100年前の1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が起こった。そしてこの日は、帝国ホテル・ライト館の落成披露宴の日でもあった。愛知県犬山市の「博物館明治村」では、9月1日(金)から12月17日(日)まで、「帝国ホテル・ライト館竣工100年」を記念する各種イベントを村内各所で開催する。その1つ、特別展「東洋の宝石」では、竣工当時の資料などを基にしたライト館インテリアの色彩の再現展示など、ライト館の魅力を紹介する。


100年前の1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が起こった。そしてこの日は、帝国ホテル・ライト館の落成披露宴の日でもあった。愛知県犬山市の「博物館明治村」では、9月1日(金)から12月17日(日)まで、「帝国ホテル・ライト館竣工100年」を記念する各種イベントを村内各所で開催する。その1つ、特別展「東洋の宝石」では、竣工当時の資料などを基にしたライト館インテリアの色彩の再現展示など、ライト館の魅力を紹介する。
経営破綻後、20年近く放置されていたブラジル・サンパウロのマタラーゾ病院。この建物と地域の歴史的価値を見抜き、複合開発を進めているのがフランス人実業家のアレクサンドル・アラール氏だ。ジャン・ヌーベル氏やフィリップ・スタルク氏などを起用、緑に抱かれた敷地内には6つ星ホテルが先行オープンしている。藤井勇人氏が現地でアラール氏などに取材した。(ここまでBUNGA NET編集部)
前回はスラム(ブラジルではファヴェーラと呼ばれる)に立つ住宅とカルチャーセンターについて紹介した。ファヴェーラは年々拡大しており、現在国内で約1万3000を超えるファヴェーラが存在し、ブラジルの人口の約9%に当たる580万世帯、1790万人の住民が住んでいるといわれている(Data Favela 2023調べ)。一方で、米経済誌「フォーブス」が毎年発表する「世界長者番付」によると、10億ドル以上の資産を保有するビリオネア2640人のうち、51人がブラジル人で、国別としては11位にランキングされるなど(日本は15位)、いわゆるブラジルは貧富の差が大きい国の一つでもある。
第2回目となる今回は、前回とは対極にある、国内の富が集中する南米最大のメガロポリス、サンパウロのハイソサエティーの話題を独り占めしている複合施設を紹介しよう。その名はCidade Matarazzo(シダーヂ・マタラーゾ)。イタリア人移民として巨額の富を築いたブラジル最大財閥の一つであるマタラーゾ家の名前が冠された複合施設である。
建築家の藤本壮介氏が設計して話題になっている「大宰府天満宮仮殿」を見てきた。学問の神様として知られる菅原道真公をまつる大宰府天満宮(福岡県太宰府市)。その本殿を改修する期間だけ見ることができる「3年間限定」の建築だ。本殿の改修中に仮殿を建てることは珍しくないが、これほど現代的で、ある意味、神話的でもあるデザインは珍しい。
KAP(くまもとアートポリス)に磯崎自身が設計した建築は1つもないが、KAP自体が磯崎の代表作と言ってよいのではないか──。
日経アーキテクチュア2023年2月23日号の特集「闘争と矛盾の磯崎新」で、くまもとアートポリスにおける磯崎新氏の功績について取材した際、記事の結びにそう書いた。半年たって、あらためて熊本県内のいくつかの建築を見てまわり、その思いを強くした。
1つはくまもとアートポリス対象の災害復興関連施設だ。7月15日にオープンした「熊本地震震災ミュージアム KIOKU」(設計:o+h、産紘設計)はすでにリポートしたとおり(こちらの記事)、この種の災害資料館としては新たな方向性を示す注目作だ。
計画名:長期入院患者「イサベル」治療計画
竣工日:2061年7月13日
記録日:2059年5月3日~2067年11月10日
記録者:アントニ・X13γ45・ガウディ
2059年5月3日
一面、霧しか見えなかった。
