【追加コメントあり】「失われた10年」の自作再生に隈研吾氏が名乗り、福島県玉川村に「乙な駅たまかわ」開業

この記事を読んだ隈研吾氏から、本作の位置付けについてコメントが届いたので、記事中盤に追記した(青字部)。

 福島県玉川村竜崎区、阿武隈川の乙字ヶ滝のすぐそばに、隈研吾氏が設計した「複合型水辺施設 乙(おつ)な駅たまかわ」が9月28日にオープンした。水辺の景色を堪能しながらカフェやレストランを楽しみ、クラフトビール醸造の見学ができる施設だ。自転車のレンタルを行い、暖かい季節にはカヌー体験もできる。

(写真:宮沢洋)
入り口は地上2階レベルにある。天気がいまいちだったので、外観は2割増しくらいで見てほしい
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建築の愛し方23:創業100周年の目玉は前代未聞の「まちなか展」──安井建築設計事務所・佐野吉彦社長

 秋の建築公開シーズンが近づいてきた。「イケフェス大阪」は10月26日・27日、「京都モダン建築祭」は11月1日〜10日に開催される。その前に、「ひとりイケフェス」あるいは「ひとりモダン建築祭」ともいうべきイベントを仕掛けているのが安井建築設計事務所。リーダーはこの人だ。

後ろの「100」という数字、社員から募集した1万枚の写真でできている。今年1月に移転した神田美土代町の東京事務所にて(写真:特記以外は宮沢洋)

 日本で十指に入る大設計事務所である安井建築設計事務所(本社:大阪)を率いる佐野吉彦社長。実はこの「建築の愛し方」で、ど真ん中の設計者にインタビューするのは初めてだ。

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藤森照信ワールド全開、“経営者の夢”が形になったスイデンオフィス

 水田をテーマにした現代建築というと、坂茂氏が設計した「ショウナイホテル スイデンテラス」(山形鶴岡市、2018年)が思い浮かぶが、坂氏と藤森照信氏ではこうも世界観が違うものか…。藤森氏が設計した「おおオフィス」を見学させてもらった。山口県防府市の社会保険労務士法人桑原事務所の本社ビルだ。

(写真:宮沢洋)

 なんだ、これは。『フィールド・オブ・ドリームス』(ケビン・コスナー主演のファンタジー映画)か!? 「ラ コリーナ近江八幡」(2015年)のランドスケープを見たときにもそう思ったのだが、ここはさらにファンタジー感が増している。今回は商業施設ではなくオフィスなのに…。

名称:おおオフィス
所在地:山口県防府市

建築主:社会保険労務士法人桑原事務所
用途:事務所
設計:藤森研究室、佐田祐一建築設計研究所
施工:施主直営

構造:木造
階数:地上2階
延べ面積:335.36㎡

施工期間:2022年3月~2023年7月

 2023年夏に竣工し、1年がたった。『GA JAPAN』190号(2024年9月号)で見た、という人もいるだろう。同誌から、藤森氏の解説文の印象的な部分を引用させてもらう(太字部)。

「敷地を訪れて、こんなに歴史と自然に恵まれた土地に設計する幸を思った」

「横長の建物の正面側には田んぼ、裏側には社員用駐車場を配するから、田んぼの中を通っての正面アプローチが重要になる。アプロ―チといっても畦道(あぜみち)しかないから、畦道の突き当りの正面入り口はちょっと面白くしたい」

「長さ4mの橋を素人がコンクリートでつくる技術はだいぶ前に独自に開発済みであったが、実行したことはない」

「つくり始めたものの、初の実行は、この度の工事で百戦錬磨の施主一党にも小困難続出」

 フィールド・オブ・ドリームスみたいなアプローチと、青豆みたいな形のにじり口は、設計意図としては「正面」なのか…。その発想がまず普通ではない。現実には、多くの人は駐車場のある北側↓の通用口から建物に入る。

壁柱(塔?)の木材は依頼主の知人の銘木店で藤森氏が選んだもの

 こっちも相当、普通ではない…。

メンテナンス重視の「頂部一列緑化

 建物自体の説明もGA JAPANから拾わせてもらう。

「田んぼ下には弥生時代の遺跡が埋まっているから、土地を深く掘ることは許されない」

「よって木造2階建てとなるが、望むところ。木造での『頂部一列緑化』と取り組んでみよう」

「建築緑化を長くやってきて、成功するか否かの肝所はメンテナンスにあると知った。面より線の方がメンテナンスしやすいから、切り立つ壁をつくり、頂部に草木を植え、メンテは背後のゆるい水勾配屋根に上がってしよう」

山陽新幹線からも一瞬見える。右下の扉は、屋上に出るための扉

 なるほど、高所が苦手な筆者が上っても植物のメンテナンスはできそうだった。ちなみに、このプランター↓は依頼主の桑原亨氏が自らつくったという。何者?

