没後3年、大江匡氏を偲ぶ04:才気がほとばしる中津市木村記念美術館「又庵(ゆうあん)」を見た

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 建築家の大江匡(ただす)氏が亡くなって3年。命日(1月31日)には間に合わなかったけれど、今まで見たことがなかった代表作の1つ、「中津市木村記念美術館」をついに見たのでリポートする。

(写真:宮沢洋)

 プランテックアソシエイツ代表取締役会長兼社長(当時)の大江匡氏が急逝したのは2020年1月31日。享年65歳。前職時代、大江氏に目をかけてもらっていた筆者(宮沢)は、1周忌のタイミングで初期の代表作の3つをリポートした。「山口蓬春記念館」(1991年)、「東京都豊島合同庁舎」(1996年)、「細見美術館」(1997年)だ。

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 中津市木村記念美術館があるのは、大分と小倉の中間あたり、中津駅から北西に10分ほど歩いた住宅街。竣工は1989年。このとき大江氏35歳。完成時の雑誌掲載名は、「木村記念館/又庵(ゆうあん)」。もともとは中津市の施設ではなく、医師である木村又郎氏が収集した絵画と茶道具を展示するための私設美術館だ。

 以下は、中津市の公式サイトに載っていた説明(太字部)。

 「中津市木村記念美術館」は、平成元年に医師:木村又郎氏によって設立された私設美術館を中津市が購入・整備した美術館で、平成22年10月に市の常設展示施設としてオープンしました。日本を代表する洋画家:中山忠彦の絵画をはじめ所蔵品の多くは中津市に寄贈されたものです。(中略)

 美術館の建物は、コンクリートの打ちっぱなしに和の素材を取り入れたデザインで、京都の「細見美術館」などを手がけた建築家:大江匡氏の設計によるものです。“和”と“洋”が調和した近代的な建物からは、ガラス越しに四季の変化を感じることができます。また、規模としては小さいながらもコンパクトにまとまった展示空間では、作品をより身近に感じていただけます。

 「コンクリートの打ちっぱなし」という表現が、建築分かっているのか?と突っ込みたくはなるが、「建築家:大江匡氏の設計による」と設計者を明記していることは評価したい。

 「“和”と“洋”が調和した近代的な建物」という表現も、引っかかる。まあ、一般的な表現としてはそうなのだと思うが、実際には、洋(モダニズム)に対して、大江流解釈の和をぶつけた、という印象だ。とにかく、どこを見てもエッジが立ちまくっている。茶道に精通した大江氏だからこそ、和をここまで大胆にアレンジできるのだ。「才気がほとばしる」というのは、こういう空間を言うのではないか。

 実は以前書いた記事の中でこの建物を、「和をアピールする主張の強さが少し鼻につく」などと書いたことを、猛烈に反省している。「鼻につく」なんていう尖り方を軽々と超えている。

 美術館の隣地には、槇文彦氏が設計した「中津市立小幡記念図書館」(1993年)がある。大きさ的にはそちらの方が10倍くらい大きく、本音を言うとそっちを期待して見に行ったのだが、軍配は圧倒的に大江匡氏だった(あくまで筆者の主観)。

隣にある「 中津市立小幡記念図書館」
美術館の2階から「 中津市立小幡記念図書館」が見える。槇氏へのリスペクト?と思ったのだが、出来たのは美術館の方が先だった

 中津市には槇氏の本領発揮といえる「風の丘葬斎場」(1997年)があって、それは間違いなく傑作。「風の丘葬斎場」と「中津市木村記念美術館」を見るだけでも、建築好きは中津市に行く価値がある。(宮沢洋)