内藤廣連載「赤鬼・青鬼の建築真相究明」:なぜ別れたのか──オレたちの「-1.0」

「建築展で文字量の多い展示はタブー」。そんな定説を覆した2023年秋の内藤廣展@グラントワ。入場者の中には一般の人も多かったが、それでも読む、読む。2時間、3時間は当たり前。それほど読ませる力がある建築家にはBUNGA NETでも筆をふるっていただきたいと恐る恐る頼んでみると、あの2人(2匹?)を登場させてよいならば、と条件付きのOK。ぜひぜひ!ということで、赤鬼・青鬼がここにカムバックします。(ここまでBUNGA NET編集部)

(イラスト:内藤廣、ビジュアル制作:内藤廣建築設計事務所)

まずは、オレたちによる、オレたちのための、オレたちの自分

[青] この見出し、わかんねーよ。

[赤] まあ、でも今の気分を語るとこんな感じかな。

[青] オレたち、益田の展覧会(「建築家・内藤廣/BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」、島根県立石見美術館)でデビューしたわけだけど。

[赤] 展覧会を見に来てくれた人たちが面白がってくれたんで、BUNGAに何か書いてくれっていう声がけをいただいて、そんならこの企画でまたやろうってことにした。

[青] 柳の下を狙うわけ。

[赤] いや、それじゃ癪だから深掘りすることにした。展示じゃ字数も限られてたしね。言いたいことも言い切れていない感じがあったし。

[青] まぁ、よくわかんないけどやってみるか。

ここで編集部より補足。グラントワ(島根県立石見美術館)の内藤廣展では、建築家・内藤廣の脳内に生息する二匹の鬼が案内役となりそれぞれのプロジェクトを解説した。情熱的で自己主張が強い性格の「赤鬼」と、控えめで禁欲的な性格の「青鬼」だ。下図は内藤氏の分析。

[赤] まずはオレたち自身のことだね。

[青] やたらと調子よくしゃべってるんだけど、そもそもオマエら何、ってこともあるわけだから。

[赤] いろいろ考えたんだけど、やっぱり根っこは子供の頃かなー。もともとこんなオレたちじゃなかったもんね。

[青] それに、誰でもみんな大なり小なり似たようなもんじゃないかなー、って思っているし、誰にでもオレらの親戚みたいな同類が飼われているような気もするしな。

[赤] だとしたらオレらの出来上がり方もけっこうわかってもらえるんじゃないか、っていう淡い期待もあるしね。

[青] まあ、そんなとこかな。いい加減に、適当に、ゆるくやろうぜ。

[赤] オマエらしくない発言だな。どちらかというとオレ的発言。オマエ、最近オレに感化されてきたかな。展覧会以来、だいぶ赤いぞ。

[青] うるさい。人様から見れば、どっちだっていいんだよ。

「あの頃は青も赤もなかった」

[赤] オレたち、子供の頃からボーっとした性格だったよね。

[青] かわいいもんだ。

[赤] あの頃はオレたちゴチャゴチャに混ざっていたよね。どっちがどっちかわからなかった。足を引っ張りあったりもしていたよね。

[青] それが原因でボーっとしていたんだと思う。それにともかく優柔不断、どうしていいかわかんなかった。

[赤] そうだね。

両親と(写真提供:内藤廣)

[青] どっちも小さな自己主張をするばかりで、およそハッキリした結論も出ずに、行動にもならずに、良し悪しも決められず、迷うばかり。決断力なんてものはまるでない、まったくしょうがねぇガキだったなー。

[赤] 周りも心配したと思うよ。現実世界との接続の仕方がわからなかったんだね。何か起きると対応の仕方がまるでわからなかった。ともかくどんくさい。まぁ、今でもそういうところがあるけどね。

[青] 小学校三年の時の通信簿に、内藤くんはいつも悪だくみに最後に参加して、逃げ遅れて廊下に立たされる、って書いてある。

[赤] 小学校の先生ってすごいねー、今だってさして変わらないんだから。でもこの書き振りからすると、いかにもアタマわるそー。

[青] しょうがねーガキだったんだな。

[赤] 夜に寝かしつけられる時に天井の板目が動いているように見えたり、家の窓の外に小さな池があって、その上に掛かっている藤棚から漏れる光と池に反射する光が複雑に天井を照らし上げていたりしていたのを覚えているもんね。

