内藤廣連載「赤鬼・青鬼の建築真相究明」第4回:残る建築、メタボリズム、乾燥なめくじ──[マジで建築論パート3]

そうか、吉阪隆正先生は美人に弱かったのか…。えっ、そこじゃない? あまりに広範な内容なので、どこを拾っていいのやら…。赤鬼、青鬼、巨匠の先生方、今回も思う存分お願いします!(ここまでBUNGA NET編集部)

今回、後半で登場する菊竹清訓氏と内藤廣氏。2009年3月。内藤氏の講演会の控室にて(提供:内藤廣建築設計事務所)

もう一回、延長お願いしまーす。

[赤] やっぱり延長戦じゃ収まりきらなかったな。

[青] っていうわけで パート3、ってことになった。

[赤] いろいろ建築を論じてるけど、所詮は無常だね。

[青] いきなりどうしたんだ。一人で黄昏れてるなんてオマエらしくないぞ。自己主張がオマエのいいとこなんだから。

[赤] でも、いいかげん歳なんだから疲れてきたんだよ。

[青] まあオレも同じだけどね。あれこれ都市計画に関わりすぎたかな。ありゃ基本的には匿名性の世界だからな。ひたすら青い世界。消耗戦だから疲れる。

[赤] でもそればかりでやっちゃうと街が死んじゃうんだけどね、オレもだけど。やっぱり街は生き物なんだからさ。リッパで整理された街ができて、街が滅びる、ってことだってあるんだから。

[青] だから青ばっかりじゃなくて赤も必要だってことくらい分ってるよ。

[赤] 都市のアレコレをやってると、どんなにオリジナリティを提供しても、巨大な団体戦を戦っているみたいで、関わった人の名前なんてどんどん忘れられていくんだよね。

[青] それはそれで美しい話なんだけどね。「私」を殺して「公」に殉じる、ってとこもあるからね。無私の精神。わるくない、でも時々疲れる。

[赤] 石川栄耀(いしかわひであき)なんて、やったこともすごいけど、人としても素晴らしい。生き方に物語がある。彼みたいに名前が残るのは例外的な存在だなー。

※石川栄耀(1893年9月7日 – 1955年9月25日)は日本の都市計画家。都市における盛り場研究の第一人者で新宿歌舞伎町の生みの親および命名者。〔ウィキペディアから引用〕

[青] 鉄道や道路やダム、土木だとさらに巨大になって匿名性が徹底していくよね。

[赤] 八田與一(はったよいち)や青山士(あおやまあきら)なんて世の中の人はまるで知らないもんねー。

※八田與一(1886年2月21日 – 1942年5月8日)は日本の水利技術者。
※青山士(1878年9月23日 – 1963年3月21日)は日本の土木技師、内務官僚。〔いずれもウィキペディアから引用

[青] 全然知らないだろうな。たぶん太田圓三(おおたえんぞう)も知らないんだろうね。

※太田圓三 (1881年3月10日 – 1926年3月21日)は明治・大正期の土木技術者・鉄道技師。〔ウィキペディアから引用

[赤] 籍を置いたことがあるから言うわけじゃないんだけど、土木の経世済民と他者救済の精神、知っておいてほしいなー。

[青] 建築はこれとは真逆だね。自己表現と自己救済がみんなの関心ごとなんだから。

[赤] これも行き過ぎだと思うけどね。みんながスターを目指すなんて異様だよ。

「諸名無常」

[青] 字が間違ってる。諸行無常なんじゃないの。

[赤] これでいいのだ !!!

[青] いろんな建築家に会ってきたけど、人の名前なんて、あっという間に消えていく、っていうのを感じる今日この頃だな。

[赤] 山口文象、吉阪隆正、菊竹清訓、西澤文隆、髙橋靗一、宮脇檀、黒沢隆、林昌二、池田武邦、フェルナンド・イゲーラス、磯崎新、黒川紀章、宮本忠長、本間利雄、倉森治。ときたま頭の中で亡霊で出てくるけど、だいたい怒ってる。

