池袋建築巡礼04:西口娯楽のシンボル「ロサ会館」、巨大なピンク外壁の理由が分かった!

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 牛歩で進めている「池袋建築巡礼」。速報系の記事も読んでほしいが、こういうじっくり踏み込んだ記事もぜひ楽しんでいただきたい。4回目の今回は、池袋西口利用者ならば誰もが知っているであろう、それでいて地元民にも詳細が分からない「ロサ会館」だ。西口のロマンス通り沿いにそびえるピンク色の総合アミューズメントビルと言えば分かるだろうか。

ロサ会館。東京都豊島区西池袋1-37-12(写真:宮沢洋、以下も)

 私は、池袋駅徒歩圏に住んで20年になるが、この建物の設計者をずっと「黒川紀章」だと思っていた。なぜなら、私よりも長くこの地に住む知人にそう聞いていたからだ。外壁に執拗に繰り返される亀甲パターン(正確には八角形)、通常はこんな大面積では使わないピンク色。黒川紀章だと言われれば、なるほどそうかと納得してしまう。

 だが、偶然手に取ったこの本(右の写真)を読んで、設計者が黒川紀章ではないことを知った。

設計・施工:清水建設、竣工:1968年

 三浦展(あつし)氏が書いたこの本『昭和「娯楽の殿堂」の時代 』(柏書房、2015年刊)は、実にすばらしい。「船橋ヘルスセンター」や「中山競馬場」など、建築関係者なら気になる大規模娯楽施設の来歴がドラマチックにまとめられている。ロサ会館も取り上げられており、かなり詳しいことが分かった。だが、「地元」かつ「建築系」の人間としては、さらに知りたいことが出てきてしまう。

 ロサ会館に取材をお願いすると、オーナー経営者である伊部季顕(いべすえあき)・ロサラーンド社長と、子息の伊部知顕(さとあき)取締役が話を聞かせてくれた。

左が伊部季顕・ロサラーンド社長、右が伊部知顕取締役。屋上のテニスコートにて。屋上テニススクールがまだ珍しかった時代に、ほとんど使われていなかった屋上をテニスコートに変えたのは季顕社長

終戦直後のシネマロサが出発点

 まずは、ざっと歴史から。現在の建物は1968年竣工だが、西口のこの地での歴史は終戦後、季顕社長の父親である伊部禧作(きさく)氏の時代に遡る。禧作氏は山之内製薬(現アステラス製薬)の重役で、母方の実家(尾形家)が池袋東口で鋳物工場を経営していた。しかし終戦後,工場は接収されてしまう。尾形家の将来を案じていた禧作氏は、映画関係に詳しい友人から「映画娯楽の商売を始めてはどうか」と薦められる。映画に可能性を感じ、尾形家などとお金を出し合って、現在のロサ会館がある場所に映画館をつくることにした。

 1946年、映画館「シネマロサ」が開業。つまり、終戦の翌年からすでに、この地には「ロサ」があったわけだ。ロサは、スペイン語でバラを意味する。

 シネマロサは大ヒットし、シネマ・リリオ、シネマ・セレサを次々と増館した。ちなみに、リリオはユリ、セレサはサクラを意味する。

 しかし、映画館事業は儲かるがゆえに新規参入が多く、60年代後半には急速に斜陽化。禧作氏らは事業形態の転換を検討し、映画館を取り込んだ総合娯楽施設を建設することにした。

 設計・施工は清水建設に依頼。鉄骨鉄筋コンクリート造、地下3階・地上8階。延べ面積約1万5000㎡。ボウリング場と映画館を核に、大小の飲食施設などで構成された建築が1968年に完成した。

 知りたかったことの1つが、「なぜ清水建設だったのか」という点。だが、これは季顕社長にもよく分からないという。「父(禧作氏)は製薬会社が本業で、そういう業界には人脈がなかった。おそらく銀行から紹介されたのではないか。どんなテナントを入れるかも含めて、清水建設にほとんどお任せだったようだ」と季顕社長は言う。季顕社長は、ロサ会館の完成当時はアパレル会社の社員で、ロサ会館の経営には関わっていなかった。

 知顕取締役が「もうこれ1つしかないんですが…」と言って、テナント誘致用のパンフレットを見せてくれた。これはディープな資料。萌える!

