「旭川市庁舎、3年後には解体か」という記事を書いてから、ちょうど3年たった。
3年前に書いた記事はこれ↓だ。
(さらに…)「中産連ビル」の記事の最後で「取材に行きます」と予告していた「名古屋渋ビル研究会」に、約束どおり話を聞きに行ってきた。
研究会といってもメンバーは2人。謡口(うたぐち)志保氏と寺嶋梨里氏だ。たった2人?とあなどるなかれ。合わせると10人にも匹敵しそうな“お互いの持ち味の妙”によって成り立っているユニットなのである。
(さらに…)「キトウシの森きとろん」の記事で予告した隈研吾建築都市設計事務所(KKAA)の北海道東川町「ヒガシカワサテライト」のリポートである。まずはオフィスがあるエリアの風景をご覧いただきたい↓。まるで北欧!!
案内してくれたのは、ヒガシカワサテライトに勤務する野村隆太主任技師(下の写真左)と佐藤未季設計室長(下の写真右)
(さらに…)隈研吾氏の設計監修で今年8月21日に北海道東川町にオープンした保養施設「キトウシの森きとろん」を見てきた。レストラン、ショップ、温浴施設から成る。大の風呂好きなので、風呂も堪能してきた。
(さらに…)米国ニューヨークの2回目に、現地の日江井恵介氏がピックアップしたのはミュージアムの話題作だ。映画の舞台としてもよく知られる「アメリカ自然史博物館」の新館で、シカゴのスタジオ・ギャングが設計した。2014年の計画発表から9年、今年の5月にオープンした。(ここまでBUNGA NET編集部)
マンハッタンにはメトロポリタン美術館やニューヨーク近代美術館(MoMA)、グッゲンハイム美術館など多くのミュージアムがあり、毎日多くの人が訪れている。アメリカ自然史博物館も人気施設の1つで子どもから大人まで楽しめるミュージアムだ。映画ナイトミュージアムの舞台として有名であり、実際行ったことがなくても恐竜やクジラの展示は画面越しに見たことがある人は多いのではないか。
ニューヨークの2回目に選んだのは、マンハッタンのアッパーウェストサイドにあるアメリカ自然史博物館の新館であるリチャード・ギルダー・センターだ。
1869年に開館したアメリカ自然史博物館は長い歴史の中で少しずつ規模が拡大し、その最新の建物として世界クラスの研究施設や科学コレクション、学習施設を有するリチャード・ギルダー・センターが2023年5月にオープンした。もともと150周年記念となる2019年にオープン予定だったが、新型コロナウイルス禍の影響などもあり、2014年の計画発表から9年越しで今年やっと完成した。
設計はシカゴに拠点を置くスタジオ・ギャング。マンハッタンにもいくつか作品があるが、彼らの形状や生態学、そしてマテリアルの研究などを通してつくり出される建築はとても独特で特徴のある建物ばかりだ。今回4億6500万ドルを投じて建設されたこの新館は、10棟の既存建築を新たなサーキュレーションでつなぐことで回遊性が改善され、以前より博物館全体が見やすくなった。
(さらに…)谷口吉生は、境界面を問い続けてきた建築家である。「金沢市立図書館」(現・金沢市立玉川図書館、1978年)について、1979年に谷口吉生は「内と外とが、たえず一方が他方の仮像となって感知されるような曖昧性のある空間である」と語っている(注5)。これこそまさしく「表面」が可能にするものである。
2023年は、「長野県スクールデザインプロジェクト(以下、NSDプロジェクト)」の2年目として、3校の施設整備事業で、長野県教育委員会は基本計画の策定支援者を選ぶ公募型プロポーザルを実施した。そのうち、11月5日に行われた須坂新校の2次審査は既報の通りだ。1週間後の11月12日には赤穂総合学科新校の2次審査が行われ、新たに最適候補者が決定し、今年の3つのプロポを終えた。ここでは、9月30日に2次審査を実施した佐久新校の結果、最新の赤穂総合学科新校の結果を振り返っておく。
佐久新校は野沢北高校と野沢南高校の統合によって誕生する高校で、野沢北高校の敷地・校舎を活用する。同校のプロポで最適候補者に選ばれたのは、SALHAUS・ガド建築設計事務所設計共同体だ。次点となる候補者になったのはワンダーズ(平井政俊建築設計事務所、千田建築設計、KONTE一級建築士事務所で構成)で、次々点の準候補者は、K+Y+H共同企業体(渡邉健介建築設計事務所、下山祥靖建築設計事務所、ハシゴタカ建築設計事務所で構成)だった。
