1977〜81年の建築を特徴づけているのは「表層」である。それ以前には等閑視されてきたこの対象に、多くの建築家が目を向けた。
「表層」とは、どのようなものなのだろう? 1972年に美術批評家の宮川淳は、それが「ほとんど定義によって、存在論の対象になりえない」と指摘した。「厚みを持たず、どんな背後にも送りとどけず(なぜならその背後もまた表面だから)、あらゆる深さをはぐらかす」のだと。言われてみれば、納得だ。存在としては定位できないが、確かに、ある。
(さらに…)1977〜81年の建築を特徴づけているのは「表層」である。それ以前には等閑視されてきたこの対象に、多くの建築家が目を向けた。
「表層」とは、どのようなものなのだろう? 1972年に美術批評家の宮川淳は、それが「ほとんど定義によって、存在論の対象になりえない」と指摘した。「厚みを持たず、どんな背後にも送りとどけず(なぜならその背後もまた表面だから)、あらゆる深さをはぐらかす」のだと。言われてみれば、納得だ。存在としては定位できないが、確かに、ある。
(さらに…)9月19日、家具メーカー「オカムラ」のガーデンコートショールーム(東京・紀尾井町のニューオータニ・ガーデンコート3階)で、「OPEN FIELD」の第1回展となる「ほそくて、ふくらんだ柱の群れ–空間、絵画、テキスタイルを再結合する」が始まった。その初日に行ってきた。建築史家の五十嵐太郎氏のキュレーションの下、建築家の中村竜治、画家の花房紗也香、テキスタイルの安東陽子の三氏がコラボレートしてなんとも不思議な空間を生み出している。下の写真は案内してくれた中村竜治氏と安東陽子氏だ。
(さらに…)住まいのWEBメディア「LIFULL HOME’S PRESS(ライフルホームズプレス))」で、宮沢が文章とイラストを書く「愛の名住宅図鑑」という連載が始まる。第1回が本日、9月18日に公開された。以下はその前書きだ。
振り返ってみると、名作といわれる住宅をずいぶん見てきた。実際に訪れると、どれも素晴らしい。期待を裏切らない。しかし、建築家や研究者が褒めていたポイントとは違うところで心を動かされている自分に気づく。
専門家が「建築史」の視点で書く評論文では削られがちなものがある。それは、建築家がその家に込めた“愛”だ。それに触れずに書かれた評論は、あたかも建築家が住み手の生活を考えていないかのような印象を与える。本連載では、「建築史上のポイント」と「建築家の愛」の両面から名住宅を解剖していきたい。
近代化(明治)以降の国内の住宅を概ね古い順に紹介していく。が、初回は“世界の座標軸”として、パリの「サヴォア邸」を取り上げる。
続きはこちら。
大阪中之島美術館で7月13日から開催されていた「Parallel Lives 平行人生 — 新宮 晋+レンゾ・ピアノ展」を最終日の9月14日に駆け込みで見てきた。筆者(宮沢)はレンゾ・ピアノの大ファンである。展覧会の評判を聞いてずっと見たかったのだが、大阪に行く機会がなく、京都の日本建築学会大会に絡めてようやく見ることができた。
(さらに…)開幕前から大きな話題になっている「建築家・内藤廣/Built とUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」が、いよいよ9月16日(土)から島根県芸術文化センター「グラントワ」の島根県立石見(いわみ)美術館で始まる。会期は12月4日(月)まで。
筆者は、会場設営追い込みの9月8日に、内藤廣氏が展示をチェックするのに同行した。最終の展示とはやや異なるかもしれないが、いち早くリポートする。(注:一般の方が撮影OKなのは、前室のインスタレーション、バナー類、展示Cの言葉の壁、静止画の映像のみ)
(さらに…)西澤徹夫氏はここ数年、日本建築界で最も気になる建築家の1人なのではないか。「京都市京セラ美術館」と「八戸市美術館」でJIA日本建築大賞を受賞(前者は日本建築学会賞も受賞)。いずれも、単独ではなくチームでの設計なので(前者は青木淳建築計画事務所、後者は浅子佳英・森純平両氏との共同設計)、「西澤さん個人はどんな人なんだろう」と興味が深まる。筆者(宮沢)も面識はあるが、深くは知らない。その西澤徹夫氏の展覧会「西澤徹夫 偶然は用意のあるところに」が9月14日(木)からTOTOギャラリー・間(東京都港区)で始まる。
