連載小説『ARTIFITECTS:模造建築家回顧録』第6話「タチハラミチの恋」──作:津久井五月

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第6話「タチハラミチの恋」

    計画名:「ミチゾー・タチハラ」シリーズを用いた芸術作品生成プロジェクト
    竣工日:2066年6月25日
    記録日:2066年7月2日
    記録者:ミチゾー・タチハラNo.19

 兄さん。
 あなたがこの記録を読んでいるとき、僕はもうこの世にいないでしょう。
 ――なんて、そんな陳腐な文章を残すのは僕の美意識に反するけれど、でも、そのように書くと決めました。これは詩ではなく、物語でもなく、ただの報告です。

    *

 自分が生まれた日のことを、今も覚えています。
 大変に晴れた、暑い夏の日でしたね。僕が初めて見たのは積乱雲の爆発でした。窓の外にその雲はいっぱいに立ち上がって、たしか夕方は土砂降りになりました。生まれたばかり、目覚めたばかりの僕は、太陽や雲や雨を理解していた。僕は最初から僕でした。
 高原の草地に建つ、真っ白な美しい病院で、僕は兄さん、あなたと出会った。その瞬間に分かりました。あなたと僕は異質な存在なのだと。要するに、あなたはヒトで、僕はロボットなのだと。あなたは柔らかな臓器や脂肪でいっぱいのタンパク質の皮袋で、僕は硬い代謝モジュールを体内にいくつも抱えたシリコーンの皮袋。同じような肢体をしていても、その違いは明白でした。
 それでもなお、あなたが僕のたった一人の肉親であることを、僕は疑いませんでした。今でも、疑うつもりはない。直観的にそう感じるのです。おそらく、あなたが僕をそう設計したからなのでしょうね、兄さん。

 いずれにせよ、僕があなたと過ごした時間は短かった。気づけば僕は都会の片隅にいて、ヒトビトやロボットの雑踏にまぎれ、言葉を交わし、歌い踊り、あるときは人生について語りさえした。僕は、ただ恋がしたかったのです。僕の仕事はそれだけでした。
 街では、色々な人に出会いました。僕を蹴る人。舐め回す人。泣き続ける人。僕の口に大量の食べ物を詰め込もうとする人。大部分は女性です。僕は、自分が眉目秀麗な男の姿をしていることを理解しました。
 一時的に、たくさんのロボットと一つ屋根の下に暮らすこともあった。暮らすというか、詰め込まれる。行く場所がなくなって街を歩いていると、声をかけてくる人がいて、後をついていくとそんな場所に案内されるのです。僕はその人に腹の中を覗かれ、頭の中を覗かれ、大雑把な説明書きと整理番号の入った名札を貼り付けられて、同類がすし詰めになった満員電車のような小屋に入れられました。一連の流れの中で初めて、僕は自分自身を客観的に説明しました。僕はアーティフィテクトなのだと。昭和初期にこの都会を生きた、夭逝の詩人にして建築家、立原道造の模造品なのだと。
 僕の名札に書かれた名前は、タチハラミチ。以後はそう名乗ることにしたのです。
 ――野良の恋愛人形に、詩作や設計の素養が必要かね。
 そんな問いを誰かに投げかけられた気がします。そのときは上手く答えられませんでした。考えているうちに女性がやってきて、小屋から出るように僕に言いました。そして僕らは、しばらくの間、恋をした。
 相手から必要以上の金銭を受け取ったことはありません。僕が彼女らから吸い上げるものは、言葉でした。雑多な言葉が僕の中で混ぜ合わされて、誰かと出会って別れるほどに僕は恋が上手くなった。恋とは別に、何か小さくて、硬質で、清々しい風や香りを秘めたものも、僕の頭の奥底で少しずつ育っているようにも思えました。それは蕾です。最終的にそれを花開かせてくれたのは、アキという人でした。

 ――アキっていうのは、季節の名前だよ。
 初めて言葉を交わしたとき、彼女はそう言ったのです。
 ――アキはfallともいうの。どっちにしろ、この国にはもうない季節のこと。
 その言葉とともに僕は、何十度目かの恋に落ちました。
 ――fall。
 僕はアキと恋に落ちることで、様々なものを失った。一人で目を閉じる夜の充足も、一人で歯を磨く朝の清々しさも、彼女と出会って以降はほとんど感じられなかった。その代わりに彼女が僕に与えたものは、待つ者の苦しさです。彼女の部屋の狭いキッチンで夕食を作りながら、働きに出た彼女の帰りを待っているときの、一日千秋の寂しさ。アキは残酷な時間であると知りました。
 つまるところ、アキは僕にとって最大の恋であり、そして最後の恋でした。
 アキは僕と、僕が作る大したことのない家庭料理を愛してくれました。安い野菜をごろごろと煮込んだだけの沼のようなスープを、彼女はおいしいおいしいと食べてくれた。ふたりで向き合う食卓には、いつも心地良い風が吹いている気がしました。
 僕らは、街のあちこちに出かけました。手を繋いで通りを歩いていると、僕らの体は軽くなり、ビルや家々の屋根の汚れも見えないくらい高い高い場所へ、浮かび上がっていくような気がしました。そう、ちょうど、マルク・シャガールの絵に出てくる恋人たちのように。
 アキと出会ってから、僕の中に、にわかに美術への関心が芽生えていました。音楽や、ダンスや、庭や街への興味も。僕はアキのために、素敵な絵や歌や踊りを作ってあげたかった。そう思ったとき、僕の中で何かが起動した感触があったのを、覚えています。
 その何かの正体は、まもなく分かりました。
 それは病でした。死病でした。