どれだけの広さがあるのかも分からない。ただ、薄闇の中に濃霧が立ち込めている。どんな物も、意味も存在しない場所。それがイサベルの頭の中の世界だった。
「何も見えやしないよ、アントニ」とホセ・ウエマツ医師が言った。
私は、その声で病室に引き戻された。霧の世界から、同じく真っ白な空間へ。しかし、その病室にはベッドがあり、人がいて、意味が存在した。私は少し、安堵した。
真っ白なベッドの上にはイサベルが寝ていた。ただし、イサベルというのはたった今考えた仮名にすぎない。その少女の本名を知る権限は、私にはないのだ。
年齢は10歳。誕生日は1カ月前だそうだ。彼女は薄いブルーの前開きの寝巻きを着て、身じろぎもせず、目を閉じていた。安らかな眠りだとは、私には思えなかった。彼女の頭は、固くて重そうなヘルメット状の装置にすっぽりと包まれていたからだ。それは、何らかの拷問を行うための機械のようにも見えた。
「何も見えやしない」とホセはまた言った。「8歳の頃に脳炎にかかって昏睡状態に陥った。それ以来、ずっと眠っているんだ。脳炎はとっくに完治したっていうのに」
「この霧が、彼女の夢だというのか」
私の意識の半分はまだ、無意味な霧の世界にあった。ふたつの場所に同時に存在できるというのは、物理的な身体を持たないことの利点だ。
医師は曖昧に首を振った。
「夢――といってもまあ、間違いではないか。その空間は、この子の頭の中の感覚世界を再現したものだ。ヘルメットで脳の神経活動を測って、何を知覚しているのか推定するわけさ。そして見れば分かるように、この子は今、ほとんど何も感じていない」
「2年間ずっと、こうなのか」
「ああ。だが、ずっとこのままにはさせない。それが僕と君の仕事だ。見ててくれ――」
彼が手元で何かを操作すると、一瞬の間を置いて、霧の世界に変化が起こった。
白い闇の中に、光が閃いた。
私は病室を離れ、意識まるごとになって霧に目を凝らす。いつの間にか、霧の奥に何かが浮かんでいた。近づくと、その影は徐々に輪郭を帯びて――トカゲになった。
それは、ぬいぐるみだった。柔らかく丸みを帯びた全身は、青や黄色、オレンジの鱗で覆われている。朗らかな目をして、能天気に口を開けた、見覚えのあるトカゲだった。
バルセロナのグエル公園。その入口近くの階段に鎮座する、モザイクタイルで覆われたトカゲ型の噴水だ。ぬいぐるみになっても、その色と形は見間違えようがない。
なにしろ、それは私が――私のオリジナルである建築家アントニ・ガウディがデザインしたトカゲなのだから。
「この子の、宝物だそうだ。6歳の頃、公園近くの土産物店で買ってもらったらしい。よほど可愛がっていたんだろうな。トカゲの姿や感触はこの子の神経回路に深く刻み込まれていて、特定の神経細胞を刺激するだけで、そうして克明に蘇る」
たしかに、霧の中に浮かぶトカゲからは、布製の鱗の優しい感触まで伝わってきた。少し埃っぽいような、甘いような、よく愛されたぬいぐるみ特有の匂いも。
「アントニ、僕は運命など信じない」
ホセは真剣な声色で続けた。
「でも、君ならばこの子を目覚めさせられる気がするんだ。ガウディの創造の奇跡を、どうか僕らに見せてくれ」
*
2059年5月11日
あっという間に1週間が経ってしまった。
私はすぐにでもイサベルの治療に取り掛かりたいのだが、ホセはあくまで慎重だ。私が自分の仕事のメカニズムをきちんと理解したかどうか、何度も確かめたがる。その心配は不当なことではないと思う。少女の脳に直接、介入するのだから。
ヒトの脳を構成する神経ネットワークの測定・解析技術は、この十数年で急速に発展したそうだ。しかし、それでもなお脳の闇は深い。イサベルが昏睡状態から回復しない理由について、誰もまともな説明はできない。
それでも、多数の症例と脳科学から導かれた仮説はある。回復の鍵となるのは、患者が“世界”の存在を感じることなのだ――とホセは言う。
全身をさすったり、光や音を浴びせたり、闇雲に神経に電気を流すだけでは駄目だ。患者の脳内で多様な刺激が絡み合い、噛み合い、ひとつながりの豊かな感覚世界がシミュレートされなければならない。ひとつの秩序に統合された刺激こそが、意識レベルを調節する脳幹の一部を揺り動かし、患者を覚醒させる。噛み砕いていえば、それがホセの縋った希望のメカニズムだ。
そこで、なぜ私に声がかかったのか。
ひとつには、建築家とは統合する者だからだ。ひとつひとつは単純な素材をいくつも組み合わせ、意味やエネルギーの流れを構想し、新しい空間を――世界を作り上げる。そんな仕事のために生まれたアーティフィテクト(模造建築家)であれば、神経細胞が織りなす脳内世界も設計できるかもしれない。そう、ホセは言う。
もうひとつは、直観だ。イサベルの脳内にグエル公園のモザイクトカゲを発見したとき、ホセはふと、私を思い出したそうだ。
「患者の家族の同意は取り付けたから安心してくれ。まあ、仮に何かあっても、君のようなアーティフィテクトが責任を取れるわけでもない。責められるのは、僕だ」
ホセは自虐的に笑ってみせたが、その口調には挑戦する人間の静かな熱が宿っていた。
私はそういう人間が好きだ。だから、この仕事を受けたのだ。
いや――それは、格好つけすぎというものか。私にほかの仕事などありはしなかった。芸術を愛する理事長の道楽で買われたものの、アーティフィテクトが活躍する機会は病院にはなく、院内の託児所で燻っていたのだ。壁面スクリーンの中でどんな楽しげな建築風景を立ち上げてみせても、飽きっぽい子供らの心を掴むのは難しかった。無用者として過ごす日々は辛かった。
子供は正直だ。視覚だけでは満足しない。触って、走り回って、その全身を浸すことができる刺激に、ヒトは飢えているのだ。眠るイサベルが、きっとそうであるように。
2060年5月12日
ホセは最近、焦りを見せるようになった。
もう、1年が過ぎたのか。季節の過ぎる速さに、私も少し慄いている。だが暦はただの数字だ。私は明日も明後日も、イサベルの霧の中で働き続ける。それだけだ。
彼女の頭を包むヘルメットに命令を送ると、神経細胞が刺激を受け、その興奮が脳の広範囲に伝播する。すると霧の世界はにわかに明るくなり、未完成の大聖堂の緻密な輪郭をぼうっと浮かび上がらせる。
その巨大な影を見上げるとき、私は自分の目指すものの複雑さに呆れ、震える。
本当に、こんな構想が実現できるのか。実現できたとして、本当にイサベルが目を覚ます保証もない。それでも仕事に打ち込んでいれば疑念を忘れられる。少しずつだが、たしかに前進していると思うのだ。
大聖堂の壁面で、無数の彫刻が蠢く。モザイクタイルのトカゲたちがざらざらと身を擦り合う。鳴き声を上げ、芳しい香気を発する。その鱗に、三角形や菱形や扇形といった幾何学を纏っている。
今、まさに発達中である大聖堂の上層では、黒鉄の竜の群れがひしめいている。鋭い棘で覆われた胴を震わせ、両翼を広げ、長い首と尾を振り回す。喉の奥から七色の火や柔らかい雲を噴き出し、互いに噛みつき合う。竜たちの身体は徐々に冷えて、いつしか大聖堂の構造体――二重螺旋の柱やカテナリー曲線のアーチを形作る。そこにトカゲたちがよじ登り、緻密な壁面を構成していく。
私は、イサベルの脳の特定の箇所を狙って電気刺激を加える。シナプス接続の強度を調節し、神経回路を微妙に変える。すると霧の中に新種の幻獣が生まれ、新たな感触や匂いや動きを伴って大聖堂に融合していく。
私が使うことができる建材は、イサベルの脳の中にあるものだけだ。彼女が8歳までに取り込んだ外界の情報は、人々や家や街や草木や気象現象だけではない。絵本や玩具を通して触れ合った空想上の生き物たちも、彼女の世界の重要な一部だ。むしろ、彼女の意識を揺り動かす力は、空想の存在の方が強いように感じるのだ。
ときおり、霧の世界全体がゆっくりと振動することがある。トカゲや竜が興奮して、大聖堂も根本からぐらぐら揺れる。
世界の震えは、脳の奥底に沈んだイサベルの意識の応答なのではないだろうか。建設を進めるほど、そんな手応えが強まっている。私が作るものに、イサベルは脳を震わせてくれているのだと思う。それが、私の原動力だ。イサベルは――私のパトロンなのだ。
2061年4月2日
今日は、イサベルの誕生日だ。