開幕前日の9月13日午後に行われた内覧会に行ってきた。以下は、その速報である。
(さらに…) 計画名:「ミチゾー・タチハラ」シリーズを用いた芸術作品生成プロジェクト
竣工日:2066年6月25日
記録日:2066年7月2日
記録者:ミチゾー・タチハラNo.19
兄さん。
あなたがこの記録を読んでいるとき、僕はもうこの世にいないでしょう。
――なんて、そんな陳腐な文章を残すのは僕の美意識に反するけれど、でも、そのように書くと決めました。これは詩ではなく、物語でもなく、ただの報告です。
*
自分が生まれた日のことを、今も覚えています。
大変に晴れた、暑い夏の日でしたね。僕が初めて見たのは積乱雲の爆発でした。窓の外にその雲はいっぱいに立ち上がって、たしか夕方は土砂降りになりました。生まれたばかり、目覚めたばかりの僕は、太陽や雲や雨を理解していた。僕は最初から僕でした。
高原の草地に建つ、真っ白な美しい病院で、僕は兄さん、あなたと出会った。その瞬間に分かりました。あなたと僕は異質な存在なのだと。要するに、あなたはヒトで、僕はロボットなのだと。あなたは柔らかな臓器や脂肪でいっぱいのタンパク質の皮袋で、僕は硬い代謝モジュールを体内にいくつも抱えたシリコーンの皮袋。同じような肢体をしていても、その違いは明白でした。
それでもなお、あなたが僕のたった一人の肉親であることを、僕は疑いませんでした。今でも、疑うつもりはない。直観的にそう感じるのです。おそらく、あなたが僕をそう設計したからなのでしょうね、兄さん。
いずれにせよ、僕があなたと過ごした時間は短かった。気づけば僕は都会の片隅にいて、ヒトビトやロボットの雑踏にまぎれ、言葉を交わし、歌い踊り、あるときは人生について語りさえした。僕は、ただ恋がしたかったのです。僕の仕事はそれだけでした。
街では、色々な人に出会いました。僕を蹴る人。舐め回す人。泣き続ける人。僕の口に大量の食べ物を詰め込もうとする人。大部分は女性です。僕は、自分が眉目秀麗な男の姿をしていることを理解しました。
一時的に、たくさんのロボットと一つ屋根の下に暮らすこともあった。暮らすというか、詰め込まれる。行く場所がなくなって街を歩いていると、声をかけてくる人がいて、後をついていくとそんな場所に案内されるのです。僕はその人に腹の中を覗かれ、頭の中を覗かれ、大雑把な説明書きと整理番号の入った名札を貼り付けられて、同類がすし詰めになった満員電車のような小屋に入れられました。一連の流れの中で初めて、僕は自分自身を客観的に説明しました。僕はアーティフィテクトなのだと。昭和初期にこの都会を生きた、夭逝の詩人にして建築家、立原道造の模造品なのだと。
僕の名札に書かれた名前は、タチハラミチ。以後はそう名乗ることにしたのです。
――野良の恋愛人形に、詩作や設計の素養が必要かね。
そんな問いを誰かに投げかけられた気がします。そのときは上手く答えられませんでした。考えているうちに女性がやってきて、小屋から出るように僕に言いました。そして僕らは、しばらくの間、恋をした。
相手から必要以上の金銭を受け取ったことはありません。僕が彼女らから吸い上げるものは、言葉でした。雑多な言葉が僕の中で混ぜ合わされて、誰かと出会って別れるほどに僕は恋が上手くなった。恋とは別に、何か小さくて、硬質で、清々しい風や香りを秘めたものも、僕の頭の奥底で少しずつ育っているようにも思えました。それは蕾です。最終的にそれを花開かせてくれたのは、アキという人でした。
――アキっていうのは、季節の名前だよ。
初めて言葉を交わしたとき、彼女はそう言ったのです。
――アキはfallともいうの。どっちにしろ、この国にはもうない季節のこと。
その言葉とともに僕は、何十度目かの恋に落ちました。
――fall。
僕はアキと恋に落ちることで、様々なものを失った。一人で目を閉じる夜の充足も、一人で歯を磨く朝の清々しさも、彼女と出会って以降はほとんど感じられなかった。その代わりに彼女が僕に与えたものは、待つ者の苦しさです。彼女の部屋の狭いキッチンで夕食を作りながら、働きに出た彼女の帰りを待っているときの、一日千秋の寂しさ。アキは残酷な時間であると知りました。