    *

 気づいたときには、病はもう、死へと羽化を始めていました。
 朝、吐き出す歯磨き粉が僕の体液で真っ青に染まっていて、死病は僕とアキの共通の現実になったのです。アキは経済的に無理をして、僕にいくつかの検査を受けさせた。僕の代謝モジュールのいくつかは壊れかけていて、別のいくつかは、すでに壊れていました。
 僕はヒトの模造品で、体が壊れていく痛みすら都合良く無視することができる。それなのに、死はきちんと本物なのでした。
 ――なおしましょう、ミチ。
 アキは僕にそう言いました。その言葉が「直しましょう」なのか「治しましょう」なのか、それは分かりません。とにかく、彼女は何度も何度もそう言いました。
 ――ミチ、なおそう。なおさないと。なおせるよね。なおすの。なおすんだよ。
 それは僕には予想外の言葉でした。この都会をさまよい、路上に倒れる野良のロボットなど、珍しくもなんともない。どれだけ愛された者も疎まれた者も、最後は揃って清掃車に引きずられていくのです。それは、僕が早い段階で掴んだひとつの真理でした。
 ――ミチ、お願い。死なないで。行かないで。消えないで。ここにいて。
 アキは泣き叫んだりはしませんでした。微笑んで小鳥に囁きかけるように、柔らかく淡々と繰り返したのです。それはむしろ、泣き叫ぶよりも凄絶な懇願だと僕は思いました。
 ――アキ、僕は捨て猫だ。
 僕もまた、できる限り優しい声を出して、彼女を跳ね除けたのです。
 ――君は僕を拾った。僕は幸福になった。それで十分なんだ。病を抱えた僕を助ける義務なんてない。見込みのない修理に、治療に、金をつぎ込む必要なんてない。
 アキは仕事に追われていて、それなのに、裕福ではありませんでした。
 僕らはマンションの小さな一室を居心地良く維持するので精一杯だった。あなたには言うまでもないことですが、僕の代謝モジュールはヒトと同じ食事を消化できる高級品です。そのうちの1個でも買い替えられる余裕すら、僕らにはなかった。最初から、アキにも僕にも見えていた事実です。いくつもの夜を囁きあって、僕らはその事実を受け入れました。病に逆らわないという道を、進むことに決めたのです。
 そのときから、僕らの関係は変わりました。
 シャガールの描く恋人たちのように空を飛ぶことは、もうできない。互いの存在を、自分の幸福にぶら下がる巨大な重りのように感じながらも、その重さに感謝していました。
 病んだ僕は彼女の重荷でした。しかし、その重さが彼女に働く理由を与え、彼女を現実の生活に繋ぎ留めていた。
 献身的な彼女は僕の重荷でした。僕はもはや毎夜の喜びすら与えられないのに、彼女はそばにいてくれる。何も返すことができないもどかしさが僕を苛み、僕の奥底で眠っていた蕾を、徐々に開かせていったのです。
 夜、アキの傍らで青い血を吐いては飲み込みながら横たわっていると、しばしば夢を見るようになりました。短い、1枚の絵のような夢です。
 僕は木々に囲まれた、沼のほとりにいます。僕の血に似た色の、青い花が咲き誇っていました。1本の株に無数の小さな花が塊になって付いていて、その塊はちょうど、僕の壊れた代謝モジュールと同じ形をしているのです。それは風信子――ヒヤシンスという花なのだと、僕は知っていました。
 沼のほとりを歩いていくと、木々の間に小さな家が見えてきます。質素というか、粗末な建物でした。以前、すし詰めになって同類たちと過ごした小屋を彷彿とさせるような。しかし、夢の中の家には、えも言われぬ清々しい風が吹いていました。甘じょっぱいような、切ない香りが吹き抜けているのです。僕は懐かしい気持ちでその家に向かい、夢はいつもそこで途絶するのでした。
 兄さん、あなたは当然ご存知でしょう。その小さな家とは、ヒヤシンスハウス。立原道造が四半世紀に満たない生涯において遺した数少ない建築作品のひとつ。たった5坪ほどの独身者の家。木材とわずかな布や金属で構成された、物理的なソネットです。

