磯崎新、没後1年間の記事総まとめ:「言説」だけでなく「建築」も楽しもう!

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 今日、12月28日は建築家・磯崎新の命日だ。一周忌である。昨年末に訃報を聞いてから、自分の中に眠っていた磯崎熱に火がつき、かなりの磯崎建築を見てまわった。何本かの記事も書いた。一周忌の献杯の代わりとして、以下に記事をまとめて上げておく(執筆順)。

(イラスト:宮沢洋)

イラストで見る磯崎新氏の魅力と誤解──『建築巡礼』よりマイベスト3(2022年12月30日)

 訃報を知った翌日に公開した記事。このとき、文末にこう↓書いていて、今読んでも「まさにその通り」と思う。

 「インターネットを介して何でも見た気になる時代に、実は情報先行型の磯崎建築こそ、実物を見ないと分からない建築の代表であると筆者は思うのである。合掌。」

水戸芸術館で「磯崎新 水戸芸術館を創る」展がスタート、生前語った「100年後には残らない」の真意(2023年3月1日)

 代表作である「水戸芸術館」で開催された「磯崎新―水戸芸術館を創る―」の速報。「100年後には1つも残らない」という名言の真意を、勝手に分析してみた。

日曜コラム洋々亭47:つくばセンタービルで「追悼 磯崎新」シンポジウム開催、雲の上の磯崎氏の表情は?(2023年3月26日)

 北山恒氏や石上純也氏といった錚々たるメンバーが参加したシンポジウムのまとめと、それに触発された宮沢の分析。

■青木淳氏が語った師・磯崎新の2つの顔、「水戸芸術館を創る」展で初めて明かしたあの頃(2023年5月24日)

 「青木淳さんが磯崎さんについて人前で話すのは初めて」と聞いて、水戸芸術館まで講演会を聞きに行った。磯崎事務所在籍時の話を中心にまとめた。

■日曜コラム洋々亭53:「事件」より「継続」、磯崎新がくまもとアートポリスで選択した実験の正しさ(2023年8月20日)

 この記事は、熊本の建築関係者から「よくぞ言ってくれた」とすごく褒められた。持ち上げているわけではなく、実際にそう思う。

■倉方俊輔連載「ポストモダニズムの歴史」11:黒川紀章の利休ねずみと磯崎新のモンローカーブに見る「表層」(2023年11月20日)

 これは建築史家の倉方俊輔さんが書いた原広司論(+黒川紀章論)。私が撮った「神岡町役場」(1978年、現・神岡振興事務所)の写真を使ってもらった。神岡町(岐阜県)というのは、カミオカンデがつくられるくらい山深いところで、なかなか行く機会がなく、今年の秋に初めて見に行った。非常に魅力的な建築だった↓。建物が大事にされている。

1階の庁舎スペースは図書館に変わった
モンローチェアがこんなに!

 この他にも、行きづらそうな磯崎建築をいくつか見たので、参考に写真をあげておく。

西脇市岡之山美術館(1984)
前述の青木淳氏のインタビューで、青木氏が「入所していきなり任された」と話しているのは、このガラスブロックの床
セラミックパークMINO(2002年)。あり得ないスケールのカスケード。人がいなくても絵になる!
かと思えば、単なる作業場となりそうな陶芸工房のこの美しさよ!

 この記事の冒頭に、「自分の中に眠っていた磯崎熱に火がついた」と書いた。それは磯崎建築を見て回るうちに、「建築空間が魅力的」ということを再認識したからだ。磯崎新を語るときには、「言説」が主になることが多いが、そんなことは知らずとも磯崎建築は楽しめる(多少は知っていた方がよいけれど)。

 磯崎熱はまだ冷めることはなく、2024年も続きそうだ。いずれ何かの本にまとめたいと思っている。(宮沢洋)