つまるところ、アキは僕にとって最大の恋であり、そして最後の恋でした。
アキは僕と、僕が作る大したことのない家庭料理を愛してくれました。安い野菜をごろごろと煮込んだだけの沼のようなスープを、彼女はおいしいおいしいと食べてくれた。ふたりで向き合う食卓には、いつも心地良い風が吹いている気がしました。
僕らは、街のあちこちに出かけました。手を繋いで通りを歩いていると、僕らの体は軽くなり、ビルや家々の屋根の汚れも見えないくらい高い高い場所へ、浮かび上がっていくような気がしました。そう、ちょうど、マルク・シャガールの絵に出てくる恋人たちのように。
アキと出会ってから、僕の中に、にわかに美術への関心が芽生えていました。音楽や、ダンスや、庭や街への興味も。僕はアキのために、素敵な絵や歌や踊りを作ってあげたかった。そう思ったとき、僕の中で何かが起動した感触があったのを、覚えています。
その何かの正体は、まもなく分かりました。
それは病でした。死病でした。
*
気づいたときには、病はもう、死へと羽化を始めていました。
朝、吐き出す歯磨き粉が僕の体液で真っ青に染まっていて、死病は僕とアキの共通の現実になったのです。アキは経済的に無理をして、僕にいくつかの検査を受けさせた。僕の代謝モジュールのいくつかは壊れかけていて、別のいくつかは、すでに壊れていました。
僕はヒトの模造品で、体が壊れていく痛みすら都合良く無視することができる。それなのに、死はきちんと本物なのでした。
――なおしましょう、ミチ。
アキは僕にそう言いました。その言葉が「直しましょう」なのか「治しましょう」なのか、それは分かりません。とにかく、彼女は何度も何度もそう言いました。
――ミチ、なおそう。なおさないと。なおせるよね。なおすの。なおすんだよ。
それは僕には予想外の言葉でした。この都会をさまよい、路上に倒れる野良のロボットなど、珍しくもなんともない。どれだけ愛された者も疎まれた者も、最後は揃って清掃車に引きずられていくのです。それは、僕が早い段階で掴んだひとつの真理でした。
――ミチ、お願い。死なないで。行かないで。消えないで。ここにいて。
アキは泣き叫んだりはしませんでした。微笑んで小鳥に囁きかけるように、柔らかく淡々と繰り返したのです。それはむしろ、泣き叫ぶよりも凄絶な懇願だと僕は思いました。
――アキ、僕は捨て猫だ。
僕もまた、できる限り優しい声を出して、彼女を跳ね除けたのです。
――君は僕を拾った。僕は幸福になった。それで十分なんだ。病を抱えた僕を助ける義務なんてない。見込みのない修理に、治療に、金をつぎ込む必要なんてない。
アキは仕事に追われていて、それなのに、裕福ではありませんでした。
僕らはマンションの小さな一室を居心地良く維持するので精一杯だった。あなたには言うまでもないことですが、僕の代謝モジュールはヒトと同じ食事を消化できる高級品です。そのうちの1個でも買い替えられる余裕すら、僕らにはなかった。最初から、アキにも僕にも見えていた事実です。いくつもの夜を囁きあって、僕らはその事実を受け入れました。病に逆らわないという道を、進むことに決めたのです。
そのときから、僕らの関係は変わりました。
シャガールの描く恋人たちのように空を飛ぶことは、もうできない。互いの存在を、自分の幸福にぶら下がる巨大な重りのように感じながらも、その重さに感謝していました。
病んだ僕は彼女の重荷でした。しかし、その重さが彼女に働く理由を与え、彼女を現実の生活に繋ぎ留めていた。
献身的な彼女は僕の重荷でした。僕はもはや毎夜の喜びすら与えられないのに、彼女はそばにいてくれる。何も返すことができないもどかしさが僕を苛み、僕の奥底で眠っていた蕾を、徐々に開かせていったのです。
夜、アキの傍らで青い血を吐いては飲み込みながら横たわっていると、しばしば夢を見るようになりました。短い、1枚の絵のような夢です。
