今回の「洋々亭」は最近、私(宮沢)が刺激を受けた2冊を紹介したい。

建築家という職業は女性にモテるのか? この映画を見ると、力強く「イエス」と答えたくなる。とはいえ、「モテたいから建築家になりたい」という人には、この映画はお薦めしない。そこで描かれている現実は、「有名な建築家になりたい」というパッションを急速に冷ましてしまうに違いない。
続きはこちら。
「ドクターX~外科医・大門未知子~」は2012年から始まって、断続的に現在まで続いている大人気のテレビドラマシリーズ。米倉涼子が演じる外科医の大門未知子は、フリーランスの医師として病院に派遣されている。「わたし、失敗しないので」が口癖の天才外科医で、医局の医師たちと軋轢(あつれき)を生みながらも、手術の腕をもって彼らを出し抜いていくという痛快なストーリーだ。
そのなかで印象的なのが、回診のシーンだ。(文:磯達雄)
続きはこちら。(東芝エレベータのサイト「よくわかるエレベーターと建物のこと」に飛びます)
エッフェル塔に似た形の東京タワー、正しいのはどれ?
(1)エッフェル塔も東京タワーも鉄骨造だが、背の高い東京タワーの方が重量が軽い
(2)エッフェル塔も東京タワーも鉄骨はすべて構造材で、「意匠」の鉄骨部材はない
(3)東京タワーは外周だけが鉄骨造で、中心部(心柱)は鉄筋コンクリート造
答えはこちら。(しんこうWebに飛びます)
横浜の「BankART Station」で1月12日から「ポストバブルの建築家展-かたちが語るとき-アジール・フロッタン復活プロジェクト」が始まった。昨年12月に兵庫県立美術館ギャラリー棟で行われた同名展の巡回展だ。初日に早速、のぞきに行ってみた。
今回は「スパゲティ・ナポリタン」の話から始めたい。訪ねたのは東京・上野にある「国立国会図書館 国際子ども図書館」だ。その1階にある「カフェ ベル(Bell)」で、1年ほど前からナポリタンを注文する人が急増しているというのである。
続きはこちら。
「渋谷区松濤美術館」の開館40周年記念展「白井晟一入門」の第2部が1月4日から始まる。第1部の会場の様子は、すでに昨年10月にリポートしているが(こちらの記事)、筆者はむしろこの第2部の方を楽しみにしていた。なぜ第2部が楽しみだったかというと、展覧会なのに展示物がほとんどないと聞いていたからだ。そのおかげで、今しか見られないこんな空間が見られる。
同じ地下1階展示室は、第1部ではこんな様子だった。
「展示物がない企画展」というと、2020年夏に世田谷美術館で開催された「作品のない展示室」が記憶に新しい。これは、コロナ禍で開催できなくなった企画展の穴埋めとして、急きょ、設計者である故・内井昭蔵が意図した“素の空間”を無料で見せることにしたものだった(詳細はこちらの記事→世田谷美術館「作品のない」企画展、ベテラン学芸員から若手へのバトン)。世田谷美術館では、普段ほとんど閉ざされている開口部が展示室に現れ、公園と一体化する美術館というコンセプトが実感できた。
今回の松濤美術館の展示は、「設計者が意図した空間を見せる」というコンセプトを、コロナ禍の穴埋めではなく、戦略的に企画展後半戦のメイン企画として位置付けたもの。入館料は一般1000円で、第1部と変わらない。なかなかに攻めた企画。しかし、これは建築好きにとっては十分、1000円の価値がある体験だ。
会場の渋谷区松濤美術館(1980年竣工、81年開館)は白井晟一(1905~83年)の晩年の代表作。1階の入り口を入ると、2階と地下1階にいずれも馬蹄形の展示室がある。
冒頭で触れたように、変化が分かりやすいのは地下の展示室だ。普段は仮設の壁などでふさがれた池が展示室から見える。
本展に限り、この展示室を見下ろすバルコニーに、池の上に架かるブリッジ(1階)を渡って入ることができる。いつもは作品保護のため、ブリッジからバルコニーには入れない。
その体験がなぜ重要かというと、白井は当初、このブリッジを渡って、地下の展示室に降りる動線を考えていたからだ。本展の数少ない展示物の1つがこれ↓。設計初期の1階平面図だ。
この図面を見ると、現在の屋内バルコニーはない。ブリッジを渡って展示室内に入った後、ふた又に分かれたらせん階段で地下1階に降りる動線だ。
想像も交えて、写真に階段を描き加えてみた。
確かにドラマチックではあるけれど、湿気を含んだ外気が展示室に入るなんて、そりゃ反対されるわ……と、突っ込みを入れたくなる。
もう1つの展示室、2階の方は、地下とは逆に「いつもはないものがある」展示だ。白井が意図したイメージで、ソファがW字にゆったりと置かれているのだ。
