松屋銀座7階の「デザインギャラリー1953」で昨年末に始まった企画展「丹下健三と隈研吾 二つの国立競技場」を見てきた。

買い物ついでにふらっと入れる小規模な展覧会(入場無料)だが、なかなか攻めた企画だ。石元泰博氏(1921~2012年、故・日本デザインコミッティーメンバー)と瀧本幹也氏(1974年~)のモノクロ写真を対比することで、丹下健三氏と隈研吾氏の共通点や違いを知る、という趣向。キーワードは「ランドスケープ」「線」「軒」「アーチ効果」の4つ。
(さらに…)松屋銀座7階の「デザインギャラリー1953」で昨年末に始まった企画展「丹下健三と隈研吾 二つの国立競技場」を見てきた。
買い物ついでにふらっと入れる小規模な展覧会(入場無料)だが、なかなか攻めた企画だ。石元泰博氏(1921~2012年、故・日本デザインコミッティーメンバー)と瀧本幹也氏(1974年~)のモノクロ写真を対比することで、丹下健三氏と隈研吾氏の共通点や違いを知る、という趣向。キーワードは「ランドスケープ」「線」「軒」「アーチ効果」の4つ。
(さらに…)青木淳氏がキュレーターを務める第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で、「日本代表・青木淳後援会」(会長:ジンズホールディングス代表取締役CEO田中仁)が40歳以下の建築家を対象に、「調査・研究のためのヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展派遣」の希望者を募集している。
「高架下建築図鑑」では鮮やかな水彩イラストが人気の遠藤慧さんとともに、高架下建築の魅力と奥深さをひもとく。連載4回目は、JR阿佐ケ谷駅の高架下にある商業施設「ビーンズ阿佐ヶ谷」を訪れた。ここは3つの施設から成り、今回のお目当ては東側(高円寺側)に位置するオープンモール型の「ビーンズてくて」だ。
【取材協力:ジェイアール東日本都市開発】
ジェイアール東日本都市開発は東京・神奈川・埼玉エリアのJR駅で「ビーンズ」ブランドのショッピングセンターを13店運営している(2024年12月現在)。「ビーンズ阿佐ヶ谷」はその1つで、「ビーンズてくて」「ビーンズぷらす」「ビーンズくるく」という3つの施設で構成される。今回クローズアップする「ビーンズてくて」は、阿佐ケ谷駅の東口改札正面に位置する「ビーンズぷらす」を抜け、中杉通りを渡ったところにある。「ビーンズくるく」は西口改札に直結している。
建築専門雑誌『日経アーキテクチュア』の連載「建築巡礼」が2025年1月9日号で20周年を迎えた。同号には、「連載20年、まだ“夢の途中”」と題して、20年を振り返る特別編を宮沢が書いた。記事というより、ほぼ漫画だ。
いよいよ大阪・関西万博の年となった。開幕は2025年4月13日(日)。建築界の片隅を担う人間として、やるからには建築への関心を高めたい。筆者が注目している万博施設について、余力のある限りお伝えしていく(一応言っておくと、この万博シリーズはすべて自腹取材である)。
今回リポートするのは、日本ガス協会が出展するガスパビリオン「おばけワンダーランド」だ。日建設計が基本設計、日建設計と奥村組の設計共同体が実施設計、奥村組が施工を担当した。
ガスパビリオンは「化けろ、未来!」をコンセプトに、おばけのキャラクターが案内役として登場する体験型の施設。専用のゴーグルを装着し、AR(拡張現実)やVR(バーチャルリアリティー)の技術によって、おばけの世界に入りこみ、温室効果ガスの削減に向けた取り組みやエネルギーの大切さを遊び感覚で理解してもらう。
少し前になるが、10月下旬に、日建設計設計グループアソシエイトの石原嘉人氏と、奥村組の中川英臣所長に現場を案内してもらった。着工したのは2023年11月。演出用の内部の工事はこれからだったが、建築工事はほぼ完了していた。
設計担当の石原嘉人氏とは現地で初めて会って名刺交換したのだが、何だか名前を見たことがあるなと取材中にずっと気になっていた。東京に帰ってから、「NBF 大崎ビル」や「桐朋学園大学音楽学部調布キャンパス1号館」の担当者だと気づいた。前者では、本サイトでおなじみの山梨知彦氏と連名で日本建築学会賞作品賞を受賞している。後者も作品賞を取ったプロジェクトだ(こちらの受賞者名義は山梨氏・向野聡彦氏となっている)。
