建築の愛し方12:象設計集団「御前湯」から始まった“建築打率10割”の自己分析──竹田市の首藤勝次市長(後編)

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 孤軍奮闘で九州一の“建築天国”をつくり上げ、間もなく市長職を退任する大分県竹田市・首藤勝次市長の後編である。前編は、その“天国ぶり”のリポートで終わってしまった。

建築の愛し方11:わずか15年で九州一の“建築天国”をつくり上げた仕掛け人──大分県竹田市の首藤勝次市長

 本当に読んでほしいのは今回のインタビューである。話の皮切りは、前編には登場していないこの建物(↓)だ。長湯温泉に1998年に完成した「御前(ごぜん)湯」。設計は象設計集団だ。

まるでジブリのアニメのようなロケーションと外観(写真:宮沢洋、以下も)

 まずは、首藤市長のプロフィルをざっと知っていただいた方がインタビューを面白く読めると思う。

首藤勝次(しゅとう かつじ)
1953年生まれ。大分県直入町(現在は竹田市と統合)にある長湯温泉の老舗「大丸旅館」4代目経営者の長男として生まれる。大分舞鶴高校から京都同志社大学工学部へ進学。
1976年、父親の死去に伴い帰省、直入町役場に就職。以来、総務課で企画・広報・国際交流・文化振興等を兼務。広報マンとして、10年連続コンクール入選(特選2回)を果たし、1990年全国表彰。
1992年から経済課に移籍し、商工観光に加え、引き続き国際交流、文化振興等を兼務。ドイツとの国際交流、経済交流をはじめ、国際シンポジウムなども仕掛ける。
1994年に直入町は自治省のリーディングプロジェクト事業の指定を受け、飲泉場など個性的なハード整備を推進。
1998年(45歳)、直入町職員時代の集大成とも言うべき温泉療養文化館「御前湯」が完成し、初代館長に就任。

 ……と、ドラマになりそうなプロフィルが続くのだが、ここでインタビューに入ろう。

──「建築」との関わりはどのように始まったのですか。

 私は(長湯温泉の)温泉宿に生まれたんですけれど、家が大正6年に創業した宿なんですね。大正建築が残っているような宿だったら良かったのですが、そういう感じではなかった。「時を味方につける」ような建物がこの宿にあったらいいのに、という思いが子どもの頃からありました。

──古い建物が全く残っていなかったのですか。

 残ってはいたんですけれども、外壁をモルタルで塗るのがおしゃれじゃないか、みたいな時代だったんですよ。多感な歳の頃に、古い建物をモルタルでイメージチェンジしてしまうのを見て、私にはすごく安易なことをやっているように思えました。もっとうまく手を入れることができないのかなあと。中学の頃でしたね。

──ずいぶん大人びた感覚の中学生ですね。

 古い宿なので、家の中に古い掛け軸とか絵画とかが残っていました。そんな空間に生まれ育ったからでしょうか。古くなるほどに味わいが出る空間に、小さい頃から憧れがあったんです。

──政治の道に入られる前は、直入(なおいり)町役場の職員でしたね。

 22歳の頃に直入町に帰って役場に勤めました。別府は伸びていくけれど、長湯は小さい。湯布院もまだ小さかった。そういう時代に、これからは「個性のある温泉地」を築いていかなくてはいけない、という思いがあったんです。


 私は長湯の誇るべきものとして、炭酸泉があると考えていました。世界にも誇れるものだと。でも、それを世界に誇るには、それにふさわしい建物が必要であろうと。「温泉」と「建築」という2つの考えがそこで合流したんです。


 昭和から平成に変わる頃に、「ふるさと創生」の追い風がありました。私もドイツのバーデン・バーデンやチェコのカルロヴィ・ヴァリなどの温泉地を見に行き、特にカルロヴィ・ヴァリでは、古い建物を大事にしていることに感銘を受けました。貧しくても建物を大事にする、すごい哲学を持っている。

 その頃、(日本の)公共建築っていうのは、入札をして安い人に建ててもらうということしか発想のない時代でした。そんなやり方では、30年40年持つのが精いっぱい。こんなふうに200年300年大事にするような建物はつくれないな、と。「つくるなら中途半端な建物をつくっては駄目だ」という意識を強く持つようになりました。

──そういう意識で、「御前湯」(1998年、上の写真)の建設に取り組まれたのですね。そもそも首藤さんはどういう立場だったのですか?