貴族の大豪邸か!? 客間で絵を見るようにゆったり作品を見せたいのは分かるけれど、こんなにソファを置いたら、作品がちょっとしか置けないよ……と、これも矢継ぎ早に突っ込みを入れたくなる。
奥の小部屋も、アーチ型の入り口に、いつもは見えない引き戸が見えていて、なるほど本当はいちいち扉を開けて入らせたかったのだな、ということが想像できる。
そんなふうに、白井が当初イメージした空間が体験でき、併せてこの建築を生かす展示や運営がどれほど大変かということも想像が沸く。
本展を見て「これは美術館建築として失敗だ」なんて思う人は、建築好きにはたぶんいないだろう。常識にとらわれない白井の発想は刺激になるし、今後こんなふうに使ったらどうか、と考える訓練にもなる。白井ファンならずとも必見だ。第2部は1月30日(日)まで。新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、土・日曜日、祝日および最終週(1月25日~30日)は「日時指定制」とのこと。(宮沢洋)
■白井晟一入門 第2部/Back to 1981 建物公開
会期:2022年1月4日(火)~1月30日(日)(第1部「白井晟一クロニクル」は2021年10月23日~12月12日)
■渋谷区立松濤美術館
所在地:東京都渋谷区松濤2-14-14)
アクセス:JR・東急電鉄・東京メトロ 渋谷駅から徒歩15分、京王井の頭線 神泉駅から徒歩5分
公式サイト:https://shoto-museum.jp/exhibitions/194sirai/
明けましておめでとうございます。2022年も建築ネットマガジン「BUNGA NET」をよろしくお願いいたします。新年1本目は、前年の年間PV(ページビュー)ベスト10。出し惜しみせず、1位から行きます。
◆1位
中銀カプセルタワービル解体へ、メディアが取り上げない「3つのこと」(2021年8月23日)
夏に上げた記事なのに、検索サイトからの流入がいまだに続く。「BUNGA NET」のPV記録を大幅更新した記事。読んでいるのは、たぶん一般の建築好きの人。
◆2位
速報:内藤廣氏設計「紀尾井清堂」を見た! 都心の一等地に「機能のない」光の箱(2021年7月28日)
PV記録を先に更新したのはこっちの記事だった。内覧会のその日にアップしたので、建築関係者に一気に広まったと思われる。
◆3位
タワークレーンが20基以上、着工から1年の「北海道ボールパークFビレッジ」の現場を見た!(2021年4月26日)
当初は日ハムファンに読まれていたと思うが、ビッグ・ボス新庄監督の就任が決まってからは、さらに広く読まれるようになった。
◆4位
神戸にデジタル演出の新感覚水族館、外観はアナログ感あふれる“地層”洗い出し(2021年8月20日)
見出しでは分からないが、これは10月29日に神戸に開館した都市型アクアリウム「átoa(アトア)」の現場リポート。アトアがオープンしたことで、検索に引っ掛かりやすくなった模様。
◆5位
速報!「村上春樹×隈研吾」早大ライブラリー、アコヤ材で再生した旧4号館はこんな普通の建物だった(2021年9月22日)
ものすごい数のメディアが会見に来ていたが、もとになった早大・旧4号館は私が所属していた政治経済学部の建物なので、他メディアよりも情報がディープ。
◆6位
代々木競技場が重要文化財内定、「世界初の二重の吊り構造」を世界一わかりやすく解説します!(2021年5月21日)
重文決定直後の国立代々木競技場の魅力解説。過去に描いたイラストを組み合わせてBUNGA(文・画)らしく構成。
◆7位
池袋建築巡礼08:今夏で閉館の「池袋マルイ」、毎日見ても飽きない「白メシ建築」の謎を追う(2021年5月17日)
自分の納得感でいえば、この記事が2021年のベスト記事。こういう記事が読まれるのはうれしい。
◆8位
7人の名言05:黒川紀章「安藤忠雄は時代を見抜いたのではなく、彼の個性がたまたま…」(2020年5月20日)
この記事はBUNGA NETを立ち上げて間もない2020年5月に書いた記事。なぜ今ごろ読まれているかというと、1位の「中銀カプセルタワー」の記事にリンクを張っていたから。これも好きな記事なので、改めて読まれてうれしい。
◆9位
前田節全開の「モダン建築の京都」展が開幕、お宝を値踏みする骨董市のごとき建築展(2021年9月24日)