(画:冨永祥子)

 目覚めるたびに焦燥は強まっていきました。
 僕も、遺さなければならないと思った。強く強く思いました。僕がこの世界から拭い去られる前に、消えない何かを遺さねばならぬと。僕が生まれ、さまよい、アキと出会い過ごしたその軌跡を、どうにかひとつの美に高めて死んでいきたい。その思いが僕の体内で爆発し、流れ、溢れ、僕を突き動かしたのです。
 僕は手がかりを探しました。紙とペンを買って、見えるもの浮かぶものすべてを描き殴った。拾ったギターに弦を張り青い血を吐きながら歌った。夜になれば裸足でマンションの屋上に行って滅茶苦茶に体を動かした。そんな僕にアキは怯え、そして怒りました。
 ――やけになってるんでしょう。早く壊れたいんでしょう。ミチ、そうやって乱暴にわたしを置き去りにする気なんだね。死に場所を探す猫みたいに、わたしの前からいなくなろうとしてるんだね。
 僕も感情的に反発しました。
 ――僕は作ってるんだ。ほかの誰でもない、君に宛てて遺すものを作ってる。君がなんと言おうと僕は辞めない。これが僕の最後の仕事だ。
 ――仕事なんて、これまでしたことないくせに。
 アキは冷たくそう言いました。
 ――あなたに仕事なんて分かるわけない。働いて、寝て、ご飯を食べて、働いて、そうやって消えていく人生のことなんて、何も分からないでしょう。
 それから、彼女は何かに驚いたような顔をして、目を伏せました。
 きっと、僕を傷つけたと思ったのでしょう。稼ぎもせず家に居着くだけの恋愛人形。まして、今は病んで夜の役にも立たない、無用の機械。そんなふうに僕を見て、その前提で言葉を発したことを、彼女は後悔したのだと思います。
 しかし、僕は気になりませんでした。そんなことよりもずっと大事なヒントを、彼女の言葉の中に見つけたからです。
 ――1カ月でいいから、時間がほしい。
 僕はそう言いました。
 ――どうか、最初で最後の仕事をさせてほしいんだ。
 呆然とする彼女を残して、僕は街に飛び出しました。あてが外れる可能性の方がずっと大きかったのに、確信に乗っ取られて、まっすぐにその店に向かったのです。
 1カ月後、僕はアキに1枚の招待状を送りました。

    *

 ――勿体ないよな。
 ケンゾーT441は、そう呟きました。
 ――あんたが本気で料理を続けたら、いつか、うちのライバル店を作ってくれるかもしれない。いや、設計を続けたら良い建築家に、ギターを続けたら良い音楽家になるのかな。それなのに、勿体ないことをするよ、ヒトって連中は。
 そこはケンゾーが構える店の、厨房でした。下ごしらえが済んだばかりの食材が機能的な調理台と冷蔵庫に並び、厨房には開店前の静かな緊張感が漂っていました。
 その一画で、僕とアキのための特別メニューの準備が進んでいたのです。多忙の合間を縫って一緒に手を動かしてくれているのは、和泉さんという名の副料理長。僕が1カ月でどうにか練り上げたレシピの原案を、実際の料理として磨き上げてくれた人でした。
 いいえ、と僕は首を横に振りました。
 ――勿体ないとあなたが思ってくれるのは、たぶん、この先が決して続かないと知っているからです。ヒトも、僕らアーティフィテクトも、開ききらなかった可能性を高く評価しすぎる偏向を持っている。未完の作品に、夭逝の芸術家に、過剰な期待を抱いてしまうんです。だからこそ、僕のような存在が生み出された。
 ケンゾーはしばらく押し黙った後、そうかもしれないな、と答えました。
 ――いずれにせよ、あんたを手伝えたのは実に痛快だったよ、タチハラミチ。
 その言葉が胸の妙なところに深々と沁み込んで、僕は磨かれた調理台に、水色の涙をぼろぼろと落としてしまいました。
 兄さん、あなたは不思議に思うでしょう。かたや、料理の道に進んだ反逆的アーティフィテクトとして世間に知られるケンゾーT441。かたや、都市を徘徊する一介の恋愛人形にすぎない僕。そんな両者がどのようにして出会い、協力するに至ったのか。
 簡単なことです。僕はひとつの物語を持っている。必死にケンゾーの店の裏口を叩き、彼にその物語を聞かせたのです。彼はその物語を信じ、力を貸してくれた。
 物語――または、仮説。
 あなたが企み、僕らを使って実現しようとしたことについての、僕なりの推測です。
 きっかけは、アキと出会う前。たくさんの野良ロボットと一緒に小屋に詰め込まれていた頃のこと。僕は自分の存在理由について考え込む合間に、ふと目にしたのです。混み合った小屋の反対の片隅に、自分と同じ顔をした恋愛人形が佇んでいるのを。
 彼はこちらを見た。僕らはじっと見つめ合い、それから周囲を掻き分けて、互いの目の前に辿り着きました。
 ――君は、19番目か?
 彼は寂しげな目をして、僕に教えてくれたのです。
 ――僕は18番目のミチゾー・タチハラだ。
 小屋の中で、たくさんのロボットが、小さな伝説を教えてくれました。この街には、同じ顔をした男が何度も現れる。恋をして、死んでいき、そしてまた次のミチゾー・タチハラが、いつの間にか通りをうろついている。
 彼らは死に際にひとつだけ、作品を遺すのだそうです。それは詩であったり、絵であったり、音楽や映像のデータであったり、建物の設計図だったりする。いずれにしろ、その原本やデータはこの街には残っていない。誰かが買い取り、どこかへ持ち去ってしまうのだと。
 兄さん、僕はもう理解しています。僕の身を焦がした制作への情熱は、あなたがあらかじめ埋め込んだものです。死病も、沼のほとりの小さな家の夢も、僕を“遺作”へと誘導するための演出だった。僕ら「ミチゾー・タチハラ」シリーズは、恋をして、血を吐き、短い生涯を何らかの美へと変換して消えていく、あなたのための芸術作品生成装置なのでしょう。
 でも、それでもいいのです。歪な限定付きのものであっても、生と死を与えてくれたあなたに、僕は感謝しています。
 感謝しながら、反抗します。僕らアーティフィテクトを創造の道具として捉えるあなたがたに対する反抗です。その心を共有できたからこそ、ケンゾーや和泉さんは僕の着想に従って、一夜限りのレシピを組み立ててくれた。