SALHAUSは、1年目にも仲建築設計スタジオとの共同企業体(JV)で、松本養護学校のプロポで最適候補者に選ばれている。今回JVを組むのは地元佐久市のガド建築設計事務所。佐久市野沢児童館併設型子育て支援拠点施設の設計も両者のJVで手掛けている。
SALHAUS・ガド建築設計事務所JVは、「佐久新校が地域とつながり、佐久らしさ・野沢らしさを活かした新しいまちをつくる」といった大きなフレームを設定。新校が立つ野沢エリアをウォーカブルなまちに再生する、探究的な学びにより「まち全体」を学びのフィールドにするという目標から、通りに開かれた建築とし来校者がアクセスしやすい位置に「共学共創ゾーン」を配置するといった具体的なプランまで示した。
配置計画の特徴は、各エリアに4つの広場を配し、それらを回遊して多様な居場所を発見できるプランとしていることだ。前面道路に対して開かれた「地域のひろば」と「エントランスひろば」、生徒の学びや生活の場となる「探究のひろば」と「班活のひろば」を設け、それらを回遊する。生徒の日常空間は2~3階に配し、1階の地域共創スペースとは分けつつ、つないでいる。
2次審査の終了後、SALHAUSに佐久新校で実現したかったこと、今後の抱負を尋ね、共同主宰者の1人である日野雅司氏から次のコメントをもらった。
「佐久新校は地域の伝統校である野沢北高校、野沢南高校の統合校であり、これまで地域内でもその将来像について様々に議論されてきた新校だ。私たちはその新校を地域づくりの1つとして捉え、接道性が高く地域連携の活動がまちにあふれ出てくるような校舎を提案した。スーパー探究校として、生徒の自主性・能動性を育む分野横断的な学びを実現するために、回遊しながら様々な活動との偶発的な出会いのある空間を構想している」
赤穂高校の普通科・商業科を総合学科に転換する赤穂総合学科新校のプロポで、最適候補者になったのは畝森・teco設計共同体。畝森泰行氏率いる畝森泰行建築設計事務所と金野千恵氏率いるtecoのJVだ。両者は2018年に北上市保健・子育て支援複合施設のプロポで最優秀者に選ばれて以来、JVで複数のプロポーザルを取った。現在、東京都台東区の6階建てのビルを事務所としてシェアしている。
次点となる候補者はSALHAUSで、次々点の準候補者は「該当なし」とされた。SALHAUSは佐久新校でのJVに対して、こちらは単独で連勝を狙ったものの、惜敗した。昨年も単独で臨んだ伊那新校のプロポでは候補者にとどまっている。
今回の赤穂新校プロポで対象となる総合学科とは、普通科と専門学科に次ぐ第3の学科であり、普通教育から専門教育まで幅広い科目の中から生徒が選択して学ぶことができるカリキュラムを持つ。畝森・teco設計共同体は、「“まち”と“まなび”のふたつのミチが織りなす学びの循環」をテーマに提案をまとめた。歴史ある三州街道を継承し、“まち”と“まなび”の2つのミチを通すことで、地域社会とのローカルなつながりと、時間や場所を超えたグローバルな学びの両方を併せ持つ学校をつくる考えだ。
教室や大講義室を4つのボリュームに分節し、その両側の東と西を南北にミチでつなぎ、さらに周辺へ関係を拡張するボリュームをミチの外側に配する。「まちミチ」は地域開放の拠点としながら、行事によっては校舎に囲まれた「ソトニワ」でもイベントを共有するような、まちと共にある高校を目指す。
2次審査が終了した後日、畝森氏と金野氏から連名で以下のコメントをもらった。
「地域とつながる環境づくりと、総合学科の特徴である移動時間の『学び』への変換、これらが相互に関係する『学びの循環』を生むことを考えた。そこで、敷地周辺にある小径を延長した『まちミチ』とメディアセンターも兼ねた『まなびミチ』の2本のミチが、各教室棟を挟む回遊性あるプランとした。『まち』と『まなび』の2つを基軸に、新しい学校とまちのあり方について、みなさんと議論していきたい」