 藤森氏本人は書いていなかったが、今回、内部の照明がいい。

 これも桑原氏を中心とする素人チームが制作に参加したもの。枠組み、糊付け、絵付けなど、従業員による手づくり。使用した和紙は藤森氏が選び抜いた「細川紙」。伝統的な方法と用具でつくられた細川紙は見た目の美しさもさることながら、その強靭さが特徴とのこと。

 この扉↑、桑原氏は「木材をはつる作業をほとんど1人でやりました」とさらりと言う。なるほど、こういうクライアントだから、藤森氏も設計を引き受けたのか。

 印象的な水田からの畦道アプローチについて、藤森氏はこんな感想を書いている。

「この度訪れて見ると、畦道も橋も、とりわけ橋はどこがコンクリート橋なのかわからない。田んぼに、畦道も正面入り口も埋もれてしまった」

 GA JAPANの撮影時は稲がかなり育っていたのだろう。田んぼ側の写真は高い位置から撮って、畦道と橋を見せている。だが、筆者が訪れたのはちょうど稲刈りの直後だったので、普通の目線で見ても、畦道と橋が見えた。

 桑原氏は「以前使っていたオフィスが手狭になり、最初は普通の建物を建てるつもりだったのだけれど、物足りなくなって藤森先生にお願いに行った」と振り返る。藤森氏に「百戦錬磨の施主一党」評されるほどの腕前でさまざまな工事をこなした。会社のサイトにある「建物について」を見れば、その建築好き度がわかる。そんな桑原氏でも、「自分の家は藤森先生に頼む勇気は出ないかも」と笑う。それは確かにそうかも。

この玄関は、自邸ではちょっと…
よくできてる…
オーナーの桑原亨氏

 自分が経営する会社のオフィスを藤森氏に設計してもらい、皆で汗をかきながら建てる。そんな“建築好き経営者の夢”を実現した人をもう1人知っている。この「おおオフィス」の屋上緑化工事を担当した大林緑化技術研究所の大林武彦代表だ。こちらもいずれリポートするつもりなので、お楽しみに。(宮沢洋)

予告の意味で、昨夏に訪ねた完成直前の大林緑化技術研究所本社ビル(滋賀県近江八幡市)

「最もリスキー」な案を実現、エバーフィールド木材加工場は熊本の建築文化底上げの象徴

 いま、熊本の建築が再び熱い。「再び」というのは、くまもとアートポリスのスタート時(1990年代前半)の熱気を知っている50歳代以上の人は共感してくれると思う。「なぜ再びなのか」については、この記事に思うところを書いた(→「事件」より「継続」、磯崎新がくまもとアートポリスで選択した実験の正しさ)。いろいろ要因はあるが、くまもとアートポリス事業が長く続いたことで、自治体の職員や民間発注者の意識が変わってきたことが大きいと筆者は考えている。

エバーフィールド木材加工場(写真:特記以外は宮沢洋が2023年8月に撮影)
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内藤廣連載「赤鬼・青鬼の建築真相究明」第7回:読文売文建築家・再び延長戦──磯崎新の沼とamazon地獄

確かに、自作についてこんなに文章を書くクリエイターの業界って、「建築」以外には思いつかないですよね。本人が書きすぎるから評論が必要とされないのか、評論がないから本人が書くのか…。前回の松岡正剛さんの話に勢いを得て、今回は建築評論の話へと進み、建築のど真ん中に近づいたかと思いきや、芥川龍之介へと向かいます。今回もぜいたくな「付録」付き。(ここまでBUNGA NET編集部)

延長戦になったわけ

[青] 前回、たぶん松岡正剛さんの訃報が入ったので、妙にアドレナリンが出て収まらなくなった。

[赤] 言いたいことがあれこれ出てきて、またまた延長戦をお願いすることになった。

[青] BUNGAさん、いつも出たとこ勝負、行き当たりばったりですみません。ハラハラしてるんじゃないかな。

[赤] というわけで、言い残したことを始めよう。といっても、思いつくままに、だけど。

[青] まずは、ずっと疑問に思っていたことから。

自分で自分を解説する、っておかしくないか

[青] 建物が出来上がって、雑誌に掲載されるときに文章を書かされる。自分で自分を解説する。それって世間一般からしたらおかしくないか。

[赤] いつも苦労するよね。取り上げてもらうのは光栄なことなんだけど。

[青] マラソンでようやくゴールしてインタビューされて喋るみたいなもんかな。

[赤] いやいや、相撲でやってる力士のインタビューみたいな感じだよ。あそこの場面で前廻しに手がかかりましたけど、あれは取り組み前から考えていたんでか、って質問に、ハアハア言いながら、必死だったからよく覚えていません、なんて答える。

[青] ようやっと辿り着くんだから、そういう感じかもね。

[赤] それでもなんとか気の利いたことを言わなくちゃ、って健気なところが我ながらカワイイ。

[青] そんなに賢いわけでもないし、精神分析をやっているわけでもないし、文筆家ってわけでもないし、まして評論家でもないし。自己分析だからねー。

[赤] 立ち位置がわかんねー。

なるほど。そういう違和感から「自分の中の他の人格が自作を分析する」というこのスタイルが生まれたわけですね…。「建築家・内藤廣 鳴門市新庁舎開庁記念展示」(2024年6月)で展示されていた自作「鳴門市新庁舎」の解説文(←この部分はBUNGA NET編集部の加筆)

[青] ほんとは、こんな建物が出来たので見てください。そこに全部のメッセージは込めているので、感想があれば寄せてください、今後の勉強材料にしますから、ってくらいのことを言いたいんだけどね。

[赤] 建築は読み解かれる書物として存在している、ってなことが言えたらかっこいいんだけどなー。

[青] アホ、それじゃあ身も蓋もない、ってことだよ。もっと大人の議論をしなくちゃ。

[松岡正剛] 雑誌はそれじゃ売れないんだよ。グラビアだけの雑誌じゃあ、立ち読みで買わないしな。なにか大切そうなことが書いてあって、それを読まなきゃグラビアも分からない、って構図が必要なんだよ。

[赤] グラビアだけのヌード写真集作ったって、たぶんそんなに売れないんでしょうね。

[松岡] そこに物語が絡まないと売るだけの面白さが足りないんだよ。

[青] 要するに、イメージの問題、想像力の問題なのかな。

[松岡] それが大人の理屈ってもんだね。

[赤] さすがー、やっぱり言うことが違う。

[青] でも、小説家が小説書いて、自分の作品の解説なんて書かないですよね。画家が作品を仕上げて、展覧会に出す時、こんな気持ちで書きました、裏にはこんな事情があるんですよ、こんな画材と筆で描きました、なんて書いたの見たことないもんね。

[赤] よく考えてみれば、建築はクリエーションの部分と社会的な行為が重なり合っているからそうなっちゃうのかなー。社会的な行為の部分を説明している分にはいいけど、そこにクリエーションを混ぜ込んで自己正当化するから妙なことになっているのかも知れない。

[青] でも、だから面白いんじゃないの。陶芸も工芸も似た側面があるよね。具体的な使い方があって、一方で創作でもあるんだから。

[赤] 柳宗悦みたいな人が「民藝」って概念を生み出したみたいな時は評論が可能だったんだね。

[青] 今建築界に欠けているのは、多少の異論はあるけど柳宗悦的な視点だと思うんだけどな。要は「作り手のモノに近い感覚」と「モノを手を動かして生み出す人たちへのリスペクト」だよね。

[赤] いくら面白いことをやろうとしても、それを作る人がどんどんリタイアしていくんだから。気がついたら、作れる人が誰もいませんでした、なんてこともありうるんだからねー。

[青] モノづくりとしての建築の危機だよ。

オレサマ仮説

[青] オレらの事務所だって、この建物に関しては担当者が頑張ったし、名前を出して彼に花を持たせる意味で書かせたいと思うこともあるよな。

[赤] 実際、関わりが深くなると一緒にやってる気分になるし、そういう案件はほとんど共作みたいに思えることもあるしね。

[青] そういう建物もあるよね。

[赤] 一番現場の事情をよく知っているのは彼らなんだから。担当者が書いたほうがいいんだけど、ってときたま雑誌社に提案するんだけど、ほとんど却下。

[青] やむなく書くことになるね。

[赤] 少しでも売るためには、そのほうがいいみたい。それも分かるけど、建築を生み出すコミュニティー全体としては、どんどん薄っぺらなものになってきているような気がする。

[青] 建築は団体戦だからなー。設計でも現場でもいいチームができた時ほどいい建物ができる、ってのは原則みたいなもんだからね。汗水垂らして頑張ったみんなが主役なんだよ。

[赤] よく言うようにしてるんだけど、俺がやった、って言う人が多いほど成功だって。そんな話が伝わってくると嬉しい。

[青] なんでもそうだよね。小さな仕事から都市や土木みたいな大掛かりのものまで、みんな同じだよ。

[赤] あの建物は建築家が全部やったみたいな顔して表に出て説明してるけど、実は俺があの建物の肝心な部分をうまくやってやったからできたんだよ。当人はそんなこと知らないと思うけど、あの建物は実は俺がやったようなもんなんだよ、、、、とか、あの建物は何事もなかったみたいにスンナリ建っているけど、実はあの壁の裏側の下地が難しくてね、あの精度がなくちゃとてもあんな仕上げにはならないんだよ、まあ俺がやったようなもんだね、、、、とか、あの建物は金がキツかったねー、手間ばっかりかかってカネにはならないけどなんとかやり切った、俺がやったみたいなもんだね、、、、、みたいな会話が多いほど建物は良くなるってこと。

[青] オマエ、けっこう役者だな。

[赤] いやいやリアルな印象だよ。でも、本当にそう思っている。

[青] そもそもオマエが暴れると、みんな困るんだからな。

[赤] いやいやオマエが締めすぎるとつまんなくなっちゃうんだから。ただの建物ならみんなついてきてくれないよ。

[青] 行政であれ現場あれ、建物が出来損ないだったら逆のことが起きるからね。あっ、あの建物は仕事として仕方なく関わったけど、俺はやってないから、ってね。みんな逃げてく。

[赤] そうなると、建物がうまくいくかどうか、なんとしても成功させなきゃならなくなるよね。

[青] それと、万一うまくいかなかったときの責任を取る覚悟がいるよね。みんな逃げちゃうんだから。

[赤] 怖いけどね。そういう商売なんだな。

[青] なんにせよ、オレたちだけが全面に出て一人でやったみたいな顔をするのは禁じ手だよね。ズル抜けしているみたいな感じ。現場の職人さんも含めて、頑張ったみんなが、なーんだ、ってことになる。

[赤] この辺りはなんとかしたいなー。だから書くときは、あえて抽象的なことを書くようにしているけど、それでも違和感は残る。

わたしって誰だっけ

[赤] 結局、この国では真っ当に建築を論じる評論家が少ないからなんだね。

[青] 川添登さんが雑誌社を辞めた新建築騒動以来、評論なきジャーナリズムになっちゃったんだよ。それはそれで時代のカタログを作るっていう独特のやり方をあの騒動以来確立して機能してきたんだけどな。

[赤] もの言う編集者たち、川添登、平良敬一、宮内嘉久、馬場璋造、みんな個性的で凄い人たちだったんだけどなー。

[青] みんな編集者の立場があったからね。一定の枠を外れられなかったんだよ。

[赤] 建築を評論するって、難しいよね。

[青]建物が完成するまでには、膨大な人が関わっているわけだから、その結果を論評するには相当の覚悟がいるはずだからね。

[赤] 褒められれば嬉しいし、貶されると腹が立つ。人間なんだから。

[青] 作り出したこちらも一喜一憂するし、書く方も全部納得しているわけじゃない。

[赤] いろいろ波風も立つわけだし。

[青] それでも建築っていう文化を育てて行くには、論壇は必要だと思うよ。

[赤] まあ、至らない自分を反省するしね。面の皮が厚くなるし、多少のことを言われてもへこたれなれなくなって精神的に逞しくもなる。

[青] やっぱり、この事態に至ったのは磯崎さんの存在かなー。おおきかったと思うなー。

[赤] 頭はいいし文章が抜群に上手い。レトリックも鋭い、突き放したような諧謔(かいぎゃく=しゃれの意味)、うっかりついて行くとトラップがある。冷めた人だったよな。

