最前線で問う伊東豊雄(前編):「伊東図面が海外流出の引き金に?」と波紋呼ぶ作品展が芝浦工業大学・豊洲で開幕

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 伊東豊雄氏は1941年6月生まれ。今年82歳。同じ年生まれの安藤忠雄氏も会うたびに思うのだが、建築家というのは本当にうらやましい仕事だと思う。80歳を超えて現役。というだけでも驚くのに、中堅、若手を含めても「最前線」なのだ。改めてそう感じた伊東氏の話題を2つ、前後編でリポートする。1つ目は芝浦工業大学豊洲キャンパスの有元史郎記念校友会館交流プラザで9月28日から始まった「伊東豊雄の挑戦 1971-1986」展だ。

伊東豊雄氏。後ろは出世作である「中野本町の家」(1976年)の図面(写真:宮沢洋、以下も)
会場の芝浦工業大学豊洲キャンパス・有元史郎記念校友会館交流プラザ。伊東展は入場無料。10月29日まで。

 以下は公式サイトに載っている伊東氏の言葉だ(太字部)。

私は1971年に30歳で独立し、小さなアトリエを設立しました。
1970年の大阪万博を境に、70年代の日本社会は60年代の経済成長から一転、右肩下がりの内向的な時代を迎えました。

そんな70年代に設計を始めた私は、スタッフ2~3名と小さな住宅の設計に向き合うほか仕事はなく、
外に飲みに行く金銭的余裕すらない苦難の時代を過ごしていました。
当時トレーシングペーパーに手で描いたスケッチや図面には、私の全エネルギーを注いだ建築への情熱が込められています。

このたび私はその時代のスケッチや図面・模型等のほとんどすべてをカナダのCCA(Canadian Centre for Architecture)に寄贈することにしました。
CCAはモントリオールを拠点とする世界でも有数の建築ミュージアム及びリサーチセンターです。

今回芝浦工業大学の御厚意により、これらの図面等をCCAに送る前に同大学で展示させていただくことになりました。
この機会に皆様にぜひ御覧頂きたく御案内申し上げる次第です。
──伊東豊雄

きっかけは師・菊竹清訓の寄贈図面の検討

 特に重要なのは、文章の最後の方、「その時代のスケッチや図面・模型等のほとんどすべてをカナダのCCA(Canadian Centre for Architecture)に寄贈することにしました」という部分だ。

 この話題は、一部の建築関係者の間では大きな危機感を持って受け止められていた。「伊東氏の図面がCCAに寄贈されたことで、いよいよ図面の海外流出が本格化するのではないか」と。

 東京・湯島の「文化庁国立近現代建築資料館」は、貴重な建築図面が海外に流出することを危惧していた建築史家の鈴木博之氏(1945~2014年)が中心となって創設された、ということは以前にも書いた(以下の記事)。

日曜コラム洋々亭52:国立近現代建築資料館「10周年展」に重ね見る故・鈴木博之氏の想いと建築資料の未来

 そんな公的な受け入れ先ができても、そこへの寄贈は難しかったのか…。CCAへの寄贈の真意について会場で伊東氏に聞くことができたので、要点をまとめておく。

・図面の寄贈先について考えるようになったのは、文化庁国立近現代建築資料館に寄贈された菊竹清訓氏(伊東氏の師匠)の扱いを検討するメンバーになったのがきっかけ。同館に寄贈できるものの範囲や資料の管理・データ化の状況について知ると、すべてを寄贈するのはかなり難しいと感じた。(つまり予算が厳しい)

・以前に、ポンピドゥーセンターやMOMAにもいくつかの資料を寄贈したことがあるが、日本で展示したいときのやりとりが相当大変だった。公の施設は、いったん渡してしまうとハードルが高い。

・そんなことを考えるているときに、CCA(カナダ建築センター)から打診があった。CCAは国ではなく民間の組織。管理やデータ化がしっかりしている。日本で展示するときにも出しやすい。

・1980年代以降の図面類も、まだ契約はしていないものの、CCAに寄贈する方向で話をしている。

 CCAって民間の組織だったのか…。もう1つ、伊東氏に教えてもらったのだが、CCAは「シーグラムビル」をつくったオーナー家の財団(ブロンフマン財閥)が創設したものだという。へーっ、大もとはウイスキーなのか(シーグラムは世界最大クラスの酒類メーカー)。

普通の人なら「こっそり寄贈」するはず…

 話を戻す。なぜこの話題が「最前線」かというと、伊東氏はこの話題を広く世に問おうとしているのである。「日本を見捨てるのか」と言われそうなことを、普通の人ならわざわざ大ごとにしないだろう。カナダに送る前のタイミングで図面類を広く見てもらうことで(入場無料!)、多くの人に考えるきっかけにしてもらおうとしているのである。国の予算や大企業の関心がそんなことでいいんですか、と。今も建築界を引っ張る自負があるからこその行動だ。

会場風景。以下も

 「図面がカナダに行っても日本で展示はしやすい」と伊東氏は言うが、移送コストを考えれば多くの場合、データ出力の展示になるだろう。特に、会場中央にある「中野本町の家」の「本物の図面」は本展で目に焼き付けておきたい。(宮沢洋)

中野本町の家の「5」から「6」への変化が以後の人生を大きく変えた、と伊東氏が話していた。その変化は会場でご覧ください
独立第一作の「URBOT-001 アルミの家」。「自分の頭の中にはこの形がずっと頭の中にあって、それがぎふメディアコスモスなどにもつながっている」と伊東氏。なるほど確かに
倉方俊輔さんが本サイトの連載「ポストモダニズムの歴史」で熱く論考していた「笠間の家」(1981年)
展示されているのは寄贈される図面だけではない。右後ろに見えるのは、リアル「包(パオ)」!
写真で見るだけだったインスタレーションを体験できるとは…。1980年代の気分がよみがえる。「東京遊牧少女の包(パオ)」(1985年)

■「伊東豊雄の挑戦 1971-1986」展
日時:2023年9月28日(木)~10月29日(日) 10:00~17:00(土日・祝日も開催)※10月26日の観覧は15:00まで。
場所:芝浦工業大学 豊洲キャンパス 有元史郎記念校友会館交流プラザ
入場料:無料
主催:芝浦工業大学建築学部
共催:伊東豊雄建築設計事務所
協力:株式会社 YAMAGIWA

後援:江東区、一般社団法人日本建築学会、一般社団法人東京建築士会、公益社団法人日本建築家協会、株式会社日刊工業新聞社、株式会社日刊建設通信新聞社、株式会社日刊建設工業新聞社、株式会社新建築社、日経クロステック/日経アーキテクチュア、芝浦工業大学校友会
公式サイト:https://www.shibaura-it.ac.jp/headline/detail_event/20230710-0801-001_1.html