連載「よくみる、小さな風景」01:小さな風景から定着の作法をさぐる──乾久美子+Inui Architects

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建築家の乾久美子氏は2014年、当時教べんを執っていた東京芸術大学の学生らと「小さな風景からの学び」という展覧会を開催した(@TOTOギャラリー・間)。最近になって、乾事務所のウェブサイトに「小さな風景」という名のコラムが再開されていることを知り、「ぜひBUNGA NETにも掲載を」と打診。乾氏と事務所スタッフが輪番で執筆する形での連載が実現した。初回(プロローグ)は乾氏が担当。イラストも乾画伯!!(ここまでBUNGA NET編集部)

(イラスト:乾久美子)

 ネオリアリズモの作品のひとつである「ミラノの奇蹟」という映画をみた。舞台は、日本と同じ敗戦国であるイタリアの戦後、貧しさがいたるところに残るミラノであり、家を失った人々が協働し大規模なバラックの街を作り上げていく様子が描かれている。個人的には、まさに「小さな風景」だと喜んで見ていたのだが、その後、その土地から石油が湧き上がることがわかったために、地主に立ち退きを迫られるという話へと展開していった。時に笑いを誘うファンタジー仕立てなので悲壮感はないのだが、全体的に寓話的でありいろいろと考えさせられた。

 権力者が強引に弱い人々の日常を壊し、大きな計画を遂行しようとする。現代の日本においては、映画にあるような強制的な立退きを行うことはないだろう。しかし、身の回りのあらゆるものごとを産業の中に組み込み、そこから生まれたモノやサービスを人々に消費させるための空間は、民主的な手続きを通してあまねく浸透し、私たちの生活を包囲してしまっている。つまり、私たちの日常はいつのまにか大きな計画の中に飲み込まれている。「小さな風景からの学び」はそうした時代において、いまだ残る人々の自律的な活動を記録し、考えようとするものである。

(イラスト:乾久美子)

計画された意図を軽々と乗り越えていく自由さ

 「小さな風景」とは、自分で使う場所を自分で作り上げている現場である。そこには、使うこととつくることとを当たり前のように一致させている人々が存在している。彼らは第三者に用意された空間の中で消費するだけの存在にとどまることをよしとせず、自らの生活者としての感性と身体感覚とを発揮しながら、自らが満足できる場所、日々作り続けている。市場の一角を店なのかコミュニティスペースなのかがわからない絶妙な状態で使いこなしていくことや、小さな漁港を一時的に海水浴場にしてしまうこと、盆栽や植木鉢をどんどん増殖させて路地全体を緑の小道にしてしまうことなど、その場所が計画された意図を軽々と乗り越えて使いこなしていくことからは、そこを使う人の自由さと機転が伝わってくる。

 伝わってくるのは人だけではない。そもそもそうした場所には必ず資源的なものが存在している。いかにも気持ちの良さそうな大木の木陰や清流のような自然のもの、あるいは擁壁やちょっとした建物の隙間が資源として見出される。資源とはいっても、産業的な規模で活用されるような資源というよりは、その土地に根付いた生活をしている人々こそが、日々の生活の中で見出せるようなささやかなものだ。そのような生活の中から発見される資源に対して、人は意味と構造を与え、その資源の可能性を広げる存在になる。

 多くは、手作りの様子がなんとも魅力的なものが多い。時間や知恵を動員して形作られたてきた風景は魅力にあふれ、人々を招き入れるような雰囲気がそなわっている。一つ一つは物理的な要素でしかないが、それが組み合わさり、構造がうまれ、総体として立ち上がった際に、生命感あふれる表情がうまれているからだろう。また、見逃してならないのは、資源を見出す行為や、それを使おうとする機転や配慮が、その場所に意味を与えるだけではないということだ。場所をつくる行為を通して、人々もまた成長していくようなダイナミックな関係性が構築されているように思われるのである。

 いうまでもなく、人と資源との関係は、枯渇するまで使い尽くそうとするような収奪的なものではない。むしろ、使い続けるための知恵とともにあるものだと言えるだろう。経済学者のエリノア・オストロムは、近隣のコミュニティによって使われることが、その資源をもっとも持続的に使い続けられる方法だと指摘している。そこに登場するのは、資源と、資源の周辺に定住し、自己組織化した管理運営を行う人々である。資源も人もその場に定着していることが重視される。つまり、あらゆるものを移動させようとする資本主義とはまったく異なるのだ。「小さな風景」も、ささやかながら、そうした定着に関わる実践の現場だと言える。

「定着の作法」を見つけたい

 そうした考えから、「小さな風景」のリサーチを再開するにあたっては、その場にあたりまえのように存在している資源や人を重視した。もともとあった資源、それを利用するべく要素を追加した人々の機転や配慮、さらにそれを利用する人の愛情や、さらなる要素の追加など、ちょっとしたきっかけが次の展開を用意し、それが繰り返され、その場所に豊穣な意味や機能が構築されていく。そうした、「定着の作法」とでも言えるようなものを見つけようとしている。

 時に雑草が生えてくるようにかたちづくられる「小さな風景」。そこにみられるのは小さいかもしれないけれど、それぞれが固有の世界だ。私たちは「小さな風景」の観察を通して、人と人、人ともの、ものとものなどの関係を知り、それらがネットワーク的に絡み合う姿の中に、確固たる世界が構築されていることを確認したいと思っている。私たちの興味は単純だが、終わることがない。

 事例からは、その結果として生まれた空間や活動を物理的に眺めることしかできない。しかし、小さな風景の多くにみられるユニークなものの配列からは、つくるプロセスを含めてその周りに広がる人や物のかかわりが浮かび上がってくるようなものが多く、それらをアブダクション的に推察することは、設計において求められる想像力を押し広げてくれることだろう。

 テーマのラインナップは発展途上。これから少しずつ増やしていくつもりだ。(乾久美子)

(写真:高橋健治)

乾久美子(いぬいくみこ):1969年大阪府生まれ。1992年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1996イエール大学大学院建築学部修了。1996〜2000年青木淳建築計画事務所勤務。2000乾久美子建築設計事務所設立。現・横浜国立大学都市イノベーション学府・研究室 建築都市デザインコース(Y-GSA)教授。乾建築設計事務所のウェブサイトでは「小さな風景からの学び2」や漫画も掲載中。https://www.inuiuni.com/

※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら