吉阪隆正の旧江津市庁舎、「公共施設を断念し民間譲渡へ」という市長判断が悪くないと思える理由

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 江津市の中村中市長は2月28日、江津市の旧本庁舎(1962年竣工、設計:吉阪隆正)について、公共施設としての利用を断念し、民間譲渡を最優先とする方針を公表した。

旧江津市庁舎(写真:特記以外は宮沢洋)

 2023年1月末に有識者会議が提出した「建物を再利用する方向で検討を深めるべき」とする報告書を覆した形だ。えーっ、何のための有識者会議? そんな声が聞こえてきそうだ。だが、民間への「譲渡」という方法は、公共建築再生の新たな選択肢を示すものとして悪くないと筆者は思う。

 これまでの経緯は以下の記事をご覧いただきたい。

 知人から入手した資料によると、中村市長の2月28日の方針説明は以下のような内容であったという(太字部、旧庁舎部分のみ抜粋)。ちなみに、中村市長は2022年5月、前市長の任期満了に伴う市長選で無所属新人として初当選。元国会議員秘書で、当選時43歳は島根県内8市の市長の中で最も若かった。

 「方向性については、まずはその姿、形を残すことを前提として民間譲渡を模索してまいります。この結果に至った理由についてですが、図書館を含め公共施設として利用する計画がなく、今後の人口減少に伴う市の将来負担を鑑みますと、市が保有することは困難だと考えます。一方で、近代建築として評価が高く、長年市民に愛された市の象徴的建物を無くしてしまうのは非常に惜しいことだということは認識しています。よって、民間に譲渡して、残していきたいという判断をしました。」(ここまで市長発言)

 具体的な手続きはこれからの話になるが、この判断自体については筆者は評価したい。以前にも当サイトで書いたが、既に解体された「都城市民会館」(設計:菊竹清訓)や解体秒読みの「羽島市旧庁舎」(設計:坂倉準三)における「建物を貸してやるから民間側で耐震補強しろ」という自治体の態度に大きな疑問を感じていたからだ。

自治体所有のままでは「寄付」の強要と同じ

「羽島市旧庁舎」について書いた記事から当該部分を再掲載する(太字部)。

 羽島市の民活募集は、「耐震改修は自腹で」という条件だった。現状は耐震上危険なので、自費で改修して安全を確保してから使え、と。これは、既に解体された都城市民会館も同じだ。

 筆者はこれが当たり前になることを危惧している。この流れが正当化されると、「民間から実現性のある提案がありませんでした」と市民に説明するための免罪符となる。

 一見、民主的な流れに見えるが、このやり方は行政手続きとして奇異に感じる。建物の所有権が耐震改修後に民間に移るならば分かる。そうではなく、自治体の所有のままなのに、耐震改修を自腹でせよというのは、「耐震改修費を寄付しろ」と言っているのに等しい。

羽島市旧庁舎

 羽島市は民活募集に当たり、耐震改修費の目安を公表していた。「最も安価な『枠付鉄骨ブレース・RC壁増設』を採用した場合は5.7億円、最も高価な『免振レトロフィット工法』を採用した場合は20億円」とある。つまり、民間に「20億円寄付せよ」と言っているわけである。普通に民間1社がそんな金額を市に寄付したら、やましい関係だと議会で叩かれるだろう。(PFIでは民間が施設を建てた後に所有権を自治体に移すやり方があるが、その場合は建設の対価を民間に払うのが普通)

 羽島市の募集では、改修後の賃料が明示されていなかった。自治体の持ち物なのだから、賃料は安くても支払うべきだろう。市民の安全を確保するための工事費は自治体が負担し、そのうえで事業者から何がしかの賃料を得る。それが行政手続きとして普通ではないか。

 民間事業者に「耐震改修は自腹で」と言うのは、自治体が事業性の検討を完全放棄している証しだ。そんな「すべて丸投げ」の無責任な自治体に、資金力のある大企業が力を貸すはずがない。もし筆者が大企業の経営者だったらそう思う。

 「耐震改修は自腹で」──。もし公共施設の活用に悩んでいる自治体の職員の方がこれを読んでくれたとしたら、その発想が民主的ルールとして正しいのかを自問してほしい。

 …と、そんなことを書いたのだ。ちなみに、羽島市は民間からの提案(2団体)をスルーして、2023年12月の定例会最終日に旧本庁舎の解体工事費約4.7億円を含む予算関連議案を賛成多数で可決した。

新しい形の公共建築再生の範に

 話を江津市に戻すと、中村市長の方針表明は、まるでこの記事を読んでくれたのではないかと思える「民間譲渡」のシナリオなのである。

上の写真2点は吉阪門下生である建築家の齊藤祐子氏らが中心となって2023年11月に行われた展覧会「旧江津市庁舎の60年・吉阪隆正+U研究室展」の様子。こういうイベントに旧庁舎を貸してくれるということも、市の姿勢として好ましいと感じていた(写真:齊藤祐子)

 旧庁舎を民間に譲渡するといっても、民間側で何らかの手を入れなければ安全を確保できないから、結果、金はかかる。だが、自分の所有物に金をかけるのと、他人(自治体)の所有物に金をかけるのでは意味合いが違う。前者の方がまっとうな手続きであり、「建物を魅力的にしよう」「大事に長く使おう」というモチベーションも高まる。

 まだ議会で決まったわけでもないし、これからどういうスケジュールで民間募集するのかもはっきりしないが、急がずに余裕のあるスケジュールで募集をかけてもらいたい(筆者が現地を見た限りでは今すぐ何かをしないと危険な状態ではなかった)。複数の民間企業から手が上がり、新しい形の公共建築再生の範となるものが生まれることを期待したい。(宮沢洋)