[青] 大先輩方、みなさんお世話になりました。

[赤] 石元泰博、川添登、長谷川堯、馬場璋造、二川幸夫、平良敬一、宮内嘉久。

[青] いろいろ教えていただきました。でも、一世を風靡したりあれだけ大きな仕事をした人たちでも、世代が変われば忘れられていくんだね。

[赤] まあ、オレたちも消えていくんだけどね。

[青] まだ、消えるに値するほどの現れ方もしていないんだから、エラソーに言ったらまた怒られるぞ。

[赤] そうだね。

[青] でも、名前は消えて、建物が残って、それでいいんだよ。そういうほうがサバサバしていていいんじゃないの。

[赤] でも、一生懸命やったんだから、名前が消えてもなんとなく懐かしがられるくらいの建物が残せるといいんだけどなー。

[青] ま、人それぞれだから、やれることやるしかないね。

[赤] 頑張りますか。どうせ時代なんか当てにならないんだから、持ち場で全力投球するしかない。

[吉阪隆正] それでいいのだ !!!

[青] タレントばりの有名建築家も、才気煥発の建築家も、いなくなって十年もすれば誰も知らない、なんてこともザラにあるからな。黒川紀章さんだって、いまの若い連中は知らないんじゃないの。

[黒川紀章] 俺の名前を知らない奴なんているはずない !!!

[青] 残念ながら。今の学生に黒川紀章って言っても、かなり知りませんよー。

[黒川] ただ不勉強なだけなんじゃないの !!!

[赤] このあいだ学生と雑談してたんだけど、黒川さんの話をしようとしたら、困ったような顔して、聞いたことあるかも、建築家ですよね、って聞いてきた。ちょっと驚いたけど。建築学科の学生ですよー。

[黒川]『ホモ・モーベンス』とか『行動建築論』くらいは読んでるだろう。

[青] いやー、どうでしょう。図書館にはギリギリあるかもしれないけど。

[赤] でも、あの頃は勢いがありましたねー。テレビにも頻繁に出てタレント並みの露出でしたからね。

[黒川] そうそう、顔を売ることが営業にもなるしね。スタッフにメシも食わせなきゃならないからたいへんだったんだよ。

[青] 裏側の事情、お察しします。

[黒川] 人生の最後には都知事選に出たり、設計した六本木の国立新美術館で派手な展覧会をやったんだけどなー。紋付袴着て日本刀持って、かなりのサービス精神でコスプレまでやったんだけどな。

[青] あれはやりすぎです。赤鬼丸出しは共感を呼びません。

[赤] まあ、黒川さんが相手にしていた世の中なんて、そんなもんなんですよ。人の心は当てにならない。

[青] 時間は残酷だね。それでも人の心に残っていく建物はあるからね。

[赤] できるだけたくさんの人に愛される、ってとこが残るための最低限の資格かな。それも時代を越えて愛される、ってとこが大切。

[青] 建物の耐久性ってよく言うけど、愛の耐久性、ってのもあるよね。

[赤] 男女関係みたいなもんかな。

[青] そんな比較は不謹慎。もっとデカい話をしているんだから。

[赤] いやいやこれもデカい話だよ。人類全体の話なんだから。

[青] まあ、建築論なんだから今回はそこんとこは深入りしないようにしておこう。

[赤] そこいくと、丹下さんは強いねー。広島のピースセンターも代々木の体育館も、いま見ても感じるものがあるからね。やっぱり、代々木の体育館かな。外観も優美で美しいし、なんといっても内部空間が素晴らしい !!!

[青] 残る建物が絶対にいい、って頑なに言うつもりはないけどね。最大限効率よく使って、短期間で使命を終えるような建物だってあるよね。

[赤] それはそれで認める。コンビニの構造なんて実は合理性の極地だからね。あの軽量鉄骨で構成されている構造体って、あれはあれですごい。

[青] でも、建築っていう営みの一番優れた取り柄は、やっぱり時代を越える、ってところにあるんじゃないかな。だって、そう信じなきゃ今の若い世代に何にも言えなくなっちゃうだろ。建築っていう価値には時代を越える力がある、ってさ。

[赤] ホントにそうだね。

[青] フェルナンドの建物が残っていくかどうかは、これからしだいだね。

[フェルナンド] 絶対に残る !!! いまマドリッドではリバイバルになってるみたいなんだから。

[赤] わかりませんよー。一時のことかもしれない。世の中なんて当てにならないんだから。

メタボリックなムダ話

[青] もう一人の建築の師匠、菊竹さんの建物は、ずいぶん取り壊されたな。出雲大社庁の舎、都城市民会館、いくつかあるね。エコひいきじゃなくて、どれもいい建物だったんだけどなー。

都城市民会館(イラスト:宮沢洋)