磯崎新氏。迷宮感を表現してみました。前回、赤鬼に「編集担当の宮沢がイラストを出し惜しみしている」と指摘されたので…(イラスト:宮沢洋)

[青] あの人がいたおかげで、なまじいい加減な論を張るなんてことは、みんなあきらめてしまったんだよ。

[赤] その功罪はあるよねー。その磯崎さんが、自分の作品解説をするわけだろ。誰も何も言えなくなっちゃうよね。

[青] 論壇がなくなったのは、磯崎という存在が遠因かも知れない。なんとかくらいつこうとしたのが黒沢隆くらいだったけど。

山口文象の初登場回はこちら

[山口文象] 評論が成り立つためには、右にしろ左にしろイデオロギーっていう土俵が真ん中にないと成立しないんだよ。

[赤] たしか戦前はバリバリの左翼でしたよね。

[山口] 戦後は運動そのものに嫌気がさして旗を下ろした。イデオロギーそのものが当初の鮮度を保つのが難しい代物なんだな。情けないけど、これも愚かな人間という存在の性かも知れない。

[赤] それでも建築に評論らしきものがないと寂しい、っていうわけで、仕方なく月評欄を作ってお茶を濁してきた。でも、かつて宮脇檀さんが言っていたみたいに、所詮は印象批評に過ぎないんだよね。

[宮脇壇] そもそも建築は評論するに値するようなものなのかなー。暮らしの道具に過ぎないんじゃないの。

[青] 「縄文・弥生論争」、「代謝建築論」、「ホモ・モーベンス」、「神殿か獄舎か」、「普通の建築」、「その社会が建築を作る」、「平和な時代の野武士たち」、いろいろあったなー。

[赤] でも、ふつうの人は知らないよ。知ったところで、そして読んだところで、意味も内容もほぼ分からないと思うけど。外国語みたいな感じだよ、きっと。

[青] あんなんじゃ、サロンの中での閉鎖的言語の会話だな。

[赤] 人間社会から何百年も隔絶された集落の訛りみたいなもんだよ。

[青] それに、この集落の一員になるには、若い奴らはその訛りを習得しなきゃいけないんだからね。その訛りを使って、社会に何かを訴えようとしても何も伝わらない。

[赤] だいぶ前、古本屋で何気なく手に入れた1970年頃の分厚い本、『戦後日本思想体系12 美の思想』って評論集。書いているのは、花田清輝、東野芳明、針生一郎、鶴見俊輔など当時はキレキレの評論家ばかり、すごいねー。おそれいりました。

[青] 東野さんのラウシェンバークへの論評なんて鬼気迫るものがあるね。

[赤] 鬼だよ、鬼。オレたちは随分堕落した鬼だけど、あれは本物。

[青] 言葉が刃になっている。それも他人を斬る時は自分も斬られる覚悟があって、それが言葉の端々から飛び出してくる。命懸けだね。

[赤] 評論っていうのはこういうもんだ、って思った。昔はあったかも知れないけれど、建築にはそれがなかったんだね。

[青] 建築は社会とも資本とも近いのが宿命なんで、評論が成り立ちにくい側面があるのかも知れないね。あったとしても、サロンの中での噂レベルの言論しか成り立たないんだよ。

なんとかなるさ

[赤] そんな事情があって、自己批評ってことになるわけだ。あーあ。

[青] 書くのが楽しい時もあるし、苦しい時もあるよな。

[赤] 最近は歳のせいか仕事のカバーする範囲が広がったからか、書く内容がだんだん大雑把になってきてる気がする。

[青] 爺さんにはきつい作業だよな。芝刈りや雑草取りみたいな作業なんだから。

[赤] 言葉で整理をして脳みそを掃除しておくことには多少の意味はあるのかも知れないよ、ボケないように。

[青] もうかなりボケてると思うけどな。ほっとくと脳みその中が雑草だらけになって、立木は藪になって、何がやりたかったのかが見えなくなるからね。

[赤] 最後はただの野原と薮になって、もっと先には原生林になって、自然に戻っていくってのも美しいような気もする。

[青] まあ、いつか嫌でもそうなっていくって。

[赤] それにしても、最近は知識ばかり増えて、良く言えば捉え方が広くなっているんだろうけど、その分、切実さが足りなくなって来ているような気がする。

[青] そりゃ、堕落しているってことだよ。用心、用心。

文庫本地獄とamazon地獄

[青] 鎌倉の駅前に大きな書店があって、その棚にならんでいる岩波文庫を見て、絶望的な気持ちになったことがあるよね。

[赤] 読まなきゃいけない本がこんなにあるのか、ってね。

[青]赤帯、青帯、緑帯、それぞれ教科書に出てきて名前ぐらいは聞いたことがあるけど、とても読めたもんじゃない。読めるわけがない。諦めたね。

[赤] それで読書から遠くなった、なんていうと格好いいけど、要は遊びたかったし、怠け者だっただけなんだけどね。

[青] オマエはね、オレは違うけど。でも今は、文庫本ばかり買ってる。

[赤] ハードカバーの本は、重いし嵩張る。値段も高い。文庫本なら、小さいしどこへでも持っていける。値段も安いから、失敗しても損失も少なくて済むしね。その分気楽でいい。