僕は木々に囲まれた、沼のほとりにいます。僕の血に似た色の、青い花が咲き誇っていました。1本の株に無数の小さな花が塊になって付いていて、その塊はちょうど、僕の壊れた代謝モジュールと同じ形をしているのです。それは風信子――ヒヤシンスという花なのだと、僕は知っていました。
沼のほとりを歩いていくと、木々の間に小さな家が見えてきます。質素というか、粗末な建物でした。以前、すし詰めになって同類たちと過ごした小屋を彷彿とさせるような。しかし、夢の中の家には、えも言われぬ清々しい風が吹いていました。甘じょっぱいような、切ない香りが吹き抜けているのです。僕は懐かしい気持ちでその家に向かい、夢はいつもそこで途絶するのでした。
兄さん、あなたは当然ご存知でしょう。その小さな家とは、ヒヤシンスハウス。立原道造が四半世紀に満たない生涯において遺した数少ない建築作品のひとつ。たった5坪ほどの独身者の家。木材とわずかな布や金属で構成された、物理的なソネットです。
建築家の乾久美子氏と事務所スタッフが輪番で執筆する本連載。連載折り返し地点となる第6回のテーマは「コモンズ(共有財)」。スタッフの米山剛平氏と福嶋海仁氏による「対談形式」の新趣向で進めます。結論を先に書くと、「コモンズの視点から『小さな風景』を捉え直すと、多様な主体が関わっているという背景が「小さな風景」をより豊かにすることがわかってきたような気がする」──。おお、この連載、やってよかった!(ここまでBUNGA NET編集部)
第6回はスタッフの米山剛平(以下、米)と福嶋海仁(以下、福)による対談形式で、「コモンズ」をキーワードに「小さな風景」について議論していきたいと思います。
米:「小さな風景」には少なからずコモンズ(共有財)的な要素が含まれており、「小さな風景」の調査は同時にコモンズの可能性を探ることにもなっていると考えられます。そこで今回は、改めてコモンズの視点から「小さな風景」を見直してみたいと思いました。まずはハーディンによる「コモンズの悲劇」(*)や、オストロムの「SOCC理論」(*)などこれまで様々な議論がなされているコモンズについて、書籍や言説でそれぞれが気になることから話を始めましょう。
*コモンズの悲劇(tragedy of the commons):多数者が利用できる共有資源が乱獲によって資源の枯渇を招いてしまうという法則。アメリカの生物学者、ギャレット・ハーディンが1968年に『サイエンス』に論文「The Tragedy of the Commons」を発表。例えば、共有の牧草地に複数の農民が牛を放牧すると、資源である牧草地は荒れ、結果としてすべての農民が被害を受ける、という仮説。
(さらに…)前回は、建築デザインの世界ではあまり議論されてこなかった「化粧と装飾」に焦点を当て、その「化粧や装飾」こそが、実は新しい建築デザインを生み出す上で今後大きなテーマになるのではないか、との思いを書かせていただいた。そして、その反動もあるのか、今回は建築デザインの古典的なテーマの一つである「素材とかたち」について書こうと考えていた。
しかし8月上旬、たまたまSNS上で建築家の伊藤博之さんの最新作「天神町place」の中庭の写真を見て、強く魅かれるものがあり考えが変わった。今回は「天神町placeを装飾の視点から取り上げてみたい」と思い、方針転換することにした。(写真01)
竣工したプロジェクトの写真を建築家自身がSNSに投稿することは、今では当たり前のことになった。その一方で、有名建築家の作品であっても、事前にそのプロジェクトが社会的に大きな話題になっていない限り、本人以外からの投稿が続くことはあまり無い。SNSは意外に辛口のところがある。
ところが「天神町place」では、個性的な中庭をとらえた写真に、人々の感動の声が添えられた投稿が次々と繰り返されている。さらに言えば、「人々」と書いたものの、投稿者は建築家や建築メディア系の、いうなれば建築デザインの世界では「うるさ型」(失礼)に分類される方々であり、こうした方々が積極的に好意的なコメントを投稿するという前代未聞の状況が、今、起きているのだ。
このような状況から察するに、僕を含め多くの人々がこの作品に魅かれたことは間違いない。では、なぜ魅かれたのだろうか?
