日曜コラム洋々亭08:祝!酒井一光本2冊同時発刊、本当のゴールは「売れること」

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 金曜日(2020年6月26日)、この2冊がOffice Bungaに届いた。

 『発掘 the OSAKA』と『タイル建築探訪』。なんというワクワクする装丁! これは2冊セットで欲しくなる。世に「クラウドファンディング」というものが生まれていなかったら、一方は実現しなかったかもしれないのだ。

 大阪歴史博物館の学芸員で2018年に亡くなった故・酒井一光氏の記念書籍の発刊資金を募るクラウドファンディングでは、目標額を大きく上回る出資金が集まった。開始からわずか50時間で当初目標の130万円を達成。最終金額は、目標の2倍を上回る350万5000円(支援者337人)だった。

 クラウドファンディングの経緯はこれまでにも下記の記事で報じた。

見返りもGood!“カリスマ学芸員”の遺稿をクラウドファンディングで書籍に
(2020年4月8日公開、4月10日追記)
日曜コラム洋々亭03:いよいよベスト3!「令和」建築界グッドニュース(2020年5月24日)

 両書の奥付を見ると、発行日は「2020年6月20日」となっている。酒井氏の3回忌だ。

完成した本をクラウドファンディングの出資者に送る酒井一光遺稿集刊行委員会の面々(写真提供:酒井一光遺稿集刊行委員会)

 いわゆる「書評」はこれからいろいろなメディアに出るであろう。ここでは、同じ編集に携わる人間として、出版社および編集現場の英断と努力について少し言いたい。
 

出版社の「想い」があってこそのクラファン達成

 世の中には大きく言って、3種類の本があると思う。

(1)売れそうだからつくる本
(2)売れてほしいからつくる本
(3)つくりたいからつくる本

 「本が売れない」「若い人が本を読まない」と言われる社会状況のなか、ウエートを増しているのが(1)と(3)である。

 (1)売れそうだからつくる本──出版社の偉い人や販売担当者は、「売れそう」な本を編集現場に期待する。マーケティング上、過去に売れた本の類似品を繰り返し、「本ってつまらないね」という無関心層を増やす。

 (3)つくりたいからつくる本──これは著者にお金を出してもらって、出版社としては利益確保前提でつくる。さすがにブランドを傷つけるようなものはつくらないが、基本は著者の言われるまま。「こんなのネットでも読めるじゃん」と思われ、無関心層を増やす。

 本の可能性を切り開くのは、(2)の「出版社や編集現場が売れてほしいと願ってつくる本」だ。そして、酒井氏の2冊はまさにこれだと思う。

 えっ? 出版社はクラウドファンディングの130万円で利益を確保してるから(3)でしょ? と思ったかもしれない。いやいや、本はそんな金額では到底できません。

 酒井一光遺稿集刊行委員会のメンバーである髙岡伸一氏(建築家、近畿大学准教授)が両書の「あとがきにかえて」にこう書いている。

 出版をほぼあきらめかけていた(2019年)6月、笠原(一人)さんの尽力によって、京都の青幻舎が3冊まとめての出版を引き受けてくれることになった。(中略)引き受けたとはいえ、出版社にとっては非常に大きなリスクである。専門書では慣行としてよくあることだが、青幻舎からは出版に際して相応の買取条件が提示された。

 (中略)『新タイル建築探訪』については山形(政昭)先生に計らっていただき、2020年1月、平田タイルの平田雅利相談役の尽力によって全国タイル業協会の全面的なスポンサードを得ることができた。しかし、『発掘 the OSAKA』がなかなか決まらない。

 (中略)どうやらこれは難しそうだと感じ始めた頃、クラウドファンディングをやってみようかという気になった。(ここまで髙岡伸一氏の「あとがきにかえて」から引用)

 大変だったんだなあと改めて思う。そして、これを読むと、『発掘 the OSAKA』を1冊つくるための費用は130万円なのかと想像してしまう。だが、それは全く違うので、補足したい。

出版社の「思い」があってこそのクラファン達成

 モノクロのペラペラの本ならば130万円でもできるかもしれない。だが、A5判、オールカラー、304ページでこれだけの密度(情報量・デザインとも)の本は、仮に著者印税なしという条件だったとしても、編集・デザイン制作・印刷で軽く5倍以上はかかる。さらに流通費用や販促費もかかる。

 これは想像だが、「130万円」という金額は、「この本を売りたい」「多くの人に手にとってほしい」と考えた青幻舎の人たちが、ある程度の販売収入を見込んだうえで、どうしても足りない分をリスクヘッジとして設定したものであると思う(刊行委員会のメンバーも出しているかもしれない)。最初にクラウドファンディングをやるという知らせを私が聞いたとき、一番驚いたのは、「130万円でいいの!?」という点だった。これから「クラウドファンディングで本を出そう」という人はそんな金額で1冊の本ができると勘違いしてはいけない。

 つまり、青幻舎の人たちにとっては、2冊の本が完成してよかったではなく、これらがある程度売れてはじめて「よかった!」と言えるのだ。

 でも、この2冊はたぶん売れる。建築ガイドとして実によくできている。同業者として、ちょっと悔しくさえ思う。

 アマゾンでも買えるようになったようなので、リンクを貼っておく。
『発掘 the OSAKA』
『タイル建築探訪』

 版を重ね、さらに3冊目を発刊してお祝いをするときには、ぜひ私も呼んでいただきたい。クラウドファンディングに出資しなかった罪滅ぼしとして、旅費は自己負担で労をねぎらいに行きます!(宮沢洋)

(写真提供:酒井一光遺稿集刊行委員会)

■酒井一光(さかい・かずみつ):1968年東京生まれ。東京理科大学工学部建築学科卒業、東京大学大学院建築学専攻博士課程中退。1996年に大阪市立博物館(当時)に就き、2013年に大阪歴史博物館主任学芸員となる。日本では数少ない建築を専門とする学芸員として、特に大阪の近現代建築などの調査・研究に精力的に取り組み、煉瓦やタイルなど、図面や模型だけではない、建築部材を用いた建築展示のあり方を探求した。単著に『窓から読みとく近代建築』(学芸出版社,2006)。大阪歴史博物館で担当した主な展覧会に、特別展「煉瓦のまち タイルのまち」(2006)、「民都大阪の建築力」(2011)、「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」(2014)などがある。大大阪時代の建築を中心に、大阪における近年の近現代建築に対する再評価や利活用の推進に大きく貢献した。2018年没。

■酒井一光遺稿集刊行委員会メンバー
山形政昭(大阪芸術大学名誉教授)
笠原一人(京都工芸繊維大学助教)
倉方俊輔(大阪市立大学准教授)
橋寺知子(関西大学准教授)
高岡伸一(近畿大学准教授)
栄原永遠男(大阪歴史博物館名誉館長)
澤井浩一(大阪歴史博物館)