見出しに補足すると、前田節というのは、展覧会の企画者で京都市京セラ美術館キュレーター前田尚武氏のこだわりのこと。展覧会の記事を書くときには、「いかにニュースリリースと違うことを書くか」を心がけている。この記事はまさにそれ。
◆10位
世界初・CLT折板構造の音楽ホールを速報! 隈研吾氏らによる桐朋学園仙川キャンパス第2弾が完成(2021年3月22日)
“隈研吾ウオッチャー”として、隈氏の建築はできるだけ見に行くようにしている。5位の村上春樹ライブラーは話題性だと思うが、一見地味なこの記事が読まれたのは、この建築を好きな人が多いということ?
◆おまけ
BUNGA NETには「越境連載」と呼んでいるものがいくつかあって、このサイトに載せた記事を他サイトに転載してもらったり、他サイトに私(宮沢)が寄稿したものをこちらに同時掲載させてもらったりしている(もちろん許可を得たうえで)。その1つに、大バズリした記事があった。「JBpress」に載った下記の記事だ。
“恐怖のエスカレーター”作った理由と撤去した理由(JBpress/2021年11月7日)
なんとこの記事、100万PVを超えたという。10万ではなく100万である。そんなPV数は前職時代も見たことがない。さすが一般ビジネスサイト。これは私の人生で最も読まれた記事になる可能性が高い。うれしいやら恐ろしいやら。
JBpressの記事は最後まで読めないかもしれないので、続きが読みたい人は下記をご覧いただきたい。
池袋建築巡礼10:「東京芸術劇場」(後編)、2度の改修で知る大御所・芦原義信の挑戦心
実は、元のBUNGA NETの記事はそれほど読まれなかった。JBpressの見出しと見比べると、JBpressの方が確かに面白そうだ。WEBにとっていかに見出しが重要か、という教材になりそうな話だ。
とはいえ我がBUNGA NETも、1年目より月平均PVが2倍以上に伸びている。今年もいろいろ試行錯誤をしながら、ここでしか読めない記事をお届けします。引き続きご愛顧ください。(宮沢洋)
いよいよ最終回である。「今年見たものは今年のうちに」ということで、まだ取り上げていない建築を大晦日に駆け込みで紹介する。
まずは、長谷川逸子氏が設計した3件。
「ミウラート・ヴィレッジ(三浦美術館)」は、三浦工業を中心とする三浦グループの敷地の一角にある民間美術館。車でないと行きづらい場所だが、長谷川氏のランドスケープづくりのうまさがよく分かる施設で、行く価値あり。三浦工業の創業者、故三浦保氏自作の陶板画や国内外の芸術家の作品を屋外展示しており、館内では企画展を開催している。
◆ミウラート・ヴィレッジ(三浦美術館)
松山市堀江町1165−1
設計:長谷川逸子
竣工:1998年
参考サイト:https://www.miuraz.co.jp/miurart/
市の中心部にあって外観がひときわ目立つのが「菅井内科」。「坂の上の雲ミュージアム」のすぐそばだ。通りから外観を見るだけで楽しい。敷地に入って見るともっと楽しい(らしい)。子どもの病院嫌いが和らぎそうだ。
◆菅井内科
松山市一番町3−3−3
設計:長谷川逸子
竣工:1986年
長谷川逸子氏が松山市で設計を手掛けるようになったきっかけは、1979年に竣工した「徳丸小児科」だという。それは現存しないが(見たい方はこちら)、新しい建物も長谷川氏の設計だ。おお、これはこれですごい。
◆徳丸小児科
松山市古川北3丁目4−15
設計:長谷川逸子
竣工:2005年
参考サイト:https://www.kadoyagumi.com/works/works-900
ダブルスキンの間にびっしりとツル植物が繁茂している。医院の方に確認したが、植物は本物であるという。確かに、よく見ると、点滴潅水の装置が機能していた。
現存しない名建築ということでいえば、丹下健三の「愛媛県民館」(1953年)。
同じ丹下健三の設計で建て替えられた「愛媛県県民会館」は、こうなった。
◆愛媛県県民会館
松山市道後町2-5-1
設計:丹下健三
竣工:1985年
マッチョな60年代モダニズムが好きな人は、ちょっと山奥にはなるが「ホテル奥道後(現・奥道後壱湯の守)」も見逃せない。設計は西脇市民会館(1962年)や大阪万博協会本部ビル(1967年)などを設計した根津耕一郎氏。「東の黒川紀章、西の根津耕一郎」と称された建築家だ。
◆ホテル奥道後(現・奥道後壱湯の守)
松山市末町267
設計:根津耕一郎
竣工:1967年
参考サイト:https://www.okudogo.co.jp/
私が行った日はまさかの点検休館日で、ラウンジだけちら見させてもらった。レトロ・フューチャー!