本サイトでリポートしたこれ↓の設計も担当していた。
どれもかなりの挑戦系プロジェクト。そんなことを知って、このパビリオンの貪欲な挑戦にも納得がいった。
場所は大屋根(リング)の西側。隣にある「西陣織パビリオン」(設計は高松伸氏)と並んでかなり目立つ。鉄骨造で、延べ面積は約1558m2。最大高さ約18mの複数の三角形で構成される造形と、銀色に光る膜素材がデザインの特徴だ。
石原氏をやたらとフィーチャーしてしまったが、もちろん1人で設計しているわけではない。日建設計では、小谷陽次郎・石原嘉人・土田昌平(元所員)の3氏が担当。実施設計以降は奥村組との共同だ。
設計チームの挑戦としては、大きく2つのポイントがある。①「エネルギー負荷の軽減」と、②「3R」(リデュース、リユース、リサイクル)だ。
①に関しては「スペースクール(SPACECOOL)」という新素材を使っており、見た目のインパクトも強烈。そのため、このパビリオンに関するこれまでの報道を読むと、どれもスペースクールの説明だけで書く方も読む方も力尽きてしまう。しかし、あまのじゃくの筆者が注目したいのは②の方。この記事は、①は後回しにして、②から説明する。
②の「3R」で特に注目すべきは「Reuse(リユース=再利用)」。パビリオンを支える構造部材に、再利用が可能なリース品の鉄骨部材を使用しているのだ。こんな大きな鉄骨がリース? 使い回すところないでしょ? と思ってしまうが、通常は仮設工事の「山留め」に使うものなのだいう。大型建築の基礎工事などで、掘削時の一時的な土留めのために使用される規格品で、利用後はリース会社に返却される。
「リースの鉄骨が建築の構造体に使われることは極めて珍しい」と石原氏は言う。それはそうだろう。
当然のことながら接合部に工夫がいる。もともと空いている穴も使うが、ガセットプレート(部材を取り付けるための「受け」のプレート)を溶接して接合する部分もある。通常の山留めでもそういう箇所が発生するので、少量であれば返却時に元の状態に戻して再利用できるとのこと。
施工では、段階的な仮設足場も含めBIMを駆使して検討することで、効率的な計画を行った。
①の「エネルギー負荷の軽減」の目玉は、新素材「スペースクール(SPACECOOL)」。大阪ガスが開発し、同社出資のSPACECOOL社が利活用の開発と販売を行っている「日中放射冷却素材」だ。「宇宙に熱を捨てることでゼロエネルギーで冷える革新素材」を謳う。なんだかSF的。
この素材は2024年のグッドデザイン賞金賞を受賞している。同賞の公式サイトではこう説明されている(太字部)。
【デザインのポイント】
・放射冷却原理により宇宙に熱を捨てることで、日中でもゼロエネルギーで冷えるという革新的な素材。
・光工学の技術を駆使した、独自設計の多層構造を持つしなやかな厚さ0.1mm未満の麗美な光学シート。
・地球温暖化による暑熱課題へのソリューションとなり、カーボンニュートラル社会の実現に寄与。
【背景】
ゼロエネルギー冷却という新たな概念の実現を目指し、開発をスタート。独自設計の多層構造を持つ厚さ0.1mm未満の光学シートが完成。夏場の屋外環境で外気温と比較し、最大約6℃の温度低減を立証。お客様が持つ屋外資産の表面に使用するため、素材の質感にもこだわった。素材の表面にエンボス加工を施した白と銀の2色展開により、洗練された出で立ちを実現。屋外資産のさらなるデザイン性向上を目指し、フィルム、膜、マグネットシートなど、様々な素材と融合させた製品を開発し、各資産に最適な佇まいを与えられるようにした。導入先は多様で、洗練されたシルバーの外観を持つCOOL分電盤、広大な市松模様を織りなすルーフシェード、未来を感じる先進的な外観の2025年大阪・関西万博のガスパビリオンなど。いずれも美麗なデザインを創出している。
放射冷却の仕組みを詳しく知りたい方はSPACECOOL社の公式サイトを見てほしい。
この素材の使用により外壁を構成する部材が減り、「Reduce(リデュース=材料の削減)」にも大きく貢献する。
いかにも万博らしい素材だ。素材自体も面白いのだが、筆者が驚いたのはこれの取り付け方。解体時に取り外しやすいように、ロープでとりつけているのである。それなのに安っぽいテントには見えない。素晴らしい!