[赤] あの頃の菊竹さんの作品は、天才としか思えないようなものなんだけどね。    

[青] できた時代が60年代の高度経済成長の時代だから、作るときにかなりムリしているんだよ。それが不運だねー。

[赤] 実物は無くなっちゃったけど、歴史には残るんじゃないかな。今あれが建ったとしても、たぶん大きな話題になるような建物だからね。何か普遍的にこちらに訴えかけるだけの強い表現力を持っていたと思う。

[青] 60年代の勢いのある頃のスタッフもすごかったね。12人くらいだったはずだけど、内井昭蔵、武者英二、仙田満、土井鷹雄、伊東豊雄、富永譲、長谷川逸子、遠藤勝勧、これだけのスタッフがいたなんて、信じられないような事務所だったんだね。たぶん、赤丸出しだったんだよ。

[赤] 残念ながら、オレたちが在籍したのは十年後、この中で残っていたのは遠藤さんだけ。たぶんあの当時の空気や熱気は、だいぶ遠のいていたんだと思うな。だいぶ青っぽかったかな。

[青] しょうがないんだよ。赤の狂気や暴走は、そう長くは続かない。オマエ、持久力ないからな。

[赤] しぶとくやるのがオマエのしたたかなところだからなー。こっちが弱ってくるととたんに元気になっくるんだよね。

[青] まあな。

[赤] 『か・かた・かたち』や『代謝建築論』、学生の時に線を引きながら読んだもんだね。納得できるし書かれていることもわかるんだけど、正し過ぎてどうしていいかわかんない、っていう不思議な本だった。

[青] きっと菊竹さんの頭が緻密過ぎたんだね。

[赤] 吉阪さんの本にもそういうところがあるね。「乾燥なめくじ」なんてよくわからない虫を登場させて、そいつに人間を語らせる。

2022年に東京都現代美術館で開催された吉阪隆正展の会場案内図のために宮沢洋が模写した「乾燥なめくじ」(オリジナルは吉阪隆正画)

[青] ボケっとしてると人類滅びるって話。

[赤] あの荒唐無稽さに比べたら、オレたちなんて可愛いもんだよ。

[青] 菊竹さんは建築についてだけど、吉阪さんは人や生き方について。書かれていることが正しすぎると、読む方は出口が見つけられない、っていうところがあるんだよなー。

[吉阪] 文章ってのはそういうもんだ。 他者との大切なコミュニケーション手段なんだから、間違ったことは書けない。自分の中の容易には変わらない考えを書くべきなんだよ。多少退屈でも正しいことは正しいのだ !!!

吉阪隆正氏(写真提供:アルキテクト事務局)

[青・赤] そうなんですけどー、、、、。読む方は、、、、、。

[吉阪] うるさい !!! それでいいのだ !!!

[青] こまったな。

[吉阪] そうそう、おおいにこまる、それもいいじゃないか。そもそもキミを少しこまらせるために菊竹事務所に強制的に送り込んだんだから。

[赤] やっぱりそうでしたか。師匠には勝てない。

[青] 脇道に逸れかけてる。話を戻さなきゃ。

[赤] たとえば『か・かた・かたち』の三段階の設計の組み立て方。あれはとても面白いんだけど、いざやってみるとどうにもならない。菊竹さん自身がそういうプロセスで組み立てていたかどうかもよくわからない。

[青] 身近に接して思ったんだけど、あれは菊竹さん自身が自分をコントロールする方法論だったんじゃないかな。

[赤] 菊竹さんは、願望としてあの三段階をやろうとするんだけど、実際はそのように自分をコントロールできていなかったんじゃないか。

[青] 瞬発的に内側から湧き上がってくるエネルギーが大き過ぎて、もともと制御不能だったんだよ。直感、瞬発力、集中力、それを可能にする赤鬼がとんでもなく獰猛だったんじゃないかな。想像だけど。

[赤] 内側から湧いてくる熱情が人並み外れているので、それをどうにかしなくちゃいけない。

[青] それでそれに枠をはめるために編み出した思考方法で、一般向きじゃないね。当人以外の人がやったってうまくいくはずがない。

[赤] 集中した時の菊竹さんの赤鬼の暴走、あれは誰にも止められないすごさがあったからなー。打ち合わせなんて、まさに鬼気迫るものがあった。

[青] 遠藤さんが青鬼役。なだめ役でいたからなんとかなっていたんだよ。

[菊竹清訓] 遠藤さん、お疲れさまでした。

菊竹清訓氏。冒頭のスナップ写真より(提供:内藤廣建築設計事務所)