[青] 線を引いたりベージを折り曲げたり、ポケットに入れたり、かなり酷使して使ってるよね。

[赤] ここんとこ本屋に行く暇もなくて、amazonでばかり本を買ってる。あれは危ない世界だー。いくらでも手が出てしまう。

[青] 便利だよねー。でも、いい加減にしとけよ。どうなってもしらないからな。

[赤] 書評とかで気になった本、今読んでいる本のつながりで気になる本、何か興味を持って知りたいと思った本、ともかく脈絡なく乱読は拡散するばかりだな。誰か止めてほしいー。

[青] 止めてるって。その実態は、前の回で付けた付録の「この一年で読んだ本」を見て貰えばわかるけど。気楽に買えるので、amazon系の本の出費が増えているのが問題。

[赤] それと買っても読む時間がないんで、山積みになっちゃうよねー。amazon地獄だー。

[青] そういえば、お婆ちゃんが残してくれたうれしい遺産があるよな。

[赤] 残念ながらお金ではなくて文学全集。

[青] 筑摩書房版の現代日本文学全集がずらっとある。50冊くらいはあるかな。

[赤] 彼女も読まなかったと思うけど、この手の全集ものが流行った時代があったんだね。オレたちも、なんか物々しくて遠ざけていた。

[青] 本棚の飾りみたいな感じで手に取ることはなかったよね。

[赤] それが最近では宝の山に見えてきた。

[青] 気になった作家を自由に読むことができるし、全集にしか入っていない短編も漁ることができる。

[赤] 何かの時にとても便利だよね。まあ、これは密やかな贅沢ってもんだね。

[青] 正宗白鳥ってどんな作家だったかなー、とか、幸田露伴は何を書いていたのかなー、なんて気になったらすぐに取り出してきて読める。

[赤] もちろん、だからって賢くなるわけじゃないよ、興味本位なんだから。でも、今どきの作家がアホに見えてくることは確かだね。まったく、どいつもこいつも、だよ。

[青] この全集の欠点は、一冊が重いこと。リュックに入れて持ち歩くにはしんどい。文字も小さくて、一ページ三段組だからねー。情報を詰め込みすぎなんだよ。

[赤] 若い頃は川端康成なんて軟弱な文学で軽蔑していたけど、三島由紀夫が絶賛してた処女作の「十六歳の日記」を読んだら、これが凄い。こんな人だったのかと思ったらまったく見方が変わった。

[青] それまでは、「雪国」だって「伊豆の踊り子」だって、あんなに精緻に組み上げられた構築物だとは思わなかったからなー。

[赤] 芥川だって谷崎だって藤村だって直哉だって、この歳になって読むと全く受け取るものが違うんだからねー。驚きだよ。

[青] 若い頃の思い込みなんて浅はかなもんだね。

[赤] 反省、反省。

中毒のきっかけ

[青] 本をたくさん読むようになったきっかけは、東京大学に勤めて講義をやるようになってからかな。

[赤] 将来がある子たちだから、間違ったことを教えるわけにはいかないからな。立場的には大学に雇われた傭兵みたいなもんだったから、責任感はかなりあったよな。でも、みんなあんまり真剣に聞くもんだから、時たまわざと間違ったことも混ぜてやろうか、なんて思ったこともあったよな。大人の言うことを信じすぎる。素直すぎる。たまにはフェイントでも入れて緊張感を持たせてやろうか、なんてね。でも、やらなかったけど。

[青] 講義で使う一つのファクトに対して必ず複数の書物や出所を探すようになったね。けっこう真面目にやってた。オマエの出る幕はほとんどなかったね。

[赤] 講義をまとめた『構造デザイン講義』、『環境デザイン講義』、『形態デザイン講義』の三冊の講義本。

[青] この中で『環境デザイン講義』が一番きつかった。物理的な環境ではなくて、受け取る人間の側の話を盛り込んだんだけど、まだわかっていないことが多かった。身体の側の生理現象なんてこれからだからね。

[赤] やっぱり戦後特に進化してきた空調や上下水設備のサプライサイドのハードに関してはよくできている。空調や断熱、それは学会やメーカーが作り上げてきた世界。それをアレコレ言ってもつまんない。単純すぎる話だから。

[青] でも、それを受け取る人間側の話はほとんど研究されてこなかったからな。体感の話とか、睡眠の話とか。

[赤] アカデミズムとメーカーの作り上げた世界なんだから、人間の側がどう感じるかなんてどうでもいいんだよ。作ったものを売らなきゃならないんだから。売れるのが正義の世界。騙してでも売る。

[青] すごくわかりやすい話さ。でもそれをそのまま学生に教えるわけにはいかないからね。思いっきり反発したつもりだけど、世の中こんなことになっているんだ、ということがわかってすごく勉強になった。