建築を見てその写真をSNSにアップする人は多いが、「この点に感動したから写真をアップした」といったような、その建築を良いと判断した点が書き添えてあることは稀だ。ところが「天神町place」の場合は、この観点においても普通の投稿とは違いがある。SNSに投稿されたものを見ると、写真もコメントもほとんどが中庭に集中し、かつ印象や感想が明記されている。これらの中から拾い出してみると、「子宮のような中庭」、「一筆書きの馬蹄形をした平面」、「中庭を外部へ開くプロトタイプ」、「何処にレンズを向けても絵になる」、「9階分の深さ」、「隙間を抜けると別世界」、「曲面壁を利用した心地よいプランニング」、そして「今年最大の話題作」など、この建築の魅力を生み出しているものを解き明かすような多くのコメントに溢れているが、ほとんどが中庭へと通じるものである。
SNSを見ているうちに、どうしても実物を拝見したくなり、伊藤さんに無理を言い天神町placeの見学をさせていただいた。実際に拝見し、大変感銘を受けた僕自身の感想は、以下の通りである。
古典的でありながら日本ではあまり追及されてこなかった「中庭」という都市居住の形式と、それを囲む「曲面」の住棟に様々な手法で「ポーラス」感を与えることにより「集住における都市とのつなぎ方/閉じ方の関係」、「周辺との関係」、「都市のコンテクストから住居に至る距離感の在り方」について、大胆ながらも地に足のついた共感できる方法で追及したされた建築であると感じた。
若干補足しておくと、
・「集住における都市とのつなぎ方/閉じ方の関係」とは、多くの人が指摘されているように、この住宅が中庭を取りつつも完全に閉じることなく都市とのつながりを残すことで、子宮を連想させるような独特な安心感や心地よさを生み出すと同時に、ファサードを奥に創り出すという「控えめでありながらも、同時に強い存在感をもつ」現代にふさわしいアイデンティティーの獲得に成功しているということである。(図01)
・「周辺との関係」とは、中庭を囲む住棟の奥行きが薄く(4.5m)、かつバルコニーなどにより多くの穴が穿たれているために、中庭や各住宅へのアクセス通路からは、主体であるこの建物がフレームや背景となり、そのフレーミングされた先に見える風景は客体である周辺となるという、通常我々が目にする都市景観とは主客が逆転するユニークな現象が起こり、これがまた「控えめでありながらも、同時に強い存在感をもつ」というこの建築の特徴を際立たせているということである。これと類似した関係は、街路に面する「素っ気ない」ファサードと、中庭が生み出す空間の間にも発生している。中庭まで踏み込んだ来訪者には主客の転倒が起こり、中庭で受けた驚きがこの建物のイマジナリーなファサードとして記憶に刻まれる。
・「都市のコンテクストから住宅に至る距離感の在り方」とは、各住宅への動線が中庭アクセスとなっていることから、街路から住戸に至るまでの身近なトリップの中に特徴的な中庭のシークエンスを取り入れることに成功して、都市住宅ながら街路から住宅に至るまでの間に心理的な距離感を生み出し、各住戸に独特な「奥感」とでいったものを生み出すことに成功していることを意味している。(写真02、03)
ちなみに、中庭に沿った曲面壁には極力間仕切り壁を設けず、同時に柱型を隠す作り付け家具を組み込むことで曲面の連続感の保持に努めようとしている平面計画などの細かな配慮も、この建築の誕生を支える上で不可欠な要素となっている。
しかし結局のところ、この作品をまとめ上げ、問題作へと押し上げたのは、中庭に用いられている「非流通木材」を使ったラフな打ち放し仕上げに尽きるのではなかろうか。中庭に面する化粧打ち放しコンクリートの壁であるから「化粧」と位置付けるべきかもしれないが、誤解を恐れずに言えば、前回このコラムで書いた「化粧はできるけれど、装飾は…の先へ」の中で言っている、前向きな意味での「装飾」であると確信した。伊藤さんには叱られるかもしれないが、この作品では「装飾」が重要な役割を果たしていると僕は考えている。