[赤] あっ、やっぱりー。設計に向き合っている時と普段の人格がまるで違うんですから、最初は戸惑っちゃいましたよ。

[青] 普段は穏やかこの上ない人柄。ニコニコ顔でとても優しい人。下っ端のスタッフにも敬語を使うし。それが設計に向かうと赤鬼丸出し、狂気漂う人格に変わるんだからねー。

[赤] スタッフは戸惑うばかり。たいへんでした。

[菊竹] そう。みなさん、ほんとにご苦労様でした。

[赤] うーーん、やっぱり変わりませんねー。

メタボリックな無駄話の延長戦

[青] やっぱりメタボリズムっていうのを見直しておいた方がいいと思うな。

[赤] 世界的に見てもオリジナリティがあるし、すごいことだったんだと思う。

[青] レム・コールハースが注目したり、メタボリズム・ネクサスなんて見方もされて近年でもリバイバルがあったしね。

[赤] 着眼点が面白かったんだね。モダニズムとは全く異なる視点を建築という価値に見出した功績は大きいと思うな。

[青] 建築の形や都市計画に結びつけやすかったのもよかったな。

[赤] 建築や都市を生態的な営みのひとつと捉えて、その仕組みを持ち込もうとした。

[青] モダニズムが提示した建築や都市が「静的なもの」だとしたら、メタボリズムはそれを「動的なもの」に発展させようとしたんだね。

[赤] それはすごいことだよ。

[青] 1960年、東京で催された「世界デザイン会議」。あれが大きな転換点。建築だけじゃなくてデザインやプロダクトも含めて、あれがその後の全ての始まりだった。戦災復興から経済成長へ、64年の東京オリンピック目指して世の中の機運も高まりつつあった。

[川添登] 四谷の駅近くに喫茶店があって、そこに仕事が終わってから夜な夜な菊竹・黒川と三人で集まって、ワイワイやっていた。世界デザイン会議、どうするんだ、とかね。

[赤] まだデザイン会議みたいな場で、世界に向けて発信するようなものは何もなかったんですよね。

[川添] 見渡せば、戦災の傷跡は深く、木造二階屋の建物ばかり。焼け跡のバラックだってあちこちに残っていたからねー。

[青] まだ海外が遠かった時代、そこに世界からトップアーキテクトとデザイナーが集まってくるんだから、かなりプレッシャーもあったんじゃないですか。

[川添] 建築家だと、すでに大きな存在感を示していたルイス・カーン、次世代を担うと目されていたポール・ルドルフ、ミノル・ヤマサキ。デザイナーだと、ハーバート・バイヤー、ソール・バス。まさに事件、大イベントだった。主催側の委員長は坂倉準三、コアメンバーが丹下健三、前川國男、柳宗理、取り仕切る事務局長は浅田孝、事務局次長に瀬底恒。

[青] あの当時のオールスターキャストですね。

[川添] メタボリズムグルーブは、若手でもなんか言わなきゃ、って感じだった。建築では菊竹、黒川、大髙、槇、ってことになってるけど、積極的だったのは菊竹と黒川。

[青] 目の前には、戦災から立ち直りつつある街があるけど、まだたいしたもんがないんだから、その生まれつつあるエネルギーを語ろうとしたんですね。

[赤] 逆転の発想といえば聞こえがいいけど、苦し紛れに居直ったみたいにも見えますね。

[川添] バカモノ !!! まさにあの時の東京がメタモルフォースする風景に見え
たんだよ。三人で話すうちにメタボリズムって言葉はどうか、ってことになった。その時は言葉だけで中身なんかなかったんだ。

[赤] けっこう安易に決めたんですね。

[川添] そういうもんだって。イメージはなんとなく共有してたから、あとは言葉。内容なんて後から考えればいいんだよ。

[赤] そんなもんなんですねー。おそれいりました。

[青] あのあと時代は60年代の高度経済成長になだれ込んでいくんですよね。その中で、メタボリズムの派生用語みたいな「代謝更新」とか「取替え」とか「増殖」とかいう言葉が雑誌に飛び交うようになった。