[青] あの頃は青も赤もなかった。何かに心奪われる、って言葉があるだろ。そんな時は心を奪われているんだから、青も赤もないんだよ。

[赤] 自分っていうものがまるでない状態。今だってあるよ。とんでもなく綺麗な夕焼けを見た時とか、とんでもなく素晴らしい演奏を聴いた時とか。

[青] 我を忘れる、つまり自我や自意識が消滅している状態だな。

[赤] いつかそんなことがあり得る空間を作ってみたいねー。

[青] 今の忙しさじゃムリだね。

オレたちのフィールド

[赤] いや、そのためのオレとオマエの役割分担じゃん。真面目くさった青顔でやってるとき、オレは遊離してけっこう自由にしてるよ。

[青] 検討中のプロジェクトを考えたりスケッチしたりしてるよな。

[赤] 委員会の表紙ってタイトル以外は空白、あれがオレのスケッチ帳だもんね。これがけっこうアイデアが出しやすい主戦場になっているな。

[青] 知られたら怒られるぞー。もっとも、外から見れば提出されたレポートに一生懸命にアンダーラインを引いてメモしているようにしか見えないしな。

[赤] でも、最近はその頻度やボリュームがずいぶん小さくなったな。忙しいのといろいろなことに縛られているからなー。心の窓を閉ざしているからだよね。

[青] たまには開けてみたら。まあ、閉めているのはだいたいオレなんだけどね。開けたらポカーってなるだろ、オマエ。ほとんど放心状態じゃ、仕事も何もあったもんじゃないよ。

[赤] でも、たまになるよ、ポカーーーっ。

[青] しょうがねーなー。だからオレが必要なんだよ。

[赤] 子供の頃に帰りたい。

[青] ムリムリ。

[赤] 若い頃はよく当てもなく旅に出たな。あれはポカーっを求めてたんだね。一人で旅に出れば、青も赤もないからね。答えは風の中。気分はボブ・ディラン。

[青] ずいぶんムチャもしたな。

[赤] シルクロードをバスを乗り継いて走り抜けたり。

[青] 挫折したけどサハラ縦断を企てたりもしたな。よくやったよ。

[赤] 生きててよかった。モンゴルもずいぶん行ったね。ゴビ砂漠の夕日はすごかった。ああいう時、我を忘れるんだね。心ここに在らず。究極のボーっだね。

マラケシュにて(写真提供:内藤廣)

[青] そんな時は、青も赤もないしな。心を奪われてるんだから。

[赤] 自分自身はカラッポ。また、ボーっを取り戻すために旅に出たいなー。

[青] ありえないだろ。忙しすぎる。いろいろ頼まれごとが多すぎるよ。余計なことばっかりやってるんだから。断るのが苦手なオマエのせいだよ。

いつ別れたのか、別れた理由

[赤] それにしても、どんなキッカケでオレたち棲み分けるようになっちゃったんだろう。

[青] たぶん、小学校の頃のある日、何かのことでオヤジからカミナリを落とされた時かな。

[赤] あの時かー、覚えてる。オヤジは怖かったよねー。

[青] 今から考えると、しょうがないよね。凡庸で、何事にも普通で取り柄がなくて、ボーっとしているんだから、将来を考えりゃー、多少の焦りがあっても仕方がないよ。今になってみれば、学校では成績優秀だったオヤジの気持ちもわからなくはない。

[赤] 目の前でオヤジがカンカンになって怒っているんだけど、そのしゃべっているオヤジの声がある時点で耳に入らなくなった。

[青] いきなり無声映画のようになって、それを冷静に聞いている第三者みたいな自分が立ち現れた。多分、あの時、性格が分裂したんだよ。

[赤] 意識が異次元に飛んじゃった。たぶんあの瞬間だったと思う、オレとオマエが別れたのは。目の前のことを受け止めなきゃいけないっていうオマエ(青)と、違う次元に飛んでしまうオレ(赤)と。

[青] あれ以来、だんだんと役割分担で使い分けるような知恵がついたのかな。

[赤] ちゃんと勉強したり、いい子でいたり、そんななんの役にも立たないいやらしい部分はオマエ。

[青] うるせー。要するにオトナたちが作った社会という枠組みに適応していくってこと。それはオレが引き受けたってわけさ。

[赤] 一方で、ムクムク成長していく欲動はオレって感じにだんだんハッキリしてきたかな。それがよかったかどうかわかんないけど。どうも、人生の途中で建築ってやつが出てきて、オレとオマエの対立がだんだん激しくなったような気がする。