著書解題地獄

[赤] それからINAXの企画で、『著書解題』っていうのをやった。

[青] けっこうムチャな企画だけど、なんかやってくれって言われて、オマエが思いついちゃったんだからしょうがない。

[赤] 身の丈を越える話だったかなー。

『著書解題』/INAX出版

[青] でも、時代を作ったり動かした本っていうのがやっぱりあるよね。

[赤] その著者が高齢になってきていて、今のうちに話を聞いて残しておかなきゃ、って思いついちゃったんだから。

[青] 時代を作った本を取り上げて、その著者にインタビューするっていう企画。

[赤] 礼儀として、テーマにするその本を読むのはもちろんだけど、それ以外の関連する本も二冊、必ず読むようにした。それがきつかったね。

[青] 三ヶ月に一度、このルーチンはかなりきつかったな。本題の本以外で読むと決めて読んだ本の方がきついこともあった。

[赤] 武谷三男だろ。なんせ物理学者の語る哲学だからねー。

[青] 菊竹さんの『代謝建築論』を取り上げたとき、菊竹さんが「か・かた・かたち」の三段階の方法論を武谷三男の三段階論から引いているので、この際『弁証法の諸問題』を読んでみようと思って取り寄せて読んだんだけど、これ、相当辛かったよね。

[赤] まるで歯が立たなかったけど、菊竹さんにインタビューするんだから、って必死に読みましたね。

[青] あと、川添さんの『建築の滅亡』を取り上げるんで読んだ、分厚い本の『伊勢神宮』もきつかった。あれはライフワークなんだからしょうがないけど、情報が細かくて、ある仮説を立てて論証するのに学術論文みたいなもんだからねー。

[赤] 川添さんの若い頃のジャーナリスティックな面白さは微塵もなかったね。当人もそんなつもりもなかったんだろうけど。

星座論

[赤] ともかく読み癖がついちゃったんだね。いいことかわるいことか、わかんねー。お調子者だからそんな企画でなんとなくついた勢いがいまだに続いているんだよね。

[青] 本屋の餌食だね。とはいえ、学者みたいに古文書や全集みたいな高い本を買うわけでもないから、かわいいもんだけど。所詮は文庫本レベルだからね。

[赤] 一貫性もなく行き当たりばったりで読んでいくんだけど、ここのところちょっと面白いと思っているのは、無関係だと思っていた本たちが、時たまつながりを持って見えてくることがあるってこと。

[青] 夜空の星ってランダムに散らばっているけど、古代の人はそれを結びつけて星座ってやつを発明しただろ。

[赤] なんとなく無関係に散らばった本の群れの中に線が見えて、星座みたいに見えることがあるんだよねー。それが面白い。

[青] 文庫本の星座だな。

[赤] すぐに忘れちゃって、線は消えちゃうんだけど。

[青] あることが面白くて、たどっていくってこともあるよね。たとえば、『春宵十話』の岡潔、芥川が「悠久なものの影」ってことを書いた、って書いてたんだけど、いい言葉だなー、って思ったんだけどどこに書いたか書かれていない。

[赤] しょうがないんでデジタルの芥川全集を買って検索をかけたら『戯作三昧』っていうのに行き当たった。これがすごく面白かった。

[青] その最後のあたりに風呂屋の高窓の外に見える柿が風呂桶の水面に映った時に出てくる言葉だった。

[赤] これを発見した時は嬉しかったね。線が繋がった。

[青] それから岡潔を何冊か読み、芥川もけっこう読んだ。岡潔はやっぱり『春宵十話』だけど、芥川は死ぬ前に書いた『歯車』がすごいね。

[赤] 加藤周一の『三題噺』の一つに出てくる富永仲基がすごい。江戸時代の天才だね。そうすると富永を取り寄せて読む。

[青] いくつか線ができると、線同士がつながり合って見えてくる瞬間があるんだね。

[赤] あっ、そうか、みたいな感じでね。

[青] これはAIでは難しいだろうな。ある種の非論理的かつ非線形な飛躍だからな。でも、それもいずれはやられちゃうかも知れないよ。そう遠くない将来。

[赤] Amazonが推薦してくる本なんて、けっこういい線いっているもんね。

[青] 痛いとこついてくるなー、とか、君もなかなかやるじゃねーか、なんて思うこともあるからなー。

[赤] 絶対に推薦してきた本は買わないからな。

売り言葉に買い言葉

[青] 売文建築家、なんてカッコよく言ったけど、まあ自虐的なネタだね。売文って言ったって、原稿料なんか雀の涙、無いに等しいんだからな。もっとも、売るほどのものでなし、ってとこなのかな。

[赤] 小林秀雄の1962年の講演。金稼がなきゃいけなかったんだよ。そもそも女を養わなきゃならなかったから、なんて暴言を吐いている。

[青] 今なら炎上ものだね。養ってたのは親友の中原中也の恋人。まあ、過激な人だったんだね。

[赤] 普通なら「作家」とか「評論家」っていう言い方をするもんだけど、自虐的に「売文家」って言うんだからね。

[青] 卑下しているというか、ひねくれたものの言い方だけど、その居直り方が好きだね。たしかに、暮らしのために文を売って金を稼ぐんだからね。

[赤] 小林秀雄みたいな啖呵が切れたらかっこいいのになー。

[青] ムリムリ。そもそも発表させていただいてるんだから、それだけでも感謝しなきゃ。

[赤] じゃあここらで今回も特別サービス !!!