[赤] ブルータリズムなんてのも出てきて、やがてその熱が冷めてくると、いよいよポストモダニズムの時代がやってくる。デコンなんてもあったな。

[青] 60年代後半になると、メタボリズムはそうした喧騒にかき消されるように消えていくんだね。

隠れた名作、徳雲寺納骨堂

[青] 菊竹さんと黒川さんと川添さんがメタボリズムの震源地ってことはわかつたけど、やっぱり問われるのは建築家として実現した建物だよね。

[赤] 菊竹さんは、「都城市民会館」、「出雲大社庁の舎」、「島根県立図書館」、「東光園」、あの熱い渦の中で生み出された名作が多いけど。

[青] あんまり注目されないけど、オレは久留米の「徳雲寺納骨堂」が好きだな。

[赤] 他の作品が凄すぎてあんまり目立たないね。忘れられがちだけど名作だよ。できたのが1965年。出雲が1963年、東光園が1964年、都城が1966年、だから、影に隠れちゃってるんだね、小さい建物だし。

徳雲寺納骨堂(イラスト:宮沢洋)

[青] 出雲とはまったく性格も用途も違うけど、構造的な構成の仕方は似ているよね。

[赤] 背骨のような長スパンの主梁があって、それから構成していくやり方。

[青] 遠藤さんの話だと、ぜんぜん違う案で設計はほぼ終わりかけていたらしい。事務所に菊竹さんが朝やってきて、図面に赤を入れ始めたらそれがどんどん広がって、夕方には全く違う形になって、これでいく、ってことになって、数日かけて全員で図面を描き直したみたい。

[赤] 今と違って手描きの図面だからねー。たいへんだったはずだよ。

[菊竹] みなさん、お疲れさまでした。

[青・赤] まったく、もう。

[赤] 設計までメタボリックだよねー。

[青] 発想がすごいし構成もすごい。納骨堂なんだけど、納骨スペースが宙に浮いている。内側の納骨スペースも大スパンの大梁から吊るされているし、外側はキャンティレバーで張り出した庇に吊るされた外壁に仕込まれている。

[赤] 吊るされた外壁のコンクリートの厚さが6cm、これもすごい。

[青] お参りに来る人と納骨スペースが空間的にも構造的にも切り離されていて、隙間からは下の水盤が見える。彼岸と此岸、あの世とこの世、この構成は見事だよ。おそれいりました。

[赤] 構造的な挑戦、空間的な挑戦、そして何より生と死の構成的な挑戦、これらが一体化しているんだね。

[青] 見学はお断りみたいだから悪しからず。用途が用途だけに外からしか見れないのが残念だけど、それは仕方がないね。

やっぱり「乾燥なめくじ」は強い

[赤] 菊竹師匠の建物ばっかり語ってきたけど、忘れちゃいけない吉阪先生の八王子の「大学セミナーハウス」、あの建物も、、、強い !!!

[青] 年に一度は墓参りの代わりに行くことにしているけど、建築なんて、所詮ああいう存在の仕方が本来なんじゃないか、ってその度に思うな。

大学セミナーハウス本館(イラスト:宮沢洋)

[赤] アタマをガツンと叩かれて、出直してこい!!!、って言われている感じがする。これでもけっこう頑張ってるつもりなんだけど、自分でも知らない間に堕落してんのかもしれないねー。

[吉阪] かなり堕落しているぞ !!!

[赤] あっ、「乾燥なめくじ」だ。

[青] なんと新しい職場の多摩美術大学のキャンパスから車で10分ほど、歩いても行ける。去年から学長をやってるけど、時々、先生に見張られているような気がすることがあるなー。

[吉阪] 見てるからな。若者の教育は何より大事なんだから、ちゃんとしないと化けて出るからな。

[赤] えっ、もう出てますけど。

[青] オレたちの本務は建築家なんですけど、教育現場を仕切る役割とのバランスで日々悩んでいます。悩むとあそこに行きます。

[赤] 去年、油画の学生たちを連れて建物見学に行きました。面白かったですよー。みんなすごく素直に楽しんでた。キャッキャ言って、屋根の上を走り回ったりしてた。

[青] センサーの鋭い子たちだから、建物の形や空間、外部の作り方、みんな身体で分かるんだねー。

[赤] 荒々しくて、たくましくて、どんなに使い倒しても、建物本来のオリジナリティは揺らがない。やっぱり強い。

[青] あの建物を見ると、いつも反省しきり。ずいぶん作ってきたけど、自分の設計する建物は、ディテールが繊細すぎるんじゃないか、って最近特に思うようになった。

[赤] オマエが出過ぎるからだよ。もっと大雑把なディテールで、物としての存在感を中心にした強いディテール、そういう建物が作りたいなー。

[青] そこを目指したいねー。オレも自制しなきゃ。

[赤] あの建物では、青鬼も赤鬼もおおらかでギスギスしてないだよな。笑ってる感じがする。先生の事務所のU研がそういう雰囲気だったんだね。青鬼と赤鬼がいつも酒呑んで宴会やってるみたいな感じだった。

