分離派に注目08:イラストで見る分離派メンバー「その後」─『昭和モダン建築巡礼』より

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 京都国立近代美術館で開催中の「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」が、3月7日(日)で閉幕となる。本当に残念なことに、展覧会の会期とコロナによる自粛期間がぴたりと重なってしまった。緊急事態宣言が解除された京都・大阪の人で興味のある方は、ぜひ残る会期に足をお運びいただきたい。

 「一緒に分離派建築会の展覧会を盛り上げてもらえませんか」──。展覧会の担当者である本橋仁・同館特定研究員に声を掛けていただき、共催社である朝日新聞社の協力を得て、下記の記事を発信してきた。

分離派に注目01:京都国立近代美術館で「分離派建築会100年展」開幕、驚愕の図面のうまさが発信力の源?
分離派に注目02:建築家・大西麻貴さん──堀口捨己の「紫烟荘」は学生時代からずっと好き!
分離派に注目03:建築家・大西麻貴さん──分離派の建築が「生命的」であることを今考える
分離派に注目04:小説家・津久井五月さん──分離派建築会はアート・コレクティブ的、だからエモい!
分離派に注目05:小説家・津久井五月さん──都市の未来像を提示した博覧会パビリオンにSF的想像力が表れる
分離派に注目06:モデル・女優・知花くららさん──建築展は手描き図面や模型を見るのが喜び
分離派に注目07:モデル・女優・知花くららさん──時代のうねりのなかで声を上げた人たちがいた

 自画自賛になるが、1つの展覧会にこれだけ突っ込んで記事を発信し続けた例は珍しいのではないか。インタビューに協力いただいたお三方には改めてお礼を申し上げたい。

 そして、最終回となる今回は、分離派メンバーの「戦後の活躍」を『昭和モダン建築巡礼 完全版 1945-64』のイラストの中から拾ってみたい。

これは誰の設計か分かりますか?(イラスト:宮沢洋、以下も)

戦後建築界に大きな存在感

 掲載数が多いのは山田守(1894~1966年)と堀口捨己(すてみ)(1895~1984年)で、いずれも2件。山田守は「東京都水道局長沢浄水場」(1957年)と「京都タワービル」(1964年)、堀口捨己は「八勝館 御幸の間」(1950年)と「常滑市陶芸研究所」(1961年)だ。
 

山田守「東京都水道局長沢浄水場」(1957年)。耐震改修を実施したのは2007年
個人的に山田守のデザインが大好き
山田守「京都タワービル」(1964年)の展望室
堀口捨己「八勝館 御幸の間」(1950年)
同内部
堀口捨己「常滑市陶芸研究所」(1961年)
同屋上


 山口文象(ぶんぞう)(1902~1978年)は、RIA建築総合研究所(現アール・アイ・エー)を設立した後に設計した「新制作座文化センター」(1963年)を取り上げた。

 山口文象は戦前の「黒部川第二発電所」(1936年)を『プレモダン建築巡礼(1868-1942)』で取り上げている。

 実作の数では、石本喜久治(1894年~1963年)も負けていないと思われるが、代表作といわれる「東京朝日新聞社」(1927年)と「白木屋本店」(1931年)が戦前のもので、いずれも現存していない。残念。

 それでも、『昭和モダン建築巡礼 完全版 1945-64』に掲載した建築55件のうちの約1割が元分離派メンバーというのは、かなりの存在感だ。特に堀口捨己は、同書に収録した藤森照信氏と磯達雄の対談の中で、藤森氏が「戦後建築を世界レベルに押し上げた建築家10人」の1人に挙げている。そして、昨年10月には、代表作である「八勝館 御幸の間」が、戦後建築として5番目の重要文化財となった。
日曜コラム洋々亭19:重文に戦後建築2件内定、50年代「八勝館」と「カマキン」の次は「あれ」?

 八勝館は、重要文化財になるほどの名建築なのに、竣工時以外の記事がほとんどない。『昭和モダン建築巡礼 完全版 1945-64』のリポートは貴重なので、ぜひ読んでみてほしい。

 ちなみに、京都国立近代美術館の分離派展の開幕時に、ミュージアムショップ「アールプリュ」をのぞいてみると、『昭和モダン建築巡礼 完全版 1945-64』と『プレモダン建築巡礼』が平積みされていた。素晴らしい! 今もあると思うので、同館に行く人は手にとってください!(宮沢洋)