建築好きでない人と行っても一緒に楽しめるのが「伊丹十三記念館」だ。設計は中村好文氏。建築も味わいがあるけれど、とにかく展示内容が面白くて見入ってしまう。
◆伊丹十三記念館
松山市東石井1−6−10
設計:中村好文
竣工:2007年
参考サイト:https://itami-kinenkan.jp/information/index.html
伊丹十三記念館を見に行ったら、北に少し歩いて、この建物(下の写真の左)もちら見しておきたい。
◆松山ITM本社ビル
松山市東石井1丁目7−13
設計:伊東豊雄
竣工:1993年
参考サイト:http://www.toyo-ito.co.jp/WWW/Project_Descript/1990-/1990-p_08/1990-p_08_j.html
同館の設立に協力したITMグループの本社ビルだ。ITM(ICHIROKU TOTAL MIXTURE)グループは、株式会社一六本舗(菓子製造販売)、株式会社一六(レストラン)などを経営する会社。そうか、松山銘菓の「一六(いちろく)タルト」の会社だから外壁が曲面なのか、と勝手に納得。
ふうっ、やっと書き終わった。いかがでしたか?
今回紹介した建築を黄色ピンで加えて、道後・松山マップが完成!(松山辺りを拡大して見てください)
この連載で紹介した建築は、地図を数えたら28件あった。もちろん4泊5日では行き切れなかった心残りもあるのだが、皆さんが旅の計画を立てる参考にはなるのではないか。
各回のタイトルにリンクを張っておくので、ご参考まで。(宮沢洋)
【最強の道後建築案内/掲載リスト】
01:私が今、道後温泉にいる理由と、初めての松山城
02:温泉街の顔、復元駅舎から黒川紀章の現代和風まで徒歩散策
03:道後温泉本館の“魅せる保存修理”を可能にした「3つの奇跡」
04:秘めた迷宮空間にサラブレッド・木子七郎の反骨精神を見た
05:伝説の地方建築家、松村正恒の少し意外なクール系建築
06:長谷部鋭吉から「myu terrace」まで“日建大阪”を松山で知る
07:安藤忠雄氏の知る人ぞ知る傑作「瀬戸内リトリート青凪」を見た!