[青] 保存修復された「ヴィラ・クゥクゥ」、あれも強いねー。小さな建物だけど、存在感がハンパじゃない。

[吉阪] 女優の鈴木京香が持ち主になったのは嬉しい !!!

[青] 先生、相変わらず美人には弱いですね。

[赤] 二つの厚い壁に挟まれた空間。その壁に厚さを感じさせないさまざまなアイデアが盛り込まれている。

[青] コンクリートの造形の強さかな。あの強さって、時代を経てもパワーが落ちないんだよね。

[赤] きっと、それが建築が持っている根源的な力なんだよ。青的なものは消えていって、赤的なものだけが残っていく。

[青] しょうがないね。これも役割分担だからな。

[赤] ヴィラ・クゥクゥは、どこもすべて原寸かそれに近いスケールでスタディされているんだけど、それがギスギスしてなくて、おおらかで楽しくて愛嬌がある。

[青] そうだねー。原寸のディテールの中にも、性能を考える青的なものと形や面白さを考える赤的なものが仲良く同居しているってことかな。

[赤] 先生の師匠のコルのロンシャンみたいなのを、この小さな住宅にてんこ盛りで盛り込んだんだけど、結局は人間というやっかいな存在の肯定、人間讃歌なんだね。

[青] つまり、青鬼と赤鬼の肯定、それがいまだに力を持っているってのは、希望を感じるな。人間、まだまだ捨てたもんじゃない、まだまだやれるはず、っていうメッセージだな。

バブルは終わらない

[赤] 80年代のバブル経済の時の建物なんて、あれほど派手派手だったのに、どこにいっちゃったんだろう、って感じだよね。

[青] メチャクチャ目立ったり人目をひくものがたくさんできたんだけどね。

[赤] 友人の高﨑正治の表参道の「結晶のいろ」っていう建物。残念ながらもう壊されちゃったけど、やるんだったらあのくらいやらなきゃ、って思ったね。

[青] 荒川修作の「養老天命反転地」。あれも狂気の沙汰だね。まだ残ってるらしいけど、あそこまで外れると不思議な納得感がある。

[荒川修作] 30年遅れてようやく時代が追いついてきたか、まだまだだけどな。おまえら、わっかるかなー。

[青・赤] わっかんねーだろーなー。

[荒川] 馬鹿者 !!!!

[青・赤] 失礼しました。

[赤] あの頃はポストモダニズムが全盛で、おそらくほとんどの建築家がかぶれてたんじゃないかな。今じゃ信じられないと思うけど。

[青] あれが時代ってもんかな。その底にはその時代の社会的な「無意識」があった。それはまだ続いているよ。深層化して、タチが悪くなって、したたかになって、もっと見えにくくなってる。

[赤] 建築にまとわりつく偽善だな。

[青] ポストモダニズムの時代は、面白がっていただけ。その分、罪が軽い。むじゃきさがあったからね。

[赤] あの頃は本当のことは薄々わかっていたけど、ギャグで笑い飛ばすしかなかった。そういう純粋さはあった。

[青] でも今は違う。それすらみんな忘れてしまった。「無意識」だね。

[赤] 平たく言うと、それは山本七平が言った「空気」のことかな。

※山本七平(1921年12月18日 – 1991年12月10日)は、日本の評論家。山本書店店主。評論家として、主に太平洋戦争後の保守系マスメディアで活動した。

[青] だとしたら、BUNGA NETで「水」を差さなきゃ。

[マジで建築論]、ひとまずここまで。

内藤 廣(ないとう・ひろし):1950年横浜市生まれ。建築家。1974年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学院理工学研究科にて吉阪隆正に師事。修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て1981年、内藤廣建築設計事務所設立。2001年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、2002~11年、同大学教授、2007~09年、グッドデザイン賞審査委員長、2010~11年、東京大学副学長。2011年、東京大学名誉教授。2023年~多摩美術大学学長。