ホセが彼女の両親と話している。両親の語気は強い。人工知能などにいつまで娘の脳を弄らせるつもりなのか――と問うている。医師は、追い詰められている。
私もつい最近知ったことだが、ホセはこの治療を始めるにあたって、叶えられない約束をしてしまったのだ。イサベルは11歳の誕生日を、病院のベッドではなく自宅の特等席で迎えられるだろう、などと。
しかし私たちは11歳どころか、12歳の誕生日にも間に合わなかった。
13歳の誕生日に間に合う保証も、ない。
ああ、時間が流れた。少女が眠ったままでいるには長すぎる時間が。
彼女の両親は、期待することに疲れてしまっている。
だが、もうすぐだ。大聖堂はじきに完成する。その先に何が待っているのか、私には分からない。それでも――。
2061年4月29日
今日、ホセから仕事の終了を告げられた。
「アントニ、すまない。時間切れだ。彼女の両親は、僕らをもう信じてくれない」
「やめるつもりはない」と私は答えた。
「君がどんなつもりでも、もう無理なんだ。これ以上続ければ、犯罪になる」
「どうしてだ。あとほんの少しなんだぞ。せめて、せめて完成までは――」
「完成まで? それは半年後か? 1年後か? 今年2月の段階で、9割は出来上がったと君は言ったな。今、改めて聞こう。今は何割だ」
「あと、ほんの1割だ。完成には近づいてる。信じてくれ」
「なあアントニ。もう、充分じゃないか。こんなに壮大な世界を作っても、患者が目を覚ます気配すらない。そもそもの仮説が間違っていたんだ」
「彼女は今も、私の建築に反応している」
語気を強める私に、医師は悲しげに首を振った。
「知り合いの医師から連絡が来たんだ。彼女も僕らとほぼ同様の方法で昏睡治療を試みていたが、先日、患者が亡くなったと。脳への介入が原因かどうかは分からない。だが、その報告はうちの医局長にも伝わってしまった。僕は責任を取ることになる。そして君も――」
「頼む。頼むから、あと1週間だけ、私に時間をくれ」
ただ、懇願した。
自分がもう失敗したことは分かっている。自分が、病院の設備の一部でしかないことも分かっている。
残ったのは意地だけだ。
「明日、午前中の3時間だけだ」
それがホセの精一杯の譲歩だった。
2061年4月30日
今日、霧の中で、大聖堂の最後の姿を見た。
大きな広場を、トカゲや竜や、そのほか幾多の幻獣たちが行き交う。大聖堂の基部はもはや高低差のある広場と一体化して、どこまでが地形でどこからが建物なのか、区別がつかない。大聖堂は緻密な輪郭をうねらせて遥か高く36本の尖塔を伸ばし、その先端は未完成のまま、霧の向こうに消えていた。
本物のアントニ・ガウディが現実のバルセロナに遺したサグラダ・ファミリア――聖家族贖罪教会よりもなお、壮麗な夢の統一体だ。
私はそう自負した。せめて私がそう思わなければ、誰も引き継ぐことなく永遠に一時停止するその世界が――イサベルが報われないと思った。
――君のようなアーティフィテクトが責任を取れるわけでもない。
昔ホセはそう言ったが、実際には違った。
私も病院を追い出されることになったのだ。売却先も決まった。私は遠い南米の大都市で、さる富豪のために毎晩、特注の夢を作ることになる。ここでの特異な経験が評価されたということらしい。
私は少しだけ、嬉しくもあるのだ。
そうやって、人間のようにペナルティを課してもらえることが。
*
2067年11月10日
午後、来客があったので、久々に記録しておく。
「あなたが、アントニ・X13γ45・ガウディ?」
私の名を正式に呼ぶ人は珍しい。生まれてから何度もなかったことだ。南米に来てからは単に「45号」とだけ呼ばれているので、なおさら新鮮な響きだった。
客人は、屋敷の庭先のセキュリティをすんなりと通過して私のもとにやってきた。どうやら、主人には連絡済みだったらしい。
彼女は靴が濡れるのも厭わず浅い池に踏み入り、私の目の前にやってきた。池の中央のトカゲ型の噴水こそ、昼間の私の居場所なのだ。