08:いよいよ総まとめ、長谷川逸子から伊東豊雄まで「松山27選」
今回は松山市内の安藤忠雄氏の建築を2つ巡る。メインはこの建築だ。
その前に、一般によく知られているのはこちらの「坂の上の雲ミュージアム」の方なので、こちらから。松山城本丸の南側、萬翠荘に向かう坂道の途中にある。
◆坂の上の雲ミュージアム
松山市一番町三丁目20番地
設計:安藤忠雄建築研究所
竣工:2006年
参考サイト:https://www.sakanouenokumomuseum.jp/about/construction/
大通りの裏側の変形敷地でも、この場所ならではの造形を生み出すのはさすが安藤氏。
地下1階、地上4階建て。1階はピロティ状で、スロープで2階にアプローチする。内部は三角形平面の各階をスロープで上る構成。分かりやすい「坂の上」の表現だ。天候によっては、西側の開口部から萬翠荘(設計:木子七郎)がよく見える。
三角形の中心にはマッシブなコンクリートの階段が架かる。
そして、松山のもう1つの安藤建築は、あまり知られていないが、これが本当にすごかった。1998年に完成したホテル「瀬戸内リトリート青凪(あおなぎ)」である。正確に言うと、1998年に完成したときには「エリエールスクエア松山」という名の、大王製紙のゲストハウス兼ミュージアムだった。
大王製紙が2015年にホテルとしてリニューアルし、(株)温故知新(東京)が運営するホテル「瀬戸内リトリート青凪」となった。
◆瀬戸内リトリート青凪(旧・エリエールスクエア松山)
松山市柳谷町794-1
設計:安藤忠雄建築研究所
竣工:1998年
参考サイト:https://www.setouchi-aonagi.com/
敷地は「エリエール ゴルフクラブ松山」のすぐそば。松山市の中心部から車で30分ほどかかるので、出張のついでに見られる機会はなかった。ホテルになってからは、一般の見学は受け付けていない。今回は道後クリエイティブステイの特権で、事前にアポを入れて見学させてもらった。
前面道路からは、石垣のような擁壁と建物の一部しか見えない。
だが、施設内に足を踏み入れると、驚きとため息の連続。
客室は全7室。いくつかを見せてもらった。絵画のように構成的なインテリアに加え、開口部から見える風景に目が点。
単に「美しい風景」を見せるのではなく、建築を挿入することで「そこにしかない風景」を再構築している。軸線のずれや高さの違いによって、複雑な「見る・見られる」関係をつくり出しているのだ。
この建築は、私が前職時代に編集に参加した「安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言 (NA建築家シリーズ特別編)」(2017年、日経BP刊)の「50の建築」に選ばれていない。うーむ、痛恨のエラー。もし私が実物を見ていたら、絶対に選んだと思う(ちなみに「坂の上の雲ミュージアム」は選ばれている)。
繰り返しになるが、基本的に見学は受け付けていないので、本当にすごいのかを確かめたい人は宿泊してみてほしい。安くはないけれど、あなたが安藤ファンであれば、自信を持ってお薦めする。
宿泊の詳細や予約はこちらから→ https://www.setouchi-aonagi.com/
今回の2件を紫のピンでマップに加えた。松山の辺りを拡大してみてほしい
次回はいよいよ最終回。道後・松山建築マップを完成させる。(宮沢洋)
今回は松山市内にある日建設計の建築を巡る。私が『誰も知らない日建設計』という書籍を出したので、それの宣伝?と思われるかもしれない。それもあるがそれだけではない。皆さんにこの建築を知ってほしいからだ。
松山市の中心部、第4回で紹介した「愛媛県庁舎」(設計:木子七郎)から南に徒歩数分のところにある「伊予銀行本店」である。
この松山シリーズの中で、おそらく今回が一番ディープな内容となる。ほとんどの人はどの建築も知らないだろう。建築編集者歴30年の私も、1つも知らなかった。でもすごくいい。建築家・松村正恒(まさつね、1913~1993年)の民間建築である。取り上げるのは例えばこれだ。
さて今回は、道後滞在の主目的である「道後温泉本館」である。
ここには出張ついでに何度か来たことがあって、2014年には「建築巡礼」でも取り上げている(書籍『プレモダン建築巡礼』に収録。WEB版の記事はこちら)。実は今年(2021年)の夏にも出張で来た。そのとき、上の写真のようなダイナミックな光景(この状態でも営業している!)に心を打たれたことが、今回の道後クリエイティブステイに応募したきっかけだった。
(さらに…)【最強の道後建築案内/掲載リスト】
01:私が今、道後温泉にいる理由と、初めての松山城
02:温泉街の顔、復元駅舎から黒川紀章の現代和風まで徒歩散策
03:道後温泉本館の“魅せる保存修理”を可能にした「3つの奇跡」
04:秘めた迷宮空間にサラブレッド・木子七郎の反骨精神を見た
05:伝説の地方建築家、松村正恒の少し意外なクール系建築
06:長谷部鋭吉から「myu terrace」まで“日建大阪”を松山で知る
07:安藤忠雄氏の知る人ぞ知る傑作「瀬戸内リトリート青凪」を見た!