日曜コラム洋々亭63:「SPIRAL」など10件を加え「300選」目前! 変わりつつあるドコモモ(DOCOMOMO)へのエールと要望

 DOCOMOMO Japanは6月21日、2023年度の選定建築物を公表した。日本建築学会と協力して10件の新規選定と1件の追加選定を行い、「290選」となった。新規選定は以下の10件だ(選定番号/名称/竣工年/用途/設計者/施工者/都道府県)

新規選定10件のうちの4件。左上:日本製鉄八幡製鉄所ロール旋削工場(1941年)、右上:名護市庁舎(1981年)、左下:SPIRAL(1985年)、右下:東京工業大学百年記念館(1987年)(写真:4点ともDOCOMOMO Japan)
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内藤廣設計「鳴門市新庁舎」が完成、増田友也設計「旧庁舎」との対比は間もなく見納め

 この記事は“三色丼”のような記事となる。それぞれの素材を単独でたっぷり味わうこともできるが、3つを少しずつ一緒に食すことで、全体としての記憶を脳に刻みたい──。そんな記事だ。3つとは、①2024年5月に業務を開始した内藤廣氏設計「鳴門市新庁舎」について、②新庁舎で開催中の「建築家・内藤廣 鳴門市新庁舎開庁記念展示」について、③これから解体予定の増田友也「鳴門市旧庁舎」について、だ。

左上から反時計回りに、鳴門市新庁舎、内藤廣展会場、鳴門市旧庁舎(写真:右上のみ磯達雄、他は宮沢洋)
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堀部安嗣氏“初の公共建築”、さぬき市「時の納屋」の絶景を一足先に堪能

 香川県さぬき市が同市の国立公園「大串自然公園」内に建設していた「時の納屋」が6月30日(日)にオープンする。設計を担当したのは、2016年に「竹林寺納骨堂」で日本建築学会賞(作品)を受賞した堀部安嗣氏。「時の納屋」は、意外にも堀部氏にとって“初の公共建築”だという。

6月30日(日)13時にオープンする「時の納屋」(写真:宮沢洋)
長井美暁が編集を担当した『堀部安嗣作品集Ⅱ』(平凡社、2024年2月刊)。2015年発刊の堀部安嗣氏の作品集の第2弾にあたる
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o+hの新作に驚嘆、山形「さくらんぼ畑のオフィス」の“突き抜け感”

 50代も後半になると大半の建築家に“若手”という形容をつけてしまい、校正するときに消すことが多い。でも、この2人はまだ“注目の若手ユニット”と書いて差し支えないだろう。1983年生まれの大西麻貴氏と1982年生まれの百田有希氏のユニット「o+h」の新作、「さくらんぼ畑のオフィス」のリポートである。

「さくらんぼ畑のオフィス」(Otias新本社)のフリースペース。これが民間企業のオフィスとは! 突然の訪問にご対応いただいたので、写真はそういう前提でご覧ください(写真:特記以外は宮沢洋、2023年12月撮影)
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建築の愛し方21:「ブラタモリ」でやり残した“人知”の面白さを「すこぶるアガるビル」では前面に──NHKエデュケーショナル・相部任宏氏

 2024年は“建築文化の民主化元年”だ、という話をあちこちでしている。2月に第1回「みんなの建築大賞」が発表となり、5月に第1回「東京建築祭」が開催された。筆者(宮沢)はどちらにも関わっているが、それぞれは別のところで話が持ち上がり、たまたま同じ年にスタートを切った。いわば“時代の共振”。そして、気になっていたもう1つの共振が、NHKの番組「すこぶるアガるビル」だ。コロナ禍の2021年11月に初回が放送。その後、5話が不定期に放送され、今年4月から5月にかけて一挙6話が毎週水曜日に放送された。

番組タイトル(NHKの公式サイトより)
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愛の名住宅図鑑10:これぞ正統派“バウハウス”、「三岸アトリエ」(1934年)。夭折した画家の思いを妻・子・孫がつなぐ

 本連載でこれまでちらちらと触れてきた「バウハウス」。今回取り上げる「三岸(みぎし)アトリエ」は、「これぞバウハウス!」と言いたくなるデザインの建物だ。ともに画家である三岸好太郎・節子夫妻のアトリエとして、1934年(昭和9年)に建てられた。今年、築90年となる。

(イラスト:宮沢洋)


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