トカゲの両目に埋め込まれたカメラが、彼女の容貌をまじまじと捉えた。年の頃は10代後半だろうか。背は高いが、かなり痩せている。しかし短い黒髪はつややかで健康的だ。その髪にも、茶色い瞳の虹彩のパターンにも、全く覚えがなかった。
「私に何のご用ですか、お嬢さん」
彼女の表情がにわかに華やいだ。
「ホセ・ウエマツ医師に聞いたんです。あなたはここにいるかもしれないって。あの――見てほしいものがあるんです。あなたに」
急に懐かしい名前が出てきて、私は面食らった。
私の困惑をよそに、彼女はリュックサックからケント紙の分厚いノートを引っ張り出した。そのページを開き、こちらに向けた。
それは、大聖堂の絵だった。
イサベル。彼女の脳内の霧の奥にそびえていた、あの威容。緻密な輪郭。その壁面や足元に蠢く幻獣たち。
目の前のノートに描かれているのは、私の記憶そのままではない。しかし見間違えようがなかった。本質的な意味で、構造的に、間違いなく、あの大聖堂だった。
いや――本当に、そうなのか?
私は拭いきれない違和感の正体を探し、答えを見つけた。
それは、完成しているのだ。私が時間切れでたどり着けなかった完全な状態――すべての要素がひとつに調和したという確信の地点を、その絵は静かに示していた。
「ノートを下ろして」と私は言った。「もう一度、顔を見せてください」
客人は素直に従った。改めて、私は目だけでなく彼女の鼻筋を、唇を、おとがいの曲線を見た。記憶の底から、忘れかけていた少女の顔が蘇った。
その髪と虹彩が記憶にないのは当然だ。
彼女はずっとヘルメットをかぶって、目を閉じていたのだから。
「わたしが目を覚ましたのは、あなたが病院を去ってから2カ月後だそうです」
彼女は話しはじめた。
「ホセさんとあなたが何をしてくれたのか、全部を知ったのはつい最近なんです。だからここに来るまでに6年もかかってしまった。でも、目覚めてすぐのときから感じていました。わたしの中に、とても長い夢みたいなものが残っていることを」
「君は――もう18歳か」
はい、とイサベルは笑った。
彼女はホセからの伝言を預かっていた。それはホセなりの、昏睡回復のメカニズムに関する仮説だ。拍子抜けするほど端的で、しかし妙に納得してしまうような理屈だった。
――要するに、未完成で放置したのが良かったんじゃないか。
私たちはずっと間違いを犯していた。そして最後の最後に、不本意だがやむを得ず、正しい治療行為に至ったということだ。
イサベルの脳はたしかに私の大聖堂に反応していた。私はそれに励まされて愚直に完成を目指したが、必要なのは、彼女自身に後を任せることだったのだ。問いを突きつけられた脳は、答えを探らずにはいられない。そのためには高度な判断力が必要で、判断こそ意識の存在意義だ。だから彼女は目覚めた。どうも、そういうことらしいのだ。
「目覚めたばかりのとき、わたしはまた眠りたいと思ったんです」
ノートのページを1枚1枚めくりながら、イサベルは話した。
「だってこの世界は、あなたが頭の中に作ってくれたもうひとつの世界とは違っていた。色褪せて、形も感触もつまらないものばかり。しかも自分は一瞬で8歳から12歳になっていた。子供の心のまま、身体だけが大人になりかけていた。絶望して、いなくなってしまいたいと思って泣きました。でも、結果的には、こうして生きてくることができた」
見事な絵だった。手触りがあり、匂いすらする。本物のガウディに見せても恥ずかしくない作品だと思った。
「それは、物が作れたからです。絵とか、彫刻とか、ぬいぐるみとか――自分でもびっくりするくらい描けて、作れたんです。みんな驚いた。一体、いつの間にそんなに上手くなったのって。そこから、今の私の全部が開けました。なぜそうなったか、分かりますか」
私は何秒も考えた。
「まさか――私が、君の脳に介入したからなのか」
イサベルは私を見つめ、頷いた。
「ホセさんは、それ以外に考えられないって。あなたが2年もかけて、わたしの脳内で世界創造を実演してくれたから。だからわたしは、あなたの弟子なんです」
「アントニ・ガウディの、弟子――」
「いいえ。140年も前に死んだ人じゃなくて、あなたの、弟子です」