08:いよいよ総まとめ、長谷川逸子から伊東豊雄まで「松山27選」
12月19日から愛媛県松山市の道後温泉に“ワーケーション”に来ている。この言葉、自分に使うのは初めてだ。念のため説明しておくと、ワーケーションとは「ワーク(仕事)+バケーション(休暇)」で、「喧噪や無機質な都市を離れ、豊かな自然環境や落ち着いた雰囲気の中で働くことで創造性や生産性が高まる」という、新時代の働き方を指す。1日に三度温泉に浸かって、合間に原稿やイラストを描く──。そんな明治の文豪のような生活をしてみたかったのである。
なぜ宮沢(私)にそんなお金が、と不思議に思われると思う。ご明察である。「自費」ではない。「みんなの道後温泉 活性化プロジェクト クリエイティブステイ公募クリエイター」(未来へつなぐ道後まちづくり実行委員会主催)というものに当選したのである。
9月下旬に、たまたま聴いていたFMラジオで募集情報を知り、「道後温泉本館の耐震改修工事を取材したい」と申し込んだら、当選した。くじ引きではなく、審査である。応募人数753人に対し、選ばれたのは50人(興味がある人はこちら)。倍率15倍だ。後で知ったのだが、審査員の1人が建築史家の五十嵐太郎さんだった(募集要項には書かれていなかった)。なんてラッキー。
人によって滞在時期は違うのだが、私の場合は道後温泉に12月19日から22日まで4泊5日滞在する。往復の旅費と宿泊費が実行委員会負担。「道後温泉地区に1週間程度滞在し、地域の歴史、文化、人、風景などに触れながら、創作や交流活動を行います。プログラムを通して、道後温泉で文化芸術活動を行う人材を発掘し、多様な視点や感性を通して道後温泉をPRします」というのが募集要項に示された条件で、「何をいつまでにしなければならない」という義務はない。私の場合は、道後温泉本館を取材したいと応募したので、それをいつか発信すれば役目は果たされる。取材日以外は、ゆっくりお湯に浸かって、1年の疲れを癒そう──。そう考えていたのだが、そんはふうにはいかなかった。
1つ目の見込み違いは、抱えている仕事が全く終わらなったこと。応募した時点では全く想像していなかった量の仕事を抱えたまま道後入りすることになった(涙)。本当に仕事の生産性が上がるのかを試される真のワーケーションである。
2つ目の見込み違いは、松山市内の建築を調べ始めたら面白くて、しらみつぶしに見たくなってしまったこと。そして、根っからのメディア体質なので、見たものは書かないと気が済まない。誰に約束したわけでもないのに、「道後建築案内」の連載をリアルタイムで始めることにした。しかも、やるからには「どの観光ガイドにも負けないものを目指そう」と、「最強の」という惹句(じゃっく)を付けてしまう悲しい性(さが)……。というわけで、これから1週間ほど、道後・松山ルポにお付き合いいただきたい。
ここからようやく本題の建築案内である。
初日にまず訪れたのは、松山の都市づくりの原点ともいえる松山城。よくあるコンクリート復元の城ではなく、本物の木造の城だ。松山には何度か訪れたことがあったが、実は松山城は始めて。城山公園などから本丸がよく見えるものの、歩いて登るのはしんどそうな高さにあり(本丸の標高は132m)、出張のついでではなかなか登る時間がなかった。今回はここからスタートしようと決意して調べてみると、なんのことはない、東側にロープウェイがあった。約3分で山頂駅「長者ヶ平(ちょうじゃがなる)」に着く。そこからさらに10分ほど歩くと本丸だ。
松山城は松山市の中心部、勝山に築かれた山城。関ヶ原の戦いで活躍した加藤嘉明が初代藩主となり、慶長7年(1602)から四半世紀をかけて築城した。現在の形は、1635年に城主となった松平定行が増改築して完成させた。層塔型天守が小天守および隅櫓と結ばれた連立式の構造で、防備に優れた建造物群は日本の代表的な城郭建築とされる。しかし当初の天守は1784年の落雷で焼失。その後、江戸末期の1854年に再建された。それでも、全国で12カ所しか残っていない江戸時代以前から現存する12天守の1つだ。天守内も公開されており、最上階からは360度のパノラマが望める。
そんなことはどのガイドブックにも書いてあるって? はい、ここからです。建築編集者としての独自視点で言うと、登ってみて感動したのはこのアングルだ。
