日曜コラム洋々亭31:建築の寿命は何が決めるのか──前川國男、西沢文隆、丹下健三そして青木淳から考える

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 前々回・前回と2回にわたって帝国ホテル東京の建て替えについて書いたので、しばらくこの手の話題はいいや、と思っていた。だがその後、立て続けにその手のニュースを耳にし、これらを知らない人もいるかもしれないので、さらりと紹介しておくことにした。今回の主役は、前川國男、西沢文隆、丹下健三、青木淳である。

(写真:宮沢洋、以下も)

 1つ目の話題は「東京海上ビルディング本館」(現・東京海上日動ビル)の建て替えである。大丸有周辺ではさまざまな再開発が計画されていて、私もいろいろな噂を聞いているが、この話は全く知らなかった。調べてみると、本当に東京海上日動が発表していた(リリースはこちら)。

「建築確認不許可」をきっかけに大景観論争

 いわずと知れた前川國男の代表作にして、唯一の超高層ビルだ。1974年竣工。常に“正義の味方”的なポジションだった前川が、どちらかというと“敵役”にされながら完成に至った。世を騒がせる大景観論争があったのである。ざっくりいうとこんな流れだった。

 1966(昭和41)年、丸の内の同じ場所に本社があった東京海上火災が、既存ビルを取り壊して、前川國男設計による超高層ビルの建築確認の申請をしたところ、東京都の建築主事がこれを不許可にした。前川の当初案は地上30階・127m。
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 当時、周囲の建物は建築基準法(昭和39年以前)の高さ制限などで「百尺」(31m)で高さがそろっており、かつ皇居内を見下ろせる高さであることから賛否の議論が巻き起こる。
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 1967年、都の「不許可」に対して東京海上が、都建築審査会に不服の審査請求を提出。審査の結果、都の建築主事が負ける。
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 しかし、佐藤栄作首相が「国民感情の上からも望ましくない」とコメントするなど、その後も揉め、1970年に地上25階・99.7m(約100m)にすることで落着。

   
 1974年2月竣工。
(経緯は東京大学都市デザイン研究室のサイトを参考にした)

 正義の男、前川國男が世論を敵に回してもつくりたいと思った超高層ビルが、建築として凡庸なものであるはずがない。そのすごさを書いていると連載になってしまうので、ここでは写真だけにしておく。おそらく前川は、22世紀までは軽く持つくらいに考えて設計したのではないか。

 東京海上日動のリリースにはこうある。「2021年12月から順次移転を開始し、2022年6月までに移転先(東京都千代田区大手町二丁目6番4号常盤橋タワー)への移転を完了する予定です。東京海上日動ビル・本館は 1974 年の竣工であり、災害対応力や環境性能等を一段と強化するとともに新しい働き方にも柔軟に対応していく観点から、新館と一体での建替えを予定しております。詳細については現在検討している段階であり、具体的な計画、スケジュール等は確定しておりません」

 つまり、三菱地所が建設中の「常盤橋タワー」(東京駅前常盤橋プロジェクトの小さい方、詳細はこちら)が完成すると、東京海上日動の本社が移り、現本館は新館とともに建て替えが始まる、ということのようである。うーむ……。

西沢文隆が「庭」にこだわった「ホテルパシフィック東京」

 四題噺なので、ちょっとペースを上げていこう。2つ目の話題は、品川駅高輪口の目の前に立つ「ホテルパシフィック東京」(現・京急イーエックスホテル および品川SHINAGAWA GOOS)の建て替えだ。これは今まで何度も取り壊しの噂があったが、ついに本決まりとなった。

 坂倉建築研究所の設計で、1971年に竣工。創設者・坂倉準三(1901~69年)の後を継いだ西沢文隆(1915~86年)が中心になった。外観もすっきりしてきれいだが、当時の「新建築」を読むと、西沢が特にこだわったのは庭園と建築との関係だったようだ。庭園の研究者でもあった西沢が、がっつり力を入れた広大な庭を記憶に刻もうと思って見に行ったのだが、ホテルは3月31日に閉館となり、敷地内には入れなかった。無念……。

手前のオレンジの屋根の建物は竣工当初はなかった

 京浜急行電鉄は、跡地にトヨタ自動車との共同で新ビルを建設する。完成予想図はこちらのリリ―スを参照。予想図を見ると、現在の庭園が残る気配はない。

旧・電通本社ビルも解体開始、丹下健三は何を思う?

 3つ目は、丹下健三が設計した築地の旧・電通本社ビル(1967年竣工)。これもしばらく使われておらず、取り壊しも時間の問題と思っていたが、ついに解体工事が始まる。工事看板によると解体工事期間は2021年4月18日~22年7月31日。

 敷地内には入れないが、プレキャスト部材の使い方の面白さは外からもよく分かる。

 この建築の詳細を知ろうと、1967年ごろの「新建築」を見てみたのだが、あれ、載ってない……。建築史家の藤森照信氏が丹下氏と共同で書いた大著「丹下健三」をめくってみても、ない。

 どちらも、載っているのは、有名な「築地計画・電通第1次計画案」の模型写真だけ。「新建築」には、丹下が「築地計画」について書いた長い解説文の最後に、さらりとこう書かれている。

 「この設計は着工直前の段階で中止となり、私たちは現在第2次案で工事中であるが、この変更は、(電通の)吉田社長死去後の、電通の組織の方針と変化が反映されたものであった」。

 よっぽど悔しかったんだろうなあ。丹下が生きていたら、解体は残念なのか、ほっとしているのか、どっちなんだろう。

青木淳氏への個人的期待

 そして最後は、少し趣を変えて最新の建築へ。ちまたで話題になっている「ルイ・ヴィトン 銀座並木通り店」に、ついでに行ってみた。2021年3月20日オープン。外装設計は青木淳氏。おお、確かにすごいインパクト。

 私はネットで見て、この外装はリノベーションなのかと思っていた。2004年のリニューアル時の外装設計も青木氏のデザインだったからだ。調べてみると、建て替えだった。1981年に誕生した日本初の直営店を、約3年かけて建て替えたものだという。建築本体と外装の設計は、AS(旧・青木淳建築計画事務所)が担当。施工は清水建設が担当した。
 


 2004年のリニューアルの外装も独特だった。以前の並木通り店の外装は、ASのサイトで見ることができる。

 で、最後になぜこの話題を取り上げたのか。別に「40年で建物を壊すなんてもったいない」と言いたいわけではない。この規模の商業施設ならばやむなしなのだろう。私が注目したいのは、青木淳氏の外装のデザイン力だ。日本で商業建築の外装をデザインさせたら、ピカイチ。日本のジャン・ヌーヴェル、あるいはヘルツォーク&ド・ムーロンか。

 青木氏にはぜひ、超高層ビルの外装のリニューアルをやってほしいのである。日本でこれほど巨大ビルがあっけなく壊されるのは、リノベーションの成功例がほとんどないからだと思う。当然、超高層も外装をやり替えてはいるが、「前とイメージが変わった」「改めて行ってみたい」というものはほとんど思い浮かばない。

 これはちょっと言いすぎかもしれないが、「建築の寿命」は「元の形を守ろう」という意識が強すぎると、かえって短くなるのではないかという気がしている。「どんどん変えながら気楽に使おう」。そんな価値感の方が、結果的にはC02排出抑制につながるのではないかと、ぼんやりと思うのである。(宮沢洋)

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