

 1つは部材のスケールが大きすぎて、ディテールに細やかさが感じられないこと。

 2つ目は、鉄骨でもコンクリートでも真っ白に塗装してしまっているので、表面のテクスチャーがほとんど感じられないこと。

 3つ目は意外さがないこと。「実は…」みたいなツッコミどころが少ない。

 4つ目は、形の合理性が直感できないこと。構造的に無理をしていることはすぐに分かるが、何のためにここまで?という理由が見ていても腑に落ちない。

 初回の記事で、カラトラバのことを「現代のガウディ」と呼ぶ人もいると書いたが、筆者は全然違うと思う。ガウディの建築は、無理があっても何のためにどれほどの苦労をして解決したかが伝わる。だから感動するのである。

実は「ほどほどのもの」をつくりたいのでは?

 ガウディつながりで言うと、カラトラバは「当初予定通りに完成しない」点ではガウディと通じるところがある。例えば、オキュラスは、当初予定よりも完成が10年以上遅れた。当初予算は分からないが、工事費が40億ドル(当時約4500億円)にまで膨れ上がり、大揉めになったという。初回に紹介した芸術科学都市もコストは大幅に膨れ上がり、揉めた。

 歴史に残る建築に工期遅れや予算オーバーは付きものかもしれない。ただ、「写真で見た通り」と思ってしまう建築は、果たして歴史に残るのだろうか。カラトラバの建築は海外でつくってくれれば十分。日本でそんなリスクを犯してまでカラトラバの建築をつくってほしいとは筆者は思わない。

 頼むとしても、第2回で紹介したモンジュイック・タワー程度までだろう。これは本特集で紹介した4件の中で唯一、写真で見た以上の感動があった。おそらく本人も、近年依頼される建築がスケールアウトしていることに気づいているのではないか。特に、上で紹介した「オキュラス」を見ていると、予算や工期がオーバーするのも、設計しながら「この方向で本当にいいのか」という葛藤があるからではないか、という気がしてくる(あくまで想像)。

出世作のモンジュイック・タワー。これは写真を超える感動があった

 地方都市で100mくらいのシンボル塔を建てようと考えている自治体の方は、カラトラバ先生に頼んでみるのもありかもしれない。初心に帰っていいものをつくってくれそうな気がする。(宮沢洋)

納涼・サンティアゴ・カラトラバ特集
①:ついに見た、AI画像のようなバレンシア「芸術科学都市」
②:41歳の出世作「モンジュイック・タワー」は記憶に残る儚さ
③:リオの「明日の博物館」に見る“カラトラバ五原則”の吸引力