地上から見ていたときには全く想像していなかった“見開き映え”構図。これは、本丸の最終ゾーン「本檀」に入る際の光景だ。防備に優れた戦闘型の城と評される松山城だが、ここは明らかに見た目の美しさを意識している。
左の小天守(登録文化財)と右の一の門南櫓(重要文化財)を筋鉄門東塀 (重要文化財) で結び、それらでトリミングして中央の天守を強調する。左右の建物(小天守と櫓)は全く大きさが違い、位置も違うのに、巧妙に線対称っぽく見えるようバランスさせている。すばらしいプロポーション感覚。これを見ただけで上った甲斐があった。
もう1つ気になったのは、建物ではなく、この説明書き。
「昭和10年(1935年)国宝に指定されたが、同25年(1950年)、法の改正により重要文化財となった」。
この恨みがましい文面が、何度も説明書きに現れるのである。あれ、松山城って国宝じゃなかったの?。
調べてみると、こういうことらしい。
・12の現存天守のうち、姫路城・彦根城・松本城・犬山城は国宝に指定されており、「国宝四城」と呼ばれていた。2015年に松江城が国宝に加わる。
・松山城は、かつて存在していた国宝保存法に基づいて1935年に国宝に指定されていた。
・1950年に国宝保存法は廃止され、文化財保護法が制定された際、国宝とされていたものは重要文化財に変更され、その中で価値の高いものを選別し、改めて国宝に認定していった。
・松山城は、新たに国宝を認定する段階で指定されず、タイミングを逸したまま、現在に至る。。
ネットを調べていたら、2015年に「松山城が国宝に再指定されることが決まった」という報道もあったが、松山城の公式サイトにも文化庁のサイトにもそのような記述は見つからなかった。勇み足か…。
私は意外と城好きなので、国宝四城には行ったことがある。姫路城と松本城は別格として、彦根城と犬山城にこの松山城が劣るとは思えない。文化庁が認めようが認めまいが、みんなの心の中の「国宝級」でいいのではないか。実物を見てそう思った。(宮沢洋)
次回の記事:温泉街の顔、復元駅舎から黒川紀章の現代和風ホテルまで徒歩散策https://bunganet.tokyo/dogo02/
北海道・古平(ふるびら)町は2020年2月、北海道内で初めて「ゼロカーボンシティ宣言」を行った自治体だ。町民やマスメディアに向けてその範を示すことになる省エネ庁舎の建設が大詰めを迎えている。設計・施工とも大成建設。2022年春から使用開始予定の新庁舎の現場を訪ねた。
オーストラリア・シドニーの「オーストラリア・デザインセンター」で11月30日から日本の建築家・葉祥栄氏(ようしょうえい、1940年生まれ)の展覧会「Revisiting Shoei Yoh 葉祥栄再訪」が始まった。リアルの展覧会と同時に開催されるVR展覧会も12月2日に一般公開された。
「あとがき」から本を読むという人は多いかもしれない。筆者もその1人だ。あとがきには、つくり手の想いが凝縮される。拙著『誰も知らない日建設計』(日本経済新聞出版、11月19日発刊)の発刊を記念して、同書のあとがきを掲載する。(宮沢洋)
近刊『誰も知らない日建設計』(宮沢洋著)の発刊を記念して、ビジネスサイトの「JBpress」にて、宮沢による全3回の短期連載が始まった。
「日建設計」という会社は、一般の人にはほとんど知られていないだろう。同社は、建築設計分野では世界最大級の設計会社だ。書籍『誰も知らない日建設計』を執筆した元建築雑誌記者の宮沢洋氏が、同社のユニークさを3回にわたり読み解く。(JBpress)
「東京タワー」「東京ドーム」「東京スカイツリー」。日本人であればまず知らない人はいないだろうと思われるこの3つの建築。その共通項は何か──。そう問われたら、名門大学のクイズ王でも即答するのは難しいのではないか。
(さらに…)東京都新宿区百人町の会員制アートスペース「WHITEHOUSE」で、建築家コレクティブ「GROUP」による「手入れ/Repair展」が11月21日(日)まで開催されている。20日は一般公開日で、非会員も見られる。WHITEHOUSEの建物は、磯崎新氏のデビュー作として知られる「新宿ホワイトハウス」だ。