私はトカゲの目で、まだ見慣れない新鮮なパターンの瞳と見つめ合った。
それから、私たちはしばらく話した。治療者と患者ではなく、建築家とパトロンでも、師と弟子でもなく――これからの新しい関係が立ち上がってくるまで、話し込んだ。
第5話了
文:津久井五月(つくいいつき):1992年生まれ。栃木県那須町出身。東京大学・同大学院で建築学を専攻。2017年、「天使と重力」で第4回日経「星新一賞」学生部門準グランプリ。公益財団法人クマ財団の支援クリエイター第1期生。『コルヌトピア』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞。2021年、「Forbes 30 Under 30」(日本版)選出。作品は『コルヌトピア』(ハヤカワ文庫JA)、「粘膜の接触について」(『ポストコロナのSF』ハヤカワ文庫JA 所収)、「肉芽の子」(『ギフト 異形コレクションLIII』光文社文庫 所収)ほか。変格ミステリ作家クラブ会員。日本SF作家クラブ会員。
画:冨永祥子(とみながひろこ)。1967年福岡県生まれ。1990年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1992年東京藝術大学大学院美術研究科修了。1992年~2002年香山壽夫建築研究所。2003年~福島加津也+冨永祥子建築設計事務所。工学院大学建築学部建築デザイン学科教授。イラスト・漫画の腕は、2010年に第57回ちばてつや賞に準入選し、2011年には週刊モーニングで連載を持っていたというプロ級。
※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら↓。
世界から注目される日本の建築家の1人、石上純也氏。これまでは細く薄い構造材や繊細な仕上げによる繊細な空間で注目を集めてきた。ところが、近作「House & Restaurant」では一転、原始的で力強い空間をつくり上げた。
Q.洞窟のようにゴツゴツした壁面は、どうやって施工した?
(1)土を掘った穴を型枠としてコンクリートを打設した。
(2)伐採した木の樹皮を型枠としてコンクリートを打設した。
(3)3Dプリンターを用いて型枠を使わずコンクリートを打設した。
続きはこちら。
いい建築を見た。熊本県が南阿蘇村の旧東海大学阿蘇キャンパス内に整備を進めてきた「熊本地震震災ミュージアム KIOKU」だ。7月15日にオープンした。設計者は大西麻貴+百田有希/o+h(東京)と産紘設計(熊本市)。o+hといえば、山形市の「コパル」で2023年日本建築学会賞作品賞を受賞して話題の若手ユニットだが、この建築でも学会賞を取れたかもしれない。
今回リポートするのは、3年前の2020年2月、ブラジルからの帰路にニューヨークに数日寄ったときに見た「オキュラス」である。2016年、ワールドトレードセンター跡地の再開発エリアにできた「ワールドトレードセンター駅」を核とする複合施設だ。
建築家の乾久美子氏と事務所スタッフが輪番で執筆する本連載。今回はスタッフの栗林勝太氏が「こどもの世界」を観察する。大人たちが熟慮の上につくった場の意味をいとも簡単に解体するこどもたち。今回も乾画伯のイラストにナビゲートされつつ、一緒に観察してください。(ここまでBUNGA NET編集部)
今回は、「小さな風景」のテーマの中から「こどもの世界」を取り上げる。前回取り上げた「屋根研究」が物体と現象を主題としているのに対し、「こどもの世界」は、こどもという特定の人間の行為にフォーカスしている。 こどもの世界は、大人たちが熟慮の上につくってきた意図された場や用途を解体し、別の意味に変容させる自由な創造性に溢れている。予測不可能なこどもたちの見方は、時にわれわれに驚きと発想のきっかけを与えてくれる。
今回はそんな小さな風景の事例を取り上げ、分析を試みた。その結果、バラバラに見える「こどもの世界」の小さな風景にある共通点が見えてきた。
はじめに取り上げるのは、小学校の跡地を整備した雑司ヶ谷公園で撮影したもので、ここではこどもたちが、舗装された通路をキャンバスに見立ててチョークで黙々と絵を描いている。