[青] そんなたいそうなもんじゃないって。でも、解放区なんだからこの際ブチかましてしまえ、くらいの気分はあるけどな。

[赤] 本、本、っていろいろ言ってるけど、こんなもんかー、って思われるのもこわい気もするけどね。

[青] ってわけで、前回に続けて付録2をつけます。

[赤] もうやらないけど。

※付録2
■若者に勧めるやや偏った本10冊

『社会的共通資本』 宇沢弘文 /岩波新書
    やっぱりここに戻るべきでしょう。
『原子力発電』 武谷三男 /岩波新書
    1976年の時点で、すべてはわかっていたはず。
    再読してよく分かった。今の原発の解説書よりよく分かった。
『遺体 震災、津波の果てに』 石井光太 /新潮文庫
    3.11、あの直後になにがあったのか、リアルなレポート。すごい。
『三陸海岸大津波』 吉村昭 /文春文庫
    百年前になにがあったのか。
『技術にも自治がある』 大熊孝 /農山漁村文化協会
    土木を志す人の必読書。目から鱗が落ちます。
『三題噺』 加藤周一 /ちくま文庫
    三題噺のどれもいいが、特に富永仲基がいい。すごい人がいたんだね。
『乾燥なめくじ 生ひ立ちの記』 吉阪隆正 /相模書房
    師匠の本。たくさん著書があるけど、これが一番分かりやすい。
『この時代に想うテロへの眼差し』 スーザン・ソンタグ /NTT出版
    この中の、サラエボでゴドーを待ちながら、がいい。
『滑稽糞尿譚』 安岡章太郎 /文春文庫
    笑いを取り戻すには最適。
『正統とはなにか』 チェスタトン /春秋社
『大衆の反逆』 オルテガ /ちくま学芸文庫
『社会契約論』 ルソー /岩波文庫
    どれでもいいから読むべき。きっと役に立つ。
『堕落論』 坂口安吾 /新潮文庫
『日本文化私観』 坂口安吾 /講談社文芸文庫
    坂口の語りは古くならない。人間の本質を抉る。

■若い建築家に勧めるやや偏った本10冊

『ヤミ市跡を歩く』 藤木TDC /実業之日本社
    東京都いう街の本当の魅力はこれを知らなきゃ分からない。
『ピーター・ライス自伝』 ピーター・ライス /鹿島出版会
    構造とはなんとロマンチックなものか。
『ユーパリノス ―あるいは建築家』 ポール・ヴァレリー /審美文庫
    建築を思考する事の西欧的文化。
『建築はほほえむ』 松山巖 /西田書店
    優しい気持ちになる。
『造ったり考えたり』 内田祥哉 /内田先生の本刊行委員会
    タイトルが好きだ。
『都市計画家 石川栄耀 ―都市探求の軌跡』 中島直人ほか /鹿島出版会
    こんな人がいたことを知ってほしい。
『東京の都市計画家 高山英華』 東秀紀 /鹿島出版会
    戦後の都市と建築を知るにはこの人を知るべき。
『茶の本』 岡倉天心(岡倉覚三) /岩波文庫
    もちろん、必読書。でも、これを消化するのは難しい。
『陰翳礼讃』 谷崎潤一郎 /中公文庫
    当然これも必読書。
『春宵十話』 岡潔 /光文社文庫
    本当の知性とはこういうもんです。
『ツナミの小形而上学』  ジャン・ピエール・デュプュイ /岩波書店
    すべてはリスボン大津波から始まった。
    ルソーの『社会契約論』も合わせて読むといい。

■勧めはしないがやや偏ったわたしの本 これは解説をしない。

『構造デザイン講義』/王国社
『環境デザイン講義』/王国社
『形態デザイン講義』/王国社
『建築のはじまりに向かって』/王国社
『建築のちから』/王国社
『場のちから』/王国社
『空間のちから』/王国社
『著書解題』/INAX出版
『内藤廣と若者たち 人生をめぐる一八の対話』/鹿島出版会
『内藤廣の頭と手』/彰国社
『検証 平成建築史』/日経BP社
『内藤廣設計図面集』/オーム社
『建築の難問 新しい凡庸さのために』/みすず書房
『建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 青鬼と赤鬼の果てしなき戦い』/グラフィック社

[青] きりがないから今回はここまで。

[赤] 今時の若い奴らに、わっかるかなー。

[松岡] わっかんねーだろうなー。

[赤] わっかんねー奴は千夜千冊を読んでみること。

今回も、おあとがよろしいようで…。「やや偏ったわたしの本」については赤鬼・青鬼が解説してくれないようなので、この本については編集担当の宮沢(元日経BP、現BUNGA NET)から一言解説を。

『検証 平成建築史』/価格:3,520円(税込)/発行日:2019年04月01日/著者名:内藤廣+日経アーキテクチュア (著)/発行元:日経BP/ページ数:320ページ:判型:B5:出版社のサイトはこちら

バブル崩壊後の30年間で、建築界に何が起こったのか。内藤廣氏をナビゲーターとして「平成」の災害・事件・建築デザインを検証する。10回ほど通ったインタビューの最後の見出しは、「平成の騒がしさは無駄ではない」。令和も6年となり、さて、無駄ではなかったものとなりつつあるのか? という視点で改めて読むのも面白いかも。(太字部は宮沢洋)

内藤 廣(ないとう・ひろし):1950年横浜市生まれ。建築家。1974年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学院理工学研究科にて吉阪隆正に師事。修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て1981年、内藤廣建築設計事務所設立。2001年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、2002~11年、同大学教授、2007~09年、グッドデザイン賞審査委員長、2010~11年、東京大学副学長。2011年、東京大学名誉教授。2023年~多摩美術大学学長

「風景」重視で生まれた長さ160mの南阿蘇鉄道「高森駅」、未来の漫画家たちにも刺激?