 直入町は当時、人口3000人くらいで、役場の職員は60人くらいでした。御前湯は総額5億円くらいのプロジェクトで、そのうち約1億円は平松(守彦)大分県知事(当時)に出していただきました。これは世界に通じるから応援してやれ、と。私はその事業の中心になっていて、象設計集団の富田玲子さんと、木を多用した建物にしようとか、メンテナンスがうまくできる仕掛けとか、いろいろ話をして建てました。

 富田さんは知人に紹介してもらいました。今でも忘れませんが、富田さんはあの敷地に立ったときに、「首藤さん、ここに降り注いでくる光と風のさわやかさは一流ですね」とおっしゃった。そのとき、ああ、この人に絶対にお願いしようと思いました。

 富田さんはこんなことも言っていました。「この建物は30年たった頃に、『味わいが出きたね』と言われるような建物にしましょうね」と。その通りだと思いました。まだ完成して20数年ですが、私が公共建築を計画するときの指針になっている言葉です。
 

秋野不矩美術館を見て藤森氏にほれ込む

 ここで再び首藤市長のプロフィルに戻る。

2001年3月に直入町役場を退職(47歳)。4月に大丸旅館の社長に就任すると同時に、ドイツをはじめ、大分、福岡、東京に私設事務所を開設。
2002年、大分県議会議員に当選。NHK大分放送局ニュースコメンテーターに。
2004年、国土交通省第5回「観光カリスマ」に選定される。
大分県議会議員を3期務めた後、2009年4月に竹田市長に初当選。3期務める。
2021年4月の市長選には出馬せず、退任の予定。

──御前湯ができてしばらく後、役場を辞めて旅館を継ぎ、県議会議員にもなりますね。御前湯の次に関わった建築は「ラムネ温泉」(2005年)でしょうか。

 はい。静岡に講演に行ったときに、知人から「見た方がいい建物がある」と言われて見に行ったのが、藤森照信さんが設計した秋野不矩美術館(浜松市、1998年)でした。実はそのときもう1つ、安藤忠雄さんの建築も案内してもらいました。ああ、なるほどねえと思いました。その後に秋野不矩美術館を案内してもらって、あの坂道をずっと上っていって、あの建物が見えたとき、「すごい」「懐かしい」「温かい」と、いっぺんでほれ込んでしまった(笑)。

 赤瀬川原平さんが知り合いだったので、「ラムネ温泉を検討しているんだけれど、藤森さんを紹介してもらいたい」と頼んだら、すぐに取り次いでくれた。家内と一緒に、東大の藤森さんの研究室にお願いに行きました。藤森さんは、当時、掘っ立て小屋みたいだった温泉に入りに来てくれて、「首藤さん、おれやるよ」と。

 そのときのテーマは「茶室風呂」でした。狭い空間の良さを出してほしいと。

 あんな小さい施設なのに、年間9万人くらい来るんですよ。御前湯は14万人くらい。今はこういう状況なので減ってはいますが。

“打率10割”の理由は?

──市長になられて、ここ5年ほどの間に「竹田市立図書館」(2017年)、「グランツたけた」(2018年)、「クアパーク長湯」(2019年)、「竹田市城下町交流プラザ」、「竹田市歴史文化館・由学館」(いずれも2021年)と、立て続けに話題の建築が完成しています。コンペで設計者を決めたものがほとんどですね。

 御前湯を富田玲子さん(象設計集団)にお願いした時代には、コンペというやり方を取らなくても、役所の事務的な手続き、見積もりを取るような作業でなんとかお願いすることはできました。そもそも温泉に詳しい建築家はそんなにいませんから。 

 最近のものはコンペですね。

「竹田市立図書館」(2017年、設計:塩塚隆生アトリエ)
竹田市立図書館の館内
「グランツたけた」(2018年、設計:香山壽夫建築研究所)
グランツたけたの音楽ホール
「クアパーク長湯」(2019年、設計:坂茂建築設計)
クアパーク長湯の宿泊棟
「竹田市城下町交流プラザ」(2019年、設計:隈研吾建築都市設計事務所)
「竹田市歴史文化館・由学館」(2021年、設計:隈研吾建築都市設計事務所)
竹田市歴史文化館・由学館のアプローチ

──「建築空間の質」という点でいうと、首藤さんが関わられた施設には、1つも失敗がないように思います。なぜそうできたと自己分析されますか。

 富田さんや藤森さんの例が象徴的ですが、信頼できる人に紹介してもらうということが一番だと思いますね。そういう世界に詳しくて感度の高い人たちに意見を聞き、それを総合して設計者を選ぶ。何人もの話の中から総合力を見極めることが重要です。コンペもそういうやり方の1つだと思います。安さを競う入札では、長く残るものをつくるのは難しい。

──首藤さんは相当建築に詳しいと思いますが、設計者が決まった後は細かいことは言わないタイプですか。

 その通りですね。総合力で判断して上がってきた人ですから、町のことをみんな頭に入れたうえで、空間はどうあるべきかを判断できる人なんです。もちろん、絶対にこれは駄目という部分は先に言いますよ。例えば、温泉のメンテナンスに何が重要かとか。でも、空間をどうするとかはプロにお任せすべきことだと思っています。

──今日は有意義なお話をありがとうございました。そして、市長職12年間お疲れさまでした。これからはどうされるのですか。

 国民保養温泉地協議会の会長として全国のお世話をさせていただいているので、こういうコロナの状況ですから、今こそ温泉地がどうあるべきか、温泉とスポーツを使った国民の健康づくりを考えていきたいと思っています。それと、これまでのドラマをちょっとまとめなければいかんなと思っているところです。

──本を書くんですね。楽しみにしています!

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