ただの公園の散策路であったものは、瞬く間に大きな絵画の支持体へと変容し、それを取り巻く大人たちも、こどもたちが作り上げた世界を邪魔しないよう、つい道のへりを歩いてしまう。こどもの発想が整備された当たり前な用途を超え、われわれの認識さえも上書きしてしまう面白さがある。
次は杉並区の桃井はらっぱ公園での事例だ。ここでも雑司ヶ谷公園で起きていた現象と似たことが発生している。写真中央のこどもはサークル上の舗装を自転車でぐるぐると回っている。意匠的な舗装の設えは、こどもの発想力により道路へと見立てられている。
3つ目は武蔵野市にある公園だ。写真にあるように、ここではこどもが木陰を迷路に見立てている。小規模で遊具的なものが無い公園だが、遊びの発明家であるこどもはそんな一見何もないように見える場所からも、自然現象をきっかけに遊びを発明する。
最後は、同じく武蔵野市にある別の公園。ここでは歩道と公園を仕切るために設けられた折りたたみフェンスがこどもたちによって小さな家に見立てられ、遊びの道具に変容している。
4つの事例を見てきたが、それぞれの「こどもの世界」は、あるものを別の何かに見立てているという点で共通している。
「見立て」は、既存の意味に別の意味を投射するといった点においてメタファーと類似している。認知言語学者のジョージ・レイコフは、哲学者のマーク・ジョンソンとの共著『レトリックと人生』(1980年出版)の中で「概念メタファー」を提唱し、メタファーの観点から「見立て」の概念に新たな視点を与えている。メタファーと聞くと「修辞的な技巧による言葉の綾」という一般的な定義を想起させるが、レイコフは上記のような従来のメタファーの意味や役割にとどまらない「概念メタファー」の存在を提唱する。
レイコフは「概念メタファー」を、修辞的な文飾の技巧を超えて「思考や行動にいたるまで、日常の営みのあらゆるところにメタファーは浸透し、われわれが普段、ものを考えたり行動したりする際に基づいている概念体系の本質は根本的にメタファーによって成り立っている」とする。つまり、概念メタファーとは、われわれの理解や経験といった認知的な営みに「構造」を与えるものであると。
上記の「概念メタファー」は、大きくは文化的経験から生まれるメタファーと、肉体的経験から生まれるメタファーに二分される。レイコフは前者の文化的経験から生まれるメタファーの説明として「Time is money(時は金なり)」の例を挙げ、西洋における時間の概念は、お金のもつ価値や消費といった概念を投射することで形成されているとする。そして、このように文化的な背景に基づき、ある概念に他の概念を投射することで構造を与える、起点から目標への一方向的な方向性を持ったメタファーを総称して「構造のメタファー」と呼ぶ。
後者の肉体的経験から生まれるメタファーの中には「方向性のメタファー」や「容器のメタファー」と呼ばれる「概念メタファー」が存在し、それぞれが「上と下」「内と外」などの、肉体的な経験に基づいた構造を持つという特徴がある。「構造のメタファー」が起点から目標へ投射する一方向的な写像関係にあるのに対し、肉体的経験から生まれるメタファーは、「概念同士がお互いに関係し合って一つの全体的な概念体系を構成している」という性質の違いがある。
今回は、肉体的経験から生まれるメタファーの中から、「こどもの世界」の分析に説明を与えてくれそうな「容器のメタファー」を取り上げたい。レイコフは「容器のメタファー」について以下のように解説している。「我々は肉体を持った存在であり、皮膚の表面によって外界と接し、外界から区切られている。そして自身の肉体以外の世界をわれわれの外にある世界として経験している。一人一人の人間がそれぞれ、外界と境界を接する表面と、内と外という方向性を持つ一つの容器なのである」とし、人間の肉体性と、容器がもともと備えている「内と外」という方向性を重ねる。