「リユースだからこの程度かと思われないようなデザインを目指した」と石原氏。筆者のようにいちいち驚く人間を見ると、「してやったり」といったところだろう。実際、筆者の過去の記憶をフル回転で思い起こしても、この規模でここまで3Rに挑んだパビリオンを筆者は知らない。
奥村組の中川英臣所長は「いつもの現場とはすべてが違う感じの現場だったが、新しいことにチャレンジするのはとてもやり甲斐があった」と語る。
ところで、見出しに「コルビュジエ越え」と書いたのは、形がこれ↓に似ているからだ。
ル・コルビュジエが、当時スタッフだったヤニス・クセナキスとともに設計したブリュッセル万博(1958年)の「フィリップス館」だ。造形の斬新さと、後に音楽家となるクセナキスが主導した前衛的な音楽・映像は万博建築史の“伝説”となっている。
石原氏に「フィリップス館に寄せてますよね?」と質問すると、石原氏はニヤリとしただけで何も答えなかった。
公式回答としては「設計チームでは全く意図してなかった」ということだが、間違いなく寄せている、と筆者は思う。子どもたちは、パビリオンのテーマである「おばけの形だ」と喜ぶのだろうと思うが、大人、特に建設関係者には別の意味を持つダブルミーニングなのだ。
筆者が想像するに、「かつての万博では外観と演出が優れていれば伝説になれたが、これからは、それに加えて環境的な提案を競う時代なのだ」というメッセージなのではないか。石原氏のニヤリに、勝手にそういう思いを読み取ったのであった。(宮沢洋)
くしくも、この記事を公開した1月3日、建築家の原広司氏が老衰のため逝去されました。享年88歳。ご冥福をお祈りいたします。
ヒント:DOCOMOMO Japanにより2024年、「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選出されました。
新年恒例の年間PV(ページビュー)トップ10である。分かりやすく1位から行こう。
◆1位
祝プリツカー賞、私が見た山本理顕氏の“思わず声が出る”すごい建築(2024年3月6日)
これは発表を知ってから2時間くらいでアップした記事。速さと独自視点は、BUNGA NETの真骨頂。
(さらに…)2024年の元日に起こった「令和6年能登半島地震」から1年、ライフライン復旧の遅れは指摘されているものの、各地域は復興に向けて歩み出している。NPO法人HOME-FOR-ALL(東京都中央区、理事長:伊東豊雄氏)が取り組む「能登みんなの家」プロジェクトもその1つ。26年ごろまでに石川県珠洲市、輪島市、能登町で計6棟のみんなの家が生まれる予定だ。
第7回JIA(日本建築家協会)神奈川建築フォーラム2024が24年12月7日に開かれ、「みんなの家~能登の現在と未来~」と題して、若手建築家6組が各プロジェクトのアウトラインを説明。最後にディスカッションを行った。JIA神奈川代表の柳澤潤氏(HOME-FOR-ALL理事、コンテンポラリーズ、関東学院大学教授)が総合司会を務めた。
「みんなの家」のプロジェクトは、2011年の東日本大震災をきっかけに始まった。仮設住宅団地の集会所などとして、建築家と住民が対話を重ね、人が集まり、皆が居心地よく過ごせるもう1つの家づくりを目指した。その活動は自治体や企業、団体の支援によって拡大し、東北で16棟、地震や水害に遭った熊本では規格型を含めて130棟以上が完成している。
例年、年初の記事は「前年に読まれた記事ベスト10」と決めているのだが、年末に谷口吉生氏の訃報に接しながら、“まとめ記事”で逃げてしまったことがずっと引っかかっており、自分に喝を入れる意味で私なりの“谷口吉生論”を書いてみることにした。といっても、全貌を語るには時間がかかり過ぎるので、初期の2つの美術館から見えてくる特質について書きたい。
その前にざっくりと「谷口吉生とは誰か」。改めて、訃報から──。
建築家の谷口吉生氏が2024年12月16日に死去した。日本のモダニズム建築の巨匠であった谷口吉郎(金沢市出身)の長男として1937年に東京で生まれ、慶応義塾大学工学部機械工学科を卒業後、米ハーバード大学で建築を学ぶ。帰国後は、東京大学の研究室や丹下健三・都市建築設計研究所で丹下健三に師事。独立後は「土門拳記念館」や「葛西臨海水族園」、「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」増改築など、多数の文化施設を設計。「美術館の名手」とも呼ばれた。