連載「よくみる、小さな風景」11:福祉施設の自由な毎日から考える新しい公共空間──乾久美子+Inui Architects

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建築家の乾久美子氏と事務所スタッフが輪番で執筆する本連載。第11回はスタッフの吉田真緒氏が福祉施設を観察する。福祉施設の共用部の日常は、一般的な公共空間とは違う原理でできている。でも、その自由さに公共空間の可能性を感じる──という話。最後は「八戸市美術館」(2021年開館)の「ジャイアントルーム」の話へと展開。なるほど。(ここまでBUNGA NET編集部)

 今回取り上げるテーマは「福祉の毎日」である。

 乾事務所では主に知的障害を持つ方々のための建築をいくつか手掛けてきた。そのリサーチ段階で、日中支援施設やグループホーム、入所施設など多くの福祉の現場を見学する機会を得てきた。福祉の現場には、個性豊かで魅力的な利用者の方々、支援員の方々がいる。それと同じくらい、彼らの日常が生み出す多様な居場所にもまた魅了される。

(イラスト:乾久美子)

 ユニークなものの配列などをよく観察してみると、つくる過程や、工夫、その周りに広がる人や物の関わりなど、その背景がみえてくる。そうした活動の結果によって生まれた福祉施設の小さな風景は私たちの身の回りにある一般的な公共空間とは違う原理でできている。しかし、そこから感じられる自由さにどこか可能性を感じている。
 
 このことから福祉の風景が翻って私たちの身の回りにある公共空間を考え直す手がかりにならないだろうか。小さな風景の分析から、新しい公共空間の姿を考えてみたい。

個人へ向けてつくられる小さな居場所

 日中活動の場では利用者の活動と場所とを1対1対応にするために簡易的に小さなパーテーションなどで仕切ったり、壁面を利用して活動の場がつくられたりする。それを福祉の世界では「構造化」という。

(写真:乾建築設計事務所、以下も)

 こちらの事例では壁のコーナーを使うことによってひとり分の空間が作られており、空間や場所を無駄なく使いこなしていくという精神や扉の間の空間を一人分の壁と捉える機転と配慮が感じられる。個人の居場所は、福祉施設の中で利用者と支援員によって実用的に作られていく。
 
 そして、椅子一つにしても「〇〇さんの椅子」というように一つ一つが固有なものとして、利用者の方々の特性に合わせた居場所が作られる。建築の設計では住宅のような場合を除いて、ある程度人間を抽象化して計画するため「特定の誰かのための居場所」はなかなか実現し得ないが、福祉の現場では必要に応じて足し算的につくられていく。

 福祉施設の中で個人の居場所が離散的な配置で存在していること、完全に仕切られていないため小さな居場所が連続することは福祉の小さな風景の特徴である。居場所の散らばりと連なりの関係性を、事例を観察しながら考えたい。

 こちらは隣接する居場所同士の距離が遠い例である。それぞれの壁を頼りに構造化され設えられた3つの小さな居場所たちが、各々無関係のまま同居しているようにも見えるが、右手の椅子が壁を背にして中央を向いていることに注目してみると関係しあっているようにも見える。
 
 円形のこの部屋では、壁を背にすると意識が部屋の内側に向いてしまうため明確な仕切りはないながらも互いの居場所をある程度の距離をとることで個人の居場所として成り立たせているのではないか。

 一方、こちらは隣接する居場所の距離が近い例である。3か所の窓ぎわのスペースそれぞれに小さな居場所があり、利用者の方々がそれぞれ散らばって、好きな場所で思い思いの時間を過ごす様子が想像できる。

 光や風通し、街を眺めるなど建物の中にいても外の環境を感じられるためそれぞれの居場所は隣との距離が近いながらも、個人の居場所として成り立っている。

 福祉施設には特徴が二つある。ひとつめは公共空間の中に個人の居場所があることである。
 
 南後由和は『ひとり空間の都市論』(2018)において、日本の公共空間は「みんな」へ向けられたものであるため、「ひとり」が居場所を見つけることが難しいこと、世間との過剰接続から切断するために「ひとり空間」を自ら選択していることを指摘し、そうした現状において公共空間の中にどのように「ひとり空間」を担保していくか、ひとりでいる状態を喪失せずに他者との接続をどう図るか、という問いを投げかけている。
 
 福祉施設に設けられている個人の居場所は、他者との距離感をはかりながらも支援員や他の利用者たちの気配が感じられるようにそれぞれの仕切りは緩い。そのため、離れていることとつながっていることが同時に達成されているといえるだろう。「ひとり空間」のあり方にとって「みんな」と「ひとり」どちらかの二者択一ではないという点で示唆的である。