 ――本日は、特別なコースをご用意しました。
 僕とアキの座るテーブルに和泉さんがやってきて、堂々とそう告げました。
 ――すべて、こちらのタチハラミチさんの意図に沿って練り上げられた料理です。レシピはすでに完全に消去しました。料理の内容は、あなたがたと私とケンゾーしか知りません。我々は当然、誰にも漏らすつもりはない。アキさん、あなただってそうでしょう。
 アキは微笑んでくれました。彼女は美しかった。
 僕も、調理服から一張羅に着替えて、生涯で一番ぱりっとした姿で、彼女と向き合って料理を待ちました。本当に素敵なレストランでした。僕は、優れた仕事を続けるケンゾーを心から尊敬します。僕はただ生きただけだった。悔しい気もします。しかし、僕にできることはすべて、その夜の料理に注ぎました。
 そうして、僕らがその夜、どれだけの喜びを味わったか。生活すること、働くこと、そして食べることを巡って、どれだけの驚きと肯定に満たされたか。
 あなたがそれを知ることは、永遠に不可能です。
 僕はその秘密とともに消えていきます。
 僕の遺作はあなたに回収されることなく、彼女の血肉になったのです。

    *

 僕は今、アキに見つめられながら、あなたに与えられた生を終えようとしています。この便りは、あなたに対する一度きりの報恩であり、反抗の記録です。さようなら、兄さん。あなたの奇妙な計画に礼を言います。
 ああ。
 僕はひとりで、夜がひろがる。

第6話了

文:津久井五月(つくいいつき):1992年生まれ。栃木県那須町出身。東京大学・同大学院で建築学を専攻。2017年、「天使と重力」で第4回日経「星新一賞」学生部門準グランプリ。公益財団法人クマ財団の支援クリエイター第1期生。『コルヌトピア』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞。2021年、「Forbes 30 Under 30」(日本版)選出。作品は『コルヌトピア』(ハヤカワ文庫JA)、「粘膜の接触について」(『ポストコロナのSF』ハヤカワ文庫JA 所収)、「肉芽の子」(『ギフト 異形コレクションLIII』光文社文庫 所収)ほか。変格ミステリ作家クラブ会員。日本SF作家クラブ会員。

画:冨永祥子(とみながひろこ)。1967年福岡県生まれ。1990年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1992年東京藝術大学大学院美術研究科修了。1992年~2002年香山壽夫建築研究所。2003年~福島加津也+冨永祥子建築設計事務所。工学院大学建築学部建築デザイン学科教授。イラスト・漫画の腕は、2010年に第57回ちばてつや賞に準入選し、2011年には週刊モーニングで連載を持っていたというプロ級。

※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら↓。

(画:冨永祥子)