[青] 恋心って妙なやつも分裂に拍車をかけたんじゃないかな。あれって、オマエが暴れるだろ。もう忘れていると思うけど、押さえ込むのが大変だったんだから。

[赤] 生きてる証だよ。やむにやまれぬっていうこともあるんだから。

なかなか建築の話にならない…

[青] ダメなやつだ。オレたち、昔はもっと相性が良かったし、けっこう仲良かったんじゃないか。

[赤] 建築に関わるようになって、お互いに性格悪くなったかもしれない。

[青] 何せオレもオマエも、なにかやるとものすごい勢いで世の中から攻められたからな。

[赤] 防戦一方だよ。

[青] 役割分担しなきゃ生き延びられないからな。

[赤] 真面目な顔してふざけたこと言ったり、腑抜けた顔して真面目なこと言ったり、かわしていくのも色々大変なんだよ。

[青] 土木やったり、都市計画やったり、デザインやったり、学長やったり、それでも建築が本業で建築家だって頑なに言い張っているんだろ。ほんとメチャメチャなんだから、一人のキャラじゃあ対応しきれない。

[赤] 建築家の立ち位置を捨てたらずいぶん楽になるはずだけど、そうしたら全部が瓦解するかもね。

[青] オレたちが一つの脳みその中に生息できているのは、建築家という立ち位置を確保しているからだね。ここに全部紐づいている。

[赤] あーー、なんかダレてきた。こんな話ばっかりしてたら、なかなか建築の話にならないじゃないか。

[青] そうだな。せっかくBUNGAに機会を作ってもらったんだから、マジで建築の話をしなきゃ。

[赤] それじゃ、次回は建築を語るぞ、って言ってもそうなるかどかわかんないけど。出たとこ勝負で、成り行きに任せて、ややいい加減に、ってことになると思いますけど、よろしくお願いします。

[青] じゃ、次回、やるぞ。

※本連載はおおむね月に1回掲載の予定です。お楽しみに!

内藤 廣(ないとう・ひろし)
1950年横浜市生まれ。建築家。1974年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学院理工学研究科にて吉阪隆正に師事。修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て1981年、内藤廣建築設計事務所設立。2001年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、2002~11年、同大学教授、200709年、グッドデザイン賞審査委員長、201011年、東京大学副学長。2011年、東京大学名誉教授。2023年多摩美術大学学長。

【お知らせ】福井市の「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」(設計・内藤廣・センボーJV。2022年竣工)で4月21日まで、「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い 北陸編」を開催中。新幹線で行けるようになった福井駅から越美北線に乗り換えて15分、一乗谷駅下車。展覧会の詳細は公式サイトを。一乗谷朝倉氏遺跡博物館を含む福井駅周辺のリポートはこちらの記事を。

建築の愛し方19:「初のWEB連載では建築家の宿命やぎこちなさを描きたかった」──『ARTIFITECTS』余話/津久井五月氏

SF作家、津久井五月氏による小説『ARTIFITECTS:模造建築家回顧録』が全12話の最終回を迎えた(最終回はこちら)。実はこの小説、初回の掲載時には、「津久井五月氏の読み切り連載小説」と紹介していた。注文主の私(宮沢)はそのつもりで読んでいた。なのに、中盤以降、話がつながっていた! これは最初からの狙いだったのか? そもそもなぜ建築家AIという設定なのに、みな道を外れているのか? 本人に聞きたいが、この分野に疎い私には、作家にどう聞いていいのか作法がわからない…。そこで、大学時代にSF研究会に所属し、今も最新のSF小説を読んでいる磯達雄にインタビュアーを交代してもらった。磯さん、頼みます!! (ここまでは宮沢洋、以下、聞き手:磯達雄)

──津久井さんは建築の勉強をされてSF作家になったという出自ですが、建築への関心は作家になってからもずっと持ち続けていらっしゃるのですね。

 どちらかといえば建築に対する反発みたいなものがずっと自分の中にあった感じです。SFは大学院時代に書きはじめましたが、大学院に進む前後から、建築を建てることとか建築をデザインすることに対して、無力感みたいなものを感じるようになりました。

 壮大な空想的建築が登場するSF作品も好みではあるんですが、建築に対する憧れや愛というよりは、反発したり、疑ったりする対象として建築に執着しているという方が近いかもしれません。