福祉施設に見られる保留空間

 もう一つの特徴は、途中だらけの空間、使い道が保留になっている空間が随所にみられることだ。何かに使えるかもしれないからとりあえず取っておく、一旦保留にしておくというような空間の扱い方は空間的に余裕のある農家などによく見られるが福祉施設にも見られる特徴だ。

 こちらの事例では廃校となった小学校の体育館が福祉施設の倉庫として使われており、あちらこちらからもらってきた家具や家電、トイレットペーパーやマスクなどの消耗品がストックされている。かといって体育館としての使われ方がなくなっている訳ではなく、地域のクラブ活動によって使われていたりもする。余っている空間はゆったり使え、暫定的に居場所を作り続ける福祉の現場にとって都合が良い。

 このような保留空間が福祉の現場でよく使われているのには理由がありそうだ。福祉施設が作られる場所に目を向けてみる。障害者福祉の歴史は当事者の権利を獲得していくことと並走している。猪瀬浩平『分解者たち-見沼田んぼのほとりを生きる』(2019)では埼玉県の南東部という郊外で福祉農園を営む人々の活動が記されている。郊外という辺境でありながらも自分たちの活動の場所を獲得していく様子は切実さとともに自由さを感じさせる。「辺境」という性質は地方や郊外だけでなく、「使うことを投げ出された空間」「見向きもされなくなった空間」という点で廃校になった校舎などにも見出せるだろう。
  
 こうした空間は余っているがゆえにゆったりと使えるという保留空間の性質をはじめから持っており、そこに人々がある種の自由さを見出していると思われる。

小さな居場所と保留空間が組み合わさることの可能性

 では先に述べた二つの特徴が実際に公共空間になるとしたらどんな姿なのだろうか。これまで見てきた福祉施設に近い雰囲気を持つ建築に、「八戸市美術館」(2021年開館、設計:西澤徹夫・浅子佳英・森純平)が挙げられそうに感じる。

 八戸市美術館には、可動間仕切りや家具で自在に場所を作ることであらゆる活動を可能とする「ジャイアントルーム」という空間がある。この空間ではひとり作業をすることもできるし、グループで活動することもできる。

 写真はある時のジャイアントルームの様子を写したものだ。写真手前に写る、可動間仕切りの間にあるのは木製おもちゃの展示で、それとは別に窓ぎわにマットが敷かれキッズスペースが作られていたり、リラックスチェアーと本棚が置かれたりする。最近(2021年)開館した公共空間の中に、こうした個人の居場所がつくられ始めているのは非常に興味深い現象だといえるだろう。
  
 そして、そんなジャイアントルームの風景はどこか福祉施設と似ているように見えないだろうか。現代美術、現代表現を受け止めることが求められる現代美術館には表現の中立性を担保する空間が必要である。ジャイアントルームは余裕のある大きな空間と小さく丁寧な設えたちによってそれに応えている。しかし、そうした空間は、現代美術、現代表現だけに閉じられているのではなく、人々の日常にも開かれている。その結果、各々が自由に空間を使うことがその空間によって促進されているのではないだろうか。

 仮説になるが、福祉施設と八戸のジャイアントルームは、辺境性と中立性という異なる性質を持ちながらも、その空間は人々の自由さへの志向によって繋がっている。廃校の体育館のようなきちんと設えられていない空間だけでなく、美術館のような計画された空間の中でも自由に空間が使われるのはよろこばしいことであり、建築を計画する立場にとって示唆的である。人々の自由さが尊重される福祉施設の風景は、次の時代に求められる公共空間の姿に近いのかもしれない。

吉田真緒(よしだまお):1997年千葉県生まれ。2020年芝浦工業大学工学部建築工学科卒業。2023年横浜国立大学大学院Y-GSA修了。現・乾久美子建築設計事務所勤務

乾久美子(いぬいくみこ):1969年大阪府生まれ。1992年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1996年イエール大学大学院建築学部修了。1996~2000年青木淳建築計画事務所勤務。2000年乾久美子建築設計事務所設立。現・横浜国立大学都市イノベーション学府・研究室 建築都市デザインコース(Y-GSA)教授。乾建築設計事務所のウェブサイトでは「小さな風景からの学び2」や漫画も掲載中。https://www.inuiuni.com/

※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら↓。

(イラスト:乾久美子)