 2016年4月に発生した熊本地震で大きな被害を受け、2023年7月に全線が復旧した南阿蘇鉄道。全線開通に合わせて開業した「高森駅」は、その時点では計画の約半分の1期(駅舎)が完成した状態だった。その状態で本サイトでちらりと紹介しているが(こちらの記事)、2024年7月、第2期に当たるラウンジ棟・回廊・芝生広場が完成し、設計者が目指した「とにかく広いプラットフォーム」の全貌が現れた。

(写真:宮沢洋、特記以外は2024年9月に撮影)

 設計者は、公募型プロポーザルで選ばれたヌーブの太田浩史氏。発注者は高森町で、「くまもとアートポリス事業」の1つとして進められた。2018年に実施された公募型プロポーザルの審査委員長は伊東豊雄氏(くまもとアートポリス・コミッショナー)が務めた。優秀賞(次点)は千葉学建築計画事務所だった。

 当選したヌーブの案は、120m×16mの「とにかく広いプラットフォーム」を提案。「町と駅を近づける」「夕焼けを見る」「トロッコ列車の体験を豊かにする」「プラットフォームを旅する」の4つの視点からこうした案となった。伊東委員長は審査講評で、「最大の魅力は、建物そのものというよりは、この駅が風景をつくっている点だ。町から駅に入ってきた際に印象に残る新鮮な風景を持って、他の場所には無いような駅が誕生するであろうという点が最優秀案に選定した大きな理由であるといってよいと思う」と評していた。

これは1期の駅舎が完成したときの状態。右奥の旧駅舎(塔のある建物)を解体して2期のラウンジ棟が建った(2023年8月撮影)

 さて、2期が出来上がり、どんな建築になったのか──。

 以下、高森町の広報誌「広報たかもり」の紹介文(太字)とともに、写真を見ていこう。

上の写真と同方向から見る

世界にひとつしかない駅
 新しい高森駅には駅前ロータリーがありません。駅前には、塔と回廊で囲まれた芝生広場があります。改札口がなく、地続きの「とにかく広いプラットフォーム」となっています。こうした特徴は、高森駅が南郷谷の一番奥の高地にあり、壮大なカルデラを見渡すことができるという地形的条件から生まれました。現在の湧水トンネル公園の出水で線路の延伸が叶わず、夕日を眺めることができる西向きのプラットフォームになったことも大きな魅力となりました。終発着駅ということで、列車の入れ替え作業を間近で見ることもできます。新しい高森駅は、町に列車がやってくる喜びを表すために作られました。

 皆が集う交流の場に新しく完成した交流施設の魅力をご紹介します。熊本地震の大きな被害を乗り越えた、世界にひとつしかない駅に是非お越しください!

左側が1期の駅舎、右が2期のラウンジ棟

とにかく広いプラットフォーム
 総長160メートルのプラットフォームは西向きに作られているので、カルデラに沈む夕日を見ることができます。夕日と列車がおりなす雄大な風景をお楽しみください!

ステージ
 これまでの駅にあったステージの継承。交流施設から回廊が伸びているため雨天でも使用できるような設計になっています。

南郷檜の塔
 旧駅舎のイメージを継承するために、町から見える塔が作られました。夜になるとライトアップされ、ぼんぼりのような優しい光に包まれます。

芝生広場
 人々の集いの場にもなる芝生広場。高森駅のシンボルフランキー像も阿蘇山の景色や、夕焼けをバックにした写真スポットにピッタリです。朝から夜まで違った景色を楽しめる広場になっています。

回廊
 南郷檜でつくられた高森オリジナルの「修羅組み」が見どころ。「修羅組み」は場所によって伸びたり、縦方向に拡がったり、積み重なります。場所によって違う見え方ができ、木の表情を楽しむことができます。

みんなの書斎
 じゅうたん敷きの「みんなの書斎」は地元学生たちによるワークショップで提案された誰でも使えるまちのラウンジです。

 高森町の広報誌にもある「修羅組み」とは、三次元相持ちの木構造のこと。最近よく聞く言葉でいえば、レシプロカル構造(接合部に多くの部材が集中することを避け、部材同士が互いに支え合う構造)だ。

駅舎内(2023年8月撮影)
駅舎に併設された漫画家色紙展示室

 ところで、「高森町」といえば漫画好きはピンとくるだろう。2023年に熊本県立高森高校に公立初の「マンガ学科」が設置されたことで話題なのだ(筆者もテレビの報道番組で見たが、すごいレベル!)。同校はこの駅から徒歩数分のところにある。2018年時点で伊東委員長が「印象に残る新鮮な風景を持って、他の場所には無いような駅が誕生するであろう」と書いているのは予言的だ。きっと何年後かに、この駅の風景(もしくはそこから想起された風景)が登場するヒット漫画が生まれることは間違いない。(宮沢洋)

日曜コラム洋々亭64:隈研吾×シャープの空気清浄機デビュー、発表会で改めて思う隈氏の“位置付け力”

  何かと話題の隈研吾氏がシャープの「空気清浄機」の発表会に登壇するというので行ってきた。

シャープが9月26日、東京エディション虎ノ門で開催した発表会にて。左から2番目が隈氏、その右隣がシャープの沖津雅浩社長シャープは隈氏のデザイン監修のもと、外装に本物の木材を使用したプラズマクラスター空気清浄機<FU-90KK>を10月21日に発売する
プラズマクラスター空気清浄機FU-90KK。希望小売価格(税込)550,000円。発売日2024年10月21日。月産台数最大100台。大量生産できないため、メインの販売先は法人になるという
(さらに…)

愛の名住宅図鑑13:誰もが住みたくなる共感度マックスの巨匠の家~愛の名住宅図鑑13「前川國男邸」(1942年)

 筆者はこれまでたくさんの名住宅を見てきた。実際に訪れると、写真で想像していた以上に感動することが多い。だからこういう連載をやっている。だが、自分でも「住みたい」と思う住宅は、実は少ない。その少ない中の1つがこの「前川國男邸」(1942年竣工)だ。

(イラスト:宮沢洋)

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