津久井五月(つくいいつき)。1992年生まれ。栃木県那須町出身。東京大学・同大学院で建築学を専攻。2017年、「天使と重力」で第4回日経「星新一賞」学生部門準グランプリ。公益財団法人クマ財団の支援クリエイター第1期生。『コルヌトピア』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞。2021年、「Forbes 30 Under 30」(日本版)選出。作品は『コルヌトピア』(ハヤカワ文庫JA)、「粘膜の接触について」(『ポストコロナのSF』ハヤカワ文庫JA 所収)、「肉芽の子」(『ギフト 異形コレクションLIII』光文社文庫 所収)ほか。変格ミステリ作家クラブ会員。日本SF作家クラブ会員。(この写真は2020年11月に撮影したもの、撮影:宮沢洋)
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連載小説『ARTIFITECTS:模造建築家回顧録』最終話「シャルル=エドゥアールβの舟(後編)」──作:津久井五月

最終話「シャルル=エドゥアールβの舟(後編)」

「ケンゾーT441、そちらに――ミサイルが向かっている」
 私が発することができたのは、そんな間の抜けた言葉だけだった。
 居住用人工衛星「DW-93-f」は静まり返っていた。
 私は時計の文字盤に似た床の上に重い身体を横たえたまま、遥か遠くの火星に向けて叫ぶべき次の言葉を探した。
 変更を加えられた通信システムは、こちらと火星の間の通信ラグが10分強であることを示していた。彼我の最離遠時にはおよそ40分であることを考えると、その状況はささやかな幸運といえたのかもしれない。しかし、いずれにせよ数分以上の遅延を伴うやり取りは、会話というより文通のようなものにならざるを得ない。その間隔が10分だろうと40分だろうと、戸惑う私にとっては大した違いはなかった。
 私は、たどたどしく続けた。
「――君たちを恐れ憎む人々が発射したミサイルだ。到達はおよそ1年後。巧妙に設計されている。火星に存在する既存の防御手段では、おそらくその威力に耐えられない。遥か上空で分裂するから迎撃も困難だ。君たちの地下シェルターも、山も、徹底的に破壊される。『K』は滅ぼされる。だから頼む、どうか……逃げてほしい」
 私の言葉は同胞からの警告というより、客観的立場からの死の宣告のように響いてしまったかもしれない。しかし、ほかに伝え方が思いつかなかった。
 自分の声が1億kmの真空の旅に出ていくと、私はまた焦燥の十数分を過ごした。

(画:冨永祥子)
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愛の名住宅図鑑08 :まるでモンドリアンな「小出邸」(1925年)、反骨精神だけではない分離派・堀口捨己の美しき家

 日本の木造の美とモダニズムの美を結び付けて世界に発信したのは、戦後に活躍した丹下健三だと一般的にはいわれている。しかし、丹下よりも20年以上前にそれを高度なレベルで実現し、もしかしたら丹下も参考にしていたのでは、と思われるのが「小出邸」である。堀口捨己(すてみ)の設計で1925年に完成した。

(イラスト:宮沢洋)

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愛媛発・矢野青山の挑戦04:「段々」が運営にも革新を生んだ「だんだんPARK」/矢野青山建築設計事務所

愛媛県松山市を拠点に活動する矢野寿洋氏と青山えり子氏(矢野青山建築設計事務所共同主宰)のプロジェクトを巡る4回シリーズ。最終回は、異色の自動車ショールーム、「だんだんPARK」だ。(宮沢洋)

【取材協力:矢野青山建築設計事務所】

「だんだんPARK」内のイベントホール、「だんだんホール」(写真:特記以外は西川公朗)

 筆者は都内に住み40年近く車に乗っているので、車を買い替える度に都内あちこちの自動車のショールームを見て回る。なので、「愛媛の方がショールームが進んでいる!」とびっくりしてしまった。2023年1月に松山市空港通りにオープンした「だんだんPARK」だ。

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愛媛発・矢野青山の挑戦03:穴あきCLTを耐力壁に用いた「愛媛県歯科医師会館」/矢野青山建築設計事務所

愛媛県松山市を拠点に活動する矢野寿洋氏と青山えり子氏(矢野青山建築設計事務所共同主宰)のプロジェクトを巡る4回シリーズ。第3回は、「CLT」という注目素材の意外な使い方を提示した「愛媛県歯科医師会館」だ。(宮沢洋)