そして「内と外」という方向性を持って世界と捉えていると仮定し、同じく境界を持った物理現象に「内と外」の方向性を投影することで理解し経験しているのではないかと分析する。つまり、「容器のメタファー」とは世界のあらゆる物理現象に「内と外」といった方向性を与え、境界を認識することで、首尾一貫とした現象の理解と経験をわれわれに与えるための「概念メタファー」であると言えるだろう。
上記で解説してきた内容を踏まえ、もう一度「こどもの世界」に戻り観察してみると、「見立て」という共通点以外に、新たな共通点が発見できる。
1つ目の事例は、舗装をキャンバスの「内」と捉え、芝生をキャンバスの「外」と見立てており、2つ目の事例は、帯状の舗装を道路と見立てることで自転車が通るべき「内」と認識し、それ以外の舗装を「外」と認識している。3つ目の事例は同じ地面でも木陰が落ちた部分を辿るべき「内」と見立て、それ以外の地面を入ってはいけない「外」と認識している。4つ目の事例はフェンスのフレームの「内」側を家とし、そこから出ると家の「外」であるように見立てる。
つまり表層的には全く別の行為に見える4つの「こどもの世界」は、「内と外」の方向性を持った「容器のメタファー」により共通しており、根底では同じ構造を持った活動として見ることができる。
以下は、こどもの世界において「容器のメタファー」が繰り返し登場する理由に対する私の考察だ。
われわれ大人は文化的経験の蓄積が深いため、認知的営みにおいて文化的経験から生まれる概念メタファーと、肉体的経験から生まれるメタファーをバランスよく駆使しているのに対し、こどもは文化的経験の蓄積が浅いため、後者の肉体的経験により生まれるメタファーが占める割合が多く、無意識の内に多用しているのではないだろうか。さらに、「容器のメタファー」は肉体的な経験に基づくため、遊びという行為と直接的に繋がり易いことも理由の一つと言えるだろう。
また、「容器のメタファー」の現れ方が大人と大きく違うといった点に関しては、われわれ大人は、通路を通路とのみ認識するような、社会的な常識に固定化された中で「内と外」を経験する傾向にあり、意味の安定した世界を生きているのに対して、こどもたちは、社会的な常識に固定化された意味の蓄積が浅いため、固定観念にとらわれることなく、あらゆる事物を等価に扱い、よりプリミティブに「内と外」の意味を構築しているからと、考えられるのではないだろうか。
こどもの世界を観察するわれわれは、固定化された意味を逸脱するような行為が作り出す空間に、自由や創作性、大胆さといった側面を見出し、そこに小さな風景としての魅力を感じている。
今回は「容器のメタファー」を手がかりに「こどもの世界」における「内と外」を観察したが、「内と外」の境界線を、どのように定義し、形として定着させるかは、建築設計において、私たちが常に考えている主要な命題の一つとも言える。慣習化し、様式化された「内と外」を脱却するための試行錯誤の過程は、こどもたちが作り上げる「内と外」の世界の創作性と、どこか通ずるところがあり、私たちは親和性を感じつつ、新しい「内と外」の意味の発明に期待しながら、こどもが作り上げる小さな風景を見ているのかもしれない。
栗林勝太(くりばやししょうた):1996年長野県生まれ。2019年京都造形芸術大学卒業。2021年京都芸術大学大学院修了。現・乾久美子建築設計事務所勤務
乾久美子(いぬいくみこ):1969年大阪府生まれ。1992年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1996イエール大学大学院建築学部修了。1996~2000年青木淳建築計画事務所勤務。2000乾久美子建築設計事務所設立。現・横浜国立大学都市イノベーション学府・研究室 建築都市デザインコース(Y-GSA)教授。乾建築設計事務所のウェブサイトでは「小さな風景からの学び2」や漫画も掲載中。https://www.inuiuni.com/
※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら↓。