(2点とも資料提供:ロサラーンド)

 「ロサ会館設計上の特色(清水建設KK)」という部分に真っ先に目が行く。以下、そこからの抜粋。

 「三方を道路に囲まれるという立地条件を考え、どの方向からも建物内にスムーズに入れる様、玄関を4ケ所配置しました」。なるほど、確かにそれはいい判断だった。

 「空調設備には特に考慮を払い、室内は年間を通じ快適な状態を保つよう設計されてあります。特に建物の性質上、排気には特別の考慮をしてあります」。窓が少なく、換気が悪く見えそうなことへのアピールか。

 しかし、気になっていた「なぜ外装が亀甲パターンのプレキャストパネルなのか」「もともとは何色だったのか」の説明がない。外装についてはこんな書き方だ。

 「総合アミューズメントセンターとしてふさわしい豪華な内装と外装で作りあげました」。うーん、もっと具体的に書いてほしかった…。

当初はピンク色ではなかった

 季顕社長に「外壁の模様の理由を知っていますか?」と尋ねてみると、「父から聞いた記憶はありません。おそらく亀甲は縁起がいいから、ということなのでは」との答え。なるほど、ひとまずそういうことにしておこう。

 もう1つの「もともとは何色だったのか」については明確な答えがあった。

 その前に、私がなぜ「もともとの色がピンクではない」と思っているかを説明すると、三浦展氏の本に、このパースが載っていたからである。

(資料提供:ロサラーンド)

 少なくとも下部はピンクじゃない!

 「下の部分はゴールドっぽい色で、上の部分は薄いベージュでした。ピンク色に変えたのは私なので間違いありません」(季顕社長)。なんと、そうなのか!
 

インベーダーブーム後に外壁一新


 季顕社長がアパレルの会社を辞め、ロサ会館の経営に関わるようになったのは1980年。バブルまっただ中の1989年に、外装を今のピンク色に塗り替えたという。1978年ごろに「スペースインベーダー」ブームで1階のゲームコーナーが大繁盛(ちなみにロサ会館は大規模ゲームセンターの先駆でもある)。100円ゲーム機ブームが終息し、新たな集客のテコ入れ策の1つとして外壁を塗り替えた。「以前の外観は、オフィスビルみたいに地味で、華やかさがなかった」(季顕社長)。そう言って、改修工事前の写真を見せてくれた。

下部は確かにゴールドっぽい。上部はこの写真だと黒っぽく見えるが、「ベージュが劣化して黒くなったのか、黒く塗ったのか私には分からない」(季顕社長)とのこと(写真提供:ロサラーンド)

 では、なぜ全面ピンク色にしたのか? 「ロサは、バラだからピンクです」という答えを想像していたのだが、全く違った。

 「不動産事業の視察でカリフォルニアに行く機会があり、街に鮮やかなピンク色の建物が多いのを見て、『これだ!』と思いました」(季顕社長)

 なんとカリフォルニア! 「ピンクに淡い緑色のラインを組み合わせたのも、カリフォルニアで見た建築の影響です」(季顕社長)

 このことを知っただけでも、この取材をして良かった。

 「ゴールド+ベージュ」で21年、「ピンク」で31年。中のテナントは、時代時代で頻繁に入れ替わった。しかし、「今回のコロナ以外では一度も休んだことがない」という見事な新陳代謝ぶりだ。

当初のテナント(資料提供:ロサラーンド)
現在のテナント

 それは、建物の骨格が理にかなっていたということだろう。そして、外壁の亀甲パターンは確かに、時代を乗り越える「縁起のいいデザイン」だったのかもしれない。

住友不動産が再開発を後押し

 竣工から52年がたち、登録文化財になってもおかしくない「歴史の証人」だ。しかし、この建物を見られる時間はそう長くはない。

 この建物を含む一帯で再開発の計画が進んでいるからだ。豊島区が2018年3月に公表した「西池袋1丁目21番・37番街区地区まちづくり構想(案)」には、こんな図が載っている。

 上図の黄色く塗られた「文化・娯楽」という部分にロサ会館は位置する。

写真中央やや左にある小道のさらに左側の街区(三井住友銀行池袋支店がある一画)も一体開発される見込み

 2018年3月には西池袋1丁目地区市街地再開発準備組合が発足。敷地の大きいロサ会館はその中心的メンバーだ。地権者は意外に少なく、約20者。話し合いは順調に進んでいるという。事業協力者は住友不動産だ。

 池袋の「歴史の証人」だからこの建物を未来に残そう、とはさすがに私も思わない。「50年以上、ご苦労様!」である。しかし、目に焼き付いたピンク色の亀甲パターンがなくなるのはちょっと悲しい。

 そんなことを話していると、次代を担う知顕取締役がこう言ってくれた。「再開発で建て替わっても、あの外壁の記憶はどこかに残したい」。おお、それは楽しみ。これから設計を担当される方、忘れずにお願いします。(宮沢洋)

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