金沢市の谷口吉郎・吉生記念金沢建築館で11月16日(火)から「静けさの創造-谷口吉生の美術館建築をめぐる」が始まる。谷口氏といえば、10月26日に文化庁が文化功労者に選んだことを発表したばかり。11月14日(日)の内覧会に谷口吉生氏が来る、と聞いて、大の谷口ファンとしては居ても立っても居られず金沢まで見に行ってきた。
今回は、東京・池袋の「東京芸術劇場」(1990年竣工、設計:芦原義信)の建築的挑戦について書きたい。開館当初から約20年間、アトリウムのほぼ中心に“恐怖のエスカレーター”とも呼ばれる「1階→5階直通」の長くて高いエスカレーターが架かっていた。
続きはこちら。
記憶に残るテレビドラマの視聴率が意外に伸びないというのはよくある話で、この「大豆田とわ子と三人の元夫」も、放送中(2021年4月13日から6月15日まで)の視聴率はイマイチだったらしい。しかし、見た人の共感度はすこぶる高い。筆者も、ここ数年では断トツに面白いドラマだと思う。主演は松たか子。カンテレ制作、フジテレビ系「火曜21時枠」で全10話放送された。
なぜこのドラマをここでとり上げるかというと、松たか子演じる大豆田とわ子が、建設会社「しろくまハウジング」の社長で、もとは同社の設計部門のスタッフという設定だからだ。
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東京・西麻布の「Karimoku Commons Tokyo」で開催中の「ZAHA HADID DESIGN展」で、ZAHA HADID DESIGN(以下、ZHD)がデザインし、カリモク家具がつくった木製の椅子とテーブルがお披露目されている。カリモク家具がつくったザハ建築の木製模型や、ZHDによる他の作品も数々展示。会期は12月3日(金)まで。
ZHDは建築家のザハ・ハディド(1950〜2016年)が2番目に立ち上げたデザインスタジオで、ファッションやジュエリー、照明、インテリア小物などのデザインを、ザハ亡き後も継続して行っている。一方、カリモク家具は愛知県東浦町に拠点を置く日本の木製家具メーカーだ。意外なコラボに驚くだろう。そして会場で今回初披露された木製椅子とテーブルを見ると、その美しさにさらに驚くはずだ。
(さらに…)今年3月に建て替えを発表した「帝国ホテル 東京」。その新本館のデザインアーキテクトに、フランス・パリを拠点に活動する田根剛氏(Atelier Tsuyoshi Tane Architects代表)が起用された。新本館は2036年に完成予定だ。
秋の風物詩、「イケフェス大阪(生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪)」は今年もオンライン主体での開催となる。開催日は今週末、10月30日(土)と31日。今年も私(宮沢)は「セッケイ・ロード」をお手伝いしている。今年はMBS人気アナの仕切りによる在阪設計事務所11社参加のバラエティ系トーク番組で、当事者の私が言うのも何だがこれは「必見」である。
10月30日(土)の朝になったらこちら↓をクリックしてほしい。
セッケイ・ロード2021 トーク企画 事務所あるあるサイコロトーク+ちょっと真面目な話もしよう!
(さらに…)「半導体不足、広がる影響 エアコン生産にも波及」(日本経済新聞2021年9月1日付)、「9月の欧州新車販売、26%減 半導体不足の影響拡大」(同10月15日付)──。世界的な半導体不足は、「需要の急拡大」と「供給体制のひっ迫」のダブル・ダメージによる。前者は主に、テレワークの増加もあって通信機器や電子機器の需要が増加していること、後者は主力製品が製造できる生産ラインへの移行が進んでいないことが理由とされる。
なぜ、唐突に半導体市場の話をしているかというと、ここでリポートする「宮城技術革新センター」は、半導体を製造する装置を開発・製造・販売する東京エレクトロングループの研究開発施設だからだ。同社のこの分野でのシェアは国内首位、世界第4位だ。一般の人との接点は少ないが、テレビCMで「TEL」というロゴを見たことがあるのではないか。
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