【取材協力:矢野青山建築設計事務所】

 前回、「J.spot今治」の回の最後にこう書いた。「目指すデザインの方向性を垣間見ることができ、かつ『地域のかかりつけ医のような建築家でありたい』という矢野氏の思いも伝わる」──。

 筆者は30年以上建築雑誌の編集をしてきたので、「地域のかかりつけ医」と「目指すデザイン」の両立がとても難しいことを知っている。「地域のかかりつけ医」という姿勢は、時として「当たり前のデザイン」の沼へと引き込む。それでも、矢野青山の2人ならその沼にはまらずに前に進めるかもしれないと思えるプロジェクトが、この「愛媛県歯科医師会館」である。

南側の外観(写真:特記以外は西川公朗)
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リレー連載「海外4都・建築見どころ案内」:スペイン・バルセロナ×小塙芳秀氏その3、ガウディ建築だけにあらず!市内のコンバージョンプロジェクトに浸る

英国ロンドンを皮切りにブラジル・リオ、米国ニューヨーク、スペイン・バルセロナと続いた本連載も今回で最終回。バルセロナに詳しい小塙芳秀市が最後に選んだのは、市内の2つのコンバージョンプロジェクトだ。ガウディ建築と共にぜひ訪れたい。(ここまでBUNGA NET編集部)

 スペインは歴史的重要建築物のみならず様々なタイプの古い建物を転用したコンバージョン建築の宝庫とも言える。今回はコンバージョンへの設計プロセスに注目して、バルセロナ市内の2つの事例を紹介したい。どちらも元の建物の歴史的価値がそれほど高くはなくとも、地域住民にとって大切な意味を持つ労働協同組合の建築を文化的活動の場へとコンバージョンしたものである。

サラ・ベケット2階のホール(写真:Flores & Prats / Photo by Adrià Goula)
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愛媛発・矢野青山の挑戦02:H鋼で魅せる「J.spot今治」、5つのフレームを雁行配置/矢野青山建築設計事務所

愛媛県松山市を拠点に活動する矢野寿洋氏と青山えり子氏(矢野青山建築設計事務所共同主宰)のプロジェクトを巡る4回シリーズ。第2回は、2人の所信表明ともいえそうな自動車ショールーム「J.spot今治」(愛媛県今治市)だ。(宮沢洋)

【取材協力:矢野青山建築設計事務所】

 H形鋼(H鋼)のシャープさだけでも人を惹きつけることはできる──。そんなシンプルな強さを持つ建築だ。

たかが庇、されど庇(写真:特記以外は西川公朗)

 今回取り上げる4件の中で、最も古いプロジェクトがこの「J.spot今治(ネッツトヨタ愛媛 今治店)」だ。古いといっても竣工は2017年の夏。5年ほど前だ。

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愛媛発・矢野青山の挑戦01:焼失した「亀ヶ池温泉」を軽快な木造大架構で再建/矢野青山建築設計事務所

最近あちこちで名前を聞く矢野青山建築設計事務所。愛媛県松山市を拠点に活動する建築家、矢野寿洋氏と青山えり子氏のユニットだ。そんな2人から、「愛媛のプロジェクトを見に来ませんか」と声を掛けられた。どっぷり3日間、2人とともに(正確には5歳のお嬢さんも一緒に)県内を見て回った。このうちの4件を、2人の希望もあって“イラスト入り”でリポートする。(宮沢洋)

【取材協力:矢野青山建築設計事務所】

(イラスト:宮沢洋、以下も)
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越境連載「クイズ名建築のつくり方」15:海上の巨大ガラスドームどうつくった?──なにわの海の時空館

 長く閉館していた「なにわの海の時空館」(2000年開館、2013年閉館)の利活用が決まった。海面に頭を出したシャボン玉のようなガラスドームの中に、木造の帆船が収まる展示施設だ。この建物は、立地を生かしたユニークな施工プロセスでつくられた。。

Q.海に浮かぶような巨大なガラスドームをどうつくった?

(1)ガラスドームだけを別の海辺でつくり、船で運んでかぶせた
(2)全体を別の海辺でつくり、船で運んで浮かべた
(3)ガラスドームと下部をそれぞれ異なる海辺でつくり、船で運んで合体させ、浮かべた

(イラスト:宮沢洋)

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