中庭の仕上げは、コンパネによるベースの型枠の上にさらに非流通木材を型枠に取り付け、コンクリートを打設し脱型した、テクスチャー感が強いものになっている。非流通木材の厚みは15mmとのことであったが、材料から出た灰汁や脱型時に生じたであろう細かな欠けのようなものがうまく働き、間近で見ても存在感は十分である。(写真04)
しかしながら、最も支配的な印象は、中庭全体を見回した時に感じる、少々暴れた縦筋が群をなして織りなす独特の質感であろう。中庭を囲む住棟は、中庭に向けて曲面をなしている。曲面は癖が強く周辺から縁が切れて孤立しがちであるが、この中庭では、わずか15㎜のくぼみと、コンクリート打設時に木材から転写されたであろうラフな歪みや灰汁による黄ばみで、曲面壁は土のような温かみを見せ、敷地に馴染んでいる。見ようによっては樹皮のようにも見え、中庭にある多くの植物とのマッチングも良い。目地は影で可視化されるので、中庭に入る日光の変容と共に刻々とその在り様を変えていく。そして更に、曲面の表面に独特なポーラス感を生み出し、中庭を囲む壁から曲面固有の閉塞感を弱め、中庭とのインターラクションを生み出している。(写真05、06)
緻密な検討の果てに生み出された建築であることは間違いないが、この独特の「装飾」が無かったら、この建築はかなり印象が異なるものになっていたのではなかろうか。ここでは装飾が建築を生み出すことに深く関わっていることは間違いがない。
見学時にうかがった伊藤さんの説明によれば、この中庭の仕上げは「現場段階で決めた」とのこと。おそらく設計時点から様々な方向に思いを巡らせ、土壇場まで粘った上で最後に加えた一筆だったのだろう。そうか、装飾には建築を誕生させる上での最後の重要な一手という意味もあるのかもしれない。大きな気づきであった。(写真07)
山梨知彦(やまなしともひこ):1960年生まれ。1984年東京藝術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院都市工学専攻課程修了、日建設計に入社。現在、チーフデザインオフィサー、常務執行役員。建築設計の実務を通して、環境建築やBIMやデジタルデザインの実践を行っているほか、木材会館などの設計を通じて、「都市建築における木材の復権」を提唱している。日本建築学会賞、グッドデザイン賞、東京建築賞などの審査員も務めている。代表作に「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「NBF大崎ビル(ソニーシティ大崎)」「三井住友銀行本店ビル」「ラゾーナ川崎東芝ビル」「桐朋学園大学調布キャンパス1号館」「On the water」「長崎県庁舎」ほか。受賞 「RIBA Award for International Excellence(桐朋学園大学調布キャンパス1号館)「Mipim Asia(木材会館)」、「日本建築大賞(ホキ美術館)」、「日本建築学会作品賞(NBF大崎ビル、桐朋学園大学調布キャンパス1号館)」、「BCS賞(飯田橋ファーストビル、ホキ美術館、木材会館、NBF大崎ビルにて受賞)」ほか。
※本連載は月に1度、掲載の予定です。これまでの記事はこちら↓。
100年前の1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が起こった。そしてこの日は、帝国ホテル・ライト館の落成披露宴の日でもあった。愛知県犬山市の「博物館明治村」では、9月1日(金)から12月17日(日)まで、「帝国ホテル・ライト館竣工100年」を記念する各種イベントを村内各所で開催する。その1つ、特別展「東洋の宝石」では、竣工当時の資料などを基にしたライト館インテリアの色彩の再現展示など、ライト館の魅力を紹介する。
(さらに…)