<NSDプロジェクトで最適候補者に選ばれた設計者>
NSDプロジェクトの2年目は3つの新校で基本計画策定支援の設計者が選ばれ、1年目と合わせると計7校の設計者が決まったことになる。うち、5校が高校だ。長野県の高校再編計画では県立高校78校を64校にしていく考えで、それらすべてがNSDプロジェクトの対象と考えれば、今後の道のりはまだまだ長い。
2年目のプロポの2次審査を見ていると、応募者は過去の事例を学んでおり、特にプランについては、よりシビアな戦いになっている。ただ、一つ言えるのは、過去の「傾向と対策」だけでは、これまで選ばれた事務所の案を超えられないということだ。さらに、その提案を教育の現場や地元が受け入れてくれる可能性はあるのか、現実的に運営は可能なのか、高騰している施工費にどう対応していくかなど、検討しておかなければならない課題は多い。(森清)
<佐久新校プロポーザル概要>
<赤穂総合学科新校プロポーザル概要>
「麻布台ヒルズ」が2023年11月24日に開業する。東京都港区の虎ノ門と麻布台、六本木にまたがり高台と谷地が入り組んだ高低差の大きい場所だ。森ビルが11月20日のメディア内覧会で主要施設をマスコミに公開したので、その中から建築的に見どころがある空間をピックアップしてお届けしよう。
麻布台ヒルズは、35年もの時間をかけて、官・民・地元が一体となって進めてきた市街地再開発事業だ。森ビルは1989年に「街づくり協議会」を設立し、約300人の権利者らとともに再開発を進めてきた。区域面積は8.1ヘクタールに及ぶ。東京の国際競争力アップに向け、世界水準の多様な都市機能を高度に複合している。例えば、慶應義塾大学の予防医療センターや、都心最大級のインターナショナルスクールを備える。開発のコンセプトは、“緑に包まれ、人と人をつなぐ広場のような街 -Modern Urban Village-”。2.4ヘクタールの緑地を創出し、人々が自然と調和しながら、安全かつ心身ともに健康で豊かに生きることのできる街づくりを目指している。
施設は大きく、森JPタワーとタワープラザ、ガーデンプラザA~D、レジデンスA~B(Bは建設中)、そして中央広場から構成される。森JPタワーの横には「ブリティッシュ・スクール・イン 東京」の校舎が立つ。オフィスやレジデンスを中心とする森JPタワーは、高さ約330mで、日本一の超高層ビルとなる。レジデンスAには、レジデンスの他、13階までにアマンによるラグジュアリーホテル「JANU(ジャヌ)」が入る。2024年2月開業予定だ。ガーデンプラザとタワープラザでは、エリア全体で150店舗、延べ2万3000 m²の商業施設が順次、開業する。
(さらに…)前回、丹下健三と槇文彦について見ていったように、1977〜81年には皆、「表層」に憑かれたのだった。それぞれの建築家の中心思想や世代論を越えたその拡がりから、引き続き、この時代の建築を捉えたい。
同じメタボリズム・グループの一員であっても、菊竹清訓や大高正人とは違い、黒川紀章─や前回とりあげた槇文彦─は、時代に鋭敏に反応する建築家だったから、この時期、急速に表層を論じるようになった。
「利休ねずみ」がそれである。この言葉は「石川厚生年金会館」(1977年)が『新建築』1977年9月号に発表された際の論考で初めて中心的なテーマになった(注1)。江戸時代後期に、緑がった茶色が流行し、茶人の千利休を連想させることから「利休色(いろ)」と呼ばれた。その灰色に近いものが「利休鼠」と称されたわけだが、黒川紀章は彼らしく、この一点を、大衆の誰もが日本文化の代表者と認識している「利休」と「ねずみ色」(グレー)とが直結しているのだという分かりやすい主張に拡張し、以後ぐいぐいと論を進める。
11月10日に開館した熊本県人吉市の「青井阿蘇神社 青井の杜(もり)国宝記念館」を見てきた。設計は隈研吾氏だ。自称「隈研吾ウオッチャー」とはいえ、さすがにこのために熊本には行かない。佐賀県に出張があり、行こうかどうしようか迷ったのだが(レンタカーで往復約4時間)、「1日潰して行った